酢豚のパイナップルは余計なのか?
余計なことをするな。
往々に聞くこの言葉だが、言った者が余計か。言われた者が余計かは実に曖昧である。
例えば、酢豚である。ある人はパイナップルが入っていると「余計なもん入れるなよ」という顔をする。かと言えばパイナップルが入っていないと「どうして入っていないの」と問うような顔をする人もいる。作る側としては「黙って食べろよ」というのが本心である。だが、何を持って余計と感じるかはそのひと次第ということである。
もう一度、屋敷の中を調べたいという結城俊の考えは、御堂達也にとっては余計なことであった。また、何度もそれに振り回される侍女の川部唯子にとっては正義感の元行われる捜査ごっこもまた余計なことでしかなかった。
結果として彼らは反発しあってバラバラになったということらしい。御堂が食堂を出て行ってしばらくして結城と執事の光岡が、何とも言えない表情で戻ってきた彼らは、食堂にいた小春と上川の表情から「だめでした」と短く報告をした。
「座ったらどうだ。疲れただろう」
上川がうながすと結城は倒れ込むように椅子に腰を下ろし、光岡は申し訳なさそうに席に着いた。来客の前で座っている光岡の姿を見たのはこのときが初めてだった。執事として真面目な彼にとっても今の状況はかなり厳しいものらしい。
「上川君、ごめん。御堂を止められなかった」
結城はすべての責任が自分にあるというような表情で上川に頭をさげた。別に結城にそれほどの責任があるかは分からないが、館の探索を言い出した本人としてはそうとしか言えないのかもしれない。
「こんな風になるとは思わないさ。それで、川部さんは?」
「私があとを追いかけたのですが、顔を洗いたいのでと言われて女湯に入られてしまい。追いかけるわけにもいかず。結城様と手分けして屋敷の出入り口などをもう一度見て回りました」
確かに女湯となれば男性には入りにくい。
いまからでも小春に見にいかせればと思うが、彼女は彼らの話を聞いているのかいないのかややぼんやりとした表情で何かを考えているようだった。
「新しい発見はなかったし、一条院さんの死体も見つからなかった。徒労というのはこういうことなのかな」
「御堂は自室に戻ると言っていたが会ったか?」
「いや、僕は見てないよ。入れ違いだったのかも。光岡さんは見ましたか?」
「いえ、私も見ておりません」
結城と光岡はやや困った顔をした。
「あいつ。馬鹿なことしてないと良いけど……」
上川は少しの沈黙のあと、静かに席を立つと「御堂のところに行こう」と告げた。結城と光岡は示し合わせたようなタイミングで腰を浮かせるが、小春はまだなにか思索に夢中らしく立つ気配がない。それに気づいた光岡が「桜崎様。みなで御堂様の部屋に参りましょう」と優しく言った。
小春はようやく他の人間が何かをし始めたのだと理解したらしく「はい」と答えてから周りの動きをうかがっていた。彼らはぞろぞろと屋敷の中を進むと上川と安達の部屋に挟まれた御堂の部屋の前に立った。とくに室内から物音はしない。
上川が手の甲で扉を叩く。密度が高く乾いた木の高い音とが響く。
「御堂いるか? 上川だ」
部屋の中から反応はない。上川がさらに力を込めて扉を叩くと、慌てたようなこもった声が聞こえた。
「……あ、はい」
しばらくの間があって扉が開くと御堂が眠そうな顔で立っていた。
「御堂、無事か?」
「上川君。大丈夫ですけど? なにか?」
「なにかじゃないよ。君が一人で行動してるって話になって慌ててきたんだよ」
結城が非難するような声を出すと、御堂は不機嫌そうに「もとはと言えばお前がもう一度探索をするとか言うからだろ」と川部の怒りが彼らに向けられたことを結城の責任だと言った。それはある意味正しいのかもしれないが、現在に影響を与えるのが過去だとすれば、これまでの彼の行動も責任があると言える。
「二人ともよさないか。とりあえず、御堂が無事でよかった。先生を隔離してると言っても殺人犯が別にいる可能性はあるんだ。一緒に行動をしないと、一条院のように殺されるかもしれない」
「……すいません」
「……安達も一条院も殺されたんですよね」
二人は真剣な顔をする上川に気おされたのかしおらしく謝った。そういう顔ができるのならいつもそうしていればいいのになぜ、できないのか? 死人がいないことに空気が緩んだときだった。コックコートの上のボタンをラフにしたシェフの斎藤がひどい表情で駆けてきた。
「ああ、君たちここにいたのか? 川部君を見なかったか? そこの彼と口論になってから戻ってこないんだ」
御堂が川部と口論になって食堂に戻ってきてからすでに小一時間ほどの時間が経とうとしている。キッチンで帰りを待つには長い時間だ。
「斎藤さん、川部さんは顔を洗いたいと女湯に入られて私は入るわけにいかず……」
「そう。そうか。良かった。川部君がどこにいるか分かれば」
斎藤が安堵の表情を見せた瞬間だった。後ろのほうでぼんやりとしていた小春が駆けだした。
「お、おい、小春どうしたんだ?」
「顔を洗うくらいで小一時間もお風呂に入れませんよ」
彼女は珍しい瞬発力で館を走破すると女湯の更衣室に入った。更衣室内には三名分の鏡台と着替えを入れるための棚が用意されている。棚の中に服やタオルの類がなかった。風呂に入った様子はない。ならば、降風呂場に川部はいないのだと判断して更衣室から小春が出ようとしたときだった。
更衣室と風呂場を仕切るすりガラスの引戸の向こう側がおかしかった。
風呂場の床は白いタイルだったのにも関わらず、すりガラスの向こうが赤のようなピンクのようなまだらに見えた。小春は引戸を開けようと横に引っ張るが、鍵がかかっているのか。何かが引っかかっているのか。開けることができなかった。
「誰か。来て!」
彼女なりの大声を出すが、女湯の外にいるはずの男性陣が入ってこない。小春は開けるのを諦めて外へ出ると「手伝ってください」と彼らに助けを求めた。その声に一番に反応したのは斎藤だった。彼は小春を押しのけるように更衣室に入るとすぐに風呂場の異常に気づいた。
引戸がガタガタと音を鳴らすほど力を込めても開かない。
「扉を破ります。許してください!」
斎藤はアルミフレームのガラス戸を蹴り倒すように力を込める。もともと防犯性を求められていない風呂場の引戸はあっという間にアルミフレームを曲げ、ガラスをまき散らして開いた。引戸のレールから脱輪した扉はそのまま風呂場側へ倒れ込んだ。
風呂場の中は赤い絵の具をまき散らしたような惨状だった。
着衣姿のまま風呂場に倒れた川部は天井を見つめるように仰向けに倒れており、腹部や腕部から骨が見えるまで切り刻まれていた。首にも大きな切り傷があり、これまでのどの死体よりもひどい有様だった。上川達はその姿に近づくこともできず立ち尽くし、死体があることを半ば確信していた小春でさえ、声を出せずにその場に座り込んだ。
斎藤だけが死体に近づき、必死に川部の名前を呼んだが反応はなかった。彼のコックコートが白から黒みを帯びた赤に染まったころようやく彼は川部の名前を呼ぶのをやめた。かくして、第三の殺人事件が起きた。それにもかかわらず、私――一条院楓の前に殺された安達や川部の幽霊は現れない。
だが、確実に彼女の命は奪われていた。




