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11/24

 5-1

 それぞれ三人は、一度自宅に戻った。制服に着替え、彩子は騎道のバイク。三橋は専用車で稜明学園に乗り付ける。

 登校する生徒は、まばらだった。時間帯が違うだけで、何か雰囲気が違って見える。

 生徒玄関で三橋を待っていた騎道は、姿を見とめただけで、先に校内へ入ってゆく。後を、小走りで追う彩子。

 三橋は車を降り、走って追いかけながら呟いた。

「あの野郎……。マジに切れてるな」

 騎道が向かう先は、武道場がわりの小体育館だった。渡り廊下で騎道と合流する。

 締め切られた扉の向こうから、少年たちの叫びに近い気合いが聞こえてくる。剣道部は早朝練習の時間だった。

 恐らく、全員が揃っているだろう。何しろ、体育会系は上下関係と時間に厳しいものだ。

「彩子さん。君はここに居て下さい」

「嫌よ。私も行くわ。足でまといだと思うなら、今のうちに考え直して欲しいわね」

 くすりと、騎道は笑った。

「いいえ。期待しているから頼んでいるんです。ここからは、誰も入れないで下さい。邪魔をする人間は全員を」

 ごくんと、彩子は息を飲んだ。……怖い。薄い笑みは、本気で怒る策士の笑みに見える。

「ま、騎道のことは、俺に任せろよ?」

「そっちこそ心配ね。竹刀の使い方なんて、知ってるの?」

「ラケットと変わんねーだろ?」

 …………。全然チガイますっっ!?

 三橋のジョークに構わず、騎道はドアに手を押し当てた。

「……行くぞ。三橋」

 頬を堅くしながら、三橋は上着を脱いだ。

「狙いは、剣道部部長。磯崎一人だ……」

「ふん。けどあいつ一人で、すんちゃんをのしたわけじゃないだろ?」

 うなずいて振り返る騎道は、やはり冷たい笑みを見せた。

「そうだった。……全員、敵だな」

 言い切った瞬間。騎道が前へ踏み出す。

 朝日が、踏み込む二人を曙色に染める。その姿は、光の中に消えていった。

「……騎道って、冷静なのか、熱血なのかわかんないわ」

 と。ここで気付いた。素手……で、ここを守れと?

「ちょっとぉ。なんかちょうだいよっっ」

 ドアを叩く彩子。素早く向こうから開き三橋が顔を出す。

「ほい。彩子ちゃんの得物。顔だけは大事にねっ?」

 竹刀を投げ上げ、三橋は怒鳴られる前に身を引いた。

「顔顔顔って……! 勿論大事にするわよ。

 騎道の為にっ!」

 …………。しっかり、女の子する彩子だった……。

「この中って、女子部員も居るのかな。

 まさか、その子たちまでブチのめしたりは……」

 でも、騎道のあの剣幕だと……。

 彩子は、細くドアを押し開けてみた。

「主将がなぜ貴様らに会う必要がある!? 神聖なる武道場から、さっさと立ち去らんか!!」

 騎道と三橋を囲み、叫ぶように野次る部員たち。手に手に、竹刀を全員が握っていた。床に叩き付け威嚇する。

 騎道は、野獣じみた少年たちの中心で構えもせずに立っていた。騎道の背後を守り、三橋が周囲に視線を走らせる。

「では、待たせてもらう」

 騎道は、副主将を名乗る男に断った。

 割れ鐘のように耳障りに響く罵声が飛んだ。

「とっとと出て行けと言っている!!」

 副主将の怒りに呼応し、男子部員全員が竹刀を構えた。

 彼等には、余裕ある薄笑いさえ見え隠れする。

 それも当然か。身長だけは見劣りしないが、騎道の肩幅は、野人と小娘というくらいに細く優しい。

 テニスで鍛えている三橋でも、棒切れを振り回し、体のデカさを競うような彼等には勝てない。

 さすがに、三橋は冷や汗を浮かべ、騎道を伺った。

「用があるのは、磯崎一人」

 いや……。磯崎に尾尻を振る人間にも、聞きたいことが」

 騎道の真正面。副主将の顔色を始終見上げていた一人が、突然竹刀を振り上げる。吼える気合とともに、騎道に突進する。滑らかな摺り足が、早すぎる。

「!」

 すっと、その場で騎道が膝を落とす。半歩、踏み込む。

 振り下ろされる竹刀。切るような風圧は、騎道の細い後ろ髪を巻き上げただけ。

 完全に振り下ろされる前に、ピタリと切っ先が静止する。

「……お、お前……!?」

 目を見張った瞬間、手から竹刀が落ちた。

 空を握る手が返され、80キロはある体躯が空中の低い位置で、前にのめって一回転。背中から床に叩き付けられた。

 低く呻き、男は大の字に伸び動けなくなった。

「……合気道……?」

 詳しくは知らないが、最小の力で最大の効果を得る武術。

 騎道のしたことといえば、踏み込む敵の懐に潜り込み、腕を支点に腰を軽く突くことで重心を崩し、一瞬で投げた。

 さっと、緊迫した空気が流れる。

 同じ武術を極めようとする者として、その場の全員が騎道の動きの意味を見取っていた。

 彼等の警戒を煽るように、騎道は転がった竹刀に手を伸ばした。

「どうぞ? 磯崎が来るまで、時間がありそうだ……」

 酷薄な誘いが、柔らかな声音で促される。

 ……得体が知れない……。

 騎道が秘めるものへの恐怖が、その場の全員を震え上がらせた。騎道の隠す怒りが、伝わる瞬間だった。

 怯みながらも、多勢に力を得て、徐々に竹刀を握り直す。

 己を奮い立たせる、長い長い気合い。繰り返される中、一人、二人と騎道へと突進する。

「三橋! 離れるな!」

 彩子は喉を鳴らし、息を飲み込んだ。

 両眼に灯った、獰猛な苛立ち。騎道の集中が、彼を変化させていた。

 騎道の呼び掛けが、三橋を励ます。三橋は騎道の唯一の死角、真後ろだけをカバーすればよかった。あとは、すべて騎道が、一撃二撃で打ち倒す。

「!」

 彩子は扉を閉じ、背中を張り付けた。

 渡り廊下を近付いてくる、数人の足音。

 彩子は竹刀を握り締め、一歩前に出た。ちらりと見えた姿は、全員が剣道着、面と竹刀を抱える女子剣道部員だった。武道場から聞こえる異様な奇声に、全員が足を早めている。

「沢木先輩……」

 彩子は迷った。女子剣道部長の沢木逸美。細面の美少女は、やや線の細い体だが、毅然とした態度、沈着な思考をもっていた。

 女の彩子も見惚れる、人望厚い女子生徒だった。

 沢木とやり合うのは気が引ける。だが、筋の通らない殴り込みを、彼女が黙認してくれるとは思えない。

「何の用かしら? 飛鷹彩子さんだったわね?」

 憧れのセンパイに名前を覚えてもらっている。などと、浮かれている場合ではない。

「あのっ……。! ひっ」

 ドアに押され、彩子は何かに突き飛ばされた。

 女子部員たちが、悲鳴を上げて飛び退く。

 転がり出てきたのは、打ちのめされ呻き転がる男子部員の一人だった。

「すまん! 彩子ちゃん」

 三橋の声で我に返り、彩子は手を広げ体で扉を塞ぎ直した。女子部員たちの白い視線が、彩子に集中する。

「……。速く運んでやりなさい」

 沢木が、同情のない冷えた声で指図した。

「どういうことなの、飛鷹さん?」

 彩子は覚悟を決めた。

「理由は、男子部主将の磯崎さんが来てから話します」

「磯崎は、まだ来ていないの?」

 思案する沢木に、女子部員が答えた。

「そんなはずはありません。いつも磯崎主将はかなり早くに鍛錬を始めています」

「おかしいわね……」

 顔を曇らせる沢木に、彩子は嫌な予感がした。

「一緒に登校なさる秋津会長は、すでに生徒会室にお着きでしたが」

 ……秋津静磨。磯崎に命令できる、絶対者。

 静磨の名に、沢木は微かに顔を上げた。

「お願いです。中の二人の、やりたいようにさせて下さい」

 彩子は咄嗟に頭を下げた。

「二人……ですって?」

 耳を疑うのは沢木だけではなかった。

「あなた、心配ではないの?」

 意外な質問に、彩子は答えを見失った。

「二人きりで、あの多勢を相手にするなんて。無茶なお友達ね」

 くすりと笑われてしまった。どっと、背後の女子生徒たちも笑い出す。

「信頼しているのね。二人ともあなたの恋人かしら?」

 目を細めて、沢木は彩子だけに囁いた。

「……そ、そ、それはっっ……」

「皆さん。勇気ある人たちの戦いぶりを、見学させていただきましょうか。滅多にない目の習練になるでしょう」

 彩子は迷った。中がどうなっているのかわからない。

 形勢不利なのか、大優勢なのか。緊迫しているのか。

 沢木たちを通して、彼等に不利になるまいか?

「! ……学園長代行……」

 彩子の呟きに、女子生徒たちが振り返る。さっと道を開け、長身痩躯の青年を彩子の目前へと通した。

 彩子が立ち尽くしているため仕方なく、というように、凄雀は立ち止まった。

「……どうして、ここにいらしたんですか?」

 なぜ、わかったのか、本当はそう聞きたかった。

「騎道に話がある。通せ」

 厳しい言葉に、彩子は嫌な想像ができて動けない。

「騎道を、どうするんですか?」

 また力で、頭から押え付ける……?

「奴の一番知りたい情報を持ってきただけだ」

 一番、知りたい……?

 一点の変わりもなく、厳しい凄雀の横顔。

 彩子は自分から身を引いた。扉を押し開ける。

 乱闘の残響が飛び出してくる。

「! ……彩子ちゃん……。役立たずな子ねっ。

 なんちゅー奴、いや、人、お通しすんのよ……?」

 三橋が、肩でぜいぜいと息をつきながら軽口だけは叩く。

 彩子には言い返す気持ちの余裕はなかった。武道場の壁際には、体を折り、痛みに呻く男たちが転がっていた。

 まだ体力の残る部員たちが、道場中央で、騎道と三橋を遠巻きに円陣で囲んでいる。踏み込んできた青年に気付き、慌てて竹刀を下ろし一礼した。

 凄雀は打ち据えられた男たちを一瞥した。

 沢木が、唖然とし、部外者の乱行に憤慨する女子部員たちを制し、怪我人を運び出すよう命じた。

 円陣の中で、背を向けたままの騎道。動かない肩、竹刀を握ったままの手に、凄雀に対する苛立ちがあった。

 凄雀の目前に、副主将が駆け寄る。

「どうだ? 目先の変わった鍛錬になったか?」

 目を見張り、副主将金井は大柄な肩を上下させた。

「はっ……」

 答えようのない顔色が青くなる。

 振り返った騎道は、凄雀の詭弁にさえ口元を引き締め、冷ややかな目をした。収まるどころか、乱闘でさらに怒りを増長させる騎道に、三橋は肩を叩いてやった。

「……お見苦しい所を、恐縮です」

「これで終わりか?」

「は?」

「お前たちは力尽きたのかと聞いている」

「いいえ! 可能です。……彼に、異存がなければ」

「では、続けろ」

 騎道の意志など眼中に無い。闘犬に合図を送るように、凄雀は促した。

 騎道は、闘志を燃やし竹刀を握り直す金井にではなく、凄雀が敵であるかのように向き直った。

「三橋。あんたは戦力外よ。騎道の足でまといになるだけ」

「……悔しいけど、その通りですっ。

 あいつバケモノだよ、彩子ちゃんっ。強くて怖くてアブナくて。全然、息が切れてないんだぜ?」

 笑えない褒め言葉だ。本当に、騎道は涼しい顔をしている。頬を上気させているが、疲労は見えない。それどころか、面倒な話だと言いたげに、ゆっくりと道場中央に足を運んだ。

 金井は竹刀を騎道に向ける。体を前後に揺すりながら、吼える気合いを繰り返し、残る部員を鼓舞した。といっても、彼自身、数ヶ所の打ち傷を造っている。

 騎道の方は、痛みを堪える仕種もないので、ダメージが全く計れない。

 決着は見えていた。3分も待たず、最後の一人、金井は騎道の胴を受け、武道場中央にがっくりと膝を付いた。

「そこまでだ」

 凄雀の低い声が、静まり返った武道場に響いた。

 見守った全員が、緊迫感から解放され、大きく息をつく。

 悔しさに顔を歪める金井の前に、凄雀は立った。

「主将の磯崎が亡くなった。自殺だそうだ。

 早く行ってやれ」

 女子部員から、泣き声が漏れ出す。

 堰を切ったように、呆然と座り込む男子部員たちも、困惑の呻き声を上げた。


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