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 吐き出した息が、ほんの一瞬白くなる。

 騎道がバイクを取ってくる間、彩子は病院前のスロープで、透明さの増した青い空を見上げていた。

 登校前に、彩子は騎道と、駿河の病室を見舞った。

 心配していたよりも回復が速かった。実際には、肋骨二本と左上腕の骨折が最大の外傷ということだった。全身の殴打、それによるショック症状と大量出血、発見の遅れが、駿河を瀕死の状態に追い込んだ。

 危険な時期を脱すれば、あとは体力の回復を待つだけ。

 重傷人は、それをわかっているのかいないのか。腫らした顔を気にして、見舞いの二人には背中を向け続けていた。

 ……本当の所は、騎道との仲の良さを見せつけられるのが気に食わなかっただけ。

 なんとなく、幼友達の嫉妬を感じていた彩子は、素直じゃないんだから……と、内心で笑っていた。

「今日で、最後だと思ってるの?」

 ヘルメットを手渡す騎道に、彩子は尋ねた。

 意地になっている駿河を、騎道は普段通りの穏やかで優しすぎる目で見守って、病室を辞した。いつも通り過ぎて、彩子は、黙っていられず聞いてしまった。

 生徒会長選挙は昨日の4時で終了した。開票は、翌日。

 今年の二限目後の休憩時間に、発表になる。

「まだ解らないじゃない? 結果が出てもいないのに……」

 言い出してはいけなかったかと、彩子は口ごもった。

「最後だと思ってるよ」

「! 騎道!? そんな弱気で……!」

 フルフェイスのバイザーを上げて、騎道は笑みを見せた。

「怒った? 彩子さん、すぐにムキになるんだよね」

 …………。おばかばかっっ。

 ヘルメットを被って、彩子はトスンとバイクに横座った。

「……最後かもしれない。そうでないかもしれない。

 あんまり、未練が無いんだ。学園を離れても、彩子さんと三橋が居るから。そうだろ?」

 彩子は、スエード・コートの肩に手を乗せた。

「あたしは嫌……。学園に居る間、騎道が居ないなんて」

「怖がらなくていいよ、彩子さん。

 側に居るから。離れていても、君を見てる」

 彩子の手を取って、腰に回す。エンジンを吹かす。

「いままで通りだよ」

「そういう意味じゃないよ!? あたし……、騎道の側に居たい。君を見ていたい……。

 ……私も、学園を辞めるわ……」

 もう一度高まる排気音に、騎道は聞こえない振りをした。

 その背中にしがみついて、彩子は声を張り上げた。

「わたし、辞めるからねっ!」

「どうぞ。止めませんよ? 困るな。彩子さんの方が、今日で終わりだって信じてるみたいだ」

「!」

 走り出す風圧に、彩子は頭をすくめた。飛ばされそうになるサーモン・ピンクのマフラーを顎で押える。

「……でも絶対、一緒に辞めるんだから……」

 呟きは、騎道に聞こえる大きさではなかった。

『どうぞ。止めませんよ?』

 他の人間なら、そんなこと言わない。

 高校を中退してどうすんのよ!? 園子なら、怒ってそう言う。駿河は呆れ返る。隠岐はびっくりして何も言えない。

「進路、どうするつもり?」

 以前、園子が聞いてきた。あの頃は、白楼后の影に内心怯えて、騎道への気持ちも認められなくて、ガチガチに身構えてた。だから、進路なんて言葉、非現実的で、よく考えずに答えた。

「あ、うん……。父さんは短大くらいなら出してやるって言ってたから、進学する予定よ」

「進学だけ……?」

「何よ。何が言いたいの? そっちはどうするの?」

「勿論、大手出版社を目指すわよ。あの椎野も目標は同じみたいだから、なんか燃えるわ」

「私は……。何んになろうかな……?」

「……。たしか、目標がありませんでした?」

「警官になるとか検察官になるとかっ?」

 自分で茶化して、彩子は答えを教えてやった。

「みんなでヤメロって言うじゃない? ……危ない真似はよせって……。わかってるわよ。ヤメます。

 フツウの女になりますっ」

 ……普通って何? 騎道、教えて?

『止めませんよ……?』

 騎道は、引き止めたりしないよね? 私を、信じてくれるよね?

 ……何が起きても……。



 選挙結果は、休み時間開始と同時に、校内放送された。

 朝から待ち構えていた、お祭り騒ぎ好きの生徒たちは、お喋りを遮り耳を澄ませた。

 当選は、新役員に選ばれた者の名前と役職、その得票数とともに読み上げられる。一番最後に、新生徒会長。

 その名に、広い学舎がしんと静まり返った。

 結果に納得し、選挙より自分たちの日常に関心を切り替えると、若いに賑やかさが校内に戻ってきた。短く最後に伝えられた投票率が、まだ興味のある生徒の目を見張らせた。

「……とーぜんだろ?

 この三橋クンが、負ける喧嘩するわけないでしょ?」

 自分の椅子の上にのけ反って、大意張りしている。

 後ろに倒れてしまいそうなほど傾く椅子を、背後で騎道が、黒子のようにさりげなく支えていた。

 2年B組の教室からは、誰も部屋を出ていこうとはしない。全員が、三橋のデカすぎる態度にニヤニヤしていた。

「今朝まで、引きつった顔してたのは、誰でしたかねー?」

 浜実が、束ねた髪を揺らして、大きく笑った。

「ほんとに。……ま、こっちも三橋のことは笑えないが?」

 友田はニヒルぶって、軽く鼻先をこする。

 青色吐息だったのは、選挙参謀の三橋だけではなかった。

 5人全員が、納得できない選挙戦に与えられる当然の結果を、死刑の判決を待つ囚人のように、覚悟していた。

「とにかく勝ったわけだ。我々の押す、新副会長和沢と。

 新生徒会長、騎道若伴」

 松茂が立ち上がり、頭二つ分高い位置から、騎道を見下した。教室内の44人分の視線も、騎道へ向いた。

「そーゆーことっ。おい、新会長! 何か言うことあるんじゃないのかな?」

 三橋も立ち上がり、松茂の横に並んだ。浜実も、友田も。

 和沢に腕を引き起こされ、憮然としている東海も、一列に並んだ仲間に加わった。

「おめでとう、騎道君。これで、学園を辞める必要はなくなった。

 得票率92%。学園長代行の現役時代には届かなかったか、高い数字だよ。もう、異論を挟む余地はないだろうね」

 和沢は、彼にしては珍しく興奮ぎみに続けた。

「君の得票率は、僕の記憶では、歴代二位と同率だ。

 現会長、秋津静磨と並んで、君は生徒の指示を得た。

 ……君はほとんど、何の選挙活動もしていないのに……」

「こんなことなら、俺たち要らなかったのじゃないの?」

 浜実が茶化す。友田はぼやく。

「……気苦労ばっかりで……」

 ブレーン東海が釈然としない中で、ぽつんと言った。

「何んにも、着飾る必要なかったんだよな。お前って。

 自分の感情を出すだけで、みんなの気持ちを引き付ける。

 簡単にさ。俺たちが巻き込まれたのと同じように、追いかけてみたくなる」

 分析する東海は、冷静さを取り戻した。

「断っておくが、お前の喧嘩の度胸に惚れたんじゃないぜ。衆人監視の中で頭を下げた、あの根性に負けたんだよ」

「呆れた奴だぜ」

 松茂が目を細める。友田は得意気に言った。

「俺たちは、最初っからわかってて、見込んだんだけどさ」

「わかってたんじゃなくて、惚れ込んだんでしょ? 騎道君、美少年だしぃ」

 軽い浜実に、さすがに和沢も顔をしかめた。

「気色の悪いこと言わないでくれよ……」

「付いてってやるぜ、新会長?」

 三橋が騎道を促す。クラスメイトの視線が待っていた。

 彩子と軽く目を合わせ、騎道は言葉を選んだ。

「意外な、結果だったけど……。

 退学勧告がこれで撤回されるなら。僕はここに居たい。

 ……推してくれた、みんなの期待に応えられるかどうか、まだわからないけど」

「だいじょーぶっっ。全然、期待してないから。

 ただちょっと、お前のこと、気に入っただけだよ。もう少し、バカやるお前が見てたい、ただの野次馬根性。構えなくていーからさっ」

 口の軽い軽い三橋に、騎道は苦笑した。

「そっか。なら、今まで通りにさせてもらうか。

 ブレーンは最高の人材が揃っているから、僕にはすることがなさそうだし」

 どっと、全員が笑い出す。騎道は片手で頭をかいた。

「なーんか頼り無い新会長ですがっ! どーぞ、皆さん宜しくお願いしますっっ、って言うんだよ、キドウくんっ」

 慌てて頭をペコンと下げた。

「これからも、宜しく」

 突き上げるような歓声が、2年B組の教室から沸き上がった。



 この日の昼休みに、当選者全員が生徒会室に集まった。

 当選を通知するだけの略式の承認式。正式な引継ぎ式は、学園祭の閉会式で行われることになっている。

 この場で、主な役員全員が、始めて顔を合わせる。

 新会長である騎道を、新しい彼の手足となる役員たちが、期待と好奇心に満ちた目で受け入れる。

 新副会長の和沢も、誇らしく、どこか緊張していた。

 立会いには、新聞部長椎野鈴子、デイリーフォーカス編集責任者青木園子が呼ばれていた。

「おめでとう、騎道君。君には、二重の勝利だな」

 略式であるので、静磨の口調は砕けたものだった。

 整列した新役員の前に、一歩進み出た騎道。秋津の言葉を黙って受け止めた。

 秋津の背後には、学園を二分する精力の一派として。白楼会会頭藤井香瑠の姿もあった。いつもながらの凛とした、煙るような艶やかさに包まれ佇んでいる。

 黙したままの騎道に、周囲が怪訝に思い始める寸前。

 藤井香瑠が、二人にやんわりと割って入った。

「私からも、お祝いを申しますわ。騎道様。

 これで、退学勧告は撤回となりましょう。いかがでしょうか、凄雀学園長?」

 この場に招かれていた凄雀は、場違いであるかのような態度で、学生たちを無関心に眺めていた。藤井の指摘に慌ててたのは、凄雀に従ってきていた篠屋教頭の方だった。

「藤井君、そのように性急なことを。引き合いに出す場が違うとは思われませんかな?」

「差し出がましいとは承知しております。ですが……」

 憂える視線を騎道に流す藤井。

「藤井さんにまで、ご心配をおかけし、申し訳ありません」

 真っ直ぐに藤井を見つめ、騎道は謝罪した。

「いえ……。当然のことですわ……」

 毅然とした騎道に、藤井は微かに恥じらい、目を伏せた。

 騎道への尋常ではない思い入れは、他の学生たちにも、たやすく伝わった。

 熱もなく、涼しい顔で受け流す騎道は、なんの事情も知らない者たちにとって、嫉妬と羨望の的となる。

 それは藤井の望む通りの事態。見えない火花を散らす、秋津と騎道の間を流れる、冷え切った空気を乱してくれる。

「……いいだろう。力より勝る数の論理、認めよう」

 さっと、凄雀に対して、騎道は姿勢を正した。

「退学勧告は停止だ。民意とやらを、大事にすることだ」

「? 停止ですか?」

 すかさず、椎野が聞き返す。

「停止だ。撤回する気はない。私個人は、本学園の生徒として相応しいとは思ってはいない」

「いずれ、何か起きた時、彼を即刻退学させると?」

「停止で十分だとは思いませんか、椎野さん。

 騎道様が、全学園生徒の信任を得た以上。何が起きても、生徒たちが守りますでしょう」

 藤井は、凄雀への批判をも遮った。

 凄雀の思惑に動じた表情も見せず、淡々と騎道は頭を下げた。顔を上げると、言葉もなく安堵の笑みを向ける藤井と目が合う。策謀も掛け値もない、心を込めた微笑みに、騎道は一瞬心を奪われた。

 向けられたわけでもないのに、他の学生たちまでも、魅了されたのは無理もないことだった。

「いい知らせは、もう一つある。

 駿河君から、今朝電話があった。彼を襲撃した人間は、磯崎でも、剣道部員でもなかったと証言を得た」

 目の色を変えた、椎野と青木。当選伝達式の情景とともに、磯崎の潔白を伝えるのも、彼女たちの使命だった。

「私もこれで安心したよ。優秀な人材を失って手痛いが」

 暗く目を伏せた秋津。その深い落胆を眺めながら、騎道は苛立ち続ける自分を押さえつけた。

 秋津との間に巧妙に割って入り、騎道を目覚めさせようと、引き止める藤井の為に。

 せめて、この場では。

 物分りのいい。寛大な、最高の指導者の仮面を守り続ける。秋津静磨の思うままにさせて構わない。




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