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  6-1

「……なんか、ここまで乗らない喧嘩って、生まれて始めてって気がするぜ……」

 それが、短い殴り合いの、幕を引く合図だった。

「……無理をして、ワルぶるからだ……」

 喧嘩を売ってきた方から降りてくれて、ホッとする騎道だった。何しろ、手加減したらいつまで続くかわからない。いい加減にあしらったなら、三橋もバカじゃない、見破ってまたジレンマの繰り返し。

 だから。本気で殴ってやった。本気の拳を受けてやった。

「ちっ。まだ10時前かよ? 朝から、十年分喧嘩したって感じだってのにさ」

 いい加減、若い男二人でも、体力は尽きた。馴れ合いでない程度の距離をおいて、二人は草地に転がった。

「お前、彩子を本気で好きなのか?」

「三橋。その前に……」

「はっきりさせろ! 優柔不断は聞かないぜ」

 口ごもる男を、三橋は叱り飛ばした。

「……好きだ」

「どの程度」

「誰にも、譲れないくらい」

「ふん。勝ち目ないな……」

 騎道は体を起こした。

「三橋。僕の話しを聞いてくれ」

「いーや。聞かないぜ。

 いくら御託を並べられたって、事実に変わりはないだろう?

 それとも何か? 条件付きなら、他の男に譲れるって?」

 軽い口調で聞いたのに、騎道は大真面目だった。

「……可能性は、なくはない」

「! バッカ野郎!」

 ガッと起き上がり襟首を掴もうとする手を、騎道は掌で阻んだ。

「もう簡単に殴られないぜ。

 そっちだって、簡単に譲っていいのか?

 今までのお前の気持ちは、どうなるんだよ!」

 声を荒くする騎道に、三橋も口を尖らせ言い返す。

「んなこと聞いてどうする?!」

「納得できない……! 三橋の態度は理解できない。

 はっきりさせてほしいのは、僕の方だ」

 憤った自分が許せずに、騎道は目を伏せた。

「……どちらの想いが上かなんて、比べてみなければ、わからない」

「……。お前な。はいこのくらいですって計れるものか?」

「できる」

「てめーわっ! また夢みたいなこと抜かしてくれて!」

 殴っても無駄だと悟って、三橋は騎道の投げ出された足をばしばしと叩いてやった。膝を抱えこみ、背中を向けて逃げ出しても、騎道は言いたい放題をぶちまけた。

「三橋とは、馴れ合いで終わらせたくない。

 恨んだり妬んだり、後ろめたかったり、びくびくしたくない。正々堂々とケリをつけて、納得したい。

 でないと、彼女にも負い目を負わせることになる」

 膝の上に顎を押し当てて、騎道は意地になっていた。

「へ……。お前ってさ。変わってるよな。

 本能ってものが無いのかよ。好きな女だけしか目に入らなくなるような、欲ってないのかよ。

 すっとぼけナイトでも、それくらいの性根はあると思ってたのにな」

 騎道と背中を合わせて、シーソーの要領で思いっきり騎道にのし掛かってやる三橋。柔軟すぎる屈伸で騎道は受け止め、勢い余った三橋はコテンと落下する……。

「ないわけじゃない。自分でも、最低の八方美人だってわかってる。……自分に都合のいいことばっかり言ってる」

 三橋の腕を掴んで、騎道は引き起こしてやった。

「けど、全部彩子の為だ。……お前やっぱり、一人しか見てないんだな」

「三橋……、すまない。こんなふうに」

 謝る騎道の前に膝を寄せて、三橋は胡坐をかいた。

「やめろって。お前を見てて、よーくわかったよ。謝るのは、俺の方だ。

 お前らに、遠回りさせて悪かったよ。

 俺には、お前と同じ土俵に上がる資格はないんだよ。

 俺は彩子を見ていなかった。彩子を他の人間に見立てて、その枠に嵌めておこうと必死だった。そうしておけば、初年の春みたいなバカな事件には巻き込まれないで済むと思ってさ。

 でもあいつは、どんなにヤバくても、そんな場所が必要らしい。俺は、違う人間を彩子に見てた。違うタイプの女で居て欲しかった。だから、何もしてやれなかった。

 そばに居るだけで、俺は、何も変えられなかった」

 騎道は泣きそうな頬で、首を振った。その頬を三橋は、パチパチと叩いてやる。

「昨日の夜、病院に駆け付けただろ? あの時、お前らを見てて、無闇と嫉妬してたよ。

 お前ら、大事そうに抱き合ってるんだもんな。けど、それがどっちに対してなのか、あの時の俺、わからなかった」

「?」

「両方とも取り上げられた気が、してたんだな……。

 お前は俺の友達だろ? 彩子は、気になる女で」

 ……二人が、遠くなった気がして。物分りのいいふりを仲間たちに見せて、その反対側で、苛立って駿河に当たった。せめて騎道を理解して、取り残される自分を納得させたかった。

「けど、そうじゃないんだ。彩子は、俺を呼んだんだよ、電話で。お前を止めてくれってさ。

 なんか。誰かに頼りにされるのって、いーよな。な?」

 こくんと、騎道は真剣にうなずいた。

「それがわかっただけで、安心しちゃってさ。

 俺の居場所は、ちゃんとあるんだなって。

 どっちか一方じゃなくて、二人揃って面倒見ればいいんだって、わかったわけ」

 ……恩に着せてくれる。

「…………」

「ほんとに、お前ら揃って火の玉野郎なんだから。危なくて、二人きりになんかさせらんないぜ」

 三橋は、校舎の影に向かって声を張り上げた。

「でもさ、彩子ちゃん? コイツに飽きたら、いつでも乗り換えていいかんね?

 俺の方が財力あるし、色男にはカネとチカラが無いってのは世間の常識だしさ」

「……」

 今度の沈黙は、どちらの肩を持つべきか、板挟みのだんまりだった。

「何とか反論しなさいよっ! それでもいーのっっ!?」

 彩子に怒られる騎道だった。

「じゃあな。こんな恥ずかしい話しは二度としたくないからな。忘れんなよ」

 さっさと立ち上がり、三橋は彩子の手を引っ張り連れてくる。すぐに一人、校舎に引き返していった。

「? どうしたの? 今の喧嘩で、足でも痛めた?」

 うつむいて座り込んだままの騎道の側に、彩子はしゃがみこんだ。

 さらりと軽い、長めの前髪。弱い陽射しを浴びても、艶やかに光を跳ね返す、明るく暖かい色の黒髪。

 彩子は草地に膝をついた。髪に、手を触れてみる。

 押し当てた掌の上から、騎道の手が乗せられる。空いた左手が、前髪に隠れる黒縁眼鏡を抜き取った。

「ごめん。少しの間でいい……」

 眼鏡を握った手が、彩子の肩を引き寄せる。一瞬も目も合わせないで、騎道は抱き締めた彩子の髪に頬を、肩に顎を押し当て目を閉じた。

「うん……」

 唐突な衝動に気後れしたけれど、彩子はされるまま、騎道の暖かさに頬擦りした。

 ……わたしが側に居ると、彼が安らぐから。

「……。よかった……」

 溜め息のように漏らす騎道の呟きは、彩子の想いも示していた。欲張りな騎道。甘え過ぎの彩子。

 三橋と騎道は友人としてお互いを必要としていたし、騎道と彩子は強い絆は不可欠だった。三人の力関係を保つためには、離れすぎても近過ぎもいけない。

 だから。三橋には残酷な選択だったかもしれない。

 三橋の言葉が本心なら、少しは、罪悪感も薄れる。

 授業終了のチャイムが鳴り、さすがに指先が冷え切った、と感じられる頃。騎道は、校舎ごしに低く届く、人のざわめきに目を開けた。

「なんだろう? ……人の気配が、殺気立ってる……?」

 彩子は弾かれたように顔を上げた。

「! 忘れてた。教えようと思っていたの」

 騎道は、眼鏡の無い瞳で彩子を見返した。

 彩子の頬が少し熱くなる。たった今まで、うなだれて支えを求めていた男とは別人。いや、同じであることが、彩子の心をどぎまぎさせた。変化する。騎道は、弱さも強さも持ち、超越した存在としてではなく、ここに居る。

「……どうかした?」

 これのせい? というように、騎道は眼鏡を掛け直し、彩子の気持ちを引き立てるようにニコッと微笑んだ。

「ちっとも、似合わない」

「……酷いな……」

 声を立てて笑ってから、彩子は頬を陰らせた。

「戻った方がいいわ。

 ……磯崎さんの遺書が見つかったの。校内で」

「校内? 学園で?」

 騎道はすぐに悟り、顔を曇らせた。 

「遺書にはなんて?」

「秀一への襲撃は、自分がやったと。認めてるそうよ。

 それと、襲撃に加わった部員の名前も……。

 でも、彼がそんな真似をするなんて……」

「思えないな。誰かが……」

 騎道は、すぐに考えを切り上げた。

 彩子と共に校舎に戻り、学園内で起きている混乱を探した。難しくはなかった。噂を聞きつけた学生たちが、小走りで向かっている。

 二人は急いだ。武道場へ向かう途中の中庭が、その中心だった。生徒たちがひしめきあって渦を巻いている。渦の直中に閉じ込められた一団へと、奇声を上げる者。声を荒げる者。責め続ける、冷えた視線で見守る者。校舎の二階三階から、押し合いをしながら見下す者たち。

「騎道! どうするつもりだ?!」

 三橋が人波の中から、目敏く騎道を見つけた。親友は堅く、視線を絡み合わせた。揃ってうなずく。

「おい、騎道だぜ。こいつなら本当のことを知ってるんだろ?」

「今朝、殴り込んだくらいなんだからな」

「どうなんだ? 本当なんだろ?! 磯崎の遺書は!」

「はっきり言えよ!?」

「俺たちが見ててやるぜ。敵討ちの続きをしろよ!」

 完全に浮き足立った男子生徒たちが、今度は騎道を突き上げる。

 周囲に視線を走らせて、騎道は落胆した。

 騒ぎを収集しようと駈け付けているはずの、生徒会役員は何の役にも立たない。喚くだけで、噂に踊らされる獣たちに拍車をかけるだけ。

 騎道は彩子を背後に押し止めた。唇を引き、一人、前に進んだ。

 はやし立てる学生たちが、自然に道を開けてくれる。

 これから始まる、復讐のショー・タイムを促すように。


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