その2
「……おい」
「どうかした?」
コリンの行動に仰天したように上半身を仰け反らせ、オリヴァーは困惑混じりに言外に『近すぎないか?』と、咎めるような呟きを漏らすが、コリンとしてはこれくらいで丁度良いと思うのだ。
素知らぬ顔でカクンと首を傾げると、オリヴァーは照れ臭そうに顔をしかめて背け、自分の頭に軽く手をやり、沈黙を誤魔化すように自分の黒髪をグシャっとし、前髪をかき上げた。
「丘登ってきて、喉乾いてない?」
「貰うわ」
コリンがはい、と差し出したグラスを受け取って、水を一息にゴクゴクと飲み干したオリヴァーは、改めて室内の様子を見回して「なあ」と口を開いた。
「……もしかしてさ、毎日の差し入れって、ホントにお前が作ってたのか?」
思いがけない質問に、思わずコリンはキョトンとした表情で彼氏を見返していた。
「そうだけど?
え、もしかして今まで、オレが厨房からちょろまかしてきた料理を横流ししてる、とか思ってたのか?」
「ちげぇよ。じゃなくて……お付きの人とか居て、お前は毎日『神子様』『神子様』って崇められてんのかと」
オリヴァーはもごもご、と言いにくそうに言葉を探す。どうやら先ほど部屋に入りたくなさそうにしていたのも、その『コリンのお付きの人』とやらが待ち構えているのでは、と危惧していたらしい。
「そりゃ、オレは言ってみれば定まった親がいない訳だから、ちまっとしたガキの頃は付きっきりで世話してくれる人が居たよ?
でも今は他の見習いとホントに変わんねえんだよ、修行内容とか。『神子様』なんて有り難がるのは平地の人達だけで、ここじゃ結構ぞんざいだぜ?」
「保冷庫完備なこんな広い一人部屋に住んで、『ぞんざいな扱い』だぁ……?
このクソガキ、貧乏庶民の神経を逆撫でしてぇのか、ああん?」
真顔で己の境遇に特筆すべき点は無い、と主張するコリンのこめかみを両の握り拳で抉るようにグリグリ、と押し付けてくるオリヴァーに、コリンは彼の胸元を叩いて「痛い痛い」と訴えた。
「うう、ヒドいオリヴァー……恋人に対してこの扱いっ」
「言っとくがな、俺の借りてる部屋はこの部屋の半分以下の広さだぞ!?
でもってその部屋だって、新米衛士の給金で念願叶ってようやく借りれた一人暮らしの部屋だぞ!?
この坊ちゃまは……!」
ぷーっと膨れっ面をして拗ねてみたところ、オリヴァーから果てしなく暗い声音で愚痴られるが、コリンからしてみれば完璧に八つ当たりで、コリンにもオリヴァーにも、生まれた環境の違いなどどうしようもない事である。
ひとまず茶目っ気混じりに「テへッ?」とポーズを決めてみたところ、オリヴァーははぁ~……と深い溜め息を吐いてコリンの肩にポスッと顔を伏せた。
「オリヴァー?」
「黙れクソガキ。今俺は自己嫌悪中だ」
ただ、彼氏とラブラブしたいだけのコリンは、彼氏にもたれ掛かられて、それでいて突然黙れと言われてしまい、どう対処すべきか困惑してしまう。空いていた両手をオリヴァーの背中に回してみても、怒られないのでギュッと抱き付いた。
「ああくそ……お前に言うつもりなんか無かったんだ。どうもさっきから調子が狂う。
悪い、お前に当たり散らした」
「も、喋っても良い?」
やがて顔を上げたオリヴァーの表情が、普段見慣れたどこか飄々としたものに戻っていたので、確認を込めて問うと彼は一旦頷きかけるも、思い直したように「いや」と制止をかけてきた。
「どうせなら、違う『お喋り』するか」
クス、と小さく笑みを零して舌でペロリと自らの唇を軽く舐めたオリヴァーは、コリンの返事を確かめるように見下ろしてくる。『NO』とは絶対に言い出さないに違いない、と確信しきっている傲慢な目つきに、コリンはむくれて唇を尖らせた。
「なんだ? そんなに欲しいのか。仕方ねえな、俺のコリンは。
そんなに口を突き出さなくても、ちゃんとくれてやるよ」
コリンは単に、不満を表情に出しただけなのに、オリヴァーはそれを承知の上でそんな恩着せがましい台詞と共に、唇を寄せてきた。
おおよそ、オリヴァーが自ら恋愛関係を示唆する言葉や表現を用いたのは、これが初めてだ。『俺のコリン』発言に、驚愕のあまり固まっている恋人をヨソに、オリヴァーは楽しげにコリンの唇を啄む。
「オリヴァー、せっかく梨切ったのに……」
恋人同士の甘い空気が漂いつつある。けれどもコリンとしては、求めていたものとは何かが違うと感じてしまう。こんな風に、キスで誤魔化されているような事態は。
だから、先ほどから放置されている皿の上の果物を示して、『会話がしたい』と言外に訴えてみたのだ。
「ああそうだな、せっかく出してくれたんだ」
少し顔を離し、テーブルの上をチラリと確かめたオリヴァーは、コリンに流し目を送りながらニヤリとした笑みを浮かべた。
「……一緒に食おうぜ?」
その時確かに、何かを失敗してしまったような嫌な予感がコリンの背筋に走った。
その日、コリンの法衣は果汁でベタベタになった。白い服は汚れを綺麗に落として洗濯するのは大変であると言うのに、元凶の彼氏は涼しい顔で「すっげえ甘くて美味かった」と、ご満悦で帰途についたのである。
「要するに、そのカレは手が早いのね」
「違うわお姉様。この場合は『手癖が悪い』って言うのよ」
「あら、情熱的で素敵だとは思わないの?」
「ダメ、ダメよお姉様!
『ガキはお断り』とか『お堅い』とか言っておきながら、交際初日から襲ってくるだなんてケダモノよ、ケダモノ!」
「うふふ、イリューファは大事に囲われてるのねぇ……ねえ、ケヴィン?」
手にした扇を扇ぎながら、キャンディスがわざとらしく話を振ると、イリューファの隣に座って彼女の肩に腕を回し、話を聞くともなしに口を閉ざしていたケヴィンは気怠げにその面を上げた。
「……別に、囲ってなどいない。
ただ、俺以外の男はイリューファの半径5メートル以内に近寄ったら、雷を落とすって決めてるだけ」
「……ケヴィン、オレが成人してからイリューファ姉に話し掛けようとしたら?」
御年12歳、このサロンに集った最年少であるバート少年がはーいと手を挙げながら発言すると、ケヴィンはしばし迷うように沈黙した後、ポツリと零した。
「……落とす、かも」
「落とすんかい!?」
「そりゃねーよっ!?」
「あらあら、それは流石にどうかと思うわよ?」
ケヴィンの答えに、コリンとバートは思わずズビシッ! とツッコミを入れていた。キャンディスも眉を顰めて扇をパタンと閉じる。
「ケヴィン、バートを焦がすなんて可哀想よ」
が、席を囲む面子の諫言には小さく無言のままで首を傾げるだけだったケヴィンは、イリューファの言葉には大きく頷いた。
「……じゃあ、直撃はさせないようにする」
「結局落とすんかい!?」
「そりゃねーよっ!?」
新たに打ち出された改善案に、やはりコリンとバートは全力でツッコミを入れていた。
このように、ケヴィンは恋人のイリューファ至上主義で、神力を彼女の為に奮う事に何ら躊躇いも持たない男である。そして彼は、若手の中でも断トツに神力の扱いが上手い。昔から容赦なく雷を落としまくっていた成果かもしれない。
互いの守り石を交換しあって、毎日幸せそうな雰囲気を周囲に振り撒いているケヴィンとイリューファの二人は、コリンにとっても憧れだ。多少、ケヴィンの独占欲は強すぎの感もあるが。
本日は、姫神子・キャンディスの私室にて、『きょうだいの集い』が開かれていた。
彼ら、いわゆる『エイクリード大神殿の子ら』と称すべき、大神殿に生まれ落ちた神子と分化した元・神子は、代々互いを兄弟格とし、年齢の近い者同士でこうして定期的に交流を図っているのである。