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Alea iacta est - 1

「みんなー、お疲れ様ー」


 翼長20メートルに届こうかという巨大な猛禽の背から、軽やかな声が響く。

 買い出しが帰還した声を聞いて、校庭の隅でブルーシートを広げて作業していた学生たちは、一斉に道具を置いて伸びをした。


「んっ……よし、ちょうどいい感じか」


 その中の一人、北部(きたべ)(ゆう)も固くなった背を伸ばし、半日ですっかり汚れた皮手袋を外した。

 暖かさの中に冬の名残が僅かに残る、春の空気が肺を充たす。


「北部くん、お疲れ様」


 集中を解いた反動で気の抜けていた有に、巨鳥から降りた数名のうちの一人が声をかける。

 ふわりと柔らかく波打つ髪を肩をくすぐる程度の長さで切り揃えた少女だ。

 一見して中学生に見えなくもない小柄な体躯と童顔。その顔に常から浮かぶ笑顔もどこかふわふわとした印象を受ける。


「はい、おしるこ。これで良かった?」

「あぁ。サンキューな」


 クラスメイトの米倉(よねくら)舞花(まいか)から小豆色のスチール缶を受け取り、プルタブを開く。

 赤茶けたマスクを顎に下げる。青年というにはやや幼さの残る整った顔が露になった。


「ごめんね、今日で春休みも終わりなのに……」

「んぐ……別にいいって。特に用事もなかったし、困った時はお互い様。だろ?」


 申し訳なさそうにもう何度目かわからないほど頭を下げる舞花に、これまた有も同じ言葉を繰り返す。

 そんな有の前に置かれているのは、銀色に光る金属棒を組み合わせた折り畳み式の――まぁ要するにパイプ椅子というやつだ。

 その横には金だわしやワイヤーブラシ、液状研磨剤の缶などが置かれている。


「しかし、椅子の錆落としとか生徒にやらせるかね」

「なんでも美化委員の伝統らしいよ。さすがにあんまりひどいのは交換するみたいだけど」

「ふーん」


 それにしても春休みにやるものかとは思うわけなのだが。


「俺みたいな暇人はともかく、皆は休みたいだろうに」

「あはは、それはちょっと耳が痛いかな。だって……」


 そこで言葉を区切って、他に作業する生徒を見渡す。


「休みたがった結果が、これだからね」

「……あぁ、なるほど」


 つまり、本来ならもっと早く終わっていたはずなのだろう。

 それこそ美化委員でもない有に隣のクラスからヘルプの依頼が来る程度には切羽詰まっていることはわかった。


「でも、北部くんだって乗り気じゃなかったんじゃない?」

「ん? いやそうでもないけど?」


 確かに頼まれた時にまったく面倒だと思わなかったと言えば嘘になるが。


「なんていうかな、これが結構性に合ってるっていうか……」

「そうなの?」


 赤茶色の錆にまみれたパイプ椅子。それが銀色の輝きを取り戻していく様子に有は例えようのない快感を見出だしていた。

 それも、今取り掛かっている三脚目まで、他と比べて錆が多く吹き出したものを敢えて選ぶという徹底ぶりだ。


「ふふふ……いやなかなかに楽しいもんだ。むしろ下手に中途半端な出来で終わらせる奴がいるならそいつの分まで俺がやっても……」

「えーと、うん。楽しんでやってくれてるなら良かった……の、かなぁ?」


 怪しく嗤う有にどう反応すべきか、とりあえず舞花も笑って返すことにした。


「米倉こそ、何かやりたいことでもあったんじゃないか?」

「わたし? わたしは……うん、北部くんと同じで特にないかなぁ。宿題も終わらせてあるし」

「……なんていうか、高校生なのに華がないよなぁ、俺たち。明日から二年生だってのに」

「あ、あはは……」


 一生に一度の高校生活という青春。しかし有も舞花も浮ついた話とはまるきり縁がない。

 舞花の方は整った顔立ちもさることながら、その気遣いが出来る優しさから男女問わず人気があり、時折告白されたりもするようだが全てお断りしている。

 有もぶっきらぼうに見えてわりと気さくかつ付き合いのいい性格が一部では評判で、顔も悪くない。だがそれもあくまで一部で、自分から人に関わる性格でもないので今のところ付き合って欲しいという物好きな女子は皆無だった。


「――さて、さっさと仕上げてしまいますかね、っと」


 空になった缶を脇に起き、マスクと皮手袋を装着しなおす。

 と、その背中に誰かが軽く触れた。


「ん?」


 振り返れば、そこにいたのは極地の万年雪のような純白の毛並みを持つ仔犬。

 いや、幼獣とはいえ犬にしては全体的に野性的なその姿は、仔狼と呼ぶべきだろうか。

 その尖り気味のマズルには、同じく真っ白な布切れがくわえられていた。


「お、新しい拭き布(ウエス)持ってきてくれたのか。ありがとな」


 軽く頭を撫でると、仔狼は僅かに目を細め布切れを置き、有が使い古した拭き布をくわえて使用済みの道具箱へとてとて歩いて行った。


「相変わらず頭いい子だね、ビトくん」


 そんな、仔狼の姿を模した有の使い魔を見て、ぽつりと舞花は素直な感想をこぼす。


「そうか? 普通だろ?」


 だが、舞花の言葉に有ははっきり否と返す。


「いやいや、Dランクの使い魔にしてはビトくん賢過ぎるからね?」


 だって、と舞花は他の生徒を指差す。

 そこで作業する男子生徒も、頭のすぐ横を飛ぶ大きめのカナリアに拭き布を持たせている。

 ハチドリならまだしも、カナリアに滞空(ホバリング)など出来ない。そんな常識をねじ曲げられるのも使い魔であればこそだ。


「普通Dランクって言ったら、あんな風に命令してようやくちょっとした補助が出来るくらいだよ?」


 使い魔は成長度合いによってランクが定められている。

 その中でDランクは幼獣や小型の動物に近い姿を取り、人の言語を理解する程度の知能はあるが通常それは気を使うまでの域に至っていない。

 自己判断を伴う作業を手伝わせるには最低でもCランク、権能と言われる異能を使わせるにはさらにBランクまで成長してから、というのが一般常識だ。


「……まぁ、出来るもんは出来るからしょうがないんじゃないか?」


 やや考えて、そう答える。


「うーん……まぁそうだよね。うん、ビトくんは他の使い魔より賢い、いい子だからしょうがないね」


 有の言葉を素直に信じる、そんな舞花に小さくない罪悪感を覚える有だが、どうにか顔には出さなかった。


「あーあ。わたしもビトくんみたいな使い魔が欲しいなぁ」


 そう言って、ポケットから一枚の黒いカードを取り出す。

 いや、カードに見間違うほどに薄く小さいが、硬質な質感と接触式画面(タッチスクリーン)を持つそれは、間違いなく機械であった。

――DSデアボリックサーヴァント、今や日本人なら一人一枚と言われている、悪魔召喚アプリを搭載した次世代型通信端末。

 画面に触れ、指紋認証を解除した舞花がひとつのアプリを起動する。

 画面上に複雑な幾何学模様を組み合わせた円、召喚陣が浮かび、それが放つ光がやがて画面の外へ光の粒子となって溢れ出す。

 半呼吸ほどの間に、光の粒子は纏まってより大きな塊になった。

 が、本来なら更に形を成し、実体を持つ使い魔になるはずのそれは、そのままふよふよと舞花の周りを風に乗るように漂い始めた。


「やっぱり、まだEランクのままかぁ」


 言葉ほどに残念そうでもなく、舞花は自分の使い魔に手を伸ばす。

 その手は光をすり抜けたが、確かな暖かさを感じた。


「相変わらず、実体化しない感じか」

「うん。まぁこれはこれで可愛いし、好きなんだけどね」


 使い魔の成長には個体差がある。僅か一月で会話が可能なほどまで成長することもあれば、実体化まで半年かかることもある。

 だが、最初期に購入して四年近く実体化しないという舞花のケースは、他にないものだった。


「わたし、何かこの子に変なことしちゃったのかなぁ……?」


 自分のせいで使い魔が実体化しない、出来ないのではないか。そんな疑問を覚えて落ち込むのも仕方ないことかもしれない。


「……いや」


 だが、有はその疑念にはっきりノーと断言した。


「米倉のせいじゃないさ。ただ、そいつは自分がどんな姿になれば米倉の役に立てるか、ずっと悩んでるだけで」

「……そう、かな?」

「そうだよ」


 視線は合わせず、作業の片手間という風を装って、それでも有は確信を込めてそう言っていた。


「もしそうなら、嬉しいかな。ううん、かなじゃなくて、凄く嬉しい」


  その声には、いつもの聞く者を和ませる柔らかな響きが戻っていた。


「……さて! それじゃ今度こそ始めますか」


 ややわざとらしくそう言って、有は研磨剤のキャップを開いて、使い魔から受け取った拭き布に適量足らした。

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