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Alea iacta est - 8

 北部家から徒歩二〇分ほどの距離にある、県立九頭竜坂高校。

 一応は進学校に分類される以外、これといった特長のない普通の公立高校だが、この時期だけは話が変わる。

 敷地内に植えられた幾本もの桜。歴代の卒業生が寄贈したというそれらが一斉に花開き、風に無数の花弁を散らせる様は、観光ガイドにも紹介されるちょっとした名物になっている。


「ふう。まだ満開でもないのに、飽きもせずよく降るもんだ」


 肩に乗った桜を払いながら、有が軽く毒づく。

 足元では仔狼の姿になったビトが全身を震わせて花弁を落としている。

 実際綺麗だとは思うが、在校生という立場上この大量の花弁を誰が掃除するのかという問題があり、素直に愛でるのはなかなかに難しい。


「さて、新しいクラスはっと」


 玄関に貼り出されたクラス分けを見る。有の名前は二組とわりと早めに見つかった。


「お、米倉たちも同じか」


 何人かは去年のクラスメイトの名前も確認出来るし、他のクラスで見知っている生徒も数人。

 靴を履き替え、三階の教室を目指す。さほど遅い時間でもないが、やはりクラス分けが気になったのか、三年生も含めてかなりの生徒が既に登校しているようだ。


「はい、おはよーさん」


 教室に入ってすぐ、目当ての二人は見つかった。


「あ、北部くん。それにビトくんもおはよう」


 窓際最前列に座っていた舞花が気付いて手を振る。


「やぁ、有。君にしては遅い登校だな」


 その隣で談笑していた男子生徒が振り返る。


『おはようございます。舞花嬢、翔殿も』

「いろいろあったんだよ、いろいろとな」


 さすがに事実を話すわけにもいかず、舞花の後ろの空いた席に座りながら同じく去年からのクラスメイトである衛本(えもと)(しょう)にそう返す。

 校則で禁止されていないとはいえ、他に見ない長髪を結んだ、線の細い男子だ。平均よりやや高めの有より少し長身だろうか。

 舞花と同じく常から笑顔を浮かべているが、見る者を癒す舞花のそれと違い、こちらは何もかもを見透かしたうえでとぼけているような、どこか道化のような印象を受ける。


「ほう。有が誤魔化すのも珍しい。明日は雪かな?」

「別に、誤魔化したわけじゃ……」


 有にしては力ない言葉に、翔はわずかに疑問を覚えたようだ。

 まるで正反対だが有を入れて三人、この春休みも一週間会わないことがなかったくらいには仲がいい。だからこそ感じたこともあるのだろうが。


「まぁなんだ。有だって月に一度くらいはそんな日もあるだろうさ」

「……翔よ、一応言っとくけどそれ女子の前で言うだけでもセクハラだからな?」

「?」


 しかし当の女子(まいか)がどういうジョークなのか理解していないようだった。

 内容はともかくとしてわざと話を反らしただろう翔に、有も気付いた素振りは見せない。

 端から見てこの三人が高校に上がってからの付き合いと気付ける人間もそうはいないだろう。


「ところで今米倉と話していたんだがな、ある情報筋によると今日このクラスに転校生が来るのだそうだ」

「なんだよ、ある情報筋って」

「まぁぶっちゃけると、今朝職員室に行った時に耳にしたんだがな」

「なら勿体ぶらずにそう言えよ……」

「ははは、まぁこう言った方がそれっぽいだろう?」

「……俺にはよくわからん」

「まぁまぁ……でも転校生かぁ。どんな子だろう」

「俺も直接聞いたわけじゃないから詳しくは知らんが、なんでも女子で、それも帰国子女らしい。確か……ドイツだったか?」

「……ふぅん」


 ふと、有の脳裏に家に残してきた使い魔の顔が浮かんだ。

 メフィストフェレス――ファウスト伝説といえば本場はドイツで、言うまでもなく女の子。

 しかし今、件の少女は留守番の真っ最中で、加えて言うなら昨日の今日で編入試験やその他手続きをすっ飛ばすのはいくらなんでも……


「あぁいや、全く不可能ってわけじゃないのか」

「どうした有?」

「ただの独り言だって。気にすんな」


 考えてみれば、あの少女は自身を何でも出来る(ばんのう)と称するうえに時間まで操作可能な極め付けの出鱈目なのだ。この程度で不可能ということはないだろう。


(でもまぁ、権能は使わないように言ってあるしな……)


 もし何か使っていれば、不完全とはいえ経路が繋がっている有が気付くだろう。

 それに、帰国子女ということはその転校生は日本人のはずだ。

 偶然その二人のプロフィールが似ていた、それだけだろう。箇条書きトリックというやつだ。


「………」

「やっぱり北部くん、何かあったのかな?」


 それでも有の心の(もや)が晴れることはなかった。




「……はい、みんなどこでもいいから席に着いて」


 始業チャイムが鳴るより一〇分ほど早く、教壇に去年有たちの担任だった安藤亜里葉が立って着席を促した。

 合わせて、使い魔を出していた生徒はDSに戻す。


「あれ? 今年も安藤先生が担任なんですか?」


 舞花の問いにこくりと頷いて答える亜里葉。それを見て少なくない生徒が小さく歓声をあげる。

 まだ二〇代半ばと若く、常から眠たげな顔をしているのでわかりにくいが、理解しやすい授業に加えて生徒のどんな疑問や相談にも親身になって付き合ってくれるいい先生、というのが亜里葉の評判だった。

 有も表面的に反応こそしなかったものの、このクラスになれたことを喜んでいた。


「あれ? でもまだHRには早くないですかー?」


 教室後ろの方からの質問に、


「……うん。でも今日は新しく来た子がいるから」


 亜里葉の答えに教室中がどよめく。翔から聞いた有たちなど一部の生徒は知っていたようだが、やはり大半は初耳だったらしい。


「……それじゃあ、入ってきて」


 一度落ち着くのを待って、亜里葉は廊下に待機していた転校生を招き入れる。


『うわぁ……』


 その姿を見て、一斉に男女関係ない溜め息が漏れる。

 腰まで届く、濡れ羽色の黒髪。遠目にもわかるほどきめ細かい、蜂蜜を溶かしたような色の肌。

 可愛らしさの中にもどこか色気を感じる整った顔。その中で輝く黒真珠もかくやという美しい黒瞳(こくどう)は、無邪気な好奇心に溢れている。

 背は女子としてはやや高めで、手脚もすらりと細く無駄がない。ブレザータイプの制服も、その少女が纏えば流行の最先端に錯覚する。

 同性すら嫉妬を通り越して感嘆するしかない。そんな美少女が教卓の横に立っていた。

  しかし。


「……嘘だろ……」


 立ち上がりそうになるのを寸でのところで抑え、誰にも聞こえないような小声で呟きながら、有は己の見たものを疑った。

 もしこの場にビトが出ていたなら、同じような反応を示しただろう。

 黒髪黒瞳、顔立ちから肌の色まで、確かに日本人と言われて疑う者はいないだろう。

 だが、その姿が有には――

――家で留守番をしているはずの使い魔少女の容姿を、日本人風に置き換えたようにしか見えなかった。


「……軽くでいいから、自己紹介して」


 亜里葉に促され、転校生の口が開き、


「はじめまして、伏戸(ふしと)(めい)と言います。日本の学校は初めてなので、ご迷惑をおかけすることもあると思いますが、よろしくお願いします!」


 硝子の鈴のような、聞く者を魅了する――そして有にとってはこの半日で聞き慣れた――声で言葉を紡ぐと、ぺこりと頭を下げた。


「……冥。伏戸、冥……」


 そして黒板に書かれた名前を見て、有はあることに気付く。


 伏戸冥→メイ・フシト→メフィスト


「ダジャレかよっ!」

「……どうしたの、北部くん?」

「あ、いや、何でもないです」


 思わずツッコミを入れ注目を集めてしまった。


「……あぁ、ちょうど北部くんの隣が空いてるから、伏戸さんはあの席を使って」

「へ?」


 言われて気付けば、確かに有の隣だけ誰も座っていなかった。


「……本当は今日休みの子の分の席だから、日直の子は後で新しい机を持ってくるの手伝ってね」


 そして言われた通り、有の隣の席の前に立ち、


「えっと、よろしくお願いしますね?」


 悪戯が成功したように笑う少女――冥に対して、


「……おう」


 クラス中の男子から投げられる嫉妬と羨望の視線を無視して、有は短くそう答えた。

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