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Age quod agis - 9

『………』


 複数の視線が冥に注がれる。そのひとつひとつが、並の人間であれば卒倒しかねないほどの重圧を秘めている。

 そんな邪視に曝されても、動じることなく微笑で返して――


――一気に駆け出した。


『シャアッ!』


 呼応するように影が呪腕を放つ。ややタイミングをずらした二〇本に迫るそれらが上下左右から冥を襲う。


――Citius,(速の極) Altius,(至高き頂) Fortius(巨いなる目).


「【我が時ノ針は先行する(ゼノンパラドクス)】――!」


 闇色の腕に怯むことなく、言葉に意志(おもい)を乗せ、因果により深く接続する。

 瞬間、冥の視界が一変した。

 影の方でもまた、見開いた目を喜悦に歪める。

 たとえ加速しようと回避する隙間なき槍衾(やりぶすま)。加えてその一本すら掠るだけで並の悪魔は昏倒する、まさしく必殺の連撃。

 そう確信した己の攻撃――


『……ァ?』


 それが、髪の一本にすら触れることなくすり抜けられ、思わず間の抜けた声を漏らした。

 半歩引いて一本目を、次いでわずかに上体を前屈みにすることで二本目を、左の肘を胸の高さまで上げることで三本目を、軽く床を蹴って――

 怒涛の波状攻撃に油断や手抜かりは一切ない、むしろ回避すればするほどに激しく、複雑さを増していく。

 鞭のように弧を描き、あるいは稲妻のように曲がりくねった軌跡を刻み、さらには地面すれすれから鎌首をもたげる蛇のように垂直に――

 それら一切を危なげなく、涼しい顔のままで冥は回避し続ける。


「すげぇ……」


 ビトに想いを供給しながらそれを見ていた有は、ただただ驚嘆する。

 それは単にその神がかった回避にではない。

 時に回り、時に跳ね。踊るように流麗に。それを見た有が驚く様子を想像して楽しむように。

 隔絶した技量よりも、美しいとしか形容しようのない冥の演舞に、有もビトも目を奪われた。


「……くす」


 振り返った瞬間に見えた有の顔に満足げに微笑む冥。そんな余裕を見せたところで、呪腕は当たる気配もない。

 なぜなら冥の目には、総ての腕がほとんど停止したように映っていた。


――【我が時ノ針は先行する】

 その威力(ちから)は『無限分割した時間の完全把握』

 呪腕が冥に向かって伸び、直撃するまでの時間を分割。それを完全に観測する。

 届くまでの半分、そこからさらに半分、そのまた半分――

 そうして無限に観測を繰り返せば、()()()()()()()()()()

 後は止まったように見えるその攻撃を避けるだけだ。

 たとえ軌道の予測に失敗したところで、新たな魔手に気付いたところで、その都度最適な回避に修正すればいい。その機会も無限回あるのだから。


「当たらなければ、どうということもありません!」


 冥と影の距離が徐々に詰まる。

 ここに来てようやく、影は焦り始めた。

 原理はわからない。わからないが、この小娘にはとにかく自分の攻撃が掠りもしない。どんな角度からでも、たとえ他の腕に隠して不意討ち気味に殴りかかろうともわずかな驚愕すら見せることがない。

 さらに有の方へも手を伸ばしてみるが、そんなもののついでのような攻撃は完全に回復していないビトにすら通用せず、切り裂かれて終わる。

 ならば、ここは退くべきだろう。()()()では、どう逆立ちしたところで勝ち目はないようだ。

 勿論のこと、このような小娘に格上ぶられることに苛立ちを覚えないわけがない。それでも影はその怪物然とした容貌や粗雑にも思える攻撃と裏腹に、冷静に場を観察していた。

 それと悟られぬように、連撃に大振りな一撃を交ぜる。

 避けやすい、しかし大きく動くことを要求される攻撃を冥が回避し――


『ギッ!』


 影は再び、しかし先より多くに分裂し、さらに一部には攻撃を続行させる。

 全体で逃走を図るよりも、多少の犠牲を覚悟で確実な脱出を選択してのことだ。


『……ッ?』


 違和感を覚えたのは、一〇秒ほどしてから。

 全力で退避しているはずが、視界の景色がまったくと言っていいほど変わらない。むしろ逆行しているようにさえ見える。


――Discordia(永の庭園、) maximae(私の言葉に) dilabuntur(歪みて沈め).


『――ッ!?』


 囮となり冥を攻撃していた影が驚愕する。


「【狂い砕けし時ノ箱庭(イベントホライゾン)】――そこから逃げることはもう出来ません」


 室内にも関わらず吹き荒びだした風に髪をはためかせ、冥が宣告する。

 足止めに徹しているはずが、冥との距離が徐々に開いていく。

 対照的に逃げていたはずの影たちはそれよりも速く後ろへと引き寄せられていく。

 そこから導かれる結論に、影は戦慄した。

 それは吸い寄せられているのではなく、自分たちのいる空間そのものが瞬く間に縮小しているのだ。

 理屈としては、有のクローゼットの中に部屋をひとつ作り上げたのを逆転――つまり空間に紐付いた時間を短縮することで、その空間ごと圧縮しているのだ。

 その名のごとく、この事象の地平線に囚われたが最後。その次元から跳躍する以外に脱出手段はない。


『ガ……ギ、ガァ……』


 いよいよ影全体を合わせたよりも小さくなった空間に押し込まれ、苦悶の呻きをあげる。

 そして――


「では、ごきげんよう」


 スカートの端を摘まんで、冥がしおらしく頭を下げた瞬間。

 空間の収縮速度が爆発的に高まり、プチッと小さな音を残して影の怪物は跡形もなく消滅した。


「……ふぅ」


 終わったことを確認して、一息吐く冥。

 その背に、一本の黒い腕が伸び――


「【凍極の咆哮】――!」


 極寒の冷気を浴びて、最初から別行動して隙を窺っていた四体目の影が一瞬で凍り付き、墜落して粉々に砕け散った。


「言っただろ、ビトが回復したら加勢するって」

『さすがに、女子一人に活躍されては面目が立ちませんからな』


 振り返った冥に、有はニヤリとしたり顔でサムズアップした。




――ガタッ。


「ん?」


 権能の連発で消耗した冥を気遣っていると、廊下の先、もうひとつの階段から音が響く。

 視線を移すと、わずかに背中が見えた。一瞬のことだが男子生徒のように思え――


「……北部くん、伏戸さん」

「あれ、安藤先生?」


 有たち側にある階段から、亜理葉と氷室の二教師が焦ったように駆け寄って来た。

 それに気付いて、白狼は普段の仔狼に擬態する。


「氷室先生も。どうしたんですか?」


「いえ、安藤先生がどうも上が騒がしいというので、私が北部くんに教材を運ぶよう頼んでいたことを説明しましてね」

「……それで先生も見に来たんだけど、二人ともなんだか疲れてない? 大丈夫?」

「あー……」


 よくわからない使い魔らしきものに襲われ、冥が圧倒的な実力差でもって撃退した。事実はたったこれだけだ。

 しかし通常使い魔は人間に危害を加えられず、当然冥の正体も明かせない。

 どう説明したものかと有が悩んでいると。


「……ん、了解」


 こくこくと亜理葉は頷き、何の説明もしていないのに納得した。


「え? で、でも私たちまだ何も……」

「……うん、二人が説明出来ないことがわかった。だから了解」

「安藤先生、それは了解していないのでは? 二人から事情を聞くべきではないかと」


 当然、氷室の方は食い下がったが。


「……氷室先生、この二人が説明出来ないと判断したなら、きっと私たちには関係ないか、処理出来ない案件だと思います」


 そう言って、二人に向き直り。


「……だから、個人的に相談したいならいつでも話しに来て。無理矢理、適当な内容をでっち上げるんじゃなくて、話したいと思った時に」

「先生……」


 有も冥も、亜理葉の優しい心遣いに感謝した。


「……というわけで氷室先生。教材を運ぶならなるべく早めにどうぞ。ウチの生徒()の貴重な自由時間をあまりとらないであげて下さい」

「え、えぇ。勿論……北部くん、資料室の鍵を」


 言いたいことはあるようだったが、二人の担任が亜理葉であり、彼女の意見を尊重すべきと判断したのか、それ以上は何も言わずに氷室は有から鍵を受け取った。

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