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Ultima ratio - 7

「有さん……!?」


 白狼の背の上で冥は目を丸くした。


「なんで……逃げてって言ったじゃないですか!」

「……ばーか」

「あいたっ!」


 冥を支えながら、その額に軽くデコピンする。


「なっ、なにするんですか!」

「そりゃこっちの台詞だって」


 ずしりと着地の振動が伝わってくる。

 ようやく安定して振り返った冥は、有が不機嫌そうに眉をしかめていることに気付いた。


「まず冥な、俺が逃げろって言われたから家族(めい)を見捨てて逃げ出すような腰抜けだと本気で思ってたわけ? もしそうならわりと傷付くぞ?」

「そ、それ、は……」

「それに、なんだあの爆発。俺が間に合わなかったら今頃地面に落下して、潰れたトマトより悲惨なことになってたろうな」

「あ、あぅ……」


 返す言葉もなく、しゅんと縮こまる。


「それから――」

「ま、まだあるんですかぁ?」


 次はどんなお叱りかと身構える冥を。


「――無事で、良かった」


 優しく、それでいてしっかりと抱き締めた。


「え……ゆ、有さん!? これは……」


 あわあわと、顔を赤らめて慌てふためく冥。


「……あんまり、心配かけるな。馬鹿」

「あ……はい……」


 放物線を描く冥を見た瞬間、有は心臓が止まるかと思った。間一髪助けられたから良かったものの、間に合わなかった時のことを想像すると背筋が凍る。

 だから冥を受け止めた時に涌き出た『冥の存在を確かに感じたい』という想いが、もう抑えきれなかった。


「ごめんなさい……」

「もう無茶しないか?」

「はい、絶対しません」

「絶対だな?」

「有さんの信頼に誓って、必ず」


 わずかに震えているその背中を、冥は腕を伸ばして優しく撫でた。


「……さすがにそう露骨にいちゃつかれると、頭に来る前に呆れますね」


 頭上からの声。見上げると氷室とその使い魔が屋上から冷徹に見下ろしていた。


「はっ。ならこっちに来て異性不純交遊だー、とでも指導したらどうです? 氷室センセイ?」


 敢えて挑発的な物言いをする有。


「ふむ……」


 ちらりと結界を、そして八割がた壊された中心部を見る。


「そうですね。ならば教師らしく生徒を注意しましょうか」


 もはや修復は不可能だと判断すると、【霊軍】の一体に捕まって地上へ降りる。


「まったく。君たちのおかげで折角の予定が台無しですよ」

「よく言う。ほとんど他人任せだったくせに」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。遠阪くんに気付かれないように細心の注意を払いながらその考え方を誘導するのは、それはそれは骨でして……」


 今までは薄ら笑いを浮かべ続けていた氷室の顔が。


「……本当に、ムカつくガキだよテメェらはなぁあああっ!」


 怒りに目を見開き、捕まっていた【霊軍】を投げ放った。


『むっ!?』


 ビトが一息で凍らせる。また罠かと警戒していたが、特に何も起こらなかった。


「カカッ。っとにその狼は厄介だなぁオイ?」

「……今までのすましたキャラ付けは演技だったのか?」


 豹変した氷室と距離を取らせながら、有が尋ねる。


「演技ィ? ……ふふ、それは違いますよ北部くん」


 野獣のように攻撃的な表情が、再び元の笑顔に戻る。


「私はね、昔から自分が目立つ気はこれっぽっちもないんです。目立つなんて――大した見返りもなく、無用な責任と重圧に晒されて擦りきれていくなんて、こちらからお断りです」


 また、その口を大きく開いて。


「だがオレぁオレ以下のクズどもに仕切られるのも我慢ならねぇ! だからこう願ってたのさ! 『影のように後ろから、凡百を支配する男になりてェ』ってな!」

「そうか、それで……」

「……えぇ。その結果が【扇動者(かれ)】であり、この二重人格じみた性格のスイッチングです。ついでに言えば、教師になったのも生徒に私の思想を植え付けて、私が直接指示せずともある程度意図通りに動く傀儡が欲しかったからです」

「最低のクズだな」


 その思想を、有はばっさり切り捨てる。


「理解してもらう必要はありませんよ。私も君のように真っ直ぐな、自分を切り売りしてでも他人を助けようとする人間は理解出来ませんから」

「そうかい。なら話は早いな」


 冥の手を引いて白狼の背を降りる。


「痛っ」


 着地の瞬間、脚の痛みに冥は顔を歪める。


「大丈夫か?」

「はい……」


 頷くその顔には汗が伝っている。


「どうも、そちらは満身創痍……とまではいかなくとも、それなりに疲弊しているようですね」

「否定はしない。けど、そいつ一体くらいならわけないな」

「ふむ……」


 確かに結界は既に吸収が停止し、新たな【霊軍】の製造も止まっている。


「では、私も本気を出しましょうか。計画を潰された恨みもありますし」


 そういう氷室の手には、DSが握られていて。


「人を襲う使い魔……やっぱりそれ、DSiか」

「おや、よく知ってますね」


 DSの機構(システム)は未だ部外者に解析されておらず、特に最深部のリミッターに関しては完全に手付かずで、人為的な解除はそれこそ愛美にしか出来ないだろう。

 しかし、適当に機構の一部を破壊して、結果的にリミッターなどに影響を及ぼす場合がある。

 どんな結果になるかはやってみるまでわからないという不安定な代物だが、そうした改造を施したDSが裏で流通しているという都市伝説なら、有も耳にしたことがあった。

 それは『違法(illegal)』な、『存在しない(i)』はずのDS。そこからDSiと呼ばれている。


「偽物も多いですし大金を積みもしましたが、これがあってこそ今回の計画が実行に移せたと思えば安いものでしょう」


 そのDSに、結界を構成していたすべてのエネルギーが流れ込む。

 ぞわり、と背中に怖気が走る。


「先に潰せ、ビト!」

『――ッ!』


 即座に絶対零度の咆哮を放つ。

 しかし一歩遅く、氷室のDSから膨大な想いが渦をなして溢れ出し、【扇動者】を繭のように包み込んだ。


「これさえありゃあ、オレたちは何度でもやり直せる。が、そのためにはオレのことを知ってる奴がいちゃあ都合が悪い」


 だから、と氷室は腕を広げて哄笑を上げる。


「クハーハハハハハッ! テメェらまとめて、絶望に沈めェッ!」


 それを合図に、繭が弾けた。


『………』


 その姿は依然として一つ目の影法師で、これといって変化はない。

 その影が、緩慢な動作で、右手を天に伸ばす。


『……来イ』


――校内に未だ残る、一〇〇を越える【霊軍】が。


『来ォオオオオオオオオオイッ!』


 統率者の号令に馳せ参じ――


「これは……」


 その変貌に、冥は目を見開いた。


『グギュガァアアアアアアア――――!』


 ()()が、吼えた。

 有とそう変わらなかった背丈はビトに匹敵する巨躯に。

 丸太のような太い腕は、鋭い爪の生えたものと、長くのたうつ触手のようなものが一対ずつ。

 蹄を持った脚は踏み締めたグラウンドの土を抉り、その後ろでは蠍の尾が忙しなく揺れている。

 蜥蜴に似た双つの頭には小さな牙が並んだ口が切れ込みのように開くだけで、その他のパーツはない。

 その首の付け根で、どこまでも昏い夜の帳色の一つ目が有たちを凝視していた。

 無数の【霊軍】が融合した怪物。その繋ぎ目からは炎や雷が絶えず吹き出し、一部は鋼鉄のように硬化している。


「【名を秘すべき虚影の獣(デモゴルゴーン)】……これが私の使い魔の、真の姿です」

「無茶苦茶だな、おい……」


 DSを通してそのランクを確認する。表示された位階は、()ランク。


『………』


 見るまでもなく、その重圧を肌で感じていた白狼は油断なく有たちを庇うように陣取る。


「では、始めましょうか」


 氷室が指を弾き、影の魔獣が地を蹴った。


『シャアッ!』

『ぬうっ!』


 一飛びで肉薄され、放たれた強烈な右ストレートを白狼は右前脚で弾く。


『ぐっ!?』


 迎撃した瞬間、脚に鋭く痺れる痛みが走り、反応が遅れる。


『ガァアアアッ!』

『が……はっ』


 その隙を見逃さず放たれたアッパーが、白狼の顎を捉え、勢いのままに吹き飛ばす。

 スピードだけでなく、その拳は鋼のように硬く、そして【大氷魔狼】が纏う冷気の防壁を以て軽減出来ないほど熱い。


「ビト!」

『こ、の……っ!』


 空中で体勢を整え、着地と同時に【凍極の咆哮】を放つ。


『ギヒッ』


 しかしその一撃も、触手の一振りで弾き飛ばされてしまった。


『ちっ!』

「ビト、【凍風の牙渓(フリーズバイト)】!」


 有の指示で空中に無数の氷の刃を形成する。


『砕けろォ!』


 白狼の咆哮に合わせて氷刃が隙間なく降り注ぐ。


『グォオオオオオオオ――!』

「な――」


 怪物は真正面から目にも止まらぬ速度で二本の鉄拳が氷塊を的確に打ち落としていく。

 すべてが終わった時、その拳は雷炎を纏っていた。


(なるほど。理屈は違うけど冥と同じ『あらゆる願い』か……)


 この学校にいる約八〇〇人分の願いを融合させた【語るべからざる虚影の獣】。その振るう権能も単純に八〇〇種類あって不思議ではない。

 さらにそれらを組み合わせることで、威力を増幅させ攻防に用いる。こちらがどんな攻撃をしても適宜有利な権能で対処される。


『ゼアッ!』

「有さん!」


 振り回した触手が風を切り、そのまま真空の刃になって有たちを襲う。

 八つ裂きになる直前、有を抱え上げた冥が大きく跳躍。回避にこそ成功したが着地の衝撃に冥が顔を歪める。


「ぐ――」

「大丈夫か!?」

「……っ、はい」


 気丈に笑ってみせるも、その額は滝のように汗が流れている。


「くそっ、どうしろってんだ……」


 立ち上がり、こちらを睥睨する怪物を睨み返す。

 今あの使い魔はあくまで一時的に強化されている状態で、その性質上時間経過での弱体化は避けられない。

 しかしそこに至るまで具体的にかかる時間までは予測出来ず、その間手負いの三人で耐え続けられるかもわからない。


「……有さん」


 八方塞がりに苛立ち、握り締めたその手に冥がそっと触れる。


「私が行きます」

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