第70話 新しい日々
「んんっ………ふぁぁぁ……」
目を覚ますと天井が見えた。どうやら仰向けで眠っていたらしい。
「うぅん……おはよう……」
そう呟き左隣を探る。するとそこにあるはずのぬくもりが無い。
胸騒ぎを感じたあたしはベッドを飛び出すと上着を羽織ると部屋から飛び出した。
「おはよう、アン」
穏やかな笑みを浮かべながら料理をする愛しい人の顔を見てあたしはほっと胸をなでおろす。
「おはよう……全く、起きたら横に居なくてびっくりしたわ」
「いや、だって疲れ果ててよく眠っていたから……」
「誰のせいよ、誰の!!」
そう言って近づくと彼の頬をむにっと引っ張る。
「むはっ、いひゃいって」
何よこの可愛い反応をする生き物は。
まあ、あたしの夫なんだけれども……
「本当に、びっくりするから止めて欲しい」
彼の広くて硬い胸板におでこをあててすりすりする。
「お、おう」
その仕草に戸惑っているのだろうか。彼の鼓動が早くなっているのがわかる。
オーバーかもしれないがあたしにとって朝起きたら彼が横にいないというのは不安で仕方がないのだ。
4年前の事件であたしはナナシさんと共にリレッジ地方から遠く離れた地へと転移してしまった。
呪いによる暴走の影響だろうか、彼は『さらに記憶を失って』いた。
この世界に来てからその日までの記憶が彼にはなかったのだ。
あたしやメイシー、それにリゼット達と暮らしていた日々の記憶。
それらが完全に抜け落ちてしまっており2回目の『はじめまして』となってしまった。
この度は彼が異世界転生者であるという事は最初から説明されていた。というかそもそもあたしが知っていたので彼が隠せない様に誘導したのだが……
あたしは彼と一緒にしばらく旅をし、サートスという村に居を構えることとなった。
この頃には恋人の様な関係になっており1年前、あたしは彼にプロポーズをしてふたりは夫婦になった。彼の今の名前はレム・ナナシ。
彼は時々記憶の断片を思い出すことがある。
食事の用意をしていると『食器が足りないよ』と急に言い出す。ふたりで暮らしているので基本は二組の食器を使っている。
一応、来客用のものが幾つかあり、彼はそれを二組テーブルに置いた。
あたしは悲鳴を挙げそうになったが彼はそこで『あれ?』と首をひねり出した食器を棚に片づけていた。
二組……そう、メイシーとリゼットの分だ。
記憶が戻りかけているのかと不安になったがそれからしばらくは何もなかった。
出来ればふたりについての記憶は戻って欲しくない。
別に彼を独占したいとかそういうわけではない。
失った記憶の中には彼にとって辛い思い出がある。
彼は3人の魂が融合した存在だ。
そのひとりはあたしの伯母であるレム・レイナの夫。
伯母と彼の間には娘が二人いたがあたしが知った情報の中で彼はそのうち一人と伯母を何者かに殺されていた。
そんな悲しい記憶も今は記憶の奥底へと封じ込められている。
あの事件の時結果として彼はリゼットに裏切られたことになる。
その心の痛みが彼を不安定にさせるのではないかという不安。
元々彼は自分が失った記憶を求めていた。事件前の記憶が戻る事で彼が再び記憶を求めどこかへ行ってしまうのではないか。そんな不安もあった。
罪悪感もあった。
あたしは真実を知っている。知っていながらその事実を隠しこうやって彼と生活をしている。
何だかリゼットみたいだ、と自嘲してしまう事がある。彼女もこんな風に罪悪感を抱いていたのだろうか?
彼女のしたことは許せない。だけど……
「朝ごはんだけど目玉焼きにしたよ。アンの分はしっかり焼いてあるから」
彼の言葉でハッと我に返る。
皿の上には目玉焼き、あたし達の世界ではパンセロ・オーンと呼ばれるものをパンの上に乗せた料理が置かれていた。
「えっと……あ、ありがとう」
ふと、もう一つの更に置かれている『目玉焼き』を見て眉をしかめる。
「あなたの分は半熟?本当に好きだよね」
「半熟って結構美味しいぞ?」
「うん……かもしれないけれどあたしは火をしっかり通してないと不安なの。それでなくともあなたは卵を生で食べようとするし」
「それも美味しいんだけどなぁ」
どうも彼が居た世界では卵を生食する文化があるらしい。
世界が変われば常識も変わるということみたい。
「あなたの嗜好は尊重するけれどあたしを未亡人にしないでよ」
少し頬を膨らませ口を尖らせてみる。
「ぜ、善処します」
「よろしい。いつもありがとうね。それじゃあ食べましょうか。」
「あ、あのその前にその、前を、だな……」
ふと、彼が視線を泳がせながらも何度もあたしの胸のあたりをチラチラ見ていることに気づく。
慌てて出てきたせいだろう。いつの間にかあたしは前がはだけた状態になっていた。
「もぅ……すっけべ」
◇メイシー視点◇
あれから4年。
私とリゼットさんは消えてしまった二人を探して旅に出た。
もしかしたら家に帰っているかもと思ったがやはりそこには誰もおらず、留守番をさせていたアカツキもどこかに行ってしまっていた。
様々な地域を回り。現在はナダ共和国の首都であるベリアーノ市に来ていた。
その第4区にあるギルドに私達は足を運んでいた。
「イリス王国の第1王子がナダ共和国を訪問するそうですね」
新聞に書かれた見出しを読み上げるとリゼットさんが苦い表情になる。
「それなら早めにここを離れないといけないかもしれないね。ボクは亡命者だし」
「やはり見つかるのは不味いですか……」
「継承の問題もあるしね。下手をすればボクの生存を知った他のキョウダイが殺し屋を差し向けてくるかもしれない。少なくともそういうことをする姉さまがひとり居る。」
「意外にハードですね。王族って」
「恐らくもう帰ることは無いと思う。未来は『消えた』から……」
「……………」
あの事件の後、リゼットさんは自分の『未来視』の呪いについて教えてくれた。
一度視た未来はストックされており何らかの要因でそれが変わるまでは定期的に視ることになるらしい。
かつて、彼女はアンジェラさんの死を視たという。
だがその未来はナナシさんの活躍により破壊され『消えた』。
彼女がナナシさんに近づいた理由は『イリス王国の滅亡』。そしてそれを回避するための方法として現れる『英雄』の存在という未来視の為だ。
その未来だが、4年前の事件後『消滅』したらしい。
何かしらの要因……恐らくは4年前のあの事件が原因なのだろう。
彼女の大きな目的はここで消滅してしまった。
今は別の目的の為、消えてしまった二人を探している。
騙していたことに対する謝罪の為に……
「ところであなたがこの前見た『未来』ですが……」
「うん。お兄さんとアンジェラは小さな村に住んでいるって出た。そしてその村は……」
リゼットさんはギルドに置かれている観光案内を指さす。
「ここだと思う。サートス村。ここに、お兄さんとアンジェラが住んでいる。」




