Age quod agis - 3
『……良いのですか?』
「何が?」
リビングに放り出していた勉強道具一式を片付け、床に着いて数分後。
『冥嬢のこと以外にございますか?』
「まぁ、ないだろうなぁ」
有はベッドで横に、ビトはその脇で丸くなったまま、話を続ける。
『我が主は誰よりも優しい。けれど、同じくらいに厳しい方でもあられる』
「買い被りすぎだって。俺はそんなに優しくもなけりゃ、他人に厳しく当たる気概もない」
『ご謙遜を』
視界の外にいる白狼がにやりと口角を歪めた気がした。
『我が主が今日一日、冥嬢を名前で呼ばずにいたのは彼女が自分を何よりも使い魔と定義していたから、でしょう?』
「……あぁ」
やはりこの使い魔に隠し事は出来ないらしい。
「冥はさ、どうも勘違いしてるんだよ」
『勘違い、ですか』
「そ、勘違い。しかもあれはあれで、米倉とは違うベクトルで自分より他人って性格だからなかなか気付けない」
『……なるほど。それで名前、ですか』
「本当はもうちょっと後で、冥が気付いてからにしようと思ったんだけどなー」
しかし、あの『使い魔であること』に執着する姿を見ていると、どうしても言わずにいられなかった。
確かに有は冥の本気を買ったわけだが、そこに求めていたものは――
「まぁ、後は俺も本音でぶつかるだけだ」
有が思っていることをどう伝えるか、考えながら眠ろうとして。
『……しかしデートも大事ですが、その前に試験があることもゆめお忘れなく』
きっと、白狼はただ主人を注意しただけで、からかうつもりはなかったのだろう。
「別に、デートとかそんなんじゃ……」
否定はするが、そういう表現をされるとどうにも居心地が悪い。
舞花と二人で出掛けることならこの一年で何度もあったが、舞花はあんな性格で有も人格的に好感を持っているだけで、正しい意味でのデートの経験など有にはまったくない。
(そりゃ確かに冥は可愛いと思うけどさ……)
普段はあまり気にしないようにしているが、冥が有の知る中で一番の美少女というのは事実。
そして、一度女の子として意識してしまうと脳裏に浮かぶのは先程見てしまったあのあられもない姿。
(考えない、考えない……っ!)
頭の中からその映像を追い出そうとしても、思春期真っ只中に加えてそういうことに免疫のない有には難しく。
結局その夜、有は二時間と少ししか寝ることが出来なかった。
「……それより、さっさと昼飯にしようか」
昨日の出来事を回想するとせっかく忘れかけていた冥の下着姿を思い出しそうになる。話題を切り替えるようにむくりと起き上がった有は鞄から弁当箱を取り出し、冥もそれに倣う。
「あ、わたしも今日はお弁当なんだ」
「俺はパンだが、せっかくだ。ご相伴に預かろう」
前の二人も机を回して有たちの机とくっ付ける。
「あ、舞花さんのお弁当箱かわいい……」
「そう? ありがとう冥ちゃん。でも冥ちゃんのも盛り付けがキレイだと思うな」
「あ、ありがとうございます……」
互いの弁当を褒めあう女子二人。ちなみに今日の弁当は冥の手作りで、玉子焼きとプチトマト、あとは冷食の小さなコーンコロッケにナポリタンという組み合わせ。
玉子焼きは少しばかり焦げも目立つが初めてにしては上出来で、それも盛り付けで目立たないように工夫している。
「……ふむ」
「なんだよ?」
「いや、別に」
一方の男衆。有と冥の弁当を見比べる翔を訝しげに睨む。
有の弁当はこんがり焼き目の付いた厚切りのハムに鯵の竜田揚げ、ひじきの煮物と蓮根の金平。
冥のものと中身が違うのは下手に勘繰られるのを防ぐためで、翔もそれ以上は何も言わずに焼きそばパンを食べ始めた。
少し気になるのが……
(……今、おかずじゃなくて米の方見てなかったか?)
さすがに米を分けるわけにもいかず、そこは同じものを使っている。だがこんなもの、見た目だけで同じかどうか見分けられるものだろうか。
当の翔が何も言ってこなかったこともあり、有もそれ以上考えるのをやめて箸を動かす。
「そういえば、なんだか最近学校を休む人が多いみたい」
食事中のとりとめのない話題に、ふと舞花が呟いた。
「へぇ……言われてみたら、ウチも二、三人休んでるよな」
「うん。春先だし、季節の変わり目だから風邪引きやすいじゃないかな。わたしたちも気をつけないと」
普段なら、そこで次の話題に移っただろう。けれど、この時に限っては。
「……あぁ、これはあくまで噂なんだが、最近校内で生徒が気絶しているのが何度も見つかったって話もあったな」
翔の呟きに三人の視線が集まる。
「なんだそれ? 聞いたことないぞ」
「そりゃそうだろう。最近ということはつまり春休みの間に起きたということで、そんな時学校にいるのは部活の練習で登校するやつだけだ」
「そっか。でも衛本くんがわざわざ言うってことは、噂じゃなくて何か確証があるんじゃないの?」
それっぽく煙に巻く言い方をしながらその実不確かなことを口にしないのが翔の信条だ。逆に口外した時点でそれは噂と言いながら何かしらの真実に基づいている。
「倒れたっていう噂の生徒、昨日確認した範囲で全員が学校を休んでいた。ちなみに理由は揃いも揃って精神的衰弱」
「衛本さん、それって……権能の過剰行使ですか?」
「わからん。そもそもDSには過剰供給を防ぐためのリミッターが付いているだろう? それがごく限られた範囲で連続して故障するというのも妙な話だ」
「そう、ですよね……」
しかし冥はどこか腑に落ちない様子でしばらく考えていた。
翔もそれ以上の情報を持っていないのか、それからはまた別の明るい話題に移った。
しかし冥だけでなく、有も頭の片隅に言い様のないもやもやしたものがこびりついていた。
「さて、そろそろ行くか」
弁当も食べ終わり、一息吐いて。
有が鞄を手に立ち上がると、他の三人もそれに続いた。
「あ、そうだ」
なるべくわざとらしくならないように、普段のトーンを意識して。
「今日は母さんに買い物頼まれてたんだった。そっち済ましておかないとな」
「お買い物ですか? 私もちょっと買わないといけないものがあるので、もし良かったらご一緒していいですか?」
「ん? あぁなるほど。まだこの辺にも詳しくないだろうからな」
このやりとりは、なるべく自然に二人で買い物にいくシチュエーションを整えるための狂言なわけだが、少し言い訳がましかっただろうか。
「……?」
舞花は何か違和感を覚えたのか首を傾げ。
「ほー……」
翔は訳知り顔で二人を交互に見て。
『くっ……!』
耳ざといクラスメイトの男子たちは、揃って恨みがましい視線を有に投げつけている。
「そ、それじゃあ試験勉強もしたいし、さっさと行こうぜ」
これ以上不信感を抱かせないよう、早々に教室を出ようとして、
「あっ。ま、待ってくださいよー、有さん!」
「……あっ」
しまった、と。
気付いた時には既に手遅れ。
『有さん……だと……?』
絶世の美少女転校生に、たった一日で下の名前で呼ばれるほど親睦を深めている。
その事実に、一瞬静まり返った教室は――
『キャアアアアアアア――!』
『ウォオオオオオオオ――!』
色めき立つ女子らの黄色い叫び声と地獄を蓋を開けたような男どもの咆哮に包まれた。
「すごーい! 北部くん手が早い!」
「なあ北部、話が聞きたいからちょっと署までご同行願おうか?」
「あ、でもなんだろう。あの二人なんかお似合いな気もするんだけど」
「お前だけは……お前だけはたとえ隣の席でも抜け駆けしないだろうと信じていたのに……っ」
「この裏切り者が――!」
好き勝手に騒ぎ立てるクラスメイトたちに気圧されて――
「じ、じゃあまた明日! いくぞ冥っ!」
「あっ」
おそらく普段の思考がまともに働いていればしなかったであろう下策――冥の手を取って、有は逃げるように走り去った。
最初はただただ驚いた冥も、合わせて走っている間になんだか楽しくなって。
それを見て、なおさらヒートアップするクラスメイトたち。
「なんというか、北部も損な星の下にいるよな」
「だねぇ……」
舞花と翔だけは、廊下の先に消え行く背中に同情の視線を送るのだった。




