Age quod agis - 5
「お待たせ。荷物番お疲れさん」
「いえいえ、そんなに待ってないですよ」
運良くフードコートの片隅に確保出来た席に腰を下ろす。足元には今日買い込んだ諸々の荷物が山と置かれている。
有が運んできたトレイにはハンバーガーがふたつとポテト、それにコーラとオレンジジュース。
「それに、なんだかすみません。こんなにいろいろ買ってもらっちゃって……」
「だから気にしなくていいって。俺が買いたくてかったようなもんだからさ」
実際大半は生活するうえで必要なものばかりなので無駄遣いではない。一部――やたら高くついた服その他など――は、まぁ、迷惑料ということにしておこう。
「そんなことよりさっさと食べよう。食べ方はわかるか?」
「大丈夫ですよー。では、いただきます……んっ、おいし……」
包みを解いて小さな口で懸命にハンバーガーにかぶりつく冥。
それを見て、有も無意識に口元が緩んでいたのだろう。
「どうしました?」
「いや。ほんと何でも美味そうに食べるなーって」
「はい! 日本のご飯はどれも美味しいですから」
でも、と置いて。
「一番美味しいと思ったのは、有さんの料理でしたよ」
「っ――そう、かい」
予想外の殺し文句にぷい、と視線を逸らす。
冥の言葉には一切裏がないうえに感情表現がストレートにすぎて、どうにも心臓によくない。
それに――
――これから話そうとすることを思うと、こんなにも楽しそうに笑う冥への申し訳なさで押し潰されそうになる。
しかし、もう昨日の夜には決めていたことだ。ここで一歩踏み出さないことには、先へ進めない。
「……さて」
ハンバーガーを半分程度食べ終わったところで、有は話を切り出した。
「なぁ冥。昨日から訊こうと思ってたことなんだけどさ」
「ふぁい? なんふぇふふぁ?」
口をもごもごと動かしながら冥。
「……とりあえずそれ飲み込んでくれ」
「むぐむぐ……んっ、ふぅ。はい、なんですか?」
「いや、そのな。今日一日見てて思ったんだけどさ……」
そう前置きしてから、有も意を決して言葉を選ぶ。
「冥、お前は……お前は、何なんだ?」
ぴくり、と冥の肩がわずかに揺れた。
「……何って。そんなの、有さんの使い魔、メフィストフェレスに決まってるじゃないですかー」
変わらず笑顔で答える冥。
けれど有にはその表情が、一瞬前までの自然な笑顔を写し取って、仮面のようにただ張り付いただけのものに見えた。
「そうだな。伏戸冥は俺の使い魔、それは間違いない」
「ですよー。もう有さんったら、突然変なこと訊くんですから……」
「……でも」
今度はわかりやすく、全身でびくっと反応する。
「ずっと気になってたんだ。冥が本心から俺に仕えようとしてくれてるのはわかる。それが本気だと思えたから、俺も受け入れたんだ」
「……それで?」
「今日、こうして歩き回って確信した。普通にしてる時はただの女の子にしか見えないのに、こと『使い魔』の在り方が絡む話になると――」
――別に、いいじゃないですか。
「っ」
有の言葉を遮り、冥がらしくないほど乾いた口調で言った。
「えぇ、別にいいじゃないですか。私が有さんに仕えたいのは疑いようのない真実で、それが全てです。他ににどんな問題があるんですか?」
能面のような冥の笑顔。その目はいつの間にか本来の輝かない黄金の色に変わり、深淵のように昏い眼差しで有を見つめている。
あるいは普段の有であれば。その視線に気圧され、少なくともその言葉自体は本心から言っているのだから冥の意志を尊重しようと自分を納得させたかもしれない。
けれど、今は。
「冥……俺は【伏戸冥】の本気を買ったんであってだな――」
そして、おそらくは決定的な言葉を。
「――【メフィストフェレスであろうとする何か】を求めているわけじゃ、ないんだ」
はっきりと、告げた。
「……いつから、気が付いてたんですか?」
私が本物のメフィストフェレスじゃない、って。
「いつから、って言われると割と最初の方からかな。俺に召喚された時」
あの時の名乗り口上を思い出す。
――初めまして、ご主人様。悪魔メフィストフェレス、召喚に応じここに馳せ参じました!
「名乗った瞬間にな、思ったんだよ。なんでこの子はまるで自分に言い聞かせるように名前を名乗ったのか、って」
「……有さん、本当に人の感情に敏感すぎます」
「よく言われるよ。でもどうしてかわかるんだからしょうがない」
「あぁ、だから有さんは私のことを名前で呼んでくれなかったんですね」
昨日の夜、初めて冥と呼ぶまで有は冥のことを君とだけ呼び、名指ししたのは愛美に電話口で叫んだたった一度きり。それもわざわざ『自称』という冠を付けてまで断言するのを避けていた。
「結局、私は【破壊する偽りの光】のふりをすることすら出来なかったわけですか……あは、あはははは……」
「……なぁ、どうして冥はそんなにその名前に拘るんだ?」
そう、そこが有の疑問だった。
「……そうですね、もうばれちゃったんですから隠してもしょうがないですよね」
どこか諦観した、というよりは自暴自棄になったような言い方で。
「私はですね、有さん。【破壊する偽りの光】が造った代行体……まぁ体の良い言い方をすれば、【メフィストフェレスの娘】なんですよ」
「娘……?」
「悪魔の誕生プロセスを知っている有さんにはいまさらでしょうけど、悪魔は凝固した願いを魂という核に、自分を形作っていきます」
だから、もし魂になりかけている願いに他の悪魔が意図的に自身の願いを注ぎ込めば、その魂は親にあたる悪魔と同じ性質を持つようになるのではないか?
そして、自らの一部でもあるそれを端末として、自分の代替を務めさせることが出来るのではないか?
かつてそう考え、実行した悪魔がいた。そしてその技術は幾度かの実験を経て完成し、力を持つ悪魔の間に普及していった。
「……そんなこと、出来るのか?」
「出来るか出来ないかじゃなくて、出来てしまっているんですよ。ほら、私が証拠です」
本物の【破壊する偽りの光】は自身の一部を使い、小さな悪魔を生み出した。
その悪魔は親である大悪魔の庇護の下で育ち、静かにその役目――親の代わりに契約し、願いを集めることが出来るようになるまで、いつ醒めるとも知れない微睡みの中で待っていた。
「そしてあの日、私はようやく見つけたんです。心から仕えたいと願う初めての人を」
それが、リミッターのないDSを起動した有だった。
「だから私はあの時、代行体、メフィストフェレスを名乗る使い魔として精一杯お仕えしようと決めたんです」
淡々としていた語り口が、最後で僅かに震えていた。
「だから、だから有さん」
その声は、いっそ悲痛な色を帯びていて。
「お願いします。私を……メフィストフェレスとして、あなたのそばに置いてください……っ」
叫ぶような、心の底から絞り出すような冥の想いに、有は。
「……冥。ひとつ確認してもいいか?」
「はい」
「冥がどういう生まれで、どうしてそんなに自分の在り方に拘ってるのかも、よくわかったよ」
そうして、まるで追い詰めるようなことをしてしまったことに頭を下げた。
「悪かった。俺もちょっとばかり不用意に踏み込み過ぎた」
「そんな……有さんは悪くないです。全部私の我儘なんですから、顔をあげてください」
どうして有が謝るのか、冥にはわからない。
「でも、その上でもう一度教えて欲しい」
居住まいを正し、冥の瞳をじっと見つめて。
「冥が俺に仕えたいと思ったのは、『メフィストフェレスだから』か?」
「………」
その問いに、冥はすぐに答えられなかった。
そして、その沈黙だけで有には充分すぎる答えだった。
「違うんだろ? 俺のところに来たのは、冥が自分で望んだからなんだろ?」
「私……わた、し……は……あれ……?」
ずっと、同じことだと思っていた。
自分は【破壊する偽りの光】の代行体として生まれた。だから自分が思うことはメフィストフェレスとしての当たり前の感情なのだと。
そのはずなのに、今の有の問いかけに、そうだと即答することが出来なかった。
「え……え……?」
今まで自分の中に確固としてあったモノが、音を立てて崩れて行く。
眩暈がする、吐き気がする、呼吸が乱れ、動悸が高まり、視界がぼやけて――
――大丈夫。
混濁する思考の中に降りてきた声に顔を上げる。
穏やかな顔で安心させるように、有が両手で冥の手を握っていた。
「よく思い出すんだ。深呼吸して、自分の一番深いところに目を向けて」
「……はい」
有の声が不完全に結ばれた経路を通じ、すっと胸に染み透る。
ゆっくりと言われるまま、呼吸を整えながら無心になる。
頭の中に黒い円をイメージ。そこから落ちるように中を覗いてみる。
目に入るのは、『この世の全ての快楽を味わいたい』という傲慢な願い。生を謳歌してなお持たざるを求める強欲の感情が肌に纏わりつく。
より深く、さらに深く――一瞬か永遠か、そうして深淵を沈んでいった先に。
(これ……)
暗い孔の最下層に、他と異なる小さな欠片を見つけた。
手に取って、胸に当てる。懐かしい、忘れていることすら忘れていた想いがじわりと滲み出て――
「――わかり、ました」
目を開く。目の前に座る有は変わらず優しい眼差しで。
「『誰かを幸せに出来る人になりたい』……これが、私の本当の願い……です」
「なるほどな」
ただ人の幸せを祈るのではなく、そのために自分が手伝いをしたい。いや手伝えるようになりたい。
冥が使い魔という『人を支える存在』に固執したのは、それが自身の起源だからなのだろう。
そして、有に惹かれたのも――
「ところで冥。それがわかったところで最後に一つだけ、質問してもいいか?」
反射的に頷く。なんだか、それは自分にとって良いことのような気がして。
「確かに、使い魔っていうのは俺たちを支えてくれる便利な存在だ。今の日本人はもう使い魔なしの生活なんて考えられないだろうってくらいにな」
だけど、と有は思う。
「でも、冥の願いは『使い魔』じゃないと叶えられないのか?」
「それは……?」
「難しく考えなくていいよ。そうだな……」
少しだけ、適当な言葉を探って。
「たとえば『家族』なんていうのも充分支えになるんじゃないかな?」
「……家族」
……どうしてだろうか。
その何気ない音の響きが、冥にとっては何よりも大切な――ずっと探していたものに思えて。
「ビトもそうだし、冥も。使い魔だけど一緒に生活して、笑って、たまに喧嘩なんかもしながらお互いに支え合って、幸せになれる。そんな家族になれたらいいと、俺は思ってるよ」
そう。だからよそはよそ、うちはうちだ。
他の誰もが使い魔を道具のように見ていたとしても、有にとっては大切な家族。
「だから冥も、いつまでここにいるかはわからないけど、いる間は【メフィストフェレスの娘】じゃない……【伏戸冥】として、俺のことを家族だと思ってくれたなら、俺は嬉しい」
五秒過ぎ、一〇秒経ち、一分待っても冥の返事はない。
――言葉としての返事はなかったけれど。
「……っ! ……っっ!」
声を抑えて涙する冥が何度も頷くのが、有にとって万の言葉より意味を持つ『返答』だった。




