Alea iacta est - 10
「ねぇねぇ伏戸さん。日本の学校は初めてって言ってたけど、どこ出身?」
「髪の毛、すっごい綺麗だよねー。シャンプー何使ってるの?」
「あ、もしよかったらアドレス交換しよ?」
校長が胃壁と頭髪に多大なダメージを負った始業式が終わって、休み時間。
冥の周囲には女子を中心とした人だかりが出来、当の冥は怒涛の質問責めに遭っていた。
ちなみに有と愛美の提案により、冥のプロフィールは『ドイツのハイデルベルクから親の都合で九頭竜坂市に引っ越して来た帰国子女』という設定になった。
ヨーロッパを始め、一部の宗教圏では『悪魔』に対するネガティヴなイメージからDSの普及が遅れている。
「だから、私もDSは持ってないんです。ごめんなさい」
「いいのいいの、気にしないでー」
もともとの丁寧で人当たりのいい性格もあって、今のところ冥を怪しんだりする様子はない。 多少不自然なところがあっても「日本に慣れてないから」と訊き手が勝手に解釈することで上手く誤魔化せている。
「ふわぁ。伏戸さん、すっごい人気だね」
「そうだな」
「美人さんだし、あんなに囲まれてもにこにこ答えてるし、凄いなぁ」
「そう、だな」
「……で、そんなだからわたしたち、身動き取れないんだけどね」
「そうだな……」
冥を囲む人の壁で窓際に隔離された有と舞花は、それに混ざることなくぼんやり眺めていた。
ちなみに翔はいつの間にか姿をくらましていた。こういう時の勘の鋭さが羨ましい。
「ていうか米倉はいいのか? あれに混ざらなくて」
「え? あぁうん。わたしは席も近いし、お話しする機会はいっぱいあると思うから」
「……そっか」
おそらくは、冥の負担を減らすのと他の生徒が質問する時間を優先しているのだろう。相変わらず、自分より他人を優先する舞花らしい気遣いだ。
ところで女子が集まる中、男子はどうしているかというと――
「……俺、明日からのテストが終わったら伏戸さんにアタックするんだ……」
「バカ、んなもん死亡フラグ立てるまでもなく玉砕確定だろうが」
「それよりまずは接点作りだろ。将を射んと欲すれば、だ」
「なら差し当たり隣の席を確保するべきだろうが……北部か。しかしあれは意外と難敵だぞ」
「そうなのか? 頼まれたら断れないタイプだと思ってたが」
「そりゃ雑用とかの時だけだ。あんにゃろう変なところで融通が利かないからな」
「『んな下らないことに付き合ってられるか』……こんな時、奴なら間違いなくこういうな。去年同じクラスだった俺らにはわかる」
「くっ! 既に昨年度『九頭竜坂高校・嫁にしたい女子』三位の米倉さんとかなり親しくしておきながら!」
「神よ、天は二物を与えないんじゃなかったのか……!」
「視線で人が殺せたら……いや今の俺ならあるいは!」
何やら教室の隅に集まって、勝手に嫉妬の炎を燃え上がらせていた。
「席ひとつで恨まれるとか、理不尽だろ……」
首筋に刺さる非モテ男子の呪詛が煩わしい。
「……北部くん。いる?」
呼び声に振り向くと、廊下で亜里葉が緩慢においでおいでしていた。
「あ、ちょっとごめん……」
人の壁をかき分け、廊下に出る。
「何ですか、先生」
「……ちょっと聞きたいことがあって」
「はぁ」
伸ばし放題の髪で目元が半分近く隠れた亜里葉の表情は、相変わらずどこかぼんやりして真意を読み取れない。
「……あのね、伏戸さんの書類なんだけど、住所が北部くんのと同じみたいだから」
「っ……それ、もしよかったら見せてもらっていいですか?」
許可を得て一枚の紙を受け取る。確かに、見覚えのある住所が記載されている。
(っていうかこんなところでボロ出すなよなー!)
てっきり偽装しているものかと思っていた有の頭に、てへぺろと舌を出す愛美の顔が浮かんだ。
「えーっと、これはですね……」
どうにか上手い言い訳を考えるが、生来嘘を吐くのが苦手な有にそんなものが咄嗟に出てくるわけがない。
「……大丈夫。別にそれで問いただそうってわけじゃないから」
「その……って、へ?」
しばらくあたふたしていると、予想外の言葉がかけられた。
「……ここ。保護者のところも北部くんのお母さんになってるでしょ?」
「あ……」
確かに、亜里葉の言う通り『北部愛美』の名前が保護者の欄に書かれている。
「……事情はわからないけど、今伏戸さんは北部くんの家にご厄介になってるってことでいい?」
「は、はい」
「……うん。それが確認したかったの。でもその慌てぶり、もしかしてやましいことでもしてるのかな?」
「い、いやいやいや! そんなことはないです、断じて!」
亜里葉の目をじっと見つめる。しかしそこに秘められた感情は読み取れない。
「……くす。ごめんごめん。少しからかっただけ」
「な……はぁ。先生もそういう冗談言うんですね」
「……そりゃあ、先生も人間ですから」
真面目だと思っていた担任の意外な一面を垣間見た。
「あの、出来ればこのことは内密に」
「……もちろん。先生は生徒のことをあれこれ吹聴したりしません」
「すみません。ありがとうございます」
頭を下げる有。この一割でいいから母親もまともならと思わずにいられない。
「……それと、よかったら伏戸さんのこと、面倒見てあげてね」
「それは、はい。そのつもりです」
「……ん、よろしい。用事はそれだけ。休み時間にごめんね」
それから「……頑張れ、男の子」と言って、亜里葉は珍しく微笑みながら去って行った。
それを見送り、教室に戻る。
「どうしたの北部くん。なんだかご機嫌みたいだけど?」
「別に。ただ、安藤先生はいい先生だなって」
「……?」
本人は気付いていないだろうが、冥を見守る視線がわずかに穏やかになっていることに舞花は首を傾げた。




