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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある事務員さん達シリーズ。

とある事務員さん達の話。

作者: 琴鈴


「なべ先輩、僕にも何か弾いてくださいよ。」

「あ?」

現場へ差し入れを持っていくその道すがら、例のピアノの前を通りかかって思わず足を止めた。田舎の駅の片隅に置かれたアップライトピアノ。

以前備品の買い出しに出かけた際に出会った迷子。泣きじゃくる男の子を何とかしようと無愛想な先輩が使ったのがこのピアノだったのだ。

あの時の光景は衝撃的すぎて、今ではここを通る度に思い出してしまっている。

「迷子には優しかったじゃないですか。リクエストまで聞いてあげて。可愛い後輩にも…」

「阿呆か。」

眉間に皺を寄せ、バッサリと切り捨てられてしまった。

ケチ、と小さくボヤいたその言葉はバッチリと聞かれていたらしい。先輩はこちらをじろりと睨むと、それからチラリとピアノへと視線を巡らせる。ちっ、と舌打ちが聞こえたような気がしたのは気のせいだろうか。

人に聞かせるようなレベルじゃない、とあの時先輩は言ったけれど、強面で無愛想なこの指から生まれた音はとても優しく綺麗なものだと思った。

誰にも言うなとほとんど脅されるように約束させられたけど、それでも本当に感動したんだから、二人の時くらい聞かせてくれてもいいじゃないか。

「……だいたい、何をリクエストしようってんだよ。」

「へ?」

ふいに振られて思わず言葉につまる。

聴きたいとは言ったものの断られる未来しか見えていなかったので、まさかそんな返しがくるとは思ってもみなかった。

「え、っと……」

咄嗟に自分の中にある記憶をたぐりよせる。

ピアノ曲。何か好きだったメロディーは……

「カノン、とか。」

気がつけばそう口にしていた。

そうだ、確かバイオリンを習っていた姉に聞かせてもらったことがある。ピアノでも弾けるのだと、姉達に手を取られ姉弟で拙い演奏会をした事があった。

駄目ですか?と聞いてみれば、先輩の眉間のシワが一段と深くなる。

「……作曲者は?」

「は?」

返ってきたのはYESでもNOでもない答え。

「は?じゃねぇよ。カノンってのは輪唱って意味だろうが。知らねーなら適当に弾くぞ。」

「えー、そんな事言われても、」

ショパンやモーツァルトならさすがに知っている。けれど、確か違ったはずだ。

必死に記憶を呼び起こそうとするけれど、どうしても出てこない。

ほら、あれだ。あれ。いや、だから誰なんだ。自分で自分にツッコミを入れたところで答えが返ってくるはずもない。

「有名な曲があるじゃないですか、ほら、ね?」

ついには先輩に助けを求めてみたのだけれど、返ってきたのは何とも意味ありげな笑みだった。

「あー、有名なやつな。」

嫌な予感しかしない。

先輩は手にしていた差し入れの袋をピアノの脇に置き、椅子に座ると指慣らしなのかいくつか和音を弾いた。

「一曲だけな。」

一瞬こちらを振り返った先輩がニヤリと笑う。

それから一呼吸おいて――

ド レ ミ ファ ミ レ ド

何とも気の抜ける、聞き覚えのありすぎる童謡が聴こえてきて、思わずコントのようにコケそうになった。

「ちょ、先輩!」

「あ?有名な曲だろ?」

先輩はなんとも楽しそうに馬鹿真面目に鍵盤に指を走らせる。

違います!と隣でツッコミを入れてもその指は止まることなく、先輩の演奏するカノンはケロケロケロケロ楽しそうに鳴いていた。

「もー!先輩っ!」

その肩をつかんで揺すってもご機嫌な音は鳴り止まず、結局先輩はご丁寧に二番まで弾ききってしまった。

どーだと言わんばかりのその顔が何とも憎たらしい。

「半端なリクエストしてきたお前が悪い。」

そう言われてしまえばぐうの音も出ず、悔しさに頬を膨らませるしか無かった。

ぱ、ぱ……パフェ、いや、違うけれど、そんなような名前だったはずなのに。

「ううっ、姉さんに弾いてもらったことがあったんですよ。僕も一緒にって、他の姉達とも一緒に……」

旋律なら覚えてる……はずだ。

幼い記憶を辿りながら、先輩の左隣に座って鍵盤を凝視する。

ゆっくりと指を落とせば、ポーンとレの音が響いた。

ああ、やっぱり覚えてる。

ゆっくり、ゆっくり。記憶を頼りに一音一音、確かめるように押していく。

隣で面倒くさそうなため息が聞こえた。

「そのまま繰り返し弾き続けろ。」

「え、」

言葉を発する前にすぐそばから聞こえたオクターブ高い音。それは自分の出すたどたどしい音とはまるで違って、淀みなく真っ直ぐに空気を震わせる。

そんな演奏に気圧され、促されるままに先程弾いたフレーズを繰り返した。

自信なく生まれる音に、澄んだ音が重なって一つの音楽が広がっていく。

記憶に残る旋律が、自らの手から流れていく。


何故だろう。なんだろう、この高揚感は。


初めて先輩の演奏を聞いた時の感動とも違う。この人と、この人の隣で、この音を共に生み出しているのだという事実。それが感情を高ぶらせ、胸におしよせてくる。

お世辞にも上手いとは言えない演奏のはずだ。なにせこちらはピアノなんてほとんど経験がない、どの付く素人。めちゃくちゃなリズムに合わせてもらっているのだから、まともな曲になっているかどうかすらあやしいはずなのに。

それなのに、響く旋律はぎゅっと胸の奥の何かを締めつける。


「ほら、それで最後な。」

言われるままに最後の一音を弾けば、それは綺麗な和音となって心地よく空気を震わせ消えていった。

消えないで。そう思ったところでどうしようもない。無常にも先輩の手は鍵盤から離れていく。その視線が手元からこちらへと移される。

一瞬、互いの肩が触れ合って、どきりとした。

「ちゃんと弾けるじゃねぇか。」

「……先輩が、凄いんですよ。」

くしゃり。先程まで鍵盤に触れていた手が僕の髪を撫ぜる。

「ほら、そろそろ行くぞ。」

「あ、」

先輩はこちらの返事も待たずに立ち上がると、椅子の下に置きっぱなしになっていた差し入れの袋を手にしてそのまま歩き出してしまった。

あわててこちらも荷物片手にその背中を追いかける。

「先輩、待ってくださいよー。」

「待たない。誰かさんのせいで無駄な時間使ったからな。」

「むぅ。」

こちらを振り返ることも無く、早足で歩みを進める先輩。その眉間には深い皺が刻まれている。

少し前までの自分なら、機嫌を損ねてしまったのかと逃げたくなるような場面だけれど……

今なら、わかる。

「先輩……照れてます?」

「なっ、だ、だれが。」

ほんのり頬が赤く染ったのはおそらく見間違いじゃない。

「やっぱり僕、先輩のピアノ好きです。」

「……。」

「また弾いてくださいね。」

「断る。」

先輩はそう吐き捨てて、より一層眉間に皺を寄せながら先へと歩いていく。

けれどその背中はちっとも怖くなかった。

演奏中、時折視線を感じたのは先輩が合わせてくれていたからだ。拙い音を邪険にせず、ちゃんとこちらを見て歩みを合わせてくれていたからだ。

僕の隣で響いていた音は、いつだって不器用で優しい音だった。

今だって、ほら。結局こっちを振り返った。鬼の形相だけれど。

「山田!早く来い!」

「はーい。」

くすくす笑いながら追いついて隣に並べば、ぴんっ、と指でおでこを弾かれた。





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