Alea iacta est - 4
基本的に有は自炊派なので、たまに気が向いた時以外カップ麺やレトルト食品の類は買い置きしていない。
フライパンを温めている間にベーコンを小さく刻み、投入。
軽く火が通ったところで冷凍のミックスベジタブルを入れ、直火で解凍する。
冷凍保存していたご飯もフライパンで温めながらほぐし、ある程度パラついたところで溶き卵を絡めながら強火で一気に炒める。
最後に醤油をフライパンの縁から少しずつ垂らし、塩コショウで味を調えれば完成だ。
一〇分とかからず、二人分の炒飯が出来上がった。
「ほら、出来たぞ」
ソファに寝かせていた少女の前に、スプーンを添えた炒飯を置く。
ちなみにビトは定位置のテーブルの下で丸くなっている。少女に好き放題もふられたからかわずかに疲れた表情をしている。
「!」
匂いに釣られたのか、がばっと起き上がった少女は勢いよくスプーンを手に取り。
「……いただきます」
「あ、そこ日本式なんだ」
両手を合わせて頭を下げる姿に思わずツッコんだ。
「あむ……もぐもぐ」
目を回して倒れるほどに空腹だったわりには行儀よく、小さな口でゆっくり噛み締める。
「どうだ? 急ぎだったし、好みもわからなかったから味は俺流だけど」
「………」
答えはなく、少女は変わらず咀嚼し続け。
つー、とその頬に涙が伝った。
「!?」
「……美味しい。美味しいです、本当に」
「お、おう。なら良かった……」
一瞬気が気でなかったが、問題があったわけじゃないらしく、心の中で安堵する。
しかし、料理の腕はそれなりに覚えはあるが泣かれるほどとは……
「それで」
しばらく自分の分には手を付けず、少女が美味しい、美味しいと繰り返しながら食べている様子を眺めてから、有は切り出した。
「まずはその、ごめんな。いきなり召喚したりして」
半ば愛美に嵌められたとはいえDSを起動したのは有であるのだから、そこは素直に頭を下げる。
けれど、少女はきょとんとして。
「? どうして謝るんですか?」
「どうしてって……特に用もなく喚び出されて、怒ってないのか?」
「あぁ、そういうことですか」
うーん、と少女は顎に指を添えながら、少し考え。
「でも、私は確かに喚ばれて、それに応えようと思ったからこうしてここに来ましたし、無理矢理じゃないですよ」
だから怒ってなんかいません、と少女は言いきった。
「って言われてもなぁ」
あの時有は何か意図したわけでもなく、殆ど無意識だった。
つまり、セオリーに沿うなら有の一番強い願いに引かれたことになる。
「一応確認だけど、君、悪魔なんだよな?」
「そうですよ。メフィストフェレスってご存知ないですか?」
「いやそれは知ってるけど」
少なくとも、有の中にあるかの大悪魔のイメージと、目の前の少女に抱く印象は一致しない。
ついでに人の願いをエネルギーに変える悪魔が食事を要することも初耳だ。
「あ、忘れてた。俺の名前は北部有。有でいい」
「はい。では有さまと」
「……せめて有さんくらいにしてくれ」
簡潔に自己紹介も済ませ、有は一番気にしていたことを単刀直入に問うことにした。
「召喚してしまったものはしょうがない。その代償に、君が望んでいるのは?」
現代の使い魔を見ていると忘れそうになるが、悪魔と契約者の繋がりは基本ギブアンドテイク。
そしてこの場合に求められるのは有の願い、欲望という想いだ。
まだ召喚したに過ぎないのでそこまで精神力を使うはずはないが、それでも何を言われてもいいように覚悟を決めた。
しかし。
「何でも、ですよ」
少女の返答は、有の覚悟の斜め上を行っていた。
「……何でも?」
「はい。何でもです」
「いやいや、さすがにそれはないだろう」
悪魔は基幹願望――自身を構築する原初の願いしか扱うことが出来ない。多少のズレなら許容範囲だとしても、何でもというのはそれこそいくら何でも有り得ない。
「えーっと。ちゃんと説明しますと、私の基幹願望は『この世すべての快楽を満喫したい』なんです」
「そりゃまた、大それた願いで」
何か特定のモノに対する執着でなく、知るもの知らぬものすべての快楽と来た。
そんなことを願うのは日々を生きるのにも精一杯な生物には出来ない。可能なのは人間、それも満たされた生を許されたごく一握りに限られる。
「そこから転じて、メフィストフェレスという悪魔の権能は『求められればどんな願いにも応じることが出来る』なんですよ」
心なしか得意気に少女はそう締めくくった。
「……なるほど、そりゃ確かに何でも、だわな」
一方で、新たに疑問も生まれたが。
「あ、付け加えておきますけど、有さんがそんな願いを抱いてるわけじゃないですよ」
「へ?」
今まさに感じた疑問を即座に否定された。
「いやでも、それだと矛盾しないか?」
つい数分前、この少女は間違いなく有が少女を喚んだと言った。
しかし今、有は少女の糧となる一番の欲望を持ってはいないとも断言した。
「それは……あれ? 言われてみたらそうですよね?」
当の少女自身がその矛盾に気付いていないようだった。
「でも、間違いなく私は有さんの声が聞こえて、それで思ったんです」
――この人に、仕えて欲しいと思われたい、と。
「……つまり」
頭をがしがしと掻いて、ひとつずつ状況を整理し。
「君は俺の喚び声を聞いて、使い魔になる目的で……いや違うな。使い魔として求められたくてここに来たと」
「はい!」
満面の笑みで頷く少女。だが、有は内心頭を抱えた。
少女の言い分は本人が気付いているかはさておき、論理が破綻している。自身を求める声を聞いたから、自身を求められたくてやって来た。誰でも一目でわかるほどに時系列が滅茶苦茶だ。
しかし有が困惑したのはそこではなく――むしろ、その矛盾がどうして発生したのかに心当たりがあったからだ。
ちら、と少女を見る。
悪魔らしくない、無邪気な笑顔。少なくとも『有に仕えたい』という言葉に嘘や誤魔化しは間違いなくないと断定する。
そのため、この件は一度保留することにして、もうひとつの問題を伝える。
「……しかし困ったことに俺、悪魔に契約してまで叶えて欲しい願いがないんだな、これが」
母親の職業上、金銭的に不自由はしていないというか少なくとも中流以上の家庭だと自覚している。勉強も運動も人並みで成績も中の上。部活は万年帰宅部で、友人は……まぁ親しい相手となると二人しかいないが一匹狼を気取っているわけでもなく、教室で孤立もしていない。
勿論のこと、身の丈を外れた願望があるわけでもなく、将来は適当に進学して母親と同じ機械技師にでもなろうかという平凡な人生設計をしている。
しかし、それを聞いた少女は心底不思議そうに小首を傾げ――