シェフのお悩みサンドイッチ
桜崎小春はぐったりした気持ちで食堂の椅子にもたれかかっていた。それは友人たちが次々に殺されたからというわけではない。先ほどまで正面の座席でバケットとジャムを暴食した挙句に小春の持っていたクロワッサンを食べた大沢一の食欲に毒された結果であった。
「よく食べる女の子が好き」という男性がいるが、小春からすれば他人が何を食べている姿というのはどこか動物じみていてじっと見ていたいようなものではなかった。かつて、小春は私――一条院楓が食事をしている姿を見て「機械みたいで綺麗です」と言ったことがあった。
それは私の食事の仕方が規則性があるような動きだったかららしいが、言われて気分が良いものではなかったのでそれから二週間みっちりと小春にはテーブルマナーについてネチネチと講義をおこなった。この中で生まれた「まだ子豚のほうが綺麗に食事をするわ」という言葉はなかなかのヒットワードであった。
子豚から立派な淑女になった小春であったが、さすがに大沢の暴食はこたえたらしい。
冷めたコーヒーと同じ温度の低いため息を吐く彼女は、大沢がどこに行ったかも男子たちがどこで何をしているかなど知らなかった。ただ、ぽっかりと獲た一人だけの時間をぼんやりと過ごしていた。それが打ち破られたのは、一人の男性が薄切りのバケットに葉野菜とベーコンを挟んだ簡単なサンドイッチを持って食堂に入って来たからだった。
小春は慌てた顔を見せないように笑顔をつくると男性に「おはようございます」と声をかけた。
男性はやや驚いた様子であったが、ややぎこちない笑顔で「おはようございます」と返したが、なんとも言えない間があり何かに悩んでいるようであった。小春はすぐに「桜崎です。桜崎小春。食事ありがとうございます」と彼の悩みに答えを差し込んだ。
斎藤は少し安堵した顔で小春の斜め前の座席に腰を掛ける。
「あ、すいません。シェフの斉藤隆です。食事を楽しんでいただけたなら良かったです。でも、こんなことになるなんて……。安達君に続いて一条院さんまで」
「さきほど、川部さんが来られていました。少年探偵団が厨房を占拠していると」
「ええ、上川の坊ちゃんたちですね。先ほどまでずっとこれが何だ? これは何をするものだ? と質問攻めでしたよ。まぁ、食べ物に毒を入れられるのは僕たちだけというのは分かりますけどね」
「じゃー、シェフが毒を?」
「まさか? いくら雇われのシェフでも食べ物に毒を入れるなんてしませんよ」
「食べ物にってことは飲み物なら入れますか?」
「入れません」
「そうですか。残念です。はやく犯人が分かればと思ったのですが」
心底から残念そうな顔をする小春に斎藤はどのように返していいのか分からないようで「あ、いや、その」と困惑を口にした。
「斎藤さん、桜崎の言葉はまともに受け取らなくていいですよ。基本的にはアホなんで」
会話に割り込んできた声に斎藤と小春が目を向けると大沢が、食堂の入り口に立っていた。
「アホじゃありません。そりゃ、楓さんみたいに……じゃありませんけど」
「別に名探偵ぶらないでもいいぞ。どうせ、警察がくれば犯人は分かるんだ。探偵小説みたいに居合わせた人間が推理を働かせることなんてないさ。ああいうのは物語の中だけだ」
大沢はそういうと斎藤の正面の座席に座った。
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ。一条院でもわざわざ探偵ごっこはしなかっただろうさ」
小春はその言葉を聞いて「んー」と悩んでいたが実際、私ならどうしただろうかと問われれば大沢と同じ答えを出しただろう。最初の安達が殺されたときから犯人の目的は分かっていない。もしかすれば誰かを狙ったわけでもなく殺せたから殺したという愉快犯の場合もある。
そうなればまっとうな理屈などない。できることは殺されないように対処することだ。そう思って部屋に閉じこもったにも関わらず、私は殺されている。なんともしまらないことだ。悪役令嬢として学園に君臨した私が情けない。
「大沢先生はいままでどこに?」
小春がポンコツ化して黙っているので斎藤が大沢に話しかける。
「ああ、一条院の部屋ですよ。死体に布くらいかけてきました。流石にあのままというわけにはいきません」
確かに大沢は私の死体が見苦しないように見開いていた目を閉じさせて布をかけてくれた。だが、ひどくおっかなびっくり作業をするせいで私のサラサラの髪は、番町皿屋敷のお菊さんのように左右に乱れ、せっかくかけられた布から飛び出ている。やるのならもう少し丁寧にしてほしいものである。このことだけでも恨みに思い化けて出るには十二分な理由になると思う。
「それは……。一条院さんはどうして殺されたんでしょう?」
「さぁね。俺には安達も一条院も殺されるようなことはない、と思ってるんだけどね。教師だって生徒のことを全部わかっているわけでもないし、あれらの友達である桜崎たちだってどれほども分かってはいないでしょう」
「ドライですね」
「良くて三年の付き合いなんですよ。教師ってやつは。三年が終わればまた次の生徒がやってくる。ドライにもなりますよ。それを言うならシェフだってそうでしょ? 常連客でも毎日は来ないし、来なくなることだってある」
「確かにそうですね。同じお客さんがまた来てくれるほうが珍しいのがこの世界です。だから、僕たちは料理にさまざまな思いを込めます。今の季節に合うもの。客がどんな目的で食事をするのか。そんなことを考えながら」
「なら、シェフというのは教師よりも大変な仕事だ。……そうだ。料理で思い出した。一条院が言っていた。昨日の晩餐ならデザートはタルトだ、と。最後まであいつは食べてないのにそれを予測していた。それはどういうことなんだ?」
大沢が言うと斎藤は少しだけ嬉しそうに顔を緩めた。
「分かる人は分かるものですね。あの料理ならデザートはタルトであるべきなんです」
「それはフランス料理の決まりなのかい?」
「いいえ、違います。ですが、似たようなものです。昨日の料理でなにか気になることはありませんでしたか?」
首を傾げながら大沢が考え込む。その隣に座っていた小春が大沢を押しのけて口を開く。
「ワインがありませんでした。私たちは未成年だから仕方ないですけど、先生にはワインが出てもおかしくないはずでした。でも、食卓にはワインじゃなくてさくらんぼみたいな香りのお酒がありました」
「マラスキーノ酒ですね。確かにフランス料理にワインがないのはいただけません。ですが、昨夜の料理ならワインではなくマラスキーノ酒やシャンパン、マデイラ酒を出すべきだと僕は思います」
「昨日の料理なら? 確かに美味しい料理だったが一度も口にしたことはないって料理でもなかったはずだ」
そう。昨夜の料理は誰もが一度は口にしたことがある料理なのだ。キャベツとズッキーニの酢漬けを使ったゼリー寄せもコンソメスープにしても珍しいものではない。古くから知られている料理でフランス料理でも日本風にアレンジがされているものだ。コートレットなどは日本で改良され、コロッケやトンカツに変化した。ムニエルにしても今では家庭でも出てくるほどに浸透している。
そして、それらは日本に最初に来た洋食であった。
「先生は良いところにお気づきです。昨日の料理は日本人が初めて会った洋食なのです」
「初めて会った洋食?」
「千八百五十四年にペリー提督が日本にやってきたのはご存知でしょう?」
「ええ、『泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず』で有名な黒船の提督だ。知ってますよ」
「そのペリー提督が江戸幕府の役人たちと晩餐の席を設けたのが、日本にとっての洋食の始まりだと僕はおもっています。そして、大人になっていく皆さんはフランス料理や形式ばった食事というものをこれからどんどん体験されるはずです。その最初としてペリー提督が振舞った料理の再現をしたんです」
「では、昨日の料理はペリー提督の?」
「すべてではありませんが、近いものにはなっています。ワインを外したのは、日本人がさまざまな洋酒の中で一番口に合ったのはマラスキーノ酒だと書かれていたからです。確かにこのサクランボの香りがする酒は日本人にとっても受け入れやすかったのかもしれません」
料理のことになって急に饒舌になっていることを気づいたのか斎藤は少し照れ臭そうに笑った。
「なるほど、だから一条院は俺が答えてると言ったのか。デザートがタルトだというのも」
「そうです。ペリー提督の時代には高性能な冷蔵庫なんてありませんから、今風のケーキに必要な生クリームや牛乳は用意できない。卵は船で飼っている鶏から採れるがそれだって毎日ではない。制約のある中で運べるのは保存性の高いジャムやバターと言ったところです。ここから作れるデザートとなればやはりタルトということになります。おそらく一条院さんは僕がなにを思ってあのコースにしたのか理解されていたのでしょう」
昨夜の料理で最初に感じたことは古臭いだった。
いまの時代ならもう少し違うアレンジができるにも関わらず、野菜は保存が前提のように酢が使われ、肉料理も魚料理もしっかりと火が通されていた。それは食あたりを気にする船舶で提供されるような料理であった。
まるで黒船に乗せられたような気分がした。
シェフの思惑にたどり着くことは単純なことだった。だから、ほかの人間たちが気づかないことに私は不思議で仕方なかった。だが、いまとなってはそのことが分かっていても何にもならない。
「ちなみに今夜の晩餐はどうなるんです?」
飯の話になって急にやる気が出たのか大沢が斎藤に笑顔を見せる。斎藤は少し困った顔をして「いや、それが……」と少しためらってから小春と大沢に言った。
「上川の坊ちゃんから誰も食べたことがない料理を出せ、と言われているのです」