Ⅲ
『私は武道大会に参加したいと思います』
あの少女がそう言ったのは宮廷騎士になって一週間が経つか経たないかの時だった。
『あれは新人宮廷騎士が出るものではない』
この少女の実力なら、大会に出ても上位に連なることができるだろう。だが、その場合、宮廷騎士達からますます孤立するだろう。それでなくとも、こいつは宮廷騎士を一人倒してしまい、他の宮廷騎士から目の敵にされている。この少女は俺が見ただけでも、陰湿ないじめを受けていた。全てやり過ごしているが、貴族のプライドを持った成り上がりで宮廷騎士になった連中が食い下がることはないだろう。
この少女を認めている宮廷騎士も中にはいるが、それは本当に少数派で、所謂宮廷騎士の実力を持った連中だけだ。そう言った連中が少数派になりつつあることに嘆かわしいと思う。
近い将来、宮廷騎士の中は勿論、宮廷魔法使いの中でも実力社会をつくらなければ、この国は駄目になってしまうだろう。もし、こいつが大会で上位者には言ってくれれば、それを作りやすくはなると思うが………。
『私はそう長くここにいるつもりはありません。彼が笑顔でいられるなら、私はいくらでも嫌われ者になるつもりです』
そう告げるこの少女とかつて、あいつをどんな手を使ってでも守りたいと願った自分を重ねてしまう。
もしこの少女のように徹底的にそう考えることが出来れば、俺はここまで苦しむことはないのだろう。むしろ、こいつを守れることに幸せを思うべきなのかもしれない。
『だから、もし私が優勝したら、約束してくれませんか?』
この少女はこう告げる。
『私が優勝したら、私の言うことを聞いてくれる、と』
それを聞いて、俺はフッと笑みを浮かべる。俺はこの少女のことを誤解していたのかもしれない。
蒼狐との賭けで、この少女達が勝った時、自分達が勝てる土俵で勝負していると思っていた。確かに、それもあると思うが、この少女のやり方は少し違う。自分にも有利な土俵であって、俺達にも有利な土俵でも戦っているということだ。
『俺が勝ったら、お前は俺の言うことを聞いてくれることだな?』
『………そういうことになりますね』
こいつは淡々と言ってくる。俺がそれをあの男に言えば、手回しをして、この少女を圧倒的不利に出来ると言うのに、何故そこまで冷静にそう言ったことを提案できる?
『お前はどうしてこんなことができる?』
自分が圧倒的不利になろうとも、どうしてお前は諦めずに前を向こうとする?
『それは信じてくれるからだと思います』
この少女はそう言ってくる。
『私ならやってくれると信じてくれる人がいるからだと思います。彼はいつも私に言います』
私なら、幸せを運ぶ鳥になれる、と。
それを聞いて、俺はこの少女とあの少年の間にある揺るぎない絆に少し羨ましいと思った。
もし俺とあいつの間にあそこまでの信頼があったら、俺はあいつを理解してあげられたのかもしれない、と。
***
俺が待合室へと向かうと、青い鳥と不服そうな表情を浮かべた断罪天使と出会った。
「貴方とはよく会います。仕事はいいのですか?」
こいつはそんなことを言ってくる。
「良くなかったら、ここにいないだろうが」
「それもそうです」
こいつはそう言って、俺の近くにより、
「私に言うことはありませんか?」
そんなことを言ってくる。確かに、俺はこいつに会ったら、「頑張ったな」と声を掛けようと思ったのだが、言おうとした瞬間、恥ずかしくなってしまい、
「馬鹿高い化粧水に一歩前進したな」
皮肉を言ってしまう。
「当然です。私はそれを支えに頑張っています」
こいつがそう言うと、断罪天使は「………俺は化粧水の為に戦っている奴に負けたのか?」と、嘆いていた。その気持ちはよく分かるが、今さら、事実を曲げるようなことは出来やしないので、そのままにして置く。
すると、待合室から出てきた赤犬さんとカニスの姿が見え、彼女達は俺の姿に気付くと、
「お前ら、しばらく待合室には行かない方がいい」
赤犬さんから意味深なことを言われる。
「どうしてですか?」
「………あそこには蒼狐と黒龍さんがいる」
そう言われて、俺は瞬時に納得する。なるほど、今、黒龍さんによる黒龍さんの為の黒龍さんのお仕置きが行われているようである。今、俺は黒龍さんに会わない方がいいので、すき好んでいこうとは思わないが、
「………私には関係ないです」
あそこには私のタオルがあります、と言ってくる。どうやら、あいつは顔を洗いたいようで、そのタオルを取りに行きたいようである。
あいつは黒龍さんが何をしていようと、関係ないと言わんばかりに、待合室に踏み込む。俺は部屋の中を一瞬しか見ることが出来なかったが、
『………貴方達は何をしているのですか?私だって、そんな経験したことがありません』
こいつの叫びが聞こえてくる。こいつがそこまで大声を出すのだから、信じられない光景が広がっているのだろう。
『………はっきり言って、経験しない方が幸せだと思います。というか、貴女は一生出来ないと思いますが。龍さん、魔法を解いて下さい。女の子の前でやるものではありません』
鏡の中の支配者が焦っているような声が聴こえてくる。本当に、あんたは何をされているんだ?
『うるせえ。てめえは黙ってろ。そして、餓鬼は早く消えろ。これから、大人の時間だ』
そんなことを言ってくる黒龍さんの声が聞こえてくる。黒龍さん、貴方は何をしているのですか?大人の時間って、とんでもないことをしているような気がしてなりません。
『それは私のお気に入りのブタさんのタオルです。勝手に、人の使っているんですか?汚くて、もう使えません。どうしてくれるんですか?』
こいつが恨めしそうに言っている声が聞こえてくる。嗚呼、俺はこれを聞いて、どんな反応を取ればいいんだ?
すると、こいつは怒っているような雰囲気を漂わせて、部屋から出てくる。そして、こう一言。
「翡翠の騎士を呼んでください。彼らを強制排除します」
俺は訳が分からなかったが、こいつの雰囲気に吞まれ、俺は翡翠の騎士がいる特別席へ走って行った。
それを聞いた翡翠の騎士は怪訝そうに、待合室に向かい、入っていくと、
『てめえらは神聖な闘技場でそんなことをするな!着替えろ!!こんなところを他の連中にみられたらどうする?汚したところは掃除しろ。いいな?』
そう怒鳴って、待合室から出て行った。
その時、俺は黒龍さんがにかけていただろう魔法陣を見てしまった。どうやら、彼はその魔法で、鏡の中の支配者に幻を掛けていたのだろう。それで、彼が何を見ていたのかは想像にお任せする。
俺は心の中にそれらの出来事を奥の方へ追いやり、厳重に蓋を閉めることにした。
一方、赤犬さんは何とも言えない複雑な表情で、鏡の中の支配者を見ていたし、断罪天使に至っては実は次に自分がそれをやられるのではないのだろうか、と思ったのか顔を青くしていた。
青い鳥はと言うと、興味なさそうに貼ってあった紙を後ろにして、“黒龍が掃除をしています。見物は自由”と書いていた。青い鳥、タオルの復讐のつもりか?
こうして、大会中に起きた黒龍さんのお仕置きはひっそりと終了した。これを目撃したのが俺達だけというのは不幸中の幸いとしか言いようがない。
あの後、俺達は食堂に向かった。大会中は城の食堂を一般人にも開放しているので、たくさんの人でごったかえしていた。
話によると、参加者は全員、食堂での食事は無料で提供される。青い鳥は勿論、断罪天使やカニスも参加者なので、好きなだけ食べられる。俺もここで働いている身なので、無料で食べることが出来る。だが、赤犬さんはかつて宮廷魔法使いだったとは言え、今は一般人なので、お金を払わなければならない。
彼女はカウンターに行き、メニューを見た瞬間、表情が引き攣っていたのは気のせいではないだろう。
俺が一人前程度料理を運ぶと、縦長のテーブルを料理が占領していた。青い鳥は言わずとも分かるが、断罪天使やカニスもそれに匹敵する量だった。赤犬さんも結構食べる人だったが、いつもより少なかった。彼女曰く、値段を見たら、食欲が減る、だそうだ。興味本位で尋ねてみたところ、それは予想以上の値段で、俺はそんな立派なものを食べていたのか、と再認識させられた。
カニスは早く食べ終わると、次に試合があるから、と席を立った。そんなに食べて、動いたら、お腹が痛くなることはないのだろうか、と思っていると、
「………普段の奴はこれ以上平気で食べている」
断罪天使がカニスの後姿を見て、そんなことを言ってくる。どうやら、これでも、軽くしか食べていないらしい。
あんたの胃袋はどうなっているんだ?
彼から遅れること十分。俺は全てを平らげ、紅茶を呑んでいると、鏡の中の支配者が衰弱しきった表情で、俺の隣に座り、赤犬さんの食べかけのハンバーグをパクッと食べてしまった。
「……お前、何してんだ!!」
赤犬さんは顔を真っ赤にして、そう叫ぶ。
「食べてしまったハンバーグを返せと言われても、返せません。お兄さんはとてもブルーなんです。癒して下さい」
鏡の中の支配者はそんなことを言ってくる。
「何で、私がそんなことをしなければならないんだ?」
「お兄さんが助けを求めたのに、助けてくれませんでした。そのお陰で、気持ちい、いや、とても恥ずかしいものを見せられました」
鏡の中の支配者は顔を真っ赤にして、彼女から視線を逸らす。
「………お前は本当に何を見せられたんだ」
赤犬さんは何かを察したようで、そんなことを言ってくる。
「お兄さんを誘ってくるんです。とても可愛らしい顔で。お兄さんはもう耐えられません。食べていいですか?」
彼は真面目な顔で赤犬さんに訴えかけるように言ってくる。その瞬間、彼が見せられたものが俺の想像通りだと言うことを理解した。
「何を言い出すんだ、お前は?餓鬼の教育に悪いことを口走るな。用がないなら、帰れ」
あの狼の試合はもうすぐだ、と赤犬さんはそう言い捨てる。
「………そんな時間ですか。まあ、彼は余程のことがない限り、負けやしないと思いますが。彼と言えば、どうして、彼をBブロックにしたか、龍さんに聞いたのですが………」
彼がそう言うと、青い鳥が反射的に彼を見る。
「どうやら、翡翠の騎士がそう仕向けたようです。もしあいつが勝ち進んで戦うことになったら、あっちに不利過ぎると言ったそうです」
確かに、黒龍さんはとにかく、翡翠の騎士は一対一の戦いを純粋に闘いたいと思っているはずだ。
「………あの人が王以外の願いを聞き入れるとは珍しいこともあるもんだな」
赤犬さんがそんなことを言ってくる。
「お兄さんもそれが不思議で仕方ありません」
彼は自分勝手な人ですから、王の命令を聞いていることですら不思議に思っていましたが、と鏡の中の支配者も赤犬さんに同意するかのように頷く。
「私もそろそろ試合が近くなりましたので、準備しに行きます」
一方、青い鳥は興味が失せたようで、席を立つ。
「………青い鳥!!」
俺がそう呼ぶと、こいつは振り返ったので、
「頑張れよ」
さっき言うことが出来なかった素直な気持ちをあいつに伝える。
「当たり前です」
こいつはそう言って、食堂から姿を消した。
「………青春ですね」
鏡の中の支配者がしみじみ言ってくる。
「できる時にするのは当たり前です。もういい年した大人が青春している姿は痛いだけですから」
「………言ってくれますね」
「俺はただ後悔したくないだけです」
そう、今行動を起こさずに、後悔することだけはしたくない。同じ後悔をするなら、した方がいいと思うから。
「じゃあ、俺も戻らなくてはいけないので、失礼します」
俺はそう言って、食堂を出る。
俺が会場に戻る頃にはカニスの試合が決まっていたのは言うまでもない。
誤字・脱字等がありましたら、よろしくお願いします。
次回投稿予定は10月27日となっています。
11/10 誤字・脱字修正