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和製イージーライダーの旅日記  作者: 広瀬修一
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プロローグ(旅の始まり)


1967年の1月、

私は16歳の誕生日が来ると、かねてよりの念願であった

オートバイの免許を取得しました。


しかし高校がバイク通学を禁止していたため自分のバイクは

買ってもらえず、父が通勤用に使っていた「スズキ」の70ccの

バイクを休みの日に借りて乗り回していました。


1969年に高校を卒業して「フジパン」に入社した頃には父が

軽自動車を買い、バイクを使わなくなったので実家の三重県まで

取りに行きました。


実家から会社が有る愛知県豊明までは170㌔ぐらいあり、長距離だと

尻が痛くなってしまうということがわかったのですが、しばらくは

我慢して乗っていました。


そしてお金が貯まるとすぐにホンダのCB250という中古の

オートバイを買いました。


これで休みの日は遠乗りして、けっこう楽しんでいたのですが、キャブレターの

調子が悪く、修理をしても直らないので「フジパン」をやめるときに、

譲って欲しいと言う友人がいたので売ってしまいました。


「フジパン」を辞めた理由は

希望していた製パンの仕事ではなく出荷場に回され、そこはオール夜勤で

深夜にパン箱を担いで、ねずみのように走り回るような職場だったので

嫌になり、その年のお盆休みに帰省したときに、小学校からの友人たちに

2泊3日の山陰、山陽への旅行に誘われて、休みを取るのも面倒になり、

ついでに辞めてしまいました。


その旅行の計画は近鉄の旅行業務についていた友人が立てたもので、

修学旅行のように見学場所や時間が決められていて、車2台に6人が

乗り合わせて出発したのですが、初日からみんな勝手なことを言い出し

二日めには二台の車が別々な行動をとり、宿泊地でやっと一緒になる

始末で、やっぱり思いのままに移動できるオートバイの一人旅が

一番いいとつくづく思ったのです。


そこで、オートバイを買うために出かけた職安で「トヨタ自動車」

の季節工募集の求人が目にとまり、働くことに決めました。


6ヶ月の契約社員で働けば新車のオートバイが買えて、長距離旅行の

費用も充分に貯めることが出来ると思った事と、「フジパン」を

辞める時に、退社の手続きを済ませて父が迎えに来た時までも、

職場の上司が諦めずに説得しようとしていたことから契約社員なら

あとくされが無いと思ったからでした。


しかし「トヨタ自動車」でも満期が近づいてきたら、職長から

しつこく正社員になれと言われてしまいました。


当時「フジパン」の初任給が26000円で、深夜手当などを含めても36000円

ぐらいだったのですが「トヨタ自動車」の季節工だとほぼ倍になりました。


そして4ヶ月働いて、1971年の3月に新車の「ヤマハRX350」を買いました。


前に乗っていた「ホンダCB250」に比べると2サイクルなのでパワーが

半端なくて、スタートの時にアクセルを開け過ぎると簡単にウィリー

してしまうほどだったのですが、走行は安定していてとても気に入り、

これなら長距離の旅行が充分楽しめると思い、どうせ行くなら

一番遠くて広い北海道にしようと決めたのです。

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