晩餐に婚約破棄を添えて
「一条院楓! 君のような陰湿で表裏ある悪役令嬢のような君が婚約者に選ばれたのは大いなる間違いだった。この場で僕は君との婚約を破棄する!」
顔を真っ赤にさせて上川俊也は私に指を突き付けた。学園の王子様と呼ばれ女生徒から憧れる彼も怒りを露わにしては、カッコ良さも二割減といったところだ。私はほぼ既定路線のような驚きを顔に張り付かせた。
「そんな。どうして! 私はあなたのことを思って」
「僕のことを思って? それで君は小春に何をした」
まず、桜崎小春の卑しさ生まれをチクチクと取り巻きの女子たちと一緒にあげつらい。彼女の天然パーマを不細工なものだと海藻やたわしに例えて遊び。体育の時間のあとに小春を更衣室から出られないように施錠したり、彼女が上川から貰ったと大切にしていたハンカチを破いたりした。
「その子じゃあなたと釣り合いが取れないのよ。孤児院育ちでまともなマナーも立ち振る舞いも知らない。私たちと同じ学園に入れたことさえ、学園の慈善事業なのよ」
「生まれは選べない。だが、彼女は無垢な優しさと分け隔てのない愛情を持っている。それは君にはないものだ。確かに君は素晴らしい生まれだ。上川財閥と言われる僕の家とも引けを取らない。だが、それだけだ。僕は小春に出会って唯一の愛があることを知った!」
歌舞伎役者にでもなればいいと思えるほどためた見得を披露して上川は視線を小春に向ける。彼女は上川をまぶしいものでも見るような瞳で見ると顔を赤らめた。その可愛らしい仕草はとても完璧で女性である私でさえ彼女を庇護したくなる。
「それでそれを言うためにこのような会を開かれたわけですか?」
私は広い食堂を見渡す。食堂には上川と小春のほかに大学教授の息子である御堂達也や上川財閥に連なる企業の社長子息である安達健次、江戸時代から続く旧家の結城俊といった上川のお友達が並んでいる。彼らは上川や私のクラスメイトであるが、どちらかといえば上川の取巻きのようなものだ。いまも上川の口上に合わせて「そうだ!」とか「いいぞ」と雑音を周囲に垂れ流していた。
「ああ、いくら君の面の皮が厚くても学園でこのような話は聞きたくないだろうと思ってね」
「それはお優しいご配慮ですこと。上川家の有名な別荘である正方屋敷で婚約破棄されるとは考えたこともありませんでしたわ」
この屋敷の中には二つの人種しかいない。一つは上川に従う者たち。御堂たちクラスメイトと屋敷の執事や料理人。侍女がそれにあたるだろう。残る一つは婚約破棄を肴にグラスを揺らしている男である。男は私の視線に気づいたのかくるくると回していたグラスを置くと「落ち着きなさい」となだめるような声を出した。わずかにサクランボとアーモンドの香りがした。どうやら彼が飲んでいるのはマラスキーノ酒らしい。
「こんなにも素晴らしい料理が出ているうちは口論などすべきではない。あとはデザートのあとにしなさい」
男は私の隣の席に座っていた。手をグラスからナイフとフォークに持ち換えるとキツネ色に香ばしく焼かれたコートレットに刃を入れる。骨付きの牛肉にパン粉をつけてバターで揚げ焼きにしたコートレットからサクリと耳触りの良い音と湯気があがる。男は皿に添えられた西洋わさびソースをきれいにすくいあげると肉と一緒に口に運ぶ。
「先生。あなたはこの婚約破棄の保証人なのですよ」
「上川君の気持ちを察してあげてください」
「料理などいつでもいいでしょう。それよりもいまはこの性悪女を断罪するべきです」
先生と呼ばれた男はゆっくりと肉を咀嚼したあと酒に手を伸ばすとグラスの半分ほどを一気に喉に注ぎ込んだ。彼は大沢一といい私たちの通う学園の生物教師である。彼が他の教師と違うところがあるとすれば、彼の家が上川家や一条院と比肩する政治家の嫡男であることだ。今のところは父親が国会議員を続けているために担ぎ出されていないが、あと十年もすれば父親の代わりに地盤を引き継いで政治家になることがほぼ決まっている。
おかげで本人は「教師はただの腰掛なんだよ」というのが口癖で熱心な教師ではないが、その緩さから生徒の人気は高い。今回、彼がこの婚約破棄の集いに招待されたのはそのためだ。
「そうは言うがね。婚約破棄の言葉はもう終わってるんだろ? なら、あとはゆっくり食事をしようじゃないか。桜崎も一条院もこの話が長くなるのは嫌だろう?」
大沢が言うと小春は小さな声で「そうですね」と肯定した。上川や御堂といった男連中は今が機会とばかりに私に何かを言いたかったようだが被害者である小春に止められてはなかなか次の言葉を切り出せないようであった。
「先生。料理が良いのに味が悪くなるのはゲストの責任ですのよ。そういう意味では今夜は私が悪いゲストなのでしょう」
私はナイフとフォークを食べかけの皿のわきに寄せると席を立った。大沢は私をちらりと見て「お前のコートレット貰っていいか?」と訊ねた。
「お好きにどうぞ。暴食は身を滅ぼしますよ」
「政治家の息子に生まれた時点で俺の身は滅んでいるよ。それにな。食えるときに喰っておくのがパーティーの鉄則だ。それを忘れると長いパーティーを空腹で過ごすことになる」
皿を隣に座る大沢の横に滑らせる。
「すまんな」
大沢は他人事にように礼を述べると透明な酒をごくりと飲み干した。
「では、皆様におかれましては欠席裁判をお楽しみくださいませ」
私がほほ笑んで席を立つと背後で御堂と安達が悪態をつくのが聞こえた。よくぞ晩餐の席であのような言葉を吐けるものだ。良いゲストならホストの気持ちを考えて言葉を選ぶものだ。いや、ホストの気持ちを考えての発言ならホストが悪いということになるのだろう。私は少し楽しい気持ちで食堂の出入り口に進むと顔の横を乱雑に切られた料理が飛んで行った。
料理は扉にぶつかるとべちゃりと気持ち悪い音を立てて床に落ちた。どれほど美味しい料理であってもこうなればゴミでしかない。多少のもったいなさと投げた者への怒りが沸き上がるが振り返りはしない。なぜなら「くそ、あと少しだったのに!」と犯人がわざとらしいくらいに悔しがっているからだ。
財閥の一員として安達は上川の歓心を買うことが第一なのだろう。そのために品性と理性が買えないのだとしたら買い物が下手な人間である。私は扉を開けて食堂を出るとシェフと思われる男性と侍女と思われる女性が困った顔で次の料理を持って立っていた。
「ごめんなさい。私、部屋に戻らせていただきます」
頭を下げるとシェフらしい男性が視線をさげた。あとで知ったことだが、シェフの名前は斉藤隆、侍女の名前は川部唯子という。二人は上川が懇意にしているフランス料理店のシェフとホールスタッフであった。今回の晩餐のために彼らは屋敷に呼び出されたという。
「別にあなたの料理が不味かったわけではないのよ。料理はとても素晴らしかったわ。ただ、食卓を囲む相手が気にくわないだけなの」
そういうとシェフは安堵の表情を見せた。このとき私は斎藤の顔をはじめて見た。二十代半ばだろうか。少しだけ神経質そうな目が卑屈に見えるが、全体的に整った容姿で女性にモテそうだった。そういう意味では上川に似ている容姿だと言える。
「……えっとそれは」
「いいのよ。あなたたちはあなたたちの仕事をしてください」
困惑しているシェフを他所に川部は力強くうなずくと次の料理をもって食堂の中へ入っていった。シェフもそれにならって食堂へ向かう。まるでカルガモの親子だなと私は思った。