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Age quod agis - 8

「はい、時間です。後ろから回答用紙を集めて下さい」


 監督役の氷室洋介の合図で、教室が疲れと解放感からわっと騒がしくなる。

 試験最終日、その最後の科目が終わったとなればこうもなるだろうといったところか。


「ふにゃぁあああ」


 気の抜けた声をあげて、舞花も机に突っ伏した。


「だ、大丈夫ですか? 舞花さん」

「だいじょーぶ……ちょっと疲れただけだから……」

「そういや、米倉って英語苦手だったっけ」


 そういう有も得意な方ではないのだが。


「へぇ。舞花さんにも苦手なものってあるんですね」

「あるよー。もう、日本人は日本語だけ使ってればいいのに……」

「なら、バベルの塔を立てた古代人を恨むんだな」

「あれは神話だろ」


 とにかく結果はどうあれ、試験は終わった。明日の入学式の設営が終わればまた休日に入る。


「もう。わたしのことより、今日はどうするの?」

「?」

「あぁ、いつも試験が終わったらどこか遊びに行くんだよ。カラオケなりボーリングなり」

「冥ちゃんも行くでしょ? っていうより、今回は冥ちゃんの歓迎会にするつもりだったんだから」

「え? あ、いや、その……」


 悪いですよ。と、そう続くものかと思っていた有だが。


「……ありがとう、ございます」


 ちら、と有を見てから、素直に了承した。


「ほう」

「……なんだよ?」

「誰かと違って、伏戸は素直だと思ってな」

「ほっとけ」


 ニヤニヤと意味深な顔で頷く翔に、有は憮然となる。


「歓談中のようですが、少しいいですか?」


 顔をあげると、回答用紙の束を持った氷室教諭が有たちを見ていた。

 年頃は三〇前後。物腰柔らかで生徒の面倒見もよく、授業で時折挟まれる独自の解釈が評判の社会科教師だ。


「北部くん、火曜日の当直は君でしたね。一限目の授業で使う資料を運ぶのを手伝って欲しいのですが」

「あ、はい。わかりました」

「私もお手伝いします」


 席を立った有に、冥も続こうとする。


「別にいいよ。大した量でもないだろうし。ですよね?」

「えぇ。私はこれを置いてから向かいます。先に行っていて下さい」


 そういうと、資料室の鍵を有に渡した。


「んじゃちょっと行ってくる。先に昼食べてていいから」


 受け取った鍵を回しながら、有は教室を後にした。




 資料室は本館の三階、職員室のちょうど真上にある。


「あれ?」


 普段なら自習室を使う生徒などを数人は見かけるのだが、今日は一人もいない。


「まぁ、さすがに休み明けの試験が終わった後だしな」


 こんな日は誰も勉強なんてしたくないだろうと、さして疑問に思わず廊下を進む。

 そうして、ちょうど真ん中に位置する資料室に差し掛かって。


「……なんだ、あれ?」


 廊下の先、影になっているあたりに周囲より一層濃い暗色の球体が浮かんでいることに気付いた。


「………」


 おそらくは誰かの使い魔だろう。

 けれど、それを見た瞬間から何か嫌な予感がして、しばらくそれを睨み続け――


――ギョロリ、と。


「な――」


 突然、球体に禍々しいとしか言い様のない三つの目が開いた。

 有が絶句する間に、三つ目の真ん中が花弁のように開き、三本の腕が伸び上がった。


「くっ!」


 一直線に有目掛けて伸ばされる闇色の腕を、有は地面に伏せて間一髪回避。

 ほとんど同時に、ポケットから黒いDSを取り出した。


「来てくれ、ビト!」

『承知!』


 喚び声に応じ、白狼が仔狼ではなく廊下に合わせた本来の姿で実体化する。

 そして、鋭い爪による一閃で引き戻される腕の一本を断ち切った。


『キィイイイイイ――!』


 無数の翅音が重なったような、声にならない耳障りな悲鳴をあげる黒い影。切断された腕は融けるように宙へと掻き消えた。

 一瞬、怯んだ隙に有は攻勢に出る。


「よし……【凍極の咆哮(ブリザードハウル)】――ッ!」


 大きく開かれた白狼の口腔から、極地の吹雪を切り取ったかのごとき暴風雪が影目掛け放たれる。

 ビトの権能として最大のものは、あの全国大会決勝戦で見せた周囲の総てを凍らせる【凍焔の息吹】だが、あの権能をここで使っては校舎にまで被害が及ぶ。

 そこでより収束性の高い【凍極の咆哮】を選んだのだが――


「なっ!?」


 吹雪が当たる直前、影が弾けるように分離した。

 三体に分かれた影はその一つ目を怒り狂ったように目茶苦茶に動かし、やがて有に焦点を合わせ――


『我が主!』


 先ほどよりも速く鋭くい漆黒の腕を、ビトはひとつ断ち切りもうひとつも噛み砕く。

 だが最後のひとつには間に合わず、胴体を盾に無理矢理有を守った。


「ビト!」

『ぐぅ……ッ!』


 廊下に叩き付けられたビトの身体。突き立ったままに見えた腕は、まるで根を張るように脈打ちながらその腹部を侵食していく。


『こ、の!』


 身体を丸め、顎を伸ばして腕を噛み千切る。

 なんとか立ち上がったものの、足元がふらついている。

 どうやらあの腕にはエナジードレインの効果があるらしい。


「待ってろ、今すぐ回復を――」

『……いえ、どうやらそんな時間はないようで』


 影は再び一体化し、ビトからエネルギーを吸収したこともあってか頭数が増えている。

 その絡み合ってひとつの影の四方八方に口が開き、 複数の方角から腕が有たちを襲う。

 逃げ場はなく、周囲に構わず権能を使うにはビトは先の一撃で消耗し過ぎている。万事休すか――


――Dum(この言) loquor,(葉より、時) hora(は疾) fugit(走けよ).


 鈴の音のような声が聞こえた。

 そう思った次の瞬間、有とビトは床に倒れ込んだ。


「あ()っ! ……あれ?」


 頭を打って悶絶するものの、ようやく有は直前まで自分たちがいた場所から数メートル後退していることに気付いた。

 その、横で。


「よかった……間に合った……」


 膝に手をつき、息を切らせながらもなんとか笑おうとする(つかいま)がいた。


「冥、なんでここに……?」

「その……教室で言い付け通りお待ちしていたんですけど、虫の知らせというか、有さんに良くないことが起こってる気がして……」

「それで、慌ててここまで?」


 こくり、と冥が頷く。


「……サンキュ、助かった」


 立ち上がり、影に向き直る。突然の闖入者を警戒してか、影は蠢きながらこちらの様子を窺っている。


「ビト、そっちは大丈夫か?」

『大丈夫――と言いたいところですが、先ほどの一撃でかなり持っていかれましたな』

「有さん、ビトさんを回復させてあげて下さい」


 どう反撃しようか考えていると、息を整え終わった冥が一歩踏み出した。

 その言葉には自己犠牲ではない、自信と気迫に充ちていて。

 だから、有は確認のために問いかける。


「なぁ冥、さっきどうやって俺たちを助けたんだ?」

「……【我が時ノ計(クロノアルター:)は疾駆する(アクセラレイト)】、簡単に説明すると私と周囲の固有時間を加速して、亜光速で動く権能です」

「……すまん、まったく簡単じゃないと思う」

「『摩擦熱の発生しない超高速移動』ならどうですか?」

「オーケー把握」


 しかし、それだけ強力なら消費も激しいのではないだろうか。

 冥は権能を使う時、相変わらず例の結晶に頼っている。それも最初に作ってからはなるべく負担がない量に調節して精製しているせいでさほどストックがあるわけでもない。


「大丈夫ですよ」


 有の心配に感付いたのか、冥が安心させるように微笑む。


「時間干渉は停滞、加速、停止、逆行の順に消耗も激しくなりますけど、自分の時間を速めるくらいならそこまででもないんです」


――だから、信じて下さい。


 その言外に秘められた決意に。


「……よし、なら任せた。ビトが回復したらすぐ加勢する」

「ふふ、それより先に終わっちゃうかも知れませんよ?」

『冥嬢、ご武運を』


 冗談めかし、白狼の激励を受けて冥はさらに数歩、自然体で前に出た。

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