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 夜、8時を回った時刻、三橋は繁華街近くの高層マンション前で、タクシーを降りた。

『駿河茨子探偵事務所』の金文字を見上げた。明りのついている事務所を素通りし、三橋は玄関ホールに向かう。

 雨が振っているわけでもないのに、びっしょりと髪を濡らし、パーカーの襟元が少し肌寒い。

「……風邪引いちまいだろ? つべこべ言わずに中に入れろよ……?」

『初めてのお宅訪問』だというのに、この態度……。

「てめーに用はナイ。風邪が心配なら、とっとと帰れっっ」

 インターホンからの駿河の返答に、三橋は嫌で嫌で嫌―な顔をした。だが、引き返す素振りはない。

「早く行けよ。わかったな!?」

 捨て台詞に、三橋は焦った。……下手に出ようか……。

 思案した瞬間。背後から、白い清潔なタオルが被せられた。振り向くと、パンツ・スーツの女が居た。

「君、何かトレーニングでもしてきたの?」

「あ、はい……。あのこれ、すみません。お借りします」

 若く見える。30代後半にさしかかっているだろうが、容貌の美しさと、艶やかで颯爽とした彼女の雰囲気が、実年齢を超越していた。

「それで、こんな時間のご訪問になったのね。

 ごめんなさいね。あの子、結構早く寝ちゃうのよね。美容に悪いとかで。だから不機嫌なの。子供みたいでしょ?」

 女は明るく言い切って、インターフォンに呼び掛けた。

「秀一。お友達もお疲れなんだから、早くなさい」

 返答は、無愛想に響いたオープンロック・ブザーだった。

「どうぞ。ここにお友達が来るのって、君で二人目よ。

 二人揃って深刻な顔で来られると、気になるのよね」

「あのっ。その、もう一人って、どんな奴でした?」

 勢い込んで、三橋は女を引き止めた。

「ハンサムな子だったわね。礼儀正しくて、優しい目をして。黒縁の眼鏡が全然似合わない子で」

「ごちゃごちゃ、しゃべってると、風邪引くぞっっ!」

 インターホンが、焦れたように叫んだ。



「……お前、何か言われなかったか?」

「何かって?」

 玄関を抜け、リビングへ先にずかずか踏み込みながら、三橋は聞き返した。

「おふくろに、……茨子さんって呼べとか、おばさんは止めろ、とか……っ」

 極めて言い難そうに、眉間に皺を立てて駿河は聞いた。

「へーえ。うん。いいよ? おばさんとか、秀一くんのママとか言うのは、やんないよ。約束する。

 そうだよなぁ。あの人、オバサンは似合わないしな。

 なんだったら『茨子』って呼んでも……あわわっ」

 スキだらけの背後から、羽交い絞めを食らった。

「てめーは、どこでその口、きいてるんだよっ」

 止めにケリ倒す。駿河は、床に伏した三橋を踏み越えて、リビングのソファにどっかりと座った。

 腕を組んで、顔を背ける駿河。そこに向かって、ずるずるずるずると、三橋はうつぶせたまま這い寄る。

「…………」

 唖然と、不気味さにソファに張り付く駿河。

「すんちゃんさ、俺、絶対聞きたいことあんだけどさ」

 いきなり下手である。生き倒れたような死体の頼み事。

「……騎道のことか?」

「そーだよ。あのバカでおまぬけで素直ボケと迷子が得意でむっつりスケベでちゃんと女のことは考えててそれでも後ろ向きでキザったらしい態度で思わせぶりで、だってーのにエセ臭い学園長代行なんざに頭は上んなくてみょーなところで意地張りまくって、そっち関係がぜんぜんわけわかんなくてなんであいつがバカバカおまぬけに騒ぐのかわかんなくて、こっちは気色わりーんだよっっ。

 知ってんだったら、全部聞かしてもらいてーなって……」

 いきなり、絨毯に向かった長口上は停止した。

「……今度はお前がブレイクかよ……」

 すかした態度で、駿河はそっけなく呟いた。

 むくりと、三橋が起き上がる。その場に正座する。

「聞かせてくれよ。……知ってるんだろ?」

 目がマジだった。

「三橋財閥次期総帥? もう少し利口にならねーと、先祖伝来の家を潰すぞ?」

「どういう意味だよ? 騎道と、俺の家とは全然無関係だ。それとも、あいつの本当のことを知ると、俺ん家に何か起きるって?」

「……さてな」

「別に、それもかまやしねーけど」

 本心から、三橋にとってはどうでもいいことだった。

「今日、見ただろ? あいつ、なんだってあんなに動揺するんだ? 代行と会った後も、人も変わったみたいに、全然回りが見えてなくて。

 いつものあいつなら、周りに気を使って、自分のことなんか完全に後回しにすんのに」

「……放っておけ。他人のトラブルに頭を突っ込む暇があるのか、そっちは」

「他人じゃねーよ……。俺はまだ、そう思ってる。

 なのにあいつ。全然無視してくれて……」

 駿河は指先で手招いて、ソファは指した。

「いい加減、こっちに座れ。ほんとに風邪引くぞ」

 てへへっと、嬉しい笑みを見せて、三橋は立ち上がった。

「お前さ、こーゆー時に眺めてくれる友達いないのかよ?」

 またはぐらかされて、三橋はさすがに不機嫌になった。

「……いねーよ。そっちだっていないだろ?」

「俺は、離れすぎてて頼りにならないだけでさ」

 賀嶋章浩からの連絡は、プッツリと途絶えていた。

 彩子が、幸せな顔で一人投稿してきた頃から無い。

 さすがにアメリカは遠い。距離が、時々駿河をイラつかせ、この部屋で一人気弱になったりもする。

 並んで座った、それぞれの親友を見失った二人。

 顔を見合わせ、プイッと横を向く。駿河も三橋も、お互いをスペアにする気分にはなれなかった。

「教えてやるよ。珍しく殊勝な態度に免じて」

 駿河の嫌みを、三橋は穏やかな表情で受け止めた。

「ありがとな。最初のうちに、感謝しとくぜ」

「誤解するな。俺の知っていることと言っても、大したことじゃない。

 ……騎道本人に関しては、まったくわからん。代行との関係に至っては……内心、関わりたくない気がする。

 あの人は、人知を越えている。あの気迫がな」

 駿河は、直接多く言葉を交わしたわけではないが、遠目から見ていても、凄雀は他を圧倒し本性を隠している。

「推察が大半だ。どうしてもと言うなら、見てきたことだけは話してやる。あいつに、どんな真似ができるのか」

「知りたい。どうしても……」

「素直ボケの騎道が、必死に隠してることだぞ?」

「……その話抜きで、あんたが彩子やこの街で起きていることの全部を説明できるなら、削除してくれてもいい」

「鋭いな。……かなり、無理だぜ」

 駿河は言葉で、白旗を上げた。

「……。本当に、派手なことになってるわけか。

 あんたがそーゆー顔、見せるくらいに。

 秋津統磨の起こした事件で、終わったと思ってたのにな」

 三橋は背筋を延ばし、駿河に向き直った。

「藤井家も動いてるぜ。藤井香瑠だけじゃない、安摘まで妙な動きだ。あいつらも関わるんだな?」

 新情報に、するがは思案顔を造った。

「わからん。向こうのことは守備範囲外だ。……騎道なら、何か説明がつくだろうが」

「そっか……」

 少し落胆する。騎道と並んで、安摘の青ざめた顔も三橋は気にかかっていた。

「藤井の方は、騎道に任せるしかないな……」

 駿河の呟きに、三橋は顔を上げた。

「すんちゃん、関わる気なんだ。正体のわからん騎道が、始末をつけようとしているわけわかんない事件に」

 ニッと笑った三橋に、駿河は嫌な顔をした。

「あいつ一人じゃ無理なんだよ。いくらあいつでも、体は一つしかないんだ……!」

「わかんないね。いくらあいつでも? そこまであんたが一目置くなんて、一体騎道って何様なのさ?

 何が起きてるんだよ? 誰と誰が絡んでる。さっくりと説明して欲しいね」

「よくわかったから、カリカリすんな。

 ……それでなくても、気の滅入る話はばかりなんだ。

 考えると、大したトラブルだぜ?

 これで、この街の御三家全部が関わることになる。

 プラス羽島家。賀島の先祖だよ。お前が知らないわけないよな。一番迷惑なのは、この街に取り憑いた、彩子の遠い遠いばあさんだ」

 低く、口笛を三橋は吹いた。

「三百年前……。そいつは派手だな」

「ああ。役者が揃い過ぎて、怖いくらいだぜ」

 駿河は立ち上がった。三橋は拍子抜けして、ぼーっと見上げてしまう。そこまで話しておいて、逃げ出すか?

「コーヒーでも淹れてくる。……それくらいしないと、あとでおふくろに責められる」

 ダイニングに向かう駿河の背中に、三橋の間延びした声が投げ付けられる。

「かんどーしちゃうなー。すんちゃん手ずからのコーヒーなんてさっ。カノジョになった気分」

 ……塩コーヒー飲ませたるぜっ……。

 怒る駿河の背中は、三橋の目には入らなかった。



「悪かったな。こんな時間まで」

 お肌に悪い……という茶化しは、三橋は思い付きもしなかった。堅く険しい表情を、苦労してニッと歪めてみせるのが限界だった。

 少なくない衝撃を、三橋は黙って受け止めていた。

 こんなふうに思い詰めさせるから、騎道は、三橋にも何も語ろうとはしなかった。

 いや。一面、卑怯な奴でもある。

 三橋にだけは、いい顔をしていたかった。三橋だけを、何も知らないままの避難場所にでも……。

「反省しろよ。俺の美容に最悪だ……」

 ……何の為に、こいつだけを外そうと?

 何か、騎道に意図がある? 駿河は、手を振って路上を一人歩き出す三橋を見送った。少し歩いて、タクシーを拾うからと、三橋はタオルを首に巻き付けた。

「……だったら、悪いことをしたかな?」

 三橋が、騎道の最後の逃げ場なら、それを壊したことになるかもしれない。

 ……そんなに柔な奴じゃないと、信じたい気もするが。

 失言は、もう取り戻せない。

 三橋は覚悟の上でここに来た。騎道にも退路のない現実を受け止めてもらうしかない。

 駿河は肩をすくめ、明りの消えている事務所を見た。

 茨子さんは、気を利かせてくれて、どこかへ出掛けたらしい。戻ってきたら、さりげない親密さで聞き出しにかかるだろう。どういう人間なのか、何の話だったか。

 探偵の興味をそそるような登場しの仕方を、奴はしてくれた。三橋を恨みながら、さっさと寝てしまおうと決めた。

「駿河、秀一、だな?」

 陰鬱な呼びかけに、駿河は嫌な気分で顔をしかめた。

 こういう手合いは、大抵物騒な話ししか持ちかけてこない。

 喧嘩慣れした駿河には、相手がどう出てきても、勝つ自信はあるのだが。

「……磯崎…さん、でしたよね? たしか、彩子を拉致しようとした?」

 たっぷり振り掛けた嫌味は、先制攻撃でもある。

「今夜は何ですか? 俺なんかを連れてっても、ぜんぜん楽しくないですよ」

「今日は、ここでケリをつけるよう、命令されている」

 どこまで行っても暗い男だ。以前は、ここまで陰に籠もってはいなかったのに。

「また命令ですか? あなたはあいつの命令無しでは、何もできないんですか?」

「これが最後の命令だと言われた。

 ……確実に完遂しなければ、私の立場が無い」

「それはそれは、ご苦労なことで……」

「君はあの方の信頼を裏切った。君とは意見が一致していたはずなのにと、あの方は残念がっておられたよ。

 飛鷹彩子を守れるのは、彼だけなのに……」

「あんなやり方を守ると言うよう奴なら。喜んで裏切り者と呼ばれてやるぜ!」

 駿河は緊張し、身構えた。背後に4人、磯崎の後ろには3人。鍛えられた体格の少年たちが、駿河を囲んだ。

「磯崎さん? 剣道部主将の地位を乱用するなんて、恥ずかしくないんですか?」

「……君が気にすることではない。君はもう、どんな外聞も知ることはなくなるんだ」

 暗く濁った瞳が駿河から逸れる。指先が合図した。

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