2
「三橋君、僕から騎道君に、もっと選挙活動に身を入れるよう、頼んでみようか?」
二限目が終わった休憩時間。和沢に誘われ、三橋は連れ立って廊下に出た。切り出されたのは、元シャドウ・キャビネット懸案の会長選挙だった。
「……悪い、和沢。心配かけて」
謝って、三橋は窓の手摺りに持たれ、珍しく晴れた晩秋の陽射しをのんびりと見透かした。
「このままでは、票が集められない。努力はしているよ。
だが、主役無しでは限界がある」
「……わかってる」
「負けるわけには、行かないだろう?」
選挙に負けることは、自動的に騎道の退学を示す。
それを阻止する為の選挙戦のはずだった。一方的な学園長代行の退学勧告に対抗するための、生徒対代行の戦い。
騎道はその象徴。
なのに、その騎道自身が、選挙戦にノータッチ。他人事のような態度で、その姿は常に彩子と共にある。
「騎道に話すのは、少し待ってくれ」
「待てないね。選挙は明日だ。今日が最後だよ?」
常に穏やかな和沢の口調が、重く強く響いた。
「……悪い。俺まで忘れてた。明日か……」
本心から失念に苦悩する。三橋は和沢を振り返った。
「負けるかもしれないな……。それでも、あいつ、幸せみたいだから、いいのかもしんないぜ。
騎道の気持ちを、選挙の道具にするわけにはいかないよ。
最初から、俺は間違っていたのかもな」
「? 彼が学園に残りたいんじゃないのか?」
顔色を変えた和沢の肩を叩き、三橋は軽い口調で言った。
「見掛けによらずニブイな。
あいつが学園に残りたいのは、ここに気になる女が居るからさ。もう騎道の頭には、学園のことは無いんだよ」
小首を傾げて、ニッと唇を引いた三橋。
和沢は思い当たった。調子のいい口調や、焦りもためらいもない三橋の朗らかさに言葉を無くした。
「悪かったな、みんなには」
「……まだ、終わってもいないのに。敗北宣言とは、君らしくない……」
少しの動揺を押し隠せないまま、和沢は立ち去った。
「終わってもいないのに……か」
へへっと、三橋は一人含み笑った。
和沢の言う通り、結論が出たわけではない。でも、どう考えても見込みは無い。全学園生徒にかける魔法か、奇跡でも起きない限りは。
「! 安摘……!? お前、無事だったんだな」
休憩時間も終わろうとしている。人気の無くなった廊下を、一組の男女が進んでくる。堂々と歩み寄るのは、セーラー服姿の藤井安摘。従い、しなやかな早足で追うのは、今だ戸惑い顔で主人を伺う狩峨。
「元気そう……」
かけた言葉を、三橋は飲み込んだ。安摘の疲労し切った顔立ちと、皺の寄ったスカートに目を見張った。けれど、足取りと毅然と吊り上がった眉には、強靭な意志が宿っている。
狩峨が唇を噛み三橋を見た。助けを求めるように。
「……。飯でも食いに行くか? 約束だろ?」
進路を塞ぎ、目の前で立ち止まった安摘に、視線を低くして尋ねた。
虚を突かれ、一瞬、何のことかと怯んだ安摘。
その時、始めて、三橋は安摘の頬に幾つも残る、涙の跡に気付いた。瞼は赤く、泣き腫らしていた。
徐々に、安摘の中で感情が込み上げてくる。
「……あいつのせいよ……。騎道が、みんな悪いの。あいつが……! 出て来なさいよ!!」
叫ぶ安摘の肩を、三橋は掴んだ。
「安摘!?」
「安摘さまっ……!」
三橋の手も、狩峨の手も安摘は払い除ける。泣くまいと唇を噛み、決然と顎を上げる。
「騎道はどこ? 隠したって無駄よ」
残酷な光を瞳に込め、安摘は凄んでみせた。
真剣な様に、三橋は吹き出したくなった。いつも通りだ。気が強くて容赦のない、藤井の末妹だ。
「そんなにカッカするなよ。何の話しなんだ? 聞いてやるぜ。理由を話す気がないなら。諦めて帰れ」
人差し指で、安摘が来た廊下を指し示す。三橋は真顔だった。それを見上げ、一瞬、安摘は泣き顔を造った。
「……久瀬光輝が、沙織お姉様を連れていった……。
騎道をお出し!
あいつ、承知していたのなら、許さないから!」
言い切り、安摘は教室に駆け寄ろうとする。三橋は腕を掴み引き止めた。
「久瀬は死んでるんだぜ? 何の話だよ……!?」
「放してっ! 騎道!! 出て来い、嘘つき。臆病者っ!!」
カチリと、三橋の中で、小さな記憶が噛み合った。
藤井沙織と香瑠。数日前の夜、人目を避ける香瑠を追いかけて辿り着いたマンション。入れ違いのように出てきた、沙織の従者と、もう一人。夜の中でさえ、眩しいほど輝く金髪をもった、華やかな雰囲気を撒き散らす若者だった。
その若者の素性を、三橋は直感した。だからすぐに新聞社にまで出向いたのに、目指す男の顔写真はなかった。
正確には、盗難にあったのだという。
「狩峨、騎道を中庭に連れてこい。ここじゃ、騒ぎはマズイ。安摘、来い」
「や……!」
狩峨は、嫌がる安摘と三橋を見比べ、安摘に一度頭を下げて教室に飛び込んでいった。
「狩峨! お前、どっちが主人なのよっ!」
「よく聞け安摘!? それがほんとうなら、お前だけの問題じゃない!」
……久瀬光輝が生きている。
騎道が兄のように慕い、その死の真相を知るため街に現れた。全ての元凶のような男の生死。
あの夜。三橋を嘲るようにニヤリと笑った金髪男。訳知り顔をして。奴の生死に翻弄される騎道のことも承知でいるなら。……許せない。騎道は道化じゃないか!?
「……俺だって、それがどういうことなのか、知りたいぜ」
「うん……。わかった……」