幽霊は背後に現れるのどうしてかしら?
よく聞く話である。
殺人現場や交通事故のあった場所に肝試しとか言って出かけた若者が、現場でしゃがみこんで何かを探している女性を見つける。あまり気味のいい状態ともいえないにもかかわらず若者は女性に尋ねる。
「何を探しているんですか?」
女性は何かを探すため伸ばしていた手をはたっ止めると消え入りそうな小さな声で言う。
「……ないんです。ずっと探しているんですけど」
「失くしものですか? どんなものか教えてもらえれば手伝いますよ」
「本当ですか?」
女性が顔をあげてすがるような笑顔を若者に向けるとなかなかの美形で、若者は場所の薄気味悪さなど忘れて自信ありげに答える。
「ええ、もちろんです。こう見えても探し物は得意なんです。で、なにを探してるんですか?」
女性は少しだけ恥ずかしそうにはにかみ彼女自身の顔を指さすと「私の命が見つからないんです」と言ってすぅーと消えてしまった。若者はびっくりして腰を抜かしそうになりながらわっと逃げ出した。現場から離れて乗ってきていた車に駆け込んだ。車のエンジンがかかるとライトが先ほどまでいた現場を照らし出すが、女性はおろか人の影、動物の影も見えない。若者は「よかった。いない」と安堵した。
「ううん、いるよ。お前の後ろだー!」
という具合に先ほどの女が後部座席にバーンと現れる怪談がある。なぜこんな話をしたかと言えば、私――一条院楓の死体が消えてしまったからである。今朝殺されてから死体が消えるなんて考えたこともなかったので、この事態は想定外であった。
かくなる上は、この殺人現場に化けて出て、家探しをしている人物たちに「お前の後ろですわー!」とかいって驚かすべきかもしれない。が、よくよく思うのだがどうして幽霊は背後を取りたがるのだろう。別に目の前で消えるとか、半透明な存在が恐ろしい顔で睨みつけてくるだけでも十二分に怖いはずなのである。それにもかかわらず、背後に回り込むというのは何を狙っているのだろう。
とここまで考えてから思い返してみる。私は死んでから他の人々の後ろに立って話を盗み聞きしている。幽霊だからと言って会話している人間の真ん中に立ってみたり、見えない。当たらない。ことを良いことにしてシャドウボクシングの標的にしたり、回し蹴りをしたりということはない。
なるほど、幽霊が人の背後をとるのは最低限の礼儀なのだ。
会話を遮るような位置に立たない。見えないことを良いことに悪戯をしない。そういう人として最低限の礼儀を守ると幽霊の立ち位置は人の背後しかないのである。誰にも教えられることもなく幽霊作法に到る当たり私も令嬢が板についていると言える。
「少なくともこの部屋には一条院の死体はなさそうだな」
ベッドの下からクローゼット、カバンの中までひっくり返して大沢は私の死体が、私にあてがわれていた客室から完全に消えていると判断した。確かに客室は簡素な作りであり、必要最低限の家具しかない。探せる場所はもとより死体を隠せる場所自体、相当に少ない。
「えっ、楓さんの死体は犯人に持っていかれたってことですか?」
小春は私の死体があったベットを見つめて大沢に訊ねる。
「一条院を殺した相手と一緒かは分からないが持っていかれたのは確かだろう。それにこの客室の鍵がなかった。一条院を殺した犯人か。一条院の死体を持っていった犯人のどちらかが持っていったに違いない。朝、俺は一条院の死体を確認しているから持っていったのはそのあとだろうが」
「もしかして、私がこの部屋に入ったときってその犯人がいたかもってことですか?」
「いたかもしれないが、お前がこの部屋に来たせいで鍵をかけれなくなったのかもしれない」
「それって、私がこの部屋に来る前に犯人が楓さんの死体を運んでいて、片付けに来たときに私が室内にいたから鍵をかけられなかったってことですよね。ニアミスもいいところですね」
小春は身震いするように両肩を抱いて見せた。
「まぁ、桜崎が犯人で一条院の死体を持っていった可能性もあるがな」
「……大沢先生、本気で言ってます?」
「可能性の話だよ。なんだっけ? 有名な探偵がいう奴。女子高校生探偵なら分かるだろ?」
「それって『全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる』ですかね。それなら大沢先生のほうが犯人っぽいですよ。朝に楓さんの死体をまともに確認したの先生だけですし」
それは困ったなと小さく呟くと大沢は頬を掻いて見せた。だが、問題はそこではない。私の死体だ。
人様の死体を勝手に持っていくとは不逞な奴がいたものである。とはいえ、私の死体を持って行ってどうするのだろう? 確かに私は学園でも上から数えたほうがはやい美少女である。死体でも愛でたいという人間がいるかもしれない。だが、そんな奴は豚箱直行の変質者である。一応、関係者の中にそこまでの変態がいるのかと考えてみるが、私の容姿にそこまで執着していたような人間はいないと思う。いや、思いたい。
変態は見た目には分からない。
殺意と同じで人の欲望は見えないものだ。私のセンサーでは捉えきれなかったヤバイ人間がいる可能性は捨てきれない。
「……じゃーいまごろ楓さんはバラバラにされてるんですね。可哀そうに」
ちょっと待ってほしい。小春。いったいどういう思考で私の死体が大規模損壊されるのか。
「桜崎。バラバラというのは」
「でも、死体を運ぶんですよ? 重いですよ。きっと分けますよね」
「まぁ、確かに隠すにも。運ぶにもそっちのほうが楽だわな」
「少なくとも私が楓さんを運ぶのならバラバラにします」
可愛い笑顔を見せながら人のことをバラバラにするという小春の発言に死者に人権はないのだなぁと心底感じているとじっと会話を聞いていたシェフの斎藤が口を開いた。
「料理のプロから言いますと動物を解体するというのはなかなかの仕事ですよ。マンガみたいに骨ごと一刀両断するには電動工具が欲しいですし、刃物で関節を外すように切り落とすにも知識と力が要ります」
「そうなんですか?」
小春は少し残念そうに口をとがらせて「というわけで私は楓さんの死体を運んでないですよ」と大沢達に答えた。そのマイペースな発言に大沢はため息を吐いて、斎藤はややあきれた顔をした。光岡だけが頷いていたが意味を真に理解しているかは不明である。
「だが、人を一人運ぶというのはきつい」
「そうですが、解体するのもきついですよ。僕も牛や鹿、猪をやったことがありますが出てくる内臓とか血とかを思うとこんな部屋ではひどく汚れると思います。部屋もですが、犯人の服にしても」
「まぁ、一条院の身体はいまのところ持っていかれただけで無事と思っていいわけだ」
生命機能を有していないからだとは言え持っていかれた私としてはそれを無事と言えるかは疑問である。
「ですが、困ったことになりました」
「困ったこと?」
大沢が深刻そうにうつむいた斎藤の意図をはかりかねたように眉を顰める。
「僕がじゃありませんよ。次は大沢さんが疑われるんじゃないかと思って」
「俺?」
大沢は人差し指で自分を指し示すとうわずった声で驚きをあらわした。自らのピンチを指摘されている割にコミカルな反応をしている当たり大沢はそんなに現実感はないらしい。
「ええ、一条院さんの死を確認したのも大沢さんだけですし、部屋の中から鍵を盗み出すタイミングがあったのも大沢さんだけです。他の人間は死体があるっぽい状態しか見てませんし、部屋の中を物色する機会はほぼありません。どう考えても大沢さんが疑われる要素が揃っています」
「ああ……。参ったね。確かにそうだわ」
「ということは大沢先生が犯人ということですか?」
小春がウキウキした様子で尋ねると大沢は素早い動きで彼女の脳天にチョップを繰り出した。「あいたぁ」という軽い声をあげて小春が後退する。
「女子高生名探偵は不正解なので回答権がはく奪されます。しばらく黙ってなさい」
「ええ、そんなぁ」
小春が不平の声をあげるが大沢と斎藤には無視された。
「犯人ぽい状況なのは分かるけど、俺には二人も生徒を殺す理由がない」
「理由は僕には分かりませんよ。僕の知らない動機があるかもしれない。でも、安達君を何らかのトリックを使って殺した犯人が一条院さんの殺人だけは力技というか出たとこ勝負みたいな印象があるのは確かです」
「動機となるとそうか。俺も生徒のことで知っていることなんて一面だけでどこまでわかっているかなんかわからないものな」
そうだろう。とくに大沢は生徒の何を知っているのか、と聞きたいことが度々あった。とはいえ、私と安達が同じように殺される動機と言うものはとんと思いつかない。もしかすると犯人は二人いて私と安達の事件はまったくの別物なのかもしれない。
「動機を抜くとあとはどうやってから犯人を見つけるしかないでしょう」
「斎藤さん。あなたは犯人を見つけるつもりなんですか?」
「えっ? それは皆さんそうじゃないんですか?」
「いや、俺は警察か上川の家の人間が来るまで無事生きていられればそれでいいやと思ってたんだけどね。だって殺人事件をド素人が解決するというのは探偵小説の読みすぎだ。可能なら一条院のように『こんな殺人犯がいる場所にいられるわけないじゃない! 私は部屋に戻らせてもらいます』とか言って籠城するほうがいいとさえ思ってる」
大沢の発言はある意味正しい。別に殺人事件に巻き込まれたからと言って解決しなければならないわけじゃない。当初は私でさえそう思っていたのだ。だが、自分が殺された場合はそうではない。犯人が誰なのか知りたくて仕方ない。なによりも犯人が分かったなら、その人物の後ろに化けて出て「お前の後ろですわー!」と言ってやりたい。