Ⅵ
森に倒れていた少年を助けた後、彼は俺達の屋敷に暮らすようになった。
彼の姿は人とは違うところがあったが、俺達はそんなこと気にしなかった。彼が誰であろうと、何であろうと、俺達には何も関係がなかった。
俺とあいつ、そして、彼がいてくれれば、それで良かった。あの頃の俺達の世界は本当に狭かったと思う。だが、俺は広い世界に出ていきたいとは思わなかった。出来ることなら、このまま、三人で暮らしていたかった。
だが、その願いは叶うことはなかった。
奴に少年の存在がばれた。奴に少年の能力を知られた。
だから、奴は少年を欲した。
その為、俺達と少年は別れ離れになってしまった。
その後、あいつが完全に壊れるあの事件が起きてしまった。
俺は彼を引き止めることが出来なかった。あいつが壊れるのを止めることが出来なかった。
だから、俺はあの時の自分の無知さを悔やむことしかできなかった。いや、悔やんでも悔やみきれなかった。
ああ、俺はどうすれば、あいつや彼に償うことが出来るだろうか?
***
決勝戦まで数時間があった。翡翠の騎士が戻ってきた時、俺は休憩を貰い、走った。勿論、俺が向かうところは先ほど倒れたカニスのところである。
彼の今の状態がとても気になる。
恐らく、医務室に向かっている途中、待合室の前を通ると、ちょうど青い鳥が待合室に出てくるところだった。
何故か、あいつの肩にはバックがかかっていた。
「決勝戦が控えてあるのに、お前はバックを持って、何処へ行くつもりだ?」
俺は怪訝そうに尋ねると、こいつは肩にかけたバックを見て、
「これは私のではありません。これはカニスのです」
そう答えてくる。もしこれがカニスのなら、何故、こいつがそれを持っている?
「私はバックをとってくるように言われました。だから、持っていこうとしている最中です」
どうやら、鏡の中の支配者あたりに、バックをとってくるように言われたのだろう。
「………彼は何処にいるんだ?」
俺がそう尋ねると、
「医務室にいます。彼はとても体調が悪くて、寝かせてもらっています」
近くには鏡の中の支配者と赤犬さんが付き添っています、と、こいつはそう答えてくる。彼の体調が悪い?昨日は別にそんなことはなかったはずだ。なら、今日、突然、体調が悪くことなんて………。そこまで考えた瞬間、俺はとある答えに辿り着く。
「………今日は満月の日か?」
「はい」
こいつは短く答えてくれたので、彼が試合中倒れた原因は納得できた。
一か月ほど前、彼は満月の日も体調を崩していた。原因はよく分かっていないが、おそらく、彼の中に流れている狼の血が強く反応しているのではないかと言われている。
と言うことは、準々決勝は勿論、準決勝も体調の悪さを押してでたのではないだろうか?そして、翡翠の騎士との激しい攻防の中、彼の限界が訪れてしまった。
彼はこの大会が満月の日に重なることを知らずに出たのだろうか?それなら、納得出来るのだが………。
「………私は今日の朝、棄権するように言いました。今の彼の体調で、大会に出ることがどれほど危険だと言うことが分かっていたからです」
本当は彼には大会に出て欲しくはありませんでした、とこいつは言う。確かに、体調が悪いと言うのに、戦って、さらに体調が悪くなったのでは洒落にはならない。
「ですが、彼は私の忠告を聞いてくれませんでした。その時、彼は言っていました。『彼とはいい試合をしようと約束したからには、こちらの都合で降りるわけにはいかない。それに、お前には優勝して、やり遂げたいことがあるのだろう?彼を追いつめることが出来るか分からないが、出来るだけ減らしてくる』と。彼は私の為に体調を押して、出てくれました」
こいつはそんなことを言ってくる。カニスはこいつが何かの為に参加しているのは気づいていたのか。流石に、城のシステムなどは知らないとは思うが。
「………確かに、彼はお前の為に出場したのかもしれない。だからと言って、お前が気に病むことはないんじゃないか?」
お前が悲しめば、彼はもっと気に病むだろう、と俺は付け加える。
「だったら、お前は彼の為に勝って、『ありがとう』って、言ってやることが頑張った彼にとっての礼儀じゃないのか?」
彼だって、こいつに謝れるより、感謝された方がいいに決まっている。
「これは俺が届けてやるから、お前は決勝戦まで体力を温存しておけ。いいな?」
俺がこいつからバックを渡すように言うと、こいつは一瞬戸惑いながら、俺に渡す。すると、バックは俺の肩にずっしり重量感を与える。
一日分の荷物だけでいいはずなのに、カニスはこんな重い物を持っているんだ?
「ありがとうございます。彼に会ったら、お大事に、と言ってください」
こいつはそう言ってくる。
「ああ、分かった。お前こそ、頑張れよ」
俺はそう言って、あいつと別れる。
俺はかなり重い荷物を悪戦苦闘しながら、医務室まで運ぶ。この荷物が重いだけなのか、俺の筋力がないだけなのか、判断付けづらい事実に涙するしかない。
医務室に着き、一応、ノックをして入ると、案の定、カニスはベッドで寝ている。その横には断罪天使がいた。赤犬さんは先ほどまでいたらしいが、観客席に戻ってしまったようである。鏡の中の支配者は黒龍さんに呼ばれたようである。
黒龍さんのお仕置きが脳裏に過るが、彼が負けたからと言って、黒龍さんが損することはない。むしろ、彼が負けた方が都合いいはずだ。おそらく、お仕置きされるということはないだろう。
「青い鳥から荷物を預かったんだが、これ、何処におけばいいんだ?」
「………ベッドに横にでも置いておけばいい」
俺は断罪天使にそう言われたので、ベッドの横に置く。
「にしても、この荷物は重いな。何が入っているんだ?」
俺がそう呟くと、
「………この大会が終わったら、彼はお前達の故郷に遊びに行くことになっている」
彼が出たいとは言っていたが、こちらに持ち込まれた案件だったのもある。それのご褒美だ、と断罪天使はそんなことを言ってくる。
「なるほどな。と言っても、俺達はいつ帰って来られるか分からないんだよな。一緒に行ってやることが出来れば良かったんだけど。王都からあそこは遠いけど、大丈夫なのか?」
汽車一本で行けるので、迷うことはないと思うが。後で、お袋に事情を話して、彼が滞在する間、世話を頼むか。お袋は世話好きだから、言わなくてもしそうだが。
「………大丈夫だ。俺も同行することになっている。彼を一人にするわけにはいかないからな」
彼はそんなことを言ってくる。カニスは神子だから、何かあっても困るのだろう。
「そもそも、あの男に行き方を教えても、お前の故郷に辿り着けないのは目に見えている」
「それはどう言うことだ?」
王都からあそこまで行くまでに迷うようなところはなかったはずだが?
「あの男は生まれつきの方向音痴だ。前に散歩したいと言ってきたから、教会内なら大丈夫だろう、と一人で行かせたところ、数時間経っても帰ってこなかったから、執行者総出で捜索するまでになった」
あの時は彼の身に何かあったのではないかと冷や汗を流したものだ、と彼は溜息を吐く。教会側としては、またそんなことを引き起こしたくはないだろう。
とは言え、カニスがそこまでの方向音痴だとは思わなかった。彼は娼婦館にいた時はどうやって生活していたのだろうか?
そんなことを思っていると、鏡の中の支配者が入ってきた。変わったところがないので、彼はお仕置きをされてはいないようだ。だが、彼の手には昨日、青い鳥が黒龍さんに渡された紙袋と同じものがあった。
「………これ、黒龍さんから貰ったんですか?」
俺がそう尋ねると、
「ん?ああ、これですか?カニスくんにと、龍さんがわざわざ作ってくれたそうです。彼は魔法以外にも、こう言った心得を持っているみたいです。話によると、彼の住んでいた場所に伝わるものらしいです」
鏡の中の支配者はそう説明してくれる。黒龍さんが住んでいたところか。そう言えば、俺は彼のことを何も知らない。おそらく、あいつなら、黒龍さんのことは少しくらい知っていると思うが。
「………そう言えば、貴方は黒龍さんのことを知っていますか?」
かつて、“蒼狐”として、王に仕えていた彼なら、何か知っているかと思って、口にすると、
「龍さんのことですか?お兄さんが知っていることは貴方が知っていることくらいですよ。お兄さんは龍さんと馴れ合おうなんて気がありませんでしたから。どちらかと言うと、龍さんのことはお兄さんより、貴方の師匠さんの方が知っていると思います」
王に仕えていたのはお兄さんより長かったですし、と彼はそう言ってくる。
「と言っても、彼女もそこまで知っているところはないかもしれません。彼は全てにおいて秘密主義ですから。もし彼のことを知っている人がいたら、王だけなのかもしれません」
彼はあんな性格をしていながら、王には忠誠を誓っていますから、と鏡の中の支配者がそう言ってくる。
すると、医務室に決勝戦を知らせるアナウンスが流れる。そろそろ、試合が始まるようである。あいつが試合に出る前に、顔を見せてから、観客席に戻ろうと思い、断罪天使達に断りを入れて、医務室を後にする。
俺が待合室に訪れると、あいつはグース―とソファーの上で夢の世界に旅立っていた。このまま、俺が来なかったら、棄権になっていたのではないだろうか?そんなことを思いながら、俺はこいつの身体を揺する。
「青い鳥、そろそろ決勝戦が始まるから、起きろ」
俺はそう呼びかけるが、起きる気配は全くない。
「ここまで来て、棄権になりたいのか?」
俺は頬を軽く叩くが、これもまったく意味をなしていない。
「青い鳥、いい加減起き………」
ろ、と言おうとした瞬間、青い鳥は俺の手を掴み、
「大きなクッキーです。いただきます」
まだ寝ぼけているのか、そんなことを言ってくる。
「ちょ、待て」
俺は止めに入るが、時はすでに遅し。俺の手はあいつの口に入り、思いっきり噛みつかれた。
「ぎゃあああああ」
俺の断末魔はどこまで響いたのかは分からない。
あの後、あいつを思いっきりぶん殴り、覚醒させたことは言うまでもない。
「………女の子を力一杯ぶん殴るなんて、貴方は酷いことをします」
青い鳥は頭をスリスリと撫でる。
「なら、親切にお前を起こしに来た俺を噛んだお前はもっと酷い奴だと思うが?」
俺は青い鳥に噛まれた手を撫でる。こいつに噛まれたとは言え、血も出ていないし、そこまで酷い怪我ではないので、魔法で治す必要はない。
魔法は便利だが、一々使っていると、もともと備わっている免疫系を衰えさせることになってしまう。
「それについては謝ります」
こいつはそう言って、近くに置いてあった細剣を腰につける。
俺はその剣をマジマジと見る。俺は剣士ではないので、そこまで剣のことを知っているわけではない。だが、そんな素人の俺でも、この細剣がどれだけ美しい造形をしているかくらいわかる。
ひょっとしたら、この細剣は銘のあるものではないのだろうか?
「………昔から気になっていたんだが、この剣はどうやって手に入れたんだ?」
俺の記憶が正しければ、あいつがこの町に来た時、背には不釣り合いな細剣を腰につけて、引きずっていた覚えがある。
「………前、貴方に言ったと思います。私は何かに影響されて、剣を振っていた、と。私は木刀を何処からかくすねて、友達と練習していました」
こいつはポツポツと話し始める。
「その時、通りかかった旅人の男の人が私達を見て、振り方がなっていない、と注意しました。その時から、彼はこの町を通るたびに、私達に指導して行きました。指導と言っても、ほとんど剣士ごっこの延長だったと思っていました。そんなある日、彼は私を見て、言いました。お前は片手剣なんかより、細剣の方があっている、と。ですが、私はコンビクトから離れなければならない時が来て、その時、彼は私にこの細剣をくれました。ちゃんと言ったとおりに練習すれば、お前は凄腕の剣士になれる、と。もしお前が名のある剣士に成長したら、俺に挑みに来い。その時は命をかけた戦いをしてやる、と」
だから、私は教わる相手がいなくても、振っていました、とこいつはそんなことを言ってくる。
こいつの話を聞くと、その旅人の男は名のある剣士ではなかったのだろうか?遊びで振っていたこいつを見て、伸びる、と感じたのだから。
「………そうか。なら、その人が誇れるような闘いをしてこい」
こいつが剣の道を極めるつもりがあるのかは分からない。だが、剣を握るのなら、その人が誇れるような闘いをするのが礼儀と言うものだろう。
翡翠の騎士に勝とうと、負けようと、お前は自分自身やその人に恥じない戦いをしなければならない。
「そのつもりです。だから、貴方には私の覚悟を見て下さい」
こいつはそう言って、待合室を出る。
今回は俺の出る幕はない。出来ることは何もない。信じて待つと言うことがどれだけ辛いか、今回改めて知った。だが、あいつは俺をいつも信じて何もしなかった。それがどれだけ辛かっただろうか?
だから、今回は俺がこいつの闘いを見届けようと思う。どんな結末が待っていても、俺は見届けよう。
全てが終わったら、笑顔で「頑張ったな」と言えるように………。
俺が観客席に戻ると、青い鳥と翡翠の騎士が舞台に立っていた。どうやら、始まる直前のようだ。
黒龍さんは俺の姿を見ると、何も言わず、舞台の方に視線を移す。
『レディー&ジェントルマン!!泣いても、笑っても、この試合で全てが決まります。勝利の女神が微笑むのは5連覇がかかった何人たりとも寄せ付けない剣技の使い手・翡翠の騎士か?もしくは、彗星の如く現れ、奇跡の快進撃を見せた青い鳥選手か?』
解説者がそう叫び、レフェリーが青い鳥達に確認をとると、戦いのコングが鳴る。
誰が勝つなんて、分からない。それは恐らく、青い鳥も分からないだろうし、翡翠の騎士だって分かっていないのだと思う。
青い鳥の想いが翡翠の騎士の実力を破ることが出来るかどうかがこの勝負を左右するだろう。
感想、誤字・脱字などがありましたら、お願いします。
次回投稿予定は11月24日となります。
11/17 誤字が見つかったので、修正