Alea iacta est - 11
「……で、ここが食堂。今日みたいに半ドンでも基本的に開いてるな」
「あ、本当だ。まだけっこういますね」
放課後。有は冥を連れて校内を案内していた。
なお誰が案内するかでも一悶着あったのだが、最終的に事情を知っている亜里葉の一存で、有が案内と男子の憎悪を一身に受ける役に指名された。
「とまぁ、これで一通り説明したわけだけど、覚えたか?」
「えっと……普通の教室があるのが一般教室棟で、中庭を挟んだ向かいの建物が実習で使う特別教室棟。その奥にあるのが図書館で、一般教室棟の先が職員室や自習室がある本館。体育館はそのさらに先で、本館の反対側にあるのが多目的ホールとこの食堂……で、合ってますか?」
「うん、正解。まぁウチのクラスは芸術科目は美術選択だし、女子は創作ダンス一択で音楽室と武道場は関わらないだろうから省略」
ちなみにグラウンドは一般教室棟と本館にL字に囲まれるような位置取りになっている。
「やっぱり向こうの学校とは違うか?」
「うーん、どうなんでしょう。私も通ったことがあるわけじゃないので」
「ってことは、さっき日本の学校って言ってたけど学校自体初めてか」
「はい! クラスの皆さんもとてもいい人ですし、これからが楽しみです!」
にぱっと花のように笑う冥。
その笑顔は、舞花の優しい笑みとも、翔の茶化すような嗤いとも違う、純粋な期待に溢れていて。
「ほう? なら明日からはさっそく学生の本分たる試験期間なわけだが、それも楽しみと?」
柄にもなく、気付けば有はからかうようにそう言っていた。
「あう……勉強も、頑張ります」
「ウチは進学校だからテストもそれなりに難しいぞ。まぁ頑張れ」
「うー、有さんの意地悪……」
「はは。悪い悪い、ちょっと言い過ぎたな」
むくれる冥と、笑いながら軽く謝る有。
その様子はどこにでもある学生そのもので、二人の関係が使い魔とその主人だなどとは誰も気付けないだろう。
「もう……ところで、お昼はここで食べて行かれるんですか?」
「じゃなきゃ、わざわざ遠回りしてまでここを最後に回さないって」
食堂のドアを開ける。ずらりと並んだ机と椅子以外、これといった装飾のないシンプルな風景というのが冥の感想だった。
「どうする? 何か希望とかは?」
食券の券売機の前に立って尋ねる有。
「あ、でもお金が……」
「別にいいよ。むしろ高いの頼んどけ」
冥を喚び出したのは有でもそれを仕組んだのは愛美に違いないし、学校に行くよう指示したのも愛美だ。
そこでかかる費用は必要経費として請求して然るべきだろう。
「ありがとうございます。でしたら有さんのお薦めはありますか?」
「お薦めねぇ……」
基本的にここは学生向けに量が多いのが特徴だが、今朝デリカシーについて苦言を呈された有でもあまり女の子に薦めるようなセールスポイントでもないことはわかる。
「なら、これかな」
五〇〇円硬貨を投入して、有が押したボタンは――
「……いなり寿司、二個入り?」
食券に書かれた文字を読み上げる冥。
「稲荷って、確か日本の神様でしたっけ?」
「お、よく知ってるな」
自分用にカツカレーの食券を購入した有が感心したように頷く。
「稲荷神社が祀ってる神様の遣いが狐でな、日本じゃ狐の好物は油揚げってことになってるんだ」
食券を調理員のおばちゃんに渡すと、一分とかからず目当ての料理が出てきた。
冥が受け取ったそれは、一般的ないなり寿司に比べて一回り大きめだった。ふたつもあれば一食としては充分だろうサイズだ。
「狐、ですか……」
ヨーロッパでは狐は悪魔、特に七大罪の強欲を司るマモンの象徴として扱われることもある。有がそれを意識したわけではないようだが。
「ま、食べてみな。いただきます」
「いただきます……」
箸を取り、酢飯を油揚げで包んだ塊におそるおそる口を付け――
「……! おいしいです!」
目を丸くして瞬きを繰り返すという器用な身振りで驚く冥。
それから、小さな口で一生懸命頬張り始めた。その姿はどこか栗鼠やハムスターのようで、微笑ましい。
「気に入ってもらえたようで良かったじゃないか」
「あぁ」
「さて、それじゃ俺たちも食べようか」
「そうだな」
安心したところで有もカレーに手を付ける。
大量調理らしいチープな味付けの中辛。有はこの味がわりと気に入っていた。
「……ところで」
いつの間にか隣に座って肉うどんをすする翔を振り返り。
「どこから沸いて出た?」
「気にするな。一〇円ハゲが出来るぞ」
「微妙にリアリティのある言い回しやめーや」
「あ、北部くんに伏戸さんもいたんだ」
購買のパンが入った袋を手にした舞花が冥の隣に座る。
「えーっと……米倉さん、でしたっけ?」
「覚えててくれたの? ありがとう」
「米倉は今日は購買か?」
舞花も有と同じ弁当派だったはずだが。
「うん。お母さんが炊飯器のスイッチ入れ忘れてて……」
「あーなるほど。それ俺もたまにやるんだよなぁ」
「でも、今日はそれで良かったかなって」
そう言って、舞花は身体ごと冥に向き合う。
「そのおかげで、伏戸さんとお昼ご一緒出来たんだもの」
「……ふわぁ」
舞花お得意の善意一〇〇パーセントの笑顔から放たれる殺し文句に、言われた冥は恍惚とした表情になって見つめて、いや見とれていた。
「席もすぐ近くだし、困ったことがあったら何でも訊いてね。わたしも伏戸さんとお話ししたいから」
「は、はいっ。よろしくお願い、しますっ」
緊張したのか上擦った声になる冥。
(あの、有さん。米倉さんって)
(察しの通り。これが素だ)
(……凄い。本当にいたんだ、こんな人……)
どうやら舞花の無欲っぷりに気付いて、それが原因で狼狽していたようだ。
「あはは。緊張しなくていいよ。それに、もしよかったら舞花って名前で呼んで欲しいかな? 友達はみんなそう呼んでくれるから」
「友、達……? 私、米倉さんの友達ですか?」
「うん! ……あ。わたしってばもしかして、馴れ馴れしかった? 気にさわっちゃった?」
「い、いえ! そんなことないです!」
(聖人です! こんなところに聖女さまがいます!)
(気持ちはわかるけど落ち着け。あと米倉にとってみたら一度話した相手はだいたい友達だ)
しばらくあわあわと言葉も紡げないような冥だったが。
「わっ、私も! 私のことも名前で呼んでください、舞花さん!」
そう言って頭を下げながら右手を差し出し、
「あ……ふふっ。これからよろしくね、冥ちゃん」
最初は呆気に取られた舞花も、すぐにその手を取った。
「いやぁ、正に仲良きことは美しき哉、だな。うんうん」
「っていうかほんと、お前は何しに来たんだよ何を」
二人の少女の微笑ましいやり取りを肴に烏龍茶を啜る翔を、有は半眼で睨んだ。




