Ultima ratio - 1
「おーい、こっち椅子足りねーぞ」
「あいよー、今持ってくー」
先日有たちが手入れしたパイプ椅子が体育館に並べられていく。壁は紅白の横断幕が掛けられ、少しばかり使い古された様子の式次第が掲げられる。
来週月曜日の入学式に向けての準備が、生徒たちの手によって着々と進められていく。
「ふぅ」
脇にみっつずつ抱えた椅子を運び終え、有は一息吐いた。
「ありがとう北部くん。こっちで並べておくね」
「おう、頼んだぞ」
舞花たち数人に預けて、辺りを見渡す。
体育館の中の準備は二年生のうち部活に入っていない生徒と、部の方で勧誘準備が済んだ生徒が担当することになっている。決して手際がいいわけでもないが、予定通りの時間には終わりそうだ。
――と、その片隅で。
「えっと、これを運べばいいんですね?」
「あー、伏戸さんはいいよ! これ女子には重いから!」
「あ、ありがとうございます……それじゃあこっちの幕を――」
「ほらお前ら! 俺が紐止めるからしっかり引っ張っとけよ!」
「「「応!」」」
「……えーっと、どうしましょう……?」
手持無沙汰そうに、冥が苦笑していた。
無論のこと本人にサボる気はないのだが、冥のポイントを稼ごうと気を遣ったり、いいところを見せようとして他の――主に男子――生徒が張り切っているため、仕事が回ってこないのだろう。
「何やってんだか……」
呆れてその様子を眺めていたが、右往左往するばかりの冥がだんだん哀れに思えてきた。
「よ。人気者も大変だな」
「あ、有さん」
有に声をかけられ、冥の表情がぱっと明るくなる。
男子の恨みがましい視線が一気に注がれるが、すべて無視。
「はい……皆さん頑張っているのに、私なにもしていなくて……」
「あー、気にすんなって。冥のせいじゃないから」
「はぁ……」
「それに、そろそろ休憩だろうし……っと」
ちょうどチャイムが鳴り、一〇分の休憩に入った。
出入り口が飲み物を調達しようとする生徒でごった返す中、有たちはステージ側からそれとなく観察していた。
「……今日は何も起きないといいけどな」
「そう、ですね……」
誰もいなくなったことを確認して、適当な椅子に座って昨日のことを思い返す。
「【霊軍】だっけ? 本当に昨日倒した奴で全部じゃないのか?」
「だと思います。昨日見た中に統率個体らしいものはいませんでしたから」
「しかし、あんな悪魔もいるんだな……」
冥の話すところによると、あの影の悪魔――【霊軍】は、全体に指針を示す統率個体を中心に実体化しかけの弱い悪魔が集まったものらしい。
DSの基準でいうなら、だいたいDとEの中間ほどと、一体一体はさほど強くはない。
『そんな相手に遅れを取ったとは……小生一生の不覚……』
それを聞かされたビトはひどく落ち込んでしまい、今日まで引き摺っているのか今朝からDSに籠りっぱなしになっている。
「しょうがないだろ。場所も悪かったし、あんなやつ見たことも聞いたこともないし」
という有のフォローも、大した効果はないようだった。
しかし、弱いからこそ群れることで自衛するという選択をした結果、互いの力を並列共有し実際のランク以上の力を発揮することも多いという。
そして最大の特徴として、全体を支配し纏め上げる統率個体が存在する限り、個であって群でもある【霊軍】は何度でもひとつの意思の下に集まるのだという。
「冥はあいつが、衛本の言ってた昏倒事件の犯人だと思うんだろ?」
「はい。少なくとも何の関係もないということはまずないと思います」
確かに、ビトから力を吸い取ったあの呪腕の力を考えればそう考えるのも不思議ではない。
「けどな、DSにはリミッターがかかってるのは冥も知ってるだろ?」
通常の使い魔は原則人間に対して害をなす行為を忌避するように、生まれた時から本能に刷り込まれている。
「……有さん、私がどういう悪魔か忘れてません?」
「どうって……あぁ、そういうことか」
冥が言いたいことを察する。つまりは生粋の悪魔なら、その手のリミッターは存在しないということ。
どうにも忘れがちだが、悪魔はDSが生み出すものだけではない。
「けど、それならあの【霊軍】は冥と同じ自然発生した悪魔で、たまたまこの学校に居座って生徒を襲ってるって?」
「単純に考えるなら、そういうことになります」
「………」
にわかに信じられない話ではあった。
そもそもこの事件の原因が悪魔であるなら開発責任者の愛美にまで話が行っていてもおかしくないのだが、息子の学校で起きた事件だというのに愛美から有への連絡はまったくない。
まぁ、あの母親のことなのでそこはあまり信頼も出来ないのだが。
「私は、この学校に協力者がいるんじゃないかと、そう考えてます」
「冥にとっての俺みたいな?」
「そうですね。正規に契約したものかまではわかりませんけど」
「ふむ……」
それなら一ヵ所に留まっていることも納得出来るし、事件が公になることをうまく隠している可能性も考えられる。
しかし悪魔の存在が浸透したとはいえ、今まで隠れ潜んでいたものがそう簡単に表舞台に出て来るものだろうか。
筋自体は通っているし、頭では理解も出来る。なのに何かが引っ掛かる。
その奇妙な違和感を探っている有の頭に、いつだったか母親に聞かされたひとつの単語が浮かんだ。
「……DSi……」
「はい?」
「あ、いや、なんでもない」
ふと口を突いて出た言葉。聞き返した冥に有は頭を振った。
「それより、現状だと『誰がやったか』がわからないんだから、『なぜやったか』も考えてみるべきじゃないか?」
「む……そうですね。それも大事です」
気分転換も兼ねて視点を変えてみる。
なぜ、あの【霊軍】は生徒を襲うのか。
「すぐに思い付くのは、やっぱり自己強化のためですかね?」
他の悪魔や人間から強制的に力を奪い成長の糧にする。なるほどわかりやすい理由だ。
「だけど、それだけだとリスクが高すぎる」
本来攻撃出来ないはずの人間を襲う悪魔。そんなものがいるとわかれば全力で捜索され、良くて暗示による制限措置、悪ければ完全に滅ぼされることは目に見えている。
あるいは、それすら振り切ることが可能だという自信の表れか。
「となると……復讐。仕返しでしょうか?」
「いや、衛本がいうには被害者に共通点はないらしい。この学校の生徒だってことを除けば、だけど」
「でしたら、示威行為? 自分はこんなに強いんだぞー、って」
がおーっ、と手をあげて威嚇のポーズを取る冥。あまり強そうではない、というかむしろ和む。
「ただ強さを誇示したいなら、NoWにでも出たらいいだろうけどな。弱いもの虐めがしたい、ってなるとこれも普通に考えればリスキーで、まともな奴のすることじゃない」
そもそもまともな人間は他人を襲うこと自体あり得ないのだが、それはそれ。
「うーん、そうなりますとあとは……」
しかし、いくら考えてもそれ以上は思い付かない。
プロファイリングの真似事をするには、二人とも犯罪者の心理に対する造詣がなさすぎた。
「結局、犯人を捕まえるしかないってことだな」
「……ですね。それに――」
すっと目を鋭く細めて。
「有さんたちに酷いことをした責任、絶対に取らせてあげるんですから」
その目に静かな、だが強い怒りを宿す冥。普段は温厚な少女の数少ない逆鱗に、あの【霊軍】は触れてしまっていた。
自分のことでこんなにも怒ってくれること自体は、有も嬉しくないわけではない。
けれど有には、そのまま冥に負の感情を抱かせておくのが良くないことに思えて。
「まぁおかげで大した怪我もなく済んだんだし、あんまり気負うなよ」
その頭に、有は軽く手を置く。
「あ……はい。えへへ」
気持ち良さそうに冥の表情が和らぐ。上質の絹糸のような髪の手触りに有も安らぎを覚える。
「けど、先生に言わなくていいのか?」
有としては、昨日自分たちを信頼して庇ってくれた亜理葉になら、正直に話してもいいと思ったのだが。
「私も、安藤先生は信用出来ると思います。だけど『人間を襲う悪魔が校内を徘徊している』なんて、一教員でしかない安藤先生が扱える範囲を越えてます」
「……なるほど。つまりそれをもっと上の、対策を打てる権限がある人間に信じさせるには、冥の正体を明かさないといけないのか」
「はい。でもそれは、有さんや愛美さんにご迷惑をおかけすることになるので……」
SSランクの使い魔。人間に完全に擬態する使い魔。真なる悪魔【メフィストフェレスの娘】。
どれをとってもセンセーショナルな要素が数え役満となっては、新たな騒動の種になるのは必至。
そして冥にとって、自分のせいで有たちに何かしらの厄介事を押し付けるのは何よりも避けるべきこと。
一方で有も、冥を見世物にする気など毛頭ないし、かといってあんな危険なものを放置するという選択肢もない。
ならば、自分たちだけで解決するしか他にない。
「ありがとな、気を遣ってくれて」
「それはお互い様、ですよ」
そうして少しの間、冥の頭をゆっくり撫で続けていたが――
「……いちゃつくのはいいが、そろそろ休憩も終わるぞ?」
「「なっ!?」」
いつからいたのか二列後ろの椅子に腰掛ける翔の忠告に、慌てて有はその手を離した。
顔が熱くなるのを感じる有。見れば冥も俯いた頬が真っ赤に染まっている。
「どこから聞いてた?」
「さて? 俺の記憶には何もないな」
「……そうかよ……はぁ」
とぼける翔。経験上こうなっては何を訊いても無駄なので有は追及を諦め溜め息を吐く。
ほとんど同時に、作業の再開を告げるチャイムが鳴った。