若者の選挙権放棄の弊害
俺と彼女が出会ったのは、高校一年生の時だった。
一年の頃は俺と彼女は同じクラスで、彼女は何時も教室で本を読んでいて、正直クラスから浮いていたと思う。ひと昔前ならそういう人はいじめられていたかもしれないが、AMCが出てからは物理的ないじめは無くなったので、彼女は本当の意味で孤独だった。
そんな彼女と同じく孤立気味だった俺が関わりを持つようになったのは必然だった。
何も不思議なことはない。昔から班分けやペア分けは、仲の良いもの同士が組むのが習わしだ。そして、友達がいない奴は、友達がいない奴と組むのもまた昔からの決まりなのだ。だから、彼女と俺は強制的に良く話すようになった。
更にクラスメイトも俺を彼女との通訳がわりに使うようになり、ますます俺と彼女は話す機会が増えた。
すると彼女には辺な癖が何個かあることに気づいた。
変な造語を作ることとか、携帯やPCが嫌いだとか、名前で呼ばれるのが嫌いだとか、そんなことを知れば知るほど俺は彼女に興味を持つようになった。
「そういや何で俺なんかに興味を持ったんだ?」
後ろに座る彼女に尋ねる。
彼女は不意をつかれたような表情で本から、目を外して俺を見据える。
「何?藪からスティックに」
「いや、なんか気になって」
「興味とかじゃないでしょ。そういうの」
「そうか?」
「話してて面白いか面白くないか。それだけでしょ?」
当たり前でしょ、とでも言うように首を傾げる彼女。
何というか、彼女のこういう純粋なとこにはやはり憧れるものがある。絶対、言葉には出さないけど。
それから、彼女は窓を開けて風を感じるように頬杖をつきながら目をつむった。12月になって日没が更に早くなり、辺りはすっかり暗くなり始めていた。そんな中で地平線にへばりつくようにしぶとく残り続ける太陽の光が雲と彼女を照らしていた。その光景は、すごくノスタルジックな気持ちに俺をさせた。
彼女は何を考えているのだろうか?そう思いながら、この間の彼女との会話を考えずにはいられなかった。
政府が個人の意思を奪いロボットの様に扱う、これだけ聞いたらアメリカのB級映画の宣伝文句にしか聞こえないが、彼女の話だからかどうしても笑って切り捨てることはできなかった。
あの放課後の話からすでに一週間近く経っているが、未だに1人になると考えてしまう。
あの日、あの場所で俺が即答出来ていたら、彼女はなんて言ったのだろうか、なんて意味のない想像ばかりを繰り返してる。
そんな俺の状態に気づくことなく、彼女は目を閉じたまま話始める。
「2020年の東京オリンピックの頃、高齢者ドライバーの運転事故が多発して、社会問題になったの知ってる?」
「あぁ、なんか聞いたことある」
「あれ、なんで法律で免許取得の年齢制限を設けなかったと思う?」
「いや、わからん」
「あれね、政府が高齢者に媚び売ってたからだよ」
「どういうこと?」
「この国は、少子高齢化社会でしょ?」
「まぁな」
「有権者の多くは、高齢者なんだよ。実際、投票率の下がる日本で過半数を占めていたのは、60歳以上の高齢者だった」
「あぁ、なるほど。だいたいわかった」
これだけヒントをくれれば流石に彼女の言いたいことに気づく。
彼女は俺の言葉にうん、と頷いた。
「そう、高齢者に嫌われるのは、イコール政府として成り立たなくなる、ということなんだ」
「まぁ、高齢者でも仕事してたりで、車は必要だしな。規制に反対する人は多いだろうな。俺ならそうするし」
「そう、だから当時の政府はなにも対策しなかった。それに、高齢者にだって車を買う人はいるし、それで経済は回ってたしね」
「じゃあ、仕方ないかもな」
人の命がなくなってるのに、仕方ないという言葉で片付けてしまうのは、どうなのだろうかと思ったが、実際仕方ないことなのだ。
「そう、仕方なかった。だって、選挙権を18歳まで引き下げても、若者たちは投票しなかったんだもん。自業自得だよね」
「あぁ」
「ね、怖いでしょ?国民が政治に興味がなくなると、こういうことが起きるんだよ」
「怖いな」
「まぁ、それも自動走行システムが確立してからは、なくなったけどね。それを政府も見越していたから、規制しなかったんだろうけど」
「あれは、いいシステムだよ」
実装前と実装後では明らかに事故発生回数が減ったし、最近では免許の取得を16歳まで引き下げる案まで出るぐらい信頼されているシステムだ。
「そうだね、まぁあれも最初は何個か問題あったけどね」
「え?マジか…」
「うん、だって、事故を起こしたら、乗ってる人が罪に問われるのか、それとも車を作ったメーカーが罪に問われるのかハッキリしてなかったしね」
「あぁそういう。確か今は、ケースバイケースだよな」
「そう、ドライバーが未然に危険を察知できたら、ドライバーの責任。できなかった場合は、メーカーの責任なった」
「実際、メーカーは怖かっだろうな。自分の手元を離れた車が起こした事故で賠償請求されるわけだから」
「だね、だから実装が5年遅れた、という話もあるからね」
「へぇ。なんでも知ってるのな」
彼女は俺の言葉に少し困ったそぶりを見せ、「君よりはね」と言った。
「ひでぇ」
「でも、あのシステムもみんなが信頼しすぎてて少し怖いよね」
そう言うと、彼女は深刻な顔で俯く。言いたいことはわかるけど、実際事故の発生件数の低下や渋滞の改善などの大きなメリットがある以上、それを信頼するな、というのは無理がある。
「そうか?」
「もしシステムが乗っ取られたら、意図的に事故を発生させることが出来るんだよ?」
「だから、それを防ぐためのAMCだろ?」
「そうだけど…みんな自分の命を他人、しかもAIに預けているという自覚がないよね」
「それは、確かにな」
事故を起こすというとがなくなったせいで、車が人の命を奪うことのできるものなんだという認識がなくなってるのは感じる。
「自分の命や意思を誰かに預けるなんて、私は嫌だな」
「普通そうだろ」
「そうだよね。病気の手術を先生に任せるのも怖いことだし、飛行機のパイロットに自分の命を任せるのは怖い」
「まぁな」
「でも、その人たちはちゃんと免許や資格を持っている。AIには、それがない。もし、AIの予想の範疇を超えた事故が起きた時に、私たちはそんな不確かなものに自分の命を預けられる?」
AIは、決められた通りに行動をする。状況判断の要素として、AMCから視界情報を受け取り、そして想定されたいくつかのパターンから適切なものを選択して行動する。
つまり、臨機応変な対応などAIに求めてはならない。
「でも、そんな状況に陥ったことは、今までに殆どない」
「今までは、でしょ?」
「そうだけど…」
「AIなんていつ誰に操作されるかわからないものに命なんて預けたくないよ」
「だから、それはAMCがあるから…」
「そうだね。AMCは万能だよ。でも、そういう操作をするのが政府関係者だったら?」
「まさか…」
「AMCは決定的な証拠になりすぎてるんだよ。
AMCで犯罪の証拠がとられていないことが、犯罪をしていない証明にすらなっている。例えば電車内の痴漢で、女性が痴漢だと、男性を糾弾しても、痴漢の証拠を写したカメラがないから無罪になることすらあるんだよ?」
「それの何が問題なんだよ」
痴漢の件に関しては、冤罪を未然に防いでるのだから、褒められてしかるべきだろう。
俺のそんな発言に、珍しく彼女はイラついた表情を見せる。そんなことは言わなくてもわかるでしょ?と目で訴えかけてる。しかし、数秒俺のことを見つめてた後、諦めたようにため息をついて、ややイラついた声で答える。
「だから、政府はAMCのデータを意図的に隠蔽して事件の存在自体をなくすことができるんだよ」
「そんなバカなことが…」
「どうして信じられるの?事件は完全になかったことにできるんだよ?」
「いや、でも…」
「ここまで言って、AMCの絶対性を信じてるなら、君はバカだよ」
はっきりと軽蔑の表情を浮かべて俺を見る。
絶対にない、なんてことはない。誰にも言い切ることなどできない。いわば水掛け論なのだ。
ただ、彼女の話が本当だったら、という仮定が怖くて、俺は彼女の言葉を否定したかったのだ。だって、もし彼女の言葉通りなら、殺人すらなかったことになってしまうではないか。
彼女はそんな様子の俺を見て、はぁと深いため息をつき、別れの言葉はもなく教室を去っていった。