10-1
「章浩、どうしてるかな、今頃」
「……メールになかったのか?」
「なかったわ。一人で我慢するとこ、全然変わってないね」
「もうここまできたら、バラしてもいいな……」
「何?」
「あいつの渡米の理由」
朝。授業開始前に、騎道は他の新役員に呼び出され席を外していた。思い立ったように、ふらりと彩子が2Dに現れ、駿河を連れ出した。
人気の無い図書館。教室からは離れている。
「まっとうなデカになりたいんだと。入学したのはポリス・アカデミーのジュニアだ。軍隊並に絞られてるらしいぜ。
頭も体も私生活も」
「それって、父さんがつまんないことを言ったせい?
身内には一人くらい警官がって。兄さんは弁護士になるって言ってるし、私には期待してないからって」
「そんなんじゃないよ。あいつの親父もデカだった。たしかSPだろ? その道を、見てみたいって、キザだよな」
「章浩らしいね。国内じゃ飽きたらなくて、本場に飛んでいっちゃうなんて」
「ん。あのカタイ性格だからな」
言えないぜ。彩子は完璧に庇うためでもある、なんて……。
「夢を追い掛けたんだ……。そんなにロマンチストだったなんて、全然気付かなかった。
私つて、本当は章浩のこと、何んにも知らなかったんだ。
駿河はどうするの? 役者になる?」
「お袋の探偵事務所と、両方やるつもりだ」
「無茶ばっかり」
「お前は本当に、男の底力を知らんのさ」
本気の籠もった一言に、彩子は黙って肩をすくめた。
「彩子は決まってんのか、進路」
「全然。いろんなことが、落ち着いてからじゃないと」
「……落ち着くのかよ?
毎日毎日、目の前でベタついてくれて。少しは回りの目ってのも、気にしてもらいたいものだね」
「そんなこと言うの駿河だけよ? 堅いのね、意外と」
……。元プレイボーイは、口を噤んだ。
「あのね。あたしたち、時間があんまりないの」
ちょっとした困難を思い出して、彩子は苦笑いを造った。
といっても、彩子の幸福を土台から覆すものには、駿河は感じられなかった。ピリッとしたスパイスを味わうことで、彩子は手に入った幸せを再認しているふうだった。
だが彩子の態度がどうであれ、時間がない、というのはおだやかではない。
「秀一は、騎道がちょっと変わっていることを、知っているんでしょう?」
駿河はうなずいた。
「正確には知らないが」
「あたしは聞いたわ。そのせいで、騎道はここに長く居ることができないの」
「彩子! お前……!」
「騎道ね、すべてに決着がついたら、出ていくの。
この街を」
ついでのように言い継がれて、駿河は目をむいた。
「それでいいのかよ、お前は……!」
「私、駿河に叱られるために、この話をしてるんじゃないよ?」
おっとりと返され、駿河は整った顔をしかめきった。
「叱るだと? 呆れてんだよ、お前ら二人にっ」
「頼みがあるの。秀一に」
「ああ、ああ。わかったよ。
騎道を殴り倒して気を変えさせるんだな。身動きできないように縛ってお前ん家に放り込んでやるよ」
「やめてよ。体力の無駄よ、騎道にとってはね」
「……わかってるよ。んなこと」
「帰してあげなきゃいけないのよ。そういう人だから」
引き止められない。縛り付けられない。
諦めきって、別れるその日まで『恋人同士』をやる奴等に、どんな手を貸せっていうんだ? 怒るに怒れないとはこのことだ。彩子は、ちっとも不幸な顔をしていない。
「ごめんね、秀一。
秀一のことも、隠岐のことも、みんな大好きだよ。
でもね。今は、騎道が一番なの。
騎道しか見えないの。誰よりも好きだから、騎道の思う通りにするの。
それが、今の一番私らしい生き方なの。騎道を好きでいる私を、誇りにしたいの」
ここには居ない騎道へ向ける微笑みで、彩子は言った。
「秀一には、見ていてほしい。
全部承知で、見届けてほしいの……」
「……章浩の、代わりか……?」
「チ・ガ・ウ。幼馴染みだから。ねっ?」
幼馴染みの面目を、彩子が建ててくれると、駿河はすべてを堪えた。
「実は、俺たちのバンド名がまだ決まってないんですよ」
休憩時間に入って、浜実がメンバーに声をかけた。
「バンド名か……」と、松茂が唸る。
「アレでいいんじゃないの?」軽くいなすのは東海。
「アレかい?」和沢が思案する。
「えーっ。アレ、そのまま使うの?」
浜実が、ひっくり返った声を出す。
「でもな。アレ以外、ぴったりくるのは無いよな」
ゼネラル・マネージャーとして、友田は大方の意見をまとめにかかった。だが、三橋が席を外している以上、決定とは言い切れない。
三橋は授業終了直後に、2Dの駿河に呼び出されていた。
騎道は、三橋が居ないので、代わりに友田に尋ねた。
「アレって……何?」
「んだからバンドの名前だよ」
「あ、知らないんだ、騎道って」
今更のように、浜実が膝を叩いた。
「そういえば、お前、転入生だったな」
「すっかり忘れてたぜ」
松茂、東海までが、感心したように思い出す。
「アレって言ったらさぁ。学年中みーんな知ってるぜ」
大きな目をクリクリさせて、得意気に浜実が言う。
おおらかに除け者にされて、騎道は頭をかいた。
「……あたし、わかんない」
ぶーたれてる彩子に、一同クラリとよろめく。
「あららっ」
「一番近くに居る奴が、一番知らないってのも、妙だな」
「そーゆーのを越えた所で、お友達なんでしょ?
こいつら」
「でなかったら、三橋のガードに入り込むなんて無理だぜ」
「三橋のガードって?」
またまた騎道が、まったく意味不明で聞き返す。
彩子には、今度は意味が通じる。
「いーのよ、騎道君は。壁の無いオモトダチなんだから」
「そう? なら、いいんだけど」
さっくりと、納得する騎道だった。
「ほんとに。俺たちなんかまだ、あいつの方向性が全然読めないんだぜ?」
「あいつが調子良く乗せてくれるのを待ってるって状態」
「よーくオトモダチできてるよな。お前ら」
「だから何よ? 早く名前、教えてちょうだいよ!」
ニヤニヤ笑う残り4人に代わって、松茂が低く答えた。
「WIND・MILだよ」
「ウィンド・ミル……?」
「どういう意味なの?」
「風車、ですよ、彩子さん」
「アレそのものじゃ、露骨じゃないの?」
「ハリヤー・ミルってのは?」
「ま、三橋の意見を聞いてからだな」
「騎道は? 何がいい?」
「あ。僕は……」
「聞いても無駄よ、浜実。
騎道は優柔不断の、オトモダチ主義だもの」
全員に納得され、頭をかくしかない騎道だった。
同じ頃。三橋は駿河に、寒風の吹く屋上に呼び出されていた。
殺伐とした場所を選んだ駿河に、三橋は怪訝顔を向けた。
「お前にも共犯になってもらうぜ」
「何? 彩子ちゃんを二人で襲っちゃうわけ?
よせよー。本気で騎道を怒らせると、マジで怖いぜ?
物心ついた頃からの幼馴染だからっていう気持ち、なーんか実感無いけど、わからんでもないぜ?
だからって、他の男に取られるくらいなら、俺が~ってのって、犯罪……。あれ……マジなの?」
「……そのお気楽な顔も、これで終わりだな」
「あんた、本気で騎道のこと恨んでんだ」
三橋は目を細くして、無表情に聞いた。
「当たり前だっ。
てめーだって、これから言うことを聞けば同じだよ」
無表情でクールをかなぐり捨て、駿河は三橋に詰め寄った。
「あいつは、ケリがついたら出ていくんだよ、この街を」
態度を逆転させて、三橋が冷淡に顔をしかめた。
「……すんちゃんさ。それを俺に止めてほしいわけ?
だったら頭下げるくらいはすれば?」
「共犯だって言っただろ? 騎道とオレとお前で、彩子が傷付くのを黙って見てるんだよ!!」
「そ。頭は下げたくないわけね。俺や、騎道にも」
透かしてくれる三橋に、駿河はますます苛立った。聞き取り不明の唸り声を上げる。
「おれ、信じないぜ。すんちゃん、俺にとっては他人だもんな。騎道は俺の友達で、バカがつくほど優しいわけ。
あいつなら、んな真似しねーよ。……あいつは、気持ちを計れるよーな奴じゃない」
三橋ののんびりに、怒り心頭至った駿河はもう、言葉も出す気になれなかった。
「すんちゃんさ、あんたに見せたかったぜ。
すごかったんだから。あんたの敵討ち。
あんたに手出しした奴全部に、報復する気だったんだぜ?
あいつ、最初から命令した奴、わかってたのにさ。
磯崎さんが死んだって聞かされて、磯崎さんをやった奴にも本気で怒って。
……マジで代行が居なかったら、あいつ、学園中を敵に回してでも、秋津を追っかけて、立ち回って……」
瞳の色だけは本気で、暗く陰った。
「あいつ自身もめちゃくちゃになってたかもしれない。
……後悔で」
「聞いたよ。彩子から……。
だからこっちも口裏合わせてやったんだろっ……!」
それが敵討ちの礼代わりだった。
「騎道ってそういう奴なのよ。友達でも無い奴のためにも、本気を出せる」
「他人他人って、何度も言うなっ……。よくわかってるよ」
駿河は吐き捨てた。
「すんちゃん。だってあいつのこと嫌いだろ?」
「ああ、大がつくほど嫌いだね」
「だったら、友達にはなれんよな」
「……」
「その騎道が見境無く好きになってる女を、これまでねって、イヌネコみたいに捨てられるわけないじゃん?
信じねーから」
「飛鷹先輩。後は私たちがやりますから」
まだ窓の外は明るい。学園祭直前の実行委員が、帰っていい時間ではなかった。
「え? でも」
「勿論、今日だけですよ?」
「???」
二人の一年生女子に、廊下に連れ出され、揃って目配せされる。
「早く、教室に戻って下さいね」
「何? どうかしたの? 教えてもらえないなら、あなたたちの好意を受けられないな」
二人は困った顔を見合わせて、諦めた。
「……三橋先輩に頼まれたんです。
今日だけでいいから、早く帰してくれないかって」
「三橋が?」
彩子はなんとなく悟った。
彼女たちに礼を言って、教室へと取って返した。思った通り、誰もいない室内に騎道が一人、居た。
「一年の役員たちに頭を下げられたんだ。今日だけはって」
「それも三橋ね。どういうつもりなのかしら」
思案する彩子に、騎道は白いコートを手渡した。
「折角、三橋がお膳立てしてくれたんだ。
どこかに行きましょうか?」
「街中がクリスマスの飾りで一杯ね」
「ずっと学校と家の往復だったから」
「あ。あのサンタクロースのマネキン、かわいいっ」
「あー、よかった。その隣のサテン・ブルーのワンピースのこと、言われるのかと思った」
「なあに? プレゼントしてくれるのかなっ?」
「いいですよ。5分間の見学時間を進呈しましょう」
「5分間?」
「それが、僕の精一杯です。
あんなに人通りのある場所に、二人きりで並んで眺めてるだけって、かなり恥ずかしいでしょ?」
街は、中心部の繁華街すべてが、クリスマスの装いを纏っていた。まだ、11月の半ばにも届かないというのに。
気が早いのは街だけではなかった。ぶらぶらと暇を持て余す学生たちや、少女たちだけの集団、二人きりの世界をつくる恋人たち、積極的すぎる少女たちに気後れしている連れ立った少年たち。
クリスマスという特別な一夜を心に秘めて、それぞれの思惑と心は浮き足立っていた。
「ねえ、あれを見て。田崎君」
「え、なんですか? 佐倉さん」
背の高い田崎に爪先立つようにして、耳打ちする佐倉。
田崎は、そっと示された、六車線の道路を挟んだ歩道を見透かした。条件反射のように、嫌になるくらい目に飛び込んでくる、整った顔立ちに黒縁眼鏡の少年。
田崎は刺々しい気分で顔をしかめた。勿論、佐倉には悟られないよう気をつけて。騎道と並んで歩く彩子の姿に、ほんの少しだけ安心感が生まれたほどだ。
「あの二人、ほんとにお似合いよね」
うっとりと呟く佐倉に、田崎は不思議な気がした。嫉妬とかを、感じたりはしないのだろうか。田崎は今でも、猫が相手を威嚇するような総毛立つ気分を、騎道を見掛ける度、感じるのに。
「騎道さんって、彩子さんにだけは、一番の笑顔を見せるんだもの。なんだか羨ましいわ」
田崎は慌てた。
「さ、佐倉さんっ? もしかして、まだあいつのこと」
「だって、騎道さんって素敵なんですもの。視線が引きつけられるのよね。
彩子さんも、とっても綺麗。恋をすると女の人は変わるっていうけど、ほんとうなのね。
ね、彩子さんって、美人だと思わない?」
「……だって、素敵なんですものって……。
佐倉さん、僕のこと……。僕はっ……」
長い腕を振り上げ、必死で自己アピールする田崎。
「あら、田崎くんは別よ」
「別って……そんなっ……」
絶望に、貧血を起こしそうになる。
「誰にも譲れない、私の一番大切な人でしょ?」
ジーンと、爪先から頭の天辺まで、感動が昇ってくる。
「……佐倉さん……俺っ……幸せですっ」
「田崎くん。もう、その呼び方無しにしましょう?
私も、臨さんって呼ぶから」
「ち、ち……」
舌を噛む。慣れないことはするものじゃない。
「そうだ。これ、三橋さんから、今日貰ったの。
どうする? 臨さん」
佐倉は学生カバンから、一通の封筒を取り出した。
「の、臨さんって……。シアワセだぜっ」
田崎、聞いちゃいない。
「やっぱり、こういう日は、二人きりがいいわよね……」
「こういうって」
受け取った封筒は、クリスマス・パーティーの招待状だった。場所は、三橋の私邸。三橋財閥でのパーティーなら、学生だけの内輪なものでも、優雅な内装の屋敷に入れるだけでも出向く価値はある。
佐倉でも心引かれる招待ではあった。
「……ふ、二人きりって……」
鈍すぎる反応が、田崎に妄想を促した。
「あとで私から、三橋さんにお断りするわね」
三橋……。
『都合ついたら、お前らも来いよ?』
軽い口調でそう言いながら、目の奥が寂しい色に陰った。
二人のクラスメイトの名前を告げた瞬間。
「それと、このこと騎道さんと彩子さんには内緒にって言われてるの。
臨さんもね? ねぇ? 聞いている?」




