Ultima ratio - 4
(――冥、まず今の状態でどれくらい不自由なく動ける?)
(そうですね……何もしなければ二時間、権能を使うことを考えるなら三〇分くらいだと思います)
職員室の隅、書類棚の陰に身を潜めながら、有の問いかけに答える。
視線を移せば昏倒した生徒や職員の上を、数体の【霊軍】が浮遊しているのが見える。
(この結界、冥の見立てだとどういう原理かわかるか?)
(そうですね……)
深く息を吸い、悪魔として生来持ち合わせた感覚を鋭敏にする。
そうすることで不可視である想いの流れを肌で感じ取る。本来ならば大河のように泰然と流動するそれが、今はこの結界によって塞き止められ、好き勝手に作られた支流から手当たり次第に汲み上げられている。
さらに感覚を学校全体にまで広げることで、その構造をつぶさに把握していく。
この非常時には貴重な五秒ほどの時間を使って――
(……わかりました。この結界、学校中に配置された専用の【霊軍】を要石にして発動しているみたいです)
中でもそのひとつは、今冥が隠れている場所からほんの数メートルの場所にあった。
(すごい、こんな使い方を思い付くなんて……)
理屈としては、悪魔なら必ず有する想いを吸収する機能に完全に特化させた【霊軍】を、ある特定の位置に配置しその機能を共振増幅させることでこの結界は成り立っている。
ただし、そのためには本来全く別種の下級悪魔がより集まっているにすぎない【霊軍】を完全に支配下におく才能が必用になる。少なくとも冥が真似しようと思って出来るものではない。
内容こそ外道の所業だが、その発想と運用には悪魔として感心せざるを得ない。
(で、それを崩すことは出来るか?)
(出来ます)
はっきりと答える。
(それに出来る、出来ないじゃないですよね? これを崩さないとみんなも助からないんですから、やるかやらないか、です)
有の置かれた状況は断片的にだが念話の応用で把握している。
今、有たちと対峙している【扇動者】を強化し、有たちに負担を強いるこの結界を解除しなければいずれジリ貧で押し潰されてしまうだろう。
それだけならまだしも、強制的に想いを吸い取られている生徒たちは、精神的なダメージも無視出来ない。
ならば四の五の言う前に、とにかく動き出さなければ。
(よし。なら俺も根性見せるから、バックアップは任せておけ)
(それは最後の手段ですけど、頼りにしてますね)
しかし、ただでさえ有とビトは矢面に立って闘わなければならないのだから、冥は自力で頑張らなければと気合いを入れる。
(……それじゃあ、任せたぞ)
(有さんもお気をつけて。すぐに終わらせますから)
念話を終らせ、改めて一番近くにある要石を確認する。
そこに至るには今隠れている場所を出なければならず、必然他の【霊軍】の前に飛び出すことになる。
「……よし」
意を決して、ポケットから取り出した結晶のひとつを握り締める。
――Dum loquor, hora fugit.
願いを乗せた言葉により、冥を包む極小範囲の時間が加速し、相対的に周囲の時間が止まったように見えるほど停滞する。
こうして【霊軍】に気付かれることなく要石に近付き――
「え?」
早足で予定の三分の二ほど歩いたところで、【我が時ノ計は疾駆する】が突然解除された。
「な――」
驚愕からその場に立ち尽くしてしまった冥は、当然【霊軍】に発見されてしまう。
『シャァッ!』
「くっ!」
伸ばされた呪腕をすんでのところで倒れるようにかわす。
(そんな! まだ余裕はあったはずなのに!)
しかし握っていた手を開くと、結晶は表面に無数の罅が走っている。かと思えば、開いた時の振動によってか砂よりも細かい粒子に砕け消滅した。
それを理解する暇を与えず、三体の【霊軍】が冥を取り囲み呪腕を射出する。
「――ッ!」
ただ脚力を強化して大きく跳躍。着地を考えない逃げの一手により呪腕こそ回避したものの、机に思いきり激突した。
「い……ったぁ……」
痛みを無理矢理捩じ伏せてすぐに起き上がる。幸いにも外傷はなく、動き回るのに支障はない。
「こ……のっ!」
目の前の空間を歪めることで攻撃を反らす。しかし咄嗟のことで干渉が弱かったにしても、一秒と保たず歪みは復元してしまった。
(やっぱり……)
どうやらこの結界の中では、他の権能による因果の歪みは強制的に修正されてしまうようだ。
これが例えば【凍焔の息吹】のように、因果の歪曲自体は一瞬でその後に結果が残るタイプであればまだ闘いようもある。
しかし冥の使う権能は、どれも原則的に因果を歪め続けることを前提としている。つまり単純に権能を使うだけでは、ダメージを与えられないどころか無為に消耗するだけだ。
「なら……」
さらに後ろへ跳び退き、新しい結晶を取り出す。その右手を前に突き出しながらイメージする。
(時空間の干渉じゃ駄目……今必要なのは、攻撃の手段……)
冥の権能は時間干渉。しかしそれだけではない。
――メフィストフェレスという悪魔の権能は『求められればどんな願いにも応じることが出来る』なんですよ。
ぶっつけ本番は仕方がない。それゆえ少しでも安定するように、イメージを使い慣れた『時間』から広げていく。
(時間……流れるゆくもの……)
その隙を見逃すはずがなく、【霊軍】がより勢いよく必殺の呪腕を吐き出した。
(……川の流れ……水……これでっ!)
恐怖に飲み込まれないように、ギリギリまでイメージを練り上げ、願いの祝詞を編み上げる。
――Eunt anni more fluentis aquae.
因果が歪み、そこに本来在るはずのない水が生まれ――
「【煌濤の銛戟】――っ!」
呪腕が冥に触れる寸前。
三叉に分かれた水の槍は神速で空を切り、過たず【霊軍】の中心を貫いた。
『カ、ハッ――』
核を貫かれ、【霊軍】は空気に溶けるように消滅した。
完全に消え去ったことを確認して。
「……っ、はぁ……助かったぁ……」
緊張の糸が切れ、冥はその場にへたりこんだ。
「……っと、いけない。これで終わりじゃないんでした……」
呼吸を整え、今度こそ鈍い輝きを纏う要石の前に立つ。
それはもはや悪魔としての在り方すら失い、複雑な記号を組み合わせた魔法陣というシステムに成り果てていた。
「これを、こうして……っと」
上位の悪魔なら見ただけでわかるレベルのブービートラップを解除し、他の要石との繋がりに介入してショートさせる。
役割を失った悪魔は輝きを薄れさせ、音もなく霧散した。
「ふぅ……ひとつひとつの構造は単純ですね……」
言うなればこの結界は点描画のようなものだ。小さな点が集まって大きな絵を描くように、簡易な陣を組み合わせることで増幅させあい、こうして巨大かつ強力な結界として発現している。
だから全部を破壊せずとも、ある程度崩すことが出来れば機能停止に追い込むことが可能なはず。
「とはいっても、そう簡単にやらせてはくれませんよね……」
振り返ると、既に一〇近い【霊軍】が窓や壁をすり抜けて集まっていた。
とはいえこの展開は想定内。あれだけ暴れた上に相手が群体とあれば居場所を教えているようなものだ。
「有さんにすぐに終わらせますと言った手前、あんまり手間取ってもいられませんから――」
先程土壇場で得た感覚を反芻し、より純化したものへ高めていく。
時間を曲げるのに比べれば、何もない場所へ水を持って来る程度、児戯にも等しい。
「せやっ!」
言葉もなしに、気合いだけで再び水の槍を、さらに数を増やして射出。その全てが【霊軍】に直撃し風穴を開ける。
「全力でっ! 突破させていただきます!」
――三分後。
職員室には気絶した教師や生徒たちと、即死こそ免れたものの致命傷を受けて消えるのを待つだけの【霊軍】が数体転がるばかりで、冥の姿はなかった。




