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回るコーヒーカップには乗りたくない

 私――一条院楓いちじょういん・かえではコーヒーや紅茶に砂糖を入れない。


 別に甘いものが嫌いというわけでないし、体重の増加を気にしてというわけではない。単純に溶け残るのが気持ち悪いのだ。ほどよい熱さであれば砂糖は容易に溶けるが、ついつい話が盛り上がって飲むタイミングを逃すと溶け残った砂糖がカップの底に溜まって粘度の高い甘い液となってしまう。どこか淀んだ河を思い起こさせる。ねっとりと絡みつくいやらしさ、じゃりじゃりと砂のように舌の上を転がる溶け残った砂糖の甘さがどうにも気持ち悪いのだ。


 そんな思いをしないように私は砂糖を入れない。


 たまに飽和濃度を探っているのではないかと思えるほどに角砂糖を投入する人間がいるが、あれの目的が私には理解できない。よほど極度の低血糖状態でもなければあれほどの糖分を体内に入れることは異常であると気づきそうなものだが、私が知る限り彼らは当たり前のように砂糖を投げ込んでいく。


 もしかすると埋め立てを行っているのかもしれない。


 液体の温度が下がって飽和した砂糖が結晶になる。それが強固な足場になるの。そんなことを考えて私は微笑んだ。死んでいるのに微笑む顔が口があるのかは分からない。なぜなら今の私は死者であり、鏡にさえ写ることがないからだ。


 幽霊が未練の塊だとすれば、きっと気持ちがこの世に溶けきることができないのだ。


 ならば、私の心残りは何なのだろうか?


 恋敵への怒り?


 婚約破棄を言い渡した男への思慕?


 私を殺した誰かへの怒り?


 なんとなく違う気がする。なぜなら、いまの私は意外と心安らかなのだ。あるとすれば死体が見つからないことへの怯えくらいだ。こればかりは生者には分からない気持ちに違いない。ずいぶんと話が脱線してしまった。それにはやや理由がある。私は驚いたのである。


 まさか、元婚約者である上川俊也うえかわ・しゅんやが私が飲み物に砂糖をいれないということを覚えているとは思っても見なかったからだ。私と彼の関係は親に決められた婚約者と言うものだった。途中から乗り気ではなくなっていたというのによく覚えていたものである。


「楓さんってお砂糖使わないんですか?」


 目をくりくりさせて桜崎小春さくらざき・こはるが驚く。それはそうだ。彼女の立てた推理では犯人は私を毒殺しようとして、誤って安達を毒殺してしまったとというものだからだ。確かに彼女の言うように砂糖壷のなかを砂糖の層、毒の層にすることで砂糖の層を掘り進んだ先で毒に行き当たる、というのは可能だろう。


 だが、標的が砂糖を端から使わないのでは意味がない。


 なによりも他に人間がどれくらい砂糖を使うか正確に知っていなければこの方法は難しい。標的が砂糖を使うかも調べていない犯人がこの方法を選ぶことはない。


「ああ、俺が知る限り一条院は砂糖を使ったところを見たことがない。もし、彼女を毒殺するのならすべてのカップに毒を入れておいて、砂糖に解毒薬を混ぜる方が確実だ」

「では、その方法で楓さんを?」

「小春。あのとき死んだのは一条院じゃなくて安達だ。それも砂糖を入れてね。正直、犯人がどうやって毒入れたか全く分からない。君が言う通り、一連の事件で一番得をしているのが俺だというのは確かだが、一条院と安達を間違えて毒殺するというのは難しい」


 上川の言うことは概ね正しいように思えた。私を知っている相手が私を毒殺するつもりならティーカップのコースターに自然に角砂糖を置いたものと置かないものを用意すればいい。私は置いていないものを自然に選んだだろう。そうすれば毒を入れるカップは一つだけで済む。だが、現実はそうではない。


 無差別という出鱈目をのぞけばやはり犯人は安達を狙って殺したに違いない。


 女子高生名探偵小春の推理は相変わらず外れた訳だが、得があった人間が犯人というのは悪い考えではないと思う。例えば、上川の取巻きの中で安達を邪魔に思う者がいた。なんていうのはありそうだ。上川財閥の御曹司に近づきたい者というのはいくらでもいるし、歪んだ忠義心が安達や私を殺したというのは分かりやすい。


「だとすればいったい誰が?」


 小春は真剣に悩むように首をかしげる。上川も同じように眉間にしわを寄せる。


「安達と一条院。二人を殺して良いことがあるとは思えない」

「そうですね。ああ、楓さんが生きていてくれたら……」


 そこまで言って小春は言葉を止めた。続く言葉は「解決してくれたのに」だったのか「簡単な話だった」のかは分からない。だが、小春も上川も気まずそうに押し黙った。そのときだった。食堂の扉が開いて御堂達也みどう・たつやが入ってきた。その表情はいかにも不満という様子で部屋の中に上川や小春がいなければ椅子の一つでも蹴り倒していそうだった。


「御堂。どうしたんだ? 屋敷を結城と見て回るんじゃなかったのか?」

「ああ、それなら結城と光岡さんがやってくれてますよ」

「お前はどうして戻ってきたんだ。なにかあったのか?」


 上川が訊ねると御堂はため込んでいたものを吐き出した。


「あの雇われメイドですよ。俺たちがキッチンをもう一度調べようとしたら、無駄なことやめてくれる? あんたたちの探偵ごっこでこっちがどれだけ迷惑してると思ってるの! ってひどい剣幕で怒鳴って来たんです」

「それで、お前は?」

「雇われてるだけの奴がゲストである俺たちにふざけた口きいてるんじゃねぇって言ったらキッチンから飛び出していきやがってシェフの斎藤からは君は品がないとか言われるし、結城にも食堂に戻ってろって言われてやってられないですよ」


 確かにそれは品がない。


 シェフの斎藤やメイドの川部からすれば仕事の邪魔でしかないのは事実だし、彼らからすれば殺人事件に巻き込まれているという気持ちが強いのは間違いない。それをこうも高圧的では協力も何もない。


「御堂。生き残っている人間で争ってどうする。少し部屋にでも戻って気分を落ち着けてこい」


 上川にまで自制を求められて御堂は釈然としない顔のまま食堂を出ていった。


「上川先輩……。御堂さん大丈夫でしょうか?」

「大丈夫さ。落ち着けばなんとでもなるさ」


 小春に言い聞かせたのか自分自身に言い聞かせたのか、上川は扉から出ていった御堂を見送った。

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