Alea iacta est - 5
「え? だって有さん、そんなに強い願望を持ってるのに?」
「っ」
背筋が凍った。
――コイツハ、イマ、ナンテイッタ?
「……それはどういう、ことかな?」
努めて冷静を装って、そう訊き返す。
「えっと、まだ契約が不完全なので細かい方向性まではわかりませんけど、有さんが凄く強い願いを抱いてるのは今もはっきりと感じてますよ」
「……そっか」
契約が不完全で助かった。
もしもそれまで暴かれていたら――
――有が既にこの少女を受け入れる気でいることがばれてしまうのだから。
それはさすがにこっ恥ずかしい。こう、男のプライド的に。
「それで、有さん」
少女が居住まいを正す。
「もしよろしければ、私を有さんの使い魔として、契約していただけないでしょうか?」
軽く頭を下げる。
その表情は、何よりも本気で。
その言葉は、どこまでも真摯で。
「……ひとつ、確認するけど。俺なんかでいいのか?」
「はい。あの時聞いた喚び声、感じた『この方に仕えよう』という想いを私は信じていますから」
……あぁ、駄目だ。
悪魔も魂を、人格を持つ生物で、状況によっては嘘を吐くことがあることは、有も理解している。
しかし、本来的に純粋な想いの結晶であるがゆえに。
愚直なまでに本心をさらけ出した時、その真っ直ぐな想いの伝わり方は人間の比ではない。
そして、誰よりもヒトの本気に鋭い有は。
「……わかった、君がそこまで言うなら」
思うことはある。具体的な今後の方針があるわけでもないし、実際色々と問題も起きるだろう予感はある。
しかし、それが何だというのだ?
「本当に!? ……っ、有り難うございます!」
今にも踊り出しそうな勢いで、ほんの少しばかり涙目になって喜ぶ少女。これほどの決意を、そのいろいろな問題というのは踏み躙るほどの価値はあるか?
有はそう結論付けた。
最初から最後まで、少女は有の使い魔になりたいと心から願っていた。であるならば、有にとってそれ以外のあれこれは正直どうでもいい。
それこそが有が物心付いた頃からの信念、いや存在理由なのだから。
「ただし!」
「はいっ!」
有の言葉に少女はソファの上に正座する。顔は間違いなく白人系なのにどうにもいちいち挙動が日本人くさい。
「一週間。まずは一週間様子を見て、うまくやっていけるかを確認する。それでいいか?」
正直に言って、これは建前のようなものだ。
現状、曖昧な点が多い有と少女の関係を互いに見定めるために時間が必要だと判断したうえでの、一週間。
「はい! つまり試験ということですね! ちゃんと有さんに認められる使い魔になれるように頑張るので、ふつつか者ですがよろしくお願いします!」
そんな有の考えを知ってか知らずか、両手を胸の前でぐっと握り、少女はやる気を示す。
その姿はやはり名高い大悪魔というより、見た目通り有と同年代の女の子のそれだった。
「うん、よろしく。あとふつつか者は使いどころ違うから」
言って、右手を差し出す。応じて握り返す少女の手は柔らかく、ほのかに暖かかった。
「あ、でも契約は不完全なんだっけ? このままで大丈夫?」
「うーん……さっきも言いました通り、有さんの願いの種類はわかりませんけど私でも不都合しないくらい、いえ殆ど全力に近いくらいの供給はあるので、このままでも大丈夫です」
少し残念そうではあったが「でもこの方が、ちゃんと契約出来た時の楽しみが増えますよね?」と前向きに捉えたようだった。
「ビトはどうだ? 辛かったりしないか?」
『いえ、前と変わりなく。さすがは我が主』
サイズこそ落としているが【大氷魔狼】の姿のままでそう言うのだから、本当に問題ないのだろう。ビトは主人思いな使い魔だが、決して嘘は言わない。
「しかし、俺の願いってどんだけ強いんだよ……」
自分に呆れながらそう呟く。
「私も驚きました。だって普通に実体化するはずが、顕在化までしてしまいましたから」
「……それってどう違うんだ?」
「ええとですね。実体化というのはそこにいるビトさん? みたいに、物理的に干渉出来る状態のことです。DSでしたか、その端末で生まれた悪魔はそれを基本状態に設定しているみたいですね」
「なるほど」
「それに対して、顕在化というのは肉体を持った生物として形を成すことです。必要なエネルギーが膨大なので、それだけのキャパシティを持つ上級の悪魔にしか出来ませんけど」
「……なぁビト。お前も出来る? その顕在化ってやつ」
最上位と目される自分の使い魔に尋ねる。
『いえ。試したことはありませんが、小生では不可能かと。全力をかけても器を……そうですな、三割作った辺りで消滅するでしょう』
即答だった。
「えーっと、ちょっとごめん」
使い慣れた方のDSを起動し、使い魔のステータスを読み取るアプリを開く。
カメラ越しに少女を映し、標示されたのは――
「……はは。世界って広いわ、マジで」
乾いた笑いが自然と漏れる。
アプリが判定した少女、メフィストフェレスのランクは、SSランク。
Sですら公式に確認されていない、というか存在すること自体今知ったというのに、更にその上のSSときたら笑うしかないだろう。
「あぁ、そうか」
そこでようやく、少女が空腹に倒れた理由がわかった。
「想定外の身体なんか作ったから、その反動か」
「あう……その節はご迷惑おかけしました」
白磁のような顔が真っ赤に染まる。
「そ、それでは! 使い魔としての第一歩に私の権能をお見せしちゃいます!」
芝居がかった口調で立ち上がると、有の前に置かれた皿を指差す。
一度も口にすることもなく、その炒飯はすっかり冷めきってしまっていた。
「今からすっかり冷めてしまった有さんのご飯を、元通りの熱々にします」
「ん、それって温めなおすってことか?」
しかしそのくらいなら、炎熱系の使い魔でも火力を調節する技量があれば難なく出来るはずだ。
「いえいえ。本当に元通りにまで時間を巻き戻すんですよ」
「……はい?」
思わず訊き返してしまった。
確かに使い魔の権能は人間の技術に比べれば魔法のようなことも可能だが。
時間干渉、それも巻き戻すとなると有ですら聞いたことがない。
「先程は説明しそびれましたけど、『この世すべての快楽を満喫したい』という願いには、そこから派生して『それを成すだけの無限の時間が欲しい』という意味も含まれているんですよ」
よって、メフィストフェレスという悪魔は時間を止め、さらには巻き戻すことをも可能にする。
さすがに世界のすべてを巻き戻すようなことまでは出来ませんけど、と補足される。
「ふむ。ならせっかくだし、ちょっと見てみたいかな」
「はい! それでは、是非ともご覧下さい」
右手を広げ、皿に向ける。
それまでの笑顔が消え、真剣な表情を浮かべる少女を燐光が包む。
その姿は、悪魔である少女にとって褒め言葉にはならないかもしれないが。
とても神々しく有の目には映った。
――tunc adfuisses
聞き慣れない言葉を小さな口で紡ぐ。
瞬間、わずかに紫電が走り。
「……ふぅ。これで完了です!」
「え? 本当に?」
もっと派手な演出を予想していた有は半信半疑でスプーンを手に一すくい、口に運ぶ。
「……マジか」
間違いなく冷めていたはずの炒飯が、作りたての熱を取り戻していた。
「えへへ、驚きました?」
「あぁ、驚いた。こんなの見たことな、い……ぞ?」
言いかけて、有の視界がぐらりと傾いた。
(あ、この感覚……)
確か、初めてビトの権能【凍焔の息吹】を使った時もこんな感じだったか。
想いが渇れ果てたわけじゃない。ただ、普段と違う使い方をした精神的な疲労が想定外に多かったことによる、言ってみれば筋肉痛のようなもので。
「有さん!?」
『我が主!?』
慌てて駆け寄る使い魔たちを心配させまいと、「大丈夫、だ」と声を振り絞ったところで有の意識はぶつりと途絶えた。




