悪役令嬢亡きあとの三角関係
友人の友人と二人きりになって気まずい思いをした経験はないだろうか?
私――一条院楓には経験がある。その子とは友人を介して何度も遊んだことがあったし、それなりに仲が良いと思っていた。それが二人きりになった途端に話すことがなくなった。
こんな映画好きだったよね? と訊ねると「ううん、それはあの子の趣味」という答え。
なら、このあいだ聴いてた音楽は? と捻りだした疑問は「あれはあの子から借りたけど、そんなに好きじゃない」と遮断された。
このときになって私はようやく「ああ、この子はあの子の友達であって私はあの子のオプション扱いなのだ」と、気づいた。とはいえ、じゃ、さようならと笑顔で去ることができないのが渡世の仁義である。あの子が戻って来たときに「空気悪い?」とか訊ねられてはいけないのである。
さて、何がいいたいかと言えば、人と人との関係を結びつけるのは人だという話である。
それは必ずしも仲が良い誰かであるとは限らない。ときには邪魔な人間であったり、嫌いな人間だということがよくある。世界史歴史の授業で習う三頭政治だってカエサルにポンぺウスにクラッススがいて成り立ったのだ。後世に皇帝の代名詞になるカエサルと、スペインからオリエントまで征服した大英雄ポンぺウスに対してクラッススを「誰?」と感じる人は多いに違いない。しかし、クラッススという謎の人間がいる間は三頭政治が成り立ち共和制ローマが存続されていたのである。
では、悪役令嬢である私が亡きあとはどうなるのか。答えは簡単である。
共通の敵の不在だ。
「小春。ひどい状況に巻き込んでしまったが、大丈夫かい?」
大沢を部屋に監禁したあと、上川俊也たちは食堂で座り込んでいた。恩師であるはずの大沢が犯人かもしれないという戸惑いと無実の者を拘束しているのかもしれないという自信のなさがひどく彼らを疲弊させたのは間違いない様子だった。
それでも桜崎小春の身を案じることができたのは上川の優しさではあったのだと思う。それは一つの美点であるが、将来的に大きな企業を引き継ぐ人間としては甘いようにも見える。彼の目にはすで小春は犯人から除外されている。
すでに私や同級生の安達健次が殺されているのである。関係者すべてを疑うべきだ、と私は思うのであるがそうはならない当たり上川の育ちの良さというか甘さが見えて仕方ない。きっと彼は
「お前もかブルータス!」と言ってしまうタイプの人間なのだろう。
「心配させてすいません。大丈夫です。本当は親友や婚約者……。いえ元婚約者を亡くした上川先輩のほうが辛いはずなのに」
小春は目を伏せて机の木目をじっと見つめる。その表情はとても大丈夫には見えないほどに消え入りそうで、庇護欲を掻き立てるものだった。もし、私が男性ならそんな小春を守ってあげたい、とでも思うのかもしれないが、彼女の正体は天性の悲劇のヒロイン気質である。
どんなに罵倒しようが、いびり倒そうが、彼女はそれを自らを飾り立てる道具にしてしまう。彼女がヒロインたりえるのはその気質にある。普通の人間なら折れるべきところで折れない、恐ろしいほどの自己愛と不幸な自分が他人にどう見えるのか推察する客観性。だから、彼女はヒロインなのである。
悪役令嬢に虐げられながらも健気に立ち向かうヒロインというものはある種の異常性の上にしか存在しないのである。私にはヒロインはできそうにない。
「俺の辛さなんて大したことないさ……」
上川の言葉が止まった。これまでならその言葉の後ろには共通の敵の名前を入れればよかった。『一条院楓のせいで』それが彼らの魔法の言葉だった。どんなことも私のせいにしておけば、上川の保護欲や正義感は満たされたし、小春のヒロイン性は安堵されていた。だが、私が消えたいま彼らを結び付けていた邪魔な糸はもうない。
ほどけてしまった糸のかわりになるべき犯人は誰とも分からない。
手短な敵がいなくなったせいで彼らは言葉を失った。
「しんみりしないでくださいよ。上川君と桜崎さんは俺たちが守って見せますよ!」
上川と小春の気持ちなど理解できていないであろう御堂達也が二人の会話に割って入る。それを結城俊が気まずそうに見つめる。御堂と結城は同じ上川の取巻きではあるが、御堂のほうがややグループ内での権力が強いらしいが、それはデリカシーのなさからくる押しの強さだろう。
そうでなければあの空気の二人の会話に混ざろうとは思わないに違いない。
「御堂。ありがとう。でも無理はしないでくれよ。犯人はまだだれか分かっていないんだ」
「分かってますよ。でも、一番怪しい大沢先生は隔離したし、残っているのは上川君が雇っている人間と俺たちだけです。怪しい奴なんてもういませんよ。いたとしても俺が何とかしますよ」
無駄にファイティングポーズをとる御堂に上川が興味なさそうに持ち上げる。それを真に受けた御堂が照れるがきっと小春はいまいった言葉を覚えてさえいないに違いない。
「……もう一度、屋敷の中を回らないか?」
結城が深刻そうに提案をする。
「結城、どうしてだよ。屋敷の中は一度回っただろ?」
「おかしいじゃないか。俺たちはさっき屋敷の中をくまなく調べた。だけど、一条院さんの死体は見つからなかった。この屋敷が広いと言ってもひと一人を隠すのは難しいはずだ。御堂君は気にならないのかい?」
「そんなもんは大沢先生がどこかに隠したんだろうさ。少なくともあの部屋にあった血は本物だ。一条院が死んでいるのは間違いない」
深く考えるだけ意味はないと御堂が結城の考えを否定する。
「それはそうだろうけど。大沢先生が一条院の死体を隠す理由が思いつかないんだ。もしかしたら死体を使って何かをしようとしているのかもしれない。あんなにあっさり部屋に監禁されたのだって怪しいじゃないか」
死体の死後硬直を使って拳銃でも撃たせるのだろうか。私の死体に拳銃を握らせて死後硬直で指が硬くなれば引き金を引くことができるのかもしれないが、ミステリー小説のようにうまくいくのだろうか? 私にはとてもうまくいくようには思えない。
「結城。ありがとう。確かになにか仕掛けられているのかもしれない。御堂も悪いけど結城と屋敷の中を見回ってきてくれないか? 光岡に言えば一緒に部屋を回ってくれるはずだ」
上川が結城の考えに賛同すると御堂は渋々と言った顔で結城と一緒に食堂から出ていった。
残された上川と小春の間に少し気まずい空気が流れる。
「なんだか不思議な感じがしますね」
小春が口を開く。
「なにがだい?」
「昨日までいた人がもういないっていうのが、あまり現実感ないんです。安達さんもですが、楓さんがその死んだっていうのが実感わかなくて」
「確かに、俺も死体を見てないから同じ気持ちだ。だけど、あれだけの血が残っていて死んでいないというのは化け物じみているよ」
この人たちは人のことをどんな化け物だと考えているのだろう? それとも死んでもすぐに化けて出てくると思っているんだろうか? それなら確かにすでに化けている。
「化け物なんて言うと楓さん、怒りますよ」
「化けて出られるより怒られるほうがましか」
「……変ですね。私たち」
小春が少しだけ困った顔で笑う。
「何が?」
「いえ、楓さんが死んでも楓さんのことばかり話してて。本当は私たち楓さんのこと大好きみたいで」
「そんなわけ」
上川がはっと驚いた顔で黙り込む。
「……すまない。小春の前だというのにあんな女の話ばかりして」
「いいえ、別にいいんです。楓さんとはいろいろありましたけど。死んでしまうとなぜかもう一度会いたいって思いますね。あの小姑みたいに細かいマナーとか。なんだか懐かしくって」
小春は過去を美化しきった様子で何もない天井を見つめる。これがドラマや映画なら半分姿の消えた私の顔が写るだろうが、そこに私はいない。小春、あなたの後ろよ。
「小春。君は本当に優しいな。俺ももう一度だけあいつの声を聞いてみたくなったよ。だけど、俺たちは生きているんだ。この事件が片付いたら、きちんとした形で婚約をしよう」
なにか人のことを良い感じのダシにして、上川が熱っぽく語る。それに照れたように顔を隠した小春の口元は笑っていた。