その3
今日のホスト役は、若い『子ら』の取り纏め役も兼ねている姫神子キャンディス。参加者は年齢順に、大神官ケヴィン、姫神子イリューファ、神子コリン、平神官バート。バートよりも幼い『子ら』は、タイミング悪くお昼寝中である。
「ああ全く。
イリューファ、この大男、いい加減鬱陶しくならないの?」
「どうして? ケヴィンはとても素敵よ、お姉様」
妹分のほわほわとした笑みに、姉貴分は疲れたようにしばし額に扇の先を押し当て、それを肘掛けにピシャリと叩き付けた。
「コリン! 今日はコリンの話が主題なのよ!」
「オレ、その辺比較的どーでもいーなー。むしろケヴィンの雷に解決法を」
ややして、のんびりとお茶を啜っていたコリンに、指揮棒よろしく扇を突き付けるキャンディス。そんな主催者の態度に、バートはテーブルの上にだらしなく顎を乗せ、ぶーたれた。
「……ケヴィン」
「何、キャンディス」
バートの愚痴に片眉をピクリと動かしたキャンディスは、閉じたままの扇をついとケヴィンの顎の下に滑らせ、強引に顔を持ち上げさせた。その上で、弟分の気怠そうな顔を覗き込む。
「イリューファに近づいたからってだけで、金輪際、雷、落とすな」
「……」
「あたしが、こう言ってるの。ケヴィン。わ、か、った、わね?」
「……イリューファに触ろうとしてきたら」
不満げに念を押すケヴィンに、キャンディスは初めて晴れやかな笑顔を浮かべた。その紅をはいた朱唇が愛くるしく弧を描く。
「下心のみの男は跡形もなく骨の髄まで焼き捨てて良し」
「分かった」
姉貴分から下された免罪符に、ケヴィンは速攻で頷く。
肝心の渦中のイリューファはと言うと、姉がケヴィンに酷い事を言うハズが無いとばかりに、にこにこと微笑んで聞き流している。
「……なあ、バート。この条約、むしろ将来の危険性が増してねえ?」
「オレもそんな気が……」
コソコソと声を潜めて囁き合う年少コンビの頭上に、キャンディスの「さあっ」という仕切り直しを告げる鈴を転がすような明るい声音が降り注ぐ。元通りにバッと扇を開いた彼女が優雅にそれをそよがせるたびに、何とも心地よく香しい空気が頬に触れる。
「それでコリン、どこまで話してくれたのだったかしら?」
『あたしの決めた事に、異議も異論も認めないわ』とばかりに、女帝様……もとい、彼らの年長のお姫様はソファの肘掛けに片腕を凭れ掛けて手の甲に頬をあてがい、扇を口元まで下げる。姫の意を汲むと、『つまらない件はこれでお終い。さ、早くお話しなさいコリン』である。
「お姉様のお授けになった手管で、コリンの意中の方が簡単に落ちてメロメロになった下りからですわ」
「そうそう。その、オリヴァーとやらが、若さゆえの衝動に押し負けたところからだったわね」
ケヴィンの話に話題が一旦逸れたお陰か穏やかな口調でのイリューファの解説に、キャンディスは愉快そうにに「おほほ」と笑みを漏らす。
「その節はご助言ありがとうございました、キャンディス姉様」
「可愛いコリン。殿方をその気にさせるシナの一つや二つ、そろそろあなたも覚えて良い頃よ」
「でもお姉様、それでまだ未分化のコリンが穢されてしまうだなんて、わたくしは我慢なりませんわ」
イリューファがシクシクと泣き真似をして口を挟むと、バートとケヴィンが色めき立って腰を浮かした。
「けがさ……!? なっ、襲われたのかお前!?」
「イリューファ……オリヴァー、殺っとく?」
血相を変えてコリンの体調を気遣う弟分と、あくまでも恋人を悲しませた輩に殺意を抱く兄貴分。ケヴィンからは、色恋のゴタゴタは子供じゃないのだから自己責任だと認識されていて、コリンとしては嬉しいやら悲しいやら。ひとまず、バートの頭を撫でくり回して「誤解だ」と弁明しておく。
「安心して下さいイリューファ姉様。オレが成人するまで、オリヴァーはオレと契る気は無さそうですよ」
その代わり、僅か一日で散々色んなキスを教え込まれたが。
「ああ、何て純情なコリン……殿方が時に、強く突き動かされる想いを知らないから。
あなたには想像もつかないかもしれないけれど、普段はこんなに穏やかなケヴィンでも、時には……」
「……いや、あんまり意外じゃないです」
「うん。簡単に予想がつく」
「そうね。ケヴィンはむしろ分かり易いほどにムッツリ男だわ」
「……」
オロオロと、戸惑いがちながらも戒めてくるイリューファに、コリンは片方の手を立て軽くパタパタと左右に振った。即座に同調を示すバートとキャンディスに、件のケヴィンは微妙に傷付いたように沈黙し、無言のまま恋人の肩に両腕を回して彼女の髪に顔を伏せた。
「それで、めでたく想いが通じ合ってめでたしめでたし?
はあ……もっと他にネタはねえのかよ」
「えー? ああ、聖門前でイチャイチャしてたから、その時間帯の門番担当のマーシャルとフレディにしょっぴかれて、その後詰め所でネチネチお説教ってオチが」
「コリン……やっぱ、お前の彼氏アホだろう?」
「そうかも?」
バートの投げやりな言葉に、コリンがとっておきのネタを披露してやると、弟分は肘掛けをバシバシと叩いて笑ってはくれた。オリヴァーにこの事が知られたらこっぴどくどやされるような気もしたが、最早後の祭り。
「……コリンは、結局姫になるのか」
と、不意にポツリとケヴィンが独り言を漏らした。
「え? いや、オレはどっちかってーと、男に……」
「女になれ。イリューファが笑いかける男は、これ以上要らない」
「思いっきり私情!?」
「でもね、コリン。今のあなたの精神状態は、どちらかというと女性寄りじゃないかしら?」
イリューファも気遣わしげに小首を傾げる。弟妹達の会話に黙って耳とティーカップを傾け、その味わいに満足そうに「ほう」と溜め息を吐いたキャンディスは、ソーサーにそれを乗せつつ唇を開く。
「殿方を煽り挑発して、彼の方から積極的に自分を求めるように仕向け、時に手招きして誘い、時に微笑み惑わせ追わせる……素敵よ、コリン。
あなたの小悪魔っ娘ぶりには、及第点をあげるわ」
「キャンディス姉様、オレにそんな技を教えてくれてたんですか!?」
そんな技巧は要らない!? と、頭を抱えるコリンに、キャンディスは愉快そうに「おほほほほ」とだけ返し、彼女の翳した扇だけがひらりひらりとそよぐ。
性別未分化の神子がどちらの性を持つかは、大半が本人の精神状態に左右されるという。コリンは14になった今もまだ分化していないが、第二次性徴を迎える年齢前に分化するケースが多い。
「なあバート、どうやったら男に分化出来るんだ?」
「あ? うーん……多分、毎日毎日見習い神官の修行イヤだ、早く神官になりたいって考えてたから?」
平均的なケースに漏れず、一昨年一足お先に男性分化した弟分にコツを尋ねてみると、本人もよく分かっていないのか、やや曖昧な返答を返してくる。未分化の神子は、実年齢が幾つで実力知識の有る無しに関わらず、神殿内での扱いは『見習い神官』である。
「そういやオレ、見習いの修行はたいして苦だと思った事ねぇな……
ケヴィンはどうやって男に分化したの?」
「……分化前は毎晩眠りに落ちながら、『早くイリューファと契りたい』って考えながら寝てた」
続いて兄貴分にも尋ねてみたところ、イリューファの頬が紅潮し、キャンディスがピシャリと勢い良く扇を閉じるのも当たり前なお返事が返ってきた。
「……そうか……オレもそう思いながら眠るべきなのか……!?」
恥ずかしさから顔を両手で隠し、小さく悲鳴を漏らしソファの上で縮こまるイリューファと、ひたすらにかったるそうな表情のケヴィンの首を掴んで前後に振り立て締め上げるキャンディス、というテーブル向こうの年長者達の戯れ合いは極力視界からシャットアウトしつつ、コリンは拳を握り締めつつ決意の表明を漏らす。
「やめとけよ、コリン。イリューファ姉の言葉が正しいなら、多分それ逆効果」
「早く一人前の男になりたい……」
グッタリ、とソファに力無くもたれ掛かり、コリンは頭の中に格好良い彼氏の姿を思い浮かべた。早く、オリヴァーの役に立てるようになりたい。