このプロローグには重大な問題があります。
山道を車が登っている。
霧のせいか窓から見える風景はどこか白く濁っていて、私の気持ちのようにもやもやしている。気分を切り替えてロックでも聞きたかったのだが、運転手は気が利かない男でバラードばかりが繰り返し流れてくる。こんなとき自分で運転ができればと思うが、十八歳の誕生日まであと六ヶ月ほどの時間がある。
諦めを溜息に変換して吐き出す。そして、この道の先にあるものを想像する。
おおよそ良いことはないだろうが、いまの状態が終わるというのなら一つの決着がつくということではいいことかもしれない。軽い緊張感が身体の中心から四肢の末端まで広がっていく。それはきっと毛細管現象のようなものなのだろう。広い場所から狭い場所へ次々と見えない液体が流れ込む。こういう状態のとき私は自分のコンディションが良いと思っているが、他人からはそうは見えないらしい。
「お嬢さんは不機嫌のようですね」
車に乗るときに運転手の男はそう言った。私は車のミラーで顔を一瞬だけ確認して「いいえ、そんなことないわ」と瞬時につくった笑顔で応じた。人に出会う前にこういう指摘をうけられる幸運は稀なことだ。多くの場合、忠告されるのはすべてが終わったあとだ。内側と外側が最適に調整されるときのわずかなズレがもっとも私らしいのではないかと愛らしいことを思い浮かべる。
いまなら殿方に「君はどうして怒っているのかな?」と気取った言い方で尋ねられたとしても笑顔で「怒っていないわ。でもその質問で不機嫌になれそうよ」と優しく笑えそうだ。そんなことを考えていると車が大きく左に揺れた。
運転手のほうを見ると窓の外に見たことのあるダックスフンドのような間延びした車が追い越していくのが見えた。なかはスモークガラスで見えなかったが、これから会う男と女が乗っていることは想像にやすい。運転手は「危ないなぁ」と他人事のようにつぶやくが表情筋が死んでいるのか平然としているようにしか見えない。
さて、最初にお断りを入れなければならない非礼をお許しいただきたい。
この物語はいわゆる本格ではない。むろん、登場する館に二つ以上の隠し通路があるわけでもなければ、未知の呪術を使う中国人が登場するわけでもない。ましてや登場人物が双子であとから隠れていた一人がばぁーと出てくるというわけでもない。それでも本格と言えないのはひとえに私――一条院楓の不徳とするところである。
あまり、このようなことを書くとネタバレだ。手順が違う。と非難されるに違いない。しかし、やはり大切なことは最初に申しておくのが最低限の礼儀というものだろう。はっきり言えば私はこの物語の中で無残に殺される。ゆえにこの物語は私が生前に知りえたこと。また死後に知ったことを皆様にお伝えすることで進んでゆく。
登場人物がすべて死んでしまった怪談を聞かされていると考えていただければ簡単だろうか。幽霊が出るという廃墟に行ったA子たちはこうして誰も帰ってきませんでした。なら誰がどうやって話を知りえたのだろう? という疑問は回答されることなくただ時間だけが経過する。
ゆえに死者が語るという意味で、この物語は超常的な力が働いていることになり、本格を愛する人々にとって唾棄すべき破廉恥な物語になっている。察しの良い方なら私が何を言いたくてこのような話を長々と語っているのかお気づきでしょう。
簡単に言えば、本格四川風麻婆豆腐が食べたければ高級中華に行きなさい。ここではたいして辛くない麻婆豆腐しか出てこないし、酢豚にはパイナップルが問答無用で放り込まれている。多くの場合、店は客を選べないが、客は店を選べる。美食を語りたいなら他所へどうぞ、というのがこの長い話の趣旨である。
ずいぶんと傲慢なことをいっているがそれこそお許しいただかねばならない。
なぜなら私、一条院楓は悪役令嬢なのですから――。