Alea iacta est - 7
「本っっっっっっっ当にっ、すみませんでしたぁあああああああ!」
普段通りの起床時間、眠り姫を揺り起こしての第一声。
「あ、あの、私っ、お手伝いするつもりが有さんを気絶させてしまって、あまつさえ有さんに寄りかかって寝てしまうなんて、なんとお詫びしたらいいか……!」
それにしても教科書に見本として載せたいくらい、惚れ惚れするような見事な土下座だった。
もっとも有は土下座の記載された教科書など知らないが。
「あー、うん。ほら、怒ってないから顔上げて。な?」
ただでさえ土下座される経験などないうえ、見た目が同年代の女の子、それもとびきりの美少女とあっては有も居心地が悪い。
「こっ、こんな失態を犯したなんて、かくなるうえはこの国に伝わる贖罪法、切腹を実践するしかありません!」
「せんでいい、せんでいい。っていうか君、どこでそんなの覚えたのさ?」
「それは……召喚の時に日本の知識を吸収しておいたのですけど、何か間違ってましたか?」
「間違ってたというか……うん、とりあえずいろいろわかった」
「?」
つまり知識先行で中身が伴っていないのだろう。日本かぶれの外国人っぽいと思っていたが、まさにその通りだった。
「とにかく、君みたいな可愛い子が土下座なんかしちゃいけません。こっちも変な罪悪感が芽生えてくる」
「かっ、可愛いだなんて……そんな……」
言われた通り身体を起こし正座した少女。その顔は逆上せたように真っ赤だ。
『……我が主。正直であるのは我が主の美点ですが、もう少しデリカシーというものを身に着けるべきかと?』
「あん? どゆこと?」
『……はぁ』
こういうことにはどこまでも鈍感な主人に、白狼は二重の意味を込めて溜め息を漏らした。
「さて、と」
台所に立った有は献立を確認する。
昨夜は急ぎだったので簡素になったが、今朝はある程度時間に余裕もある。
朝食用に二人分のストックがあるものを見繕っていると。
「あの、有さん?」
ひょこっと廊下から少女が顔を覗かせた。
「ん、どうした?」
「いえその、朝食でしたら、私が用意しようかと……」
「……ふむ」
少し考え込む。殊勝な心掛けだと思うし、素直に嬉しいのは間違いないのだが。
「確認しておくけど、権能で出そうとかそういう魂胆じゃないよな?」
「……ぎくり」
どうやら図星だったらしい。
「はぁ……別に怒ってるわけじゃないってのはさっき言ったけどさ。それでまた倒れるとかは勘弁願いたいんだけどなぁ」
「……ですよね。ごめんなさい」
しゅんと肩を落とす少女。
「確かに君がすごい悪魔なのはわかるし、使い魔として役に立ちたいっていう熱意は買うけど、それだけじゃ駄目だっていうのはわかってもらえる?」
「はい……そうですよね。考えなしでした」
しかしまぁ試験期間を宣告したのは有だし、それで焦っているだろうことも重々承知している。
なので。
「というわけで、はいこれ」
「……?」
有が少女に手渡したのは――
――銀色に光る包丁だった。
「おぉ……」
思わず驚愕の声が有の口からこぼれる。
「えっと……ど、どうですか?」
有の反応に不安を覚えたのか、そう尋ねる少女。
その正面に置かれたまな板には、綺麗に賽の目切りにされた豆腐があった。
「いやいや、充分だって。むしろ期待以上だ」
本音を言えば崩したり失敗する可能性が高いだろうと、いざというときのために有も後ろから様子を見ていた。
しかし、少女は模範的な持ち方で、迷いも危なげもなく豆腐を切り分けてみせた。
「これもインストールってやつのおかげ?」
「いえ……確かにそのお豆腐は初めて見ましたけど、これは……」
問われた少女自身、どうにも要領を得ないというか、うまく説明は出来ないようだった。
「ふむ、まぁいいや。それじゃ次は……」
「は、はいっ」
そうして数十分後。
「いただきます」
「い、いただきますっ」
テーブルには程よく皮に焦げ目のついた焼き鮭と小松菜の胡麻和え、豆腐と若布の味噌汁に湯気を立てる白ご飯が並んでいた。
誰が見ても純和風な朝の食卓だ。
「ちょっと薄味か……でもま、初めてなら上出来かな」
「あ、ありがとうございます!」
有の評価に少女がはにかんだ笑顔を浮かべる。
「けど、さすがに弁当まで用意する時間はなかったな……」
少女の技巧そのものは素晴らしいものがあったし、食材は把握こそしていたが献立やレシピを理解しているわけではない。
それを教えながらということもあって、どうしても有一人で作るよりも時間がかかってしまった。
「うぅ、ごめんなさい」
「あ、いや、責めてるわけじゃなくてだな。むしろこれなら夕飯も頼みたいかなと」
「え? 本当ですか!?」
「ほんとほんと」
『主、あまり褒めてばかりも如何なものかと』
昨日までは早朝のワイドショーを見ながら取っていた朝食が一人増えただけで賑やかなものになる。
そんな何気ないやり取りを楽しんでいるうちに、朝食はあっという間に片付いてしまった。
「あ、お皿洗っておきますね」
「おう。任せた」
皿を重ねて台所に運ぶ少女。その背中を目で追いながら。
「しかし霊子化出来ないとなると、どうしたものかね……」
新たに浮上した問題について思案する。
霊子化とはDSの中で待機するために使い魔が実体化を解除し、物質的質量を持たない姿になることだ。
朝食の準備中に聞かされたのだが、今の少女は強制的に顕在化した影響か、霊子化が出来ないのだという。
『留守番させる他ないでしょう。まさか学校に連れて行くわけにもいきますまい』
テーブルの下からビトの声。
「だよなぁ」
少女の姿が普通の人間なら、あるいはまったく人間のものでなければどうにかなったかもしれない。
だがあの藤紫色の髪というあまりに目立つ特徴がある限り、人間でないことは一目でばれてしまうだろう。
「DSのスキャンも普通に効くって昨日わかったしなぁ……」
現在まで、ヒト型に近い使い魔は【火焔霊】や【半蛇妖】などが確認さえているが、そのどれも怪物的で少女のように限りなく人間に近い使い魔は存在しない。今のところは、だが。
それだけでも珍しいのに、スキャンされてSSランクであることが露呈でもすればそれこそ学校の中だけでは収まらない大騒ぎになるのは目に見えている。
「まぁ今週は半ドンだし、我慢してもらうしかないよな……」
水音に交じって聞こえてくる軽やかな鼻歌に申し訳なさを覚えながら、有はどう説明するか考えるのだった。
「はふぅ……」
ソファに腰を下ろして、少女は憂鬱な溜め息をひとつ吐いた。
「そうですよね。目立っちゃいますよね、私……」
自分の長い髪を指で摘み、恨めし気に眺める。
有に言われたのは至極簡単で、要約すると『目立たないよう家にいること』、ついでに出来るのなら適当に掃除なども済ませておくことだった。
とはいえ、実を言えば少女も霊子化出来ないことに気付いた時点でこうなることは予想出来ていた。なので覚悟はしていた。していたつもりだったが……
「駄目だなぁ、私。なんでこんなに駄目なんだろ……」
自分の持つ力が、少なくとも現代になって生まれた人造の使い魔を凌駕しているのは理解している。しかしそれをまともに使えないどころか、あからさまに主人に迷惑をかけている。
そう思うとどうしても自虐的な考えが頭を埋め尽くすのだ。
それに、こんなことでは――
「なのに、有さんはこんな私でも……」
正直に言えば、有の考えていることが少女にはよくわからなかった。
どうしてこんな自分のことを、苦笑しながらでも面倒を見てくれるのか。
わからない。もしかしたら正式に契約して経路を繋いでいればわかったかもしれないが、それもない以上はどれだけ考えても本当のところは、やはりわからない。
ただ、それでも。
「どうやったらお役に立てるかなぁ……はぁ」
自分の中で『有の役に立ちたい』という想いだけは、まったく消えないのだ。
むしろ、時間が経つほどに強くなっているような気さえする。
――と。
「あら?」
そんな考え事をしていると、不意に備え付けの電話が鳴りだした。
「え、えっと、出ても大丈夫なのかな?」
留守を預かってるとはいえ、自分がここにいることを知ってるのは有と、あとは昨日電話していた有の母親くらいだろう。
目立つなと言われている以上、不用意に出るべきではない。居留守を使うのが正解のはずだが……
「……はい、北部です」
そう思っているはずなのに、どうしてか少女は電話を取っていた。