Alea iacta est - 6
「あ……」
目を覚ますと、有は見慣れた自室のベッドで横になっていた。
「あれ? 俺いつの間に……」
寝ていたのか。そう言いかけて自分が倒れたことを思い出した。
「ん、と?」
意識がはっきりしてくるに連れて腹部に布団以外の重さを感じ、上体を上げて見下ろす。
「すぅ……すぅ……」
そこには、ベッドに寄りかかって寝息を立てる藤紫の髪の少女。
『目が覚めましたか?』
「ビト。あぁ、もう大丈夫」
主人を見上げる白狼の顎を安心させるように撫でる。
「ごめんな、心配かけて」
『いえ。倒れた時は驚きましたが、大事ないとは思っていましたので。……無論、万が一を考えてお側に控えてはいましたが』
「それは、この子も?」
首肯する使い魔。
『不完全といえど繋がりがある以上、無事だということは理解しているでしょうに、つい半時前までじっと主を見つめていましたよ』
時計を見れば、深夜二時手前。有が倒れたのが七時頃だったことから逆算すると、六時間以上そうしていたことになる。
「……ありがとうな、二人とも」
有が倒れた原因とはいえ、いや原因だからこそ責任を感じてもいたのだろう。
寝息を立てる少女を起こさないように注意を払って、その頭を優しく撫でた。
「一応聞いておくけど、あんまりキツいことは言ってないよな?」
自分の預かり知らぬところで使い魔たちの中が険悪になられても困る。
『そこはご安心を。今回は事故のようなものでしたし……あの世界が終わるかのごとき顔を見てそれ以上責め立てるほど小生も鬼ではありません』
「鬼じゃなくて悪魔だしな」
軽口を言って、しばらく撫で続けていると心なしか少女の寝顔が穏やかになった気がした。
『……我が主。従者として過ぎた真似であることを承知で進言しますが』
「うん?」
『その、メフィストフェレスと名乗った少女。我が主といえど手に負えるものではないかと』
「……ちなみに、理由は?」
『悪意がないことはわかります。我が主が認めた以上、言動に虚偽もないのでしょう』
ですが、と区切って。
『我が主ですら制御しきれない、その存在の大きさが問題なのです。どんな名車だろうと、ブレーキが機能しないものに乗ることは自殺行為です』
なるほどこの白狼の言い分にも一理ある。
今の少女は有から想いを引き出す適切な配分がまるで出来ていない。欲しいのはコップ一杯の水なのに蛇口を全開まで開いているような状況だ。
「いや、原因は俺にもあるのか」
余りにも大きい有の願いが、ほんの少し蛇口を捻っただけで普通の全開に等しい量を吐き出しているということもおそらくはあるのだろう。
どちらにせよ、今の二人は互いにその実力を持て余し、その負担が有に還元されているわけだ。なまじ使える力が強いのが問題に拍車をかけている。
『なんにせよ、小生としては早々に彼女との契約を破棄すべきかと』
「……あのさ、ビト」
直接答えはせずに。
「ビトはさ、俺の本当の願いを知ってるだろう? なら、俺がそれを聞いてなんて答えるかも、だいたい予想出来てるんじゃない?」
『おっしゃる通り。ですが先程も申しました通り、世の中には万が一というものもあります』
「……本当、俺には勿体ないくらいよく出来た使い魔だよ、ビトは」
白狼も理解している。主人が何に重きを置いているのかは。
それでも、言っておくことで変わる何かも確かにあると。
「俺だって考えなしだったわけじゃない。リスクは承知で、そのための一週間だ」
まさか契約して数分で問題が露呈するとは思っていなかったが、むしろ早く見つけられて良かったと前向きに捉える。
「それに、ビトだって最初は俺のこと気絶させただろ?」
『む……返す言葉もありませんな』
それほどに、権能の初使用は難しいのだ。
最重要はキャパシティの有無。だが願いを提供する際に生じる精神的負担、これも使い魔を使役する上での注意事項であり、こちらの抵抗力は人によってあまり差がない。
こればかりは主人と使い魔、双方が制御に慣れるまで経験を積む他ない。
「だからさ、もうちょっとだけ様子見てやろう……っていうのは俺のワガママかな?」
使い魔はしばらく無言で。
そして、諦めたように溜め息。
『はぁ……わかりました、それが主の希望であれば。位階はあちらが上でもここでは小生が先輩。後輩の面倒を見るのも役目でしょう』
「悪いな、いつも付き合わせて」
『夕方にも言いましたが、もう慣れました。我が主はそういう御仁で、それでこそ我が主です』
「はは、褒め言葉として受け取っとくよ」
話も纏まったところで、少女を起こさないよう慎重に抱き上げ、隣の客間のベッドに横たえる。
それが済んだところで、もう一眠りしようと布団を被った。
「それじゃ、おやすみ。……ところでビト」
『何か?』
「ひとつ気になってたんだけどさ。もしかして夕方に芸させられたりもふられたの、実はけっこう根に持ってたり?」
『………』
普段は正直な従者が、この時は無言を貫いた。