一話目のサブタイトルは長い方がいいと聞いたので、長くしてみる。
「…寒い」
すっかり紅葉が終わって、紅葉の葉も徐々に散り、通行人に踏まれ汚い赤色の絨毯を作る道を歩きながら俺はひとりごちた。
温暖化が叫ばれた1980年から50年たった2031年でも冬は当たり前のように寒いし、そして11月ですら俺、木戸 隆は冬用コートに身を包みたいと考えるぐらいには寒い。結局、この地球の自然は人間の考える範疇には収まっていないのだ。
それでも、俺たちの生活はこの50年で変わった、らしい。らしい、というのは自分はまだ17歳なので50年前の暮らしも気温も知らない。
それでも、はっきりした事は言えないが生活を大きく変えたという点では5年前のことの方が自分には身近に感じるし、個人的にはそれまでの45年が小さく感じるぐらいの大きな変化だと思う。
6年前、2025年にオートマルチカメラ、通称AMCがアメリカで開発されたという。開発から一年で日本を含む先進国で採用され、実際にその効果を上げた。
このカメラは世界中のあらゆる場所で起こるテロ、犯罪をリアルタイムで監視する為に作られた。つまりAMCは世界中で起こる犯罪の犯人を正確に把握し、その情報を元に各国の警察が検挙することにより、検挙率100%を目指すことができるのだ。これは犯罪の抑制につながり、犯罪率は一気に下降した。
実際、このカメラが採用された後、犯罪率は下がる一方で、その犯罪率は採用され前の50分の1ほどに下がったと言われている。勿論、これは日本だけの事で元々の犯罪率が高かったブラジルなどは100分の1とも言われる。
まぁ、減ったのは痴漢や窃盗などの軽犯罪で、殺人犯罪はそれほど減ってるわけではない。例え逮捕されるとわかっていても復讐を果たす者や頭のおかしい奴は今も昔も変わらずいるのだ。
話を戻すと、このカメラの怖い点は文字通り、世界中のあらゆる場所を監視すらのだ。そう、家や公共トイレといった個人スペースだろうとだ。
その方法は実に簡単で、既存のあらゆるカメラを操るのだ。例えば、個人が所有してるスマホ、電子タブレット、パソコン等のあらゆる電子端末についてるカメラ、果てはドライブレコーダーに至るまで監視できるのだ。
勿論、それ以外に町中に監視カメラを設置したりもしたが、莫大な金がかかる為AMCの50%のカメラは個人所有のものらしい。
つまり、カメラと呼ばれているがその実態は、既存するあらゆるカメラを操るシステムなのだ。
多くの人は認めたのだという。例え個人スペースがなくなっても、それで自分が犯罪の被害を受けないで済むならそれでいいと。
人々はその危険性に気づかなかったのだ。プライバシーと犯罪の被害の二つを天平にかけた時、相対的に危険とおもわれる犯罪を選んだのだ。
この時、人々は個人から公共のものとなってしまったのだと彼女は口癖のように言っていた。
***
放課後、俺は教室に入る前に今日起こったニュースを一通り確認するとスマホの電源を落とした。それが彼女と俺が話すときのルールだ。
「やあ」
そう言って彼女は窓際の席から手をひらひらと振るジェスチャーをする。窓からさす西日のせいで彼女の顔は見えない。
「ああ」
適当に返事をして彼女の一個前の席に座る。
「今日は遅いね?何してたの?」
そう言う彼女は既に俺のことを見ていない。今やデットメディアに成りつつある本を見下ろしていた。
「地学室の掃除、という名のさぼり」
「サボりはいかんよ。サボりは」
顔を上げて、ふふっという笑い声と共に心にも思ってないことを口にする彼女。彼女自身もさぼり屋なので俺に言う権利はない。この前だって、自分のクラスの日直の仕事を忘れていたらしく、先生に怒られていた。
それから俺と彼女は特に話すことなく時間が過ぎる。
だが、案外それも悪くない。教室に流れてくる吹奏楽部の下手な演奏も、窓を開けると流れ込んでくる冷たい風も、夕陽が照らす今は珍しい黒板も、どれも現代にはそぐわない美しさがある。
AIが奏でる完璧なメロディーとも、完璧に空調管理された部屋とも、8Kのフルスクリーンの液晶とも違った、不完全さ故の美しさが好きだ。
何より不必要に重い本を持つ彼女いることも、この時間、この瞬間だけはまるでこの空間だけが切り離されたような気がして好きだ。
そんな時間が10分ほど続くと彼女は突然、バタンという音を立てて乱暴に本を閉じる。
そして俺と彼女はまた話をし始める。
話題はだいたい彼女が出す。それに俺が自分なりの意見を言う、すると彼女は俺の意見にケチをつける。そして、彼女は自論を展開して一人で満足して気持ちよくなるのだ。
「私たちは10年後どうなっているかな?」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見据えて尋ねる。
俺は一瞬、どう答えようか迷って彼女から目線を晒す。というのもその質問が、あまりに抽象的すぎて、なんと答えればいいかわからなかったのだ。
「AMCが導入されてたった5年で私たちの生活は一変した。じゃあ、10年経ったらどうなるふふのかな?」
彼女は俺が答えをだしかねてるのを見て、そうつけ答えた。
「まぁ、一般的には生活の質が向上するんじゃないか?」
「一般には、ってどういう意味?」
「普通の人の生活が良くなっていても、俺たちの生活が良くなっている保証はないからな。人生色々あるぞ?失業、離婚、左遷、人間関係それら全部が上手くいってない限り幸せにはならないぞ。」
俺のそんな返答に彼女はじっと俺を見て、そして笑った。なんだか、その笑いが俺をバカにしてるみたいで、少しだけムカッとする。
「君はどうしてそうヘリクツーなの?」
そう言って、より一層笑った。
「おい、待て。ヘリクツーってなんだ?」
「君みたいに屁理屈ばっかりこねる人の呼称だよ」
「聞いたことないぞ、そんな言葉」
「うん、だって今思いついたし」
…案の定という感じの答えだった。謎の造語を作りたがるのは現代人にありがちなことだが、彼女は特にその傾向がある。しかも全く上手くないから反応に困る。
「あれ、上手くない?」
「上手くない」
「あはは、辛辣だねぇ」
いつもは彼女に辛辣なことを言われているのだから、返せるときに返しておかないと損だ。
「でも、たぶんそうなんだろうね」
彼女は腕を組んでうんうんと頷く。彼女はさっきの俺の答えを持ち出して肯定する。
「だろ?」
「きっと私たちはもっともっと生きづらくなるんだろうね。」
そう言うと今まで朗らかに笑う彼女の顔に翳りがさす。そう、生きづらくなるのだ。俺たちはこの時代の流れに取り残され、いずれ淘汰されてしまう化石人間とでも言うべき人種なのだから。
「それにしても君はなんというかあれだね?あれ」
「…すまん、抽象的すぎて何が言いたいのかわからなんのだが……」
うーんと彼女は首を傾げながら唸り、そして答える。
「何というか、面白いように私の予想と同じ答えを返すよね」
そうなのだろうか?というか何故それで俺は責められてるのだろうか?
「ごめん。傷ついた?でも、私は不意打ちを与えたて欲しいんだよ。私の予想を裏切って欲しいんだよ」
…いやよくわからない。彼女の言ってることは大抵よくわからない。そもそも、彼女と俺が関わってること自体、俺自身にもなぜこうなったのかわからない。
そんなわからない事づくしの俺にもわかることは彼女は変人で、化石人間で、そして反逆者であるということだ。
「で?」
「で?って何?」
彼女は、首を傾げてそう尋ねる。質問を質問で返すなよ…という言葉を飲み込んで、俺は答える。
「俺の言いたいことは予想できるんじゃないのか?」
「主語がないと伝わらないよ!夫婦じゃないんだから」
彼女はむんすかと怒って言う。いい気味だと思ってしまうのは性格が悪いだろうか。いや、彼女が俺の考えてることなどお見通しだ、といったのだから俺に非はない。
「で、お前は俺たちの生活は10年後どうなってると思う?」
「私はねぇ…意思が奪われると思う」
「…意思が奪われる?」
予想外の答えだったので、おうむ返しのようにそう尋ねてしまう。彼女が本気で言ってるのかも、冗談で言ってるのか分からず、俺は彼女の答えを待った。
「そう。意思が奪われる。」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見据えて言う。その目は確かな自信を帯びていて、彼女が本気で言ってることわかった。
「このままいけば、国は私たちを歯車のように使い出すと思う。考えることも、悩むことも、選択する自由すら奪ってしまう。歯車には意思は必要ないの、ただ動けばいい。」
「本気で言ってるのか?」
「本気だよ」
そう冷たく言ったかと思うと彼女は教室の前の方に行き、チョークを取り出して黒板に何かを書き始めた。
「AMCが導入されて、私たちはプライバシーを失った」
彼女まるで先生のように自分で書いたプライバシーという字に斜線を引く。
「プライバシーはそんなに重要なものか?」
自分でも馬鹿だ、と思う質問をしてしまう。なんとなく彼女の先生ごっこに乗って見たかったのだ。
「プライバシーは、自分が自分である為に必要なこと権利なんだよ。もっと言えば、プライバシーとは他人に干渉されずに自己を決定する自己決定権であり、自分の知られたくないことを隠す自己防衛権でもあるんだよ。」
「だが、俺には特に隠したいことは無いぞ?」
政府に隠したいやましいことはしてないし、個人情報を見られるのも公開されないなら別に問題ない。まぁ、でもパソコンに入ってる18禁の動画は見られたくはないけど。
「隠し事ないからプライバシーは必要ないっていうのは危険な考え方だよ。政府に対してやましいこと、隠し事がないから個人情報を知られても構わない。
それは政府が国民の情報を全て管理し、政府は国民が何を知るべきかを決定する権利を有するということになるんだよ。」
俺がなにも言わないのを見て、彼女は続けて言う。
「つまり、プライバシーが無くなるということは、政府が私たちを管理することなんだよ。それはアンドロイドやAIと何が違うの?」
彼女の言葉は俺が初めて聞いたはっきりとした政府批判だった。今まで政府がどんな政策を取ろうと、大人が文句を言ってるのを見たことがなかった。せいぜい、年金や公務員の給料に対する文句ぐらいなもんだ。
「政府が全て考えてくれるのは、楽だけどな」
彼女の質問の答えがなにも思いつかず、投げやりな言葉を吐き出す。
そんな不甲斐ない俺を見ても彼女は軽蔑することなく言葉を続ける。
「昔の、といっても20年前の政治家はこう言った。『国民が政治に興味が無いことほど、政治家にとって楽なことはない。そしてそれは独裁となんら変わらない。』」
「独裁?」
「民主主義の主体は国民だけど、その国民が考えることを辞めたら主体は統治者に移る。それは只の独裁だよ」
「確かにそうだな」
「考え、議論し続けるのは、いわば民主主義の義務みたいなものだと思う」
「国民はその義務を怠っていると?」
彼女は大げさに頷いた。それも何度も。それこそが彼女が言いたかったことなのだろう。
「そう、みんな何処か他人事だと思ってる。誰かが考えればいい、自分が考えても無駄だと思ってる人が多過ぎるの」
「そうかもな」
「AMCはその一例だよ。みんなその危険性について考えようとしなかった。」
「確かにな」
「君にもし選挙権があったら、AMCの導入に賛成した?それとも反対した?」
俺は、結果を知っている。AMCを導入したことによって、軽犯罪やいじめは明らかに減少した。それ自体は大変素晴らしいことだ。
だけど、彼女の話を聞く限り、AMCの導入は悪いことだと思える。だが、導入していなければ、もっと重大なテロや無差別大量殺人が起きていたかかもしれない。
どうしても、結果を知っている賛成した今の方を選ぶ方が楽なことに思える。
だけど…
そんな葛藤を5分ほど繰り返したが、結局俺は彼女の質問には答えられなかった。そんな俺を彼女は責めようとはせず、むしろ答えられないという答えを知ってるかのように頷いた。
そして暫く俺の顔を見て「そうだね」と言って、教室を去って行った。
後に残ったのは、答えられなかった生徒と先生が書き残した「プライバシー」や「政府」といった字だけだった。
今日も俺は、彼女の期待する答えは返せなかった。