答えは戻るどこまでも
人生には敗北というものがある。全戦全勝。完全無欠。巧偽拙誠。といわれる私――一条院楓であっても敗北はあった。小学校の頃はピアノで一番にはなれなかったし、中学の頃は五十メートル走で勝つことができなかった。だからと言って私が損なわれるかと言えばNOである。
美しい調べを聴きたいと願うなら自分が演奏できる必要はない。私の脚があと一秒早くなっても届く距離というのはあまり変化がない。ようは万能である必要がないということになるが、人は少なからず成果をもって人を区別する。優秀な人間。不出来な人間。こうなると本人の意思とは別の差が生まれ、どうしても人は評価を求めたがる。
ここでそんなもの関係ない。と切り捨てれば御仏のごとき慈愛の持ち主か。天女の再臨か。など言われるかもしれないが凡俗を極める私には切り捨てることはできない。「流石は一条院さん」とか「一条院さんがいないとダメなんだ」と言われたい。そういうわけで私は負けてもいいが下手にはならないための努力をしてきた。ベストではなくベター。欠点が見えないそれが一条院楓という存在である。
だから、失敗してしまった人間がどのようにふるまうかはよく知っている。
一つは、失敗が認められず同じことを繰り返してしまう。二つは失敗から立ち直れずにそのまま何もしない。そして、最後が再起を願って失敗の要因を洗いなおすことである。
「分かったのは毒は誰しもが簡単に手に入れられたっていうことだね」
最初に口を開いたのは私たちの教師である大沢一だった。彼の声には少年探偵団たちを非難するような険しさはない。淡々と事実を確認しようという姿勢は珍しく教師らしかった。
「はい、そうなります」
上川俊也は言い訳せずに事実を認めた。この辺りは育ちの良さだろうか。反対に自分たちの失敗を認めたくないとばかり厳しい目つきをしていた上川の腰巾着である御堂達也は「上川君が調べたから事実が分かったんです。皆を食堂に拘束した価値はありました」と誰も責めていないことに反論した。
同級生の結城俊はそれをなんとかフォローしようと「ご協力ありがとうございました」と頭を下げたが御堂の言い草が悪かったのは誰の目から見ても明らかで、臨時雇いのメイドである川部唯子は「お坊ちゃんたちが遊びで捜査するのが間違ってるのよ。警察が来るまでじっとしているべきだわ」と吐き据えるように言った。
慌ててシェフの斉藤隆がたしなめるが一般論としても彼女の言うことは正しく、反対に斎藤が責められてしまっていた。御堂は何か言い返したそうにしていたが、ボスである上川が失敗を認めているために次に言葉を繋げずにいた。
「まぁ、良い悪いはとにかく見つかった毒団子はどうしたの?」
緊張感のないようすで大沢が訊ねると上川より先に執事の光岡が「見つかったものはすべて一つにまとめてあります。一応、証拠品になるかもと思い屋敷の金庫に入れましたが内鍵と外鍵の二つを私が持つのは良くないのでどちらかを先生にお預けしたいのですが」と申し訳なさそうに二本の鍵を大沢に差し出した。大沢は少しだけ悩んだ顔をして大きな外鍵を選んだ。
「大きいほうが失くさないかな」
そういえば大沢は過去に自宅のカギを失くしたことがあった。このときはクリーニングに出したスーツから鍵が発見されたため大事にならなかったが、今回の鍵は早々に失くしてもらうわけにはいかない。
「キーホルダー替わりになにかつけますか?」
少年探偵団にいれてもらえなかったヒロイン桜崎小春がのほほんとした口調で尋ねる。彼女の手元には学生には不釣り合いなネックレスが握られていた。それらは上川から彼女に贈られたものだが彼女は元々アクセサリーをあまりつけないのか化粧ポーチの中に入れられたままになっていた。
「それはいい。鍵の大切さに、高価なネックレスで忘れるに忘れられなくなりそうだ」
大沢は小春からネックレスを受け取ると鍵の根元にある穴に通して臨時のキーホルダーとした。
「それなら良かったです」
満足げに微笑む小春に上川は少しだけ頬を緩めたが、すぐに顔を引き締めた。
「安達を殺した毒が見つかったところで、もう一度だけ彼が死んだときの状況を確認しませんか? 安達がどうやって毒を口にしたか分かれば犯人が分かるかもしれない」
「なるほど。では、あのときの流れを確認しようか」
大沢はあっさりと上川の提案を飲むと光岡に頼んで紙とペンを用意させた。
慣れた手つきで大沢は円卓を書くと右回りに上川、小春、御堂、結城、一条院、大沢、安達と名前を書き加えた。執事の光岡とシェフの斎藤、メイドの川部はまとめて扉側に書かれた。大沢が紅茶や菓子を運んできた台車などを意外と几帳面に書いたことに私はやや驚きを覚えた。
「こんな感じかな?」
「あっていると思います」
上川は大沢のメモをもとに話を始める。
「僕たち広間に集まったとき、お菓子はすでに配膳されていた。これは光岡がすべて置いたのか?」
「いいえ、若様。私と川部さんの二人で配膳いたしました。この時点で席次は決まっておりませんでしたので誰にどの皿が行くかは私にも川部さんも分かりませんでした」
光岡は川部に同意を求めるように彼女の名前を繰り返した。川部は少し不満そうな顔をしたが「ええ、私と光岡さんで配膳したわ。とくに並べる順番の指示も受けてないし、私もなにか順番づけて置いていない」と素直に答えた。
「では、お菓子はほぼランダムに置かれたと思っていいね」
「なら、次は紅茶だ。紅茶はどうやって?」
上川が問いかけると斎藤が手をあげた。
「紅茶は食堂で僕がポットに淹れて台車で運んできた。光岡さんの隣でポットからカップに注いで配膳は川部さんがやってくれた」
「遅れてきた安達さんが席に着いたのを確認して上川さんから右回りで配膳したけど、私は直接カップに紅茶をいれたりしてないわ。コースターをもって配膳したからカップにも触れていない」
一番疑われる可能性が高いと思ったのか川部の回答は慎重であった。
「その様子は私も見ておりましたが、斎藤さんも川部さんもなにか怪しい素振りはなかったと思います」
光岡が二人の擁護に回ったことで斎藤と川部は安心したように息をついた。
「なら、配膳が終わり皆が席に着いたところまでは毒は入っていなかったのか? そのあとは砂糖を入れたりしたな。僕のほかに砂糖を入れた者は?」
円卓に座ったすべての人間が手をあげる。小春が取ってつけたように「楓様だけが砂糖を入れませんでした。あとミルクを使ったのは大沢先生だけだったと思います」とつぶやくと誰もが黙り込んだ。毒を入れるタイミングがないのである。
「な、ならさ。犯人は誰が毒を口にしてもいいって思ってたんじゃないか?」
御堂は無差別殺人の可能性を提示するがそれは誰からも受け入れられなかった。
「御堂。そんなことをして犯人に何のメリットがあるんだ?」
上川が訊ねると御堂は答えられなかった。
無差別に毒を入れるのならすべてのお菓子とお茶に淹れれば良いのである。そのほうがより確実に誰かを殺すことができる。だが、犯人は一人だけを殺した。そこにはやはりになか意図があると考えるべきである。
「……なら、どうやって安達は殺されたんだよ」
御堂が悔し紛れのように放った言葉に答えられるものはこの場には誰もいなかった。