其之三 ユウトピア・クライシス
某感想スレッドで、最初に出た名前が俺で爆笑した。
勘違いでも大火傷でも、書いたあとに技術が足りなくてウツになっても、前に進んでるってのは気分良いっす。
自分が最先端に居ないのだけがストレスで、その最先端を追いかけてる自分が意外と好きで。
ただ、俺が勝ちたかった人が今回は居なくて。
気分は勝ち逃げされたような気分で、だけど相手の眼中に居ることも出来なった自分が腹立って。
勝ち逃げは強いヤツだけの特権だと気付いて、そんなテンションで変なスイッチが入った自分が大好きで。
今回もまた、根拠の無い自信だけがある自分は、明日変身アイテムさえ渡されれば、スーパー戦隊でも、仮面ライダーでも、プリキュアにでも、どれででも日曜の朝に大活躍できそうです。
ごめん、プリキュアは無理です。
前書きが長いが、とりあえずそんなテンションです。
前回の『最後の侵略者』。
西暦3012年。
木星竜巻の中で絶体絶命の状況でも諦めてしまうような若者、ショオジ。
しかし、暇潰しに見ていた走馬灯の中、ショオジは自分を待つ女のことを思い出し、生存へと動き出す。
棺桶を開け、中を覗き込むとそこに居たのは木星大気の中、全裸でも支障の無い堂々とした男。
その男の行動によってショオジは意識を失い、次に意識を取り戻すと女の腕の中だった。
ショオジは、あの全裸の男の正体に気が付き、感情の命ずるままに男を殴り飛ばした。
物語は、ショオジやミヅキが生まれるより前。六十年以上前にまで遡る。
概算で太陽から十一パーセク。光の速さでも大旅行と呼べる距離の位置にあるンヴン星。
その星は地球に果てしなく近い環境を持ち、チンパンジーやボノボより人間に近いンヴン人が支配していた。
ンヴンは科学によって不老長寿を得、鼠算式にその人口を増やし、母星や周囲の資源を食い潰しながら宇宙を侵略・開拓していった。
そしてンヴン人は地球人へと木星や土星、水星にその他小惑星、そして地球を資源開発用に差し出せ、という通達をしてきた。
交渉は何年かの平行線を経て二九三九年。
地球人史上初の、ンヴン人としては予定通りの、惑星間戦闘の開戦となった。
地球連合は早々に太陽圏全域の防御を放棄し、地球を基点として水星を鉱物資源として活用しつつ、金星と火星を主戦場として戦うことを選択した。
あまり知られていないが火星にも地名が付けられており、地球連合が拠点としたのは北半球のシドニア地方。
火星は他の天体に比べて資源的価値が低く、反面太陽との距離や重力のバランスなどの居住性に優れていたため、開戦前からンヴン人の手で地球化が遂行されていた。
地球化と云ってもなんのことはない、ただ他の天体から持ってきたガスで大気を作り、太陽光の集光人工衛星で温度を確保して、凍死も窒息死もしないようになっただけだ。
森もなければ海もなく、木々も動物もいない。
富士山ですら小山扱いされるほどの起伏、乾いた風、ハゲタカすら居ない砂漠。
ここで死ねば葬式に参列してくれるのは体内の微生物くらい。そんな運命に突き落とされたンヴン軍兵士がひとり、ふたり、次々と閻魔様とご面談。
ダンたち鉄血部隊が地獄の案内役。
《ヴォオオオオッッ!》
火星は地球の重力の三分の一、お年寄りの膝に掛かる負担も三分の一。
歩行の困難なご老人も火星でなら安心して歩行できる。ただ血液も軽くなるので心肺機能は衰えるが。
そんな理屈で、巨大なロボットを作れば重量も少なく、性能も三倍近くまで引き上げられる。
ンヴン人の作り上げた身長五十七メートル、体重五百五十トンの五体合体ロボットは火星の上で地球人連合に向けて猛攻を繰り広げていた。
《超電子、ストォオオオオムッッ!》
ロボットの超電子加速の兵器が火星の大地を抉るが、その目標は宇宙怪獣でも同じ巨大ロボットでもない。
地球側の戦士は全員が等身大。旧ドイツ軍を思わせるプレスされた軍服を身に纏い、超電子の兵器の威力に宙を舞うが、それだけだった。
宙を舞っても体が爆ぜるわけでも地面に叩きつけられて死ぬわけでもなく、それを利用して上空へと浮かび上がった。
「隊長ォー! 決めますよォォッ!」
軍人風の男は巨大ロボットの胸部に腕を突き刺してぶら下がり、仲間たちの了解を受けて拳に力を込める。
正拳突き。ただの空手の技。ただの連打が一撃ごとに巨大ロボットの装甲を砕き、駆動系を露出させる。
巨大ロボットをスクラップにクラスチェンジさせるまでに費やした連打は、装甲を破壊する正拳突き一六回、エンジンを破壊したローリングソバット一回、五人のパイロットの頭を叩き割るババチョップが正確に五回だけだった。
虎の子の機動兵器を失ったンヴン軍人たちは、十点差で一分のロスタイムに突入しても諦めないスタンスをアピールさせられるサッカー選手のように惨めだ。
ホイッスルが鳴れば終わる。自分が殺される番になれば終わる。
その瞬間を待っている今が怖い。なぜだかそのときが待ち遠しくなる。
「ソフィ隊長、引き続き殲滅の方針で?」
「ええ。捕虜は要らないわ。匿うだけエネルギーの無駄だから」
十一人のサイボーグ戦士たちは全員が移動手段として一輪車を使用している。
一輪車だ。素材こそ炭素繊維で、チェーンを内蔵して構造上は自転車に近い軍事用だが、外観や使い方は小学校や曲芸でお馴染みの、あの一輪車。
舗装もされていない火星ではバギーやジープでも走破は困難、航空機は狙撃練習の的にしかならない。
そのため、ンヴン人たちはオフロードバイクを多用しているが、それを上回る走破性を見せているのが鉄血部隊の一輪車だった。
操作に上肢を使用せず、かつ速度は鉄血部隊の下肢運動能力をそのまま利用できる。瞬殺無音で覚悟完了させる間もなく潰す。
直線での最高時速は五百キロ前後、その連中が撤退という名目で逃げ回るンヴン軍兵士を襲っている。
背後から素手、銃撃、金属バット、ブレスレットを変形させたジャックナイフ、鉄血部隊たちは各々が得意とする方法で絶対急所たる頭部に狙いをつける。
「いやだ、果てでっ」
若いンヴン人兵士は恐怖のあまり運転を誤って横転、火星の低重力下でなければ死んでいるような転び方をして何本か骨折しているが、そんなことを気にしていたら首が皮ごと骨折してしまう。
背後から音もなく走り抜けているはずの一輪車軍団だが、後ろにはその姿は見えない。今の内に立ち上がって前を走っている仲間たちに追いつかなければ。
「こんなっ。嫌だっ。宇宙の果てで、こんな連中に、こんな殺され方するなんてぇっ」
「奇遇だな。俺もだよ。俺も死ぬなら腹上死以外は絶対にイヤだったよ」
声は後ろではなく前から掛かった。
反射的に前方を顧みれば、そこには軍服を着て一輪車に跨った鉄血部隊がひとり、死屍累々と伏したンヴン軍を背景に悠然と煙草を吹かしている。
一本で足りないのか、五本を口に咥えこみ、それを落とさないように器用に喋っている。
「サイボーグに改造されてからは…敵のンヴンだっつっても、殴り殺す感触ってのは気色悪ィんだよな」
戦っても勝てない。
ンヴンが採用している弾丸は、レニウムをベースにした合金の かなり硬い弾丸。
決して 潰れたりしないはずの弾丸だが、鉄血部隊はそれを上回る超硬度の外骨格で跳ね返してしまう。
このンヴン兵士は自分の生死について何もできず、ただ目の前の男の言葉に耳を傾けるだけ、噛み付いてもどうにもならないライオンを目の前にした窮鼠。
「俺としては、捕虜とか有ってもいいんじゃないかなー、とか思うんだけどさぁ。
ンヴンも人間とほとんど同じなんだし、実はさ、俺ってンヴンと戦争始める前にンヴン人と友達になったことがあって…っていうか、恋人にもなったんだよね。
なにをしても感触とか同じだしさ、ちょっと…って、聞いてる? ああ死んだ? ゴメ、強すぎたわ」
兵士は悶絶して呼吸不全からのショック死をしていた。高濃度の内部被曝によって。
普通の煙草にもポロニウムという高濃度の放射性物質が含まれる、もちろん有害。
鉄血部隊の男が吹かしていた煙草は、その濃度を恣意的に上げた戦略用煙草で、副流煙で生身の人間が数分から数十分で死ぬ。
いや、通常の脳以外を改造したタイプのサイボーグでも呼吸を使って脳に汚染された酸素が届き、脳が被曝してダメージを受ける。
しかし、鉄血部隊はダメージを一切受けない。脳がないから。戦うしか能がないノウナシ・サイボーグ。
「ホクト。そろそろタバコを消してもいいんじゃないか。火星を汚染するのは俺たちとしても好ましくない」
「了解。ダンさん。じゃ、あとは地道に行きますか」
被曝での即死は、ショック死や呼吸不全でも起きない限り、基本的にはありえない。
鉄血部隊は、倒れたンヴン軍兵士たちを雑草でも抜くように黙々と“処理”していく。
意識を失った兵士が大部分だが、中には意識が有り、命乞いをする者、生き延びようと芋虫より遅く這って行く者、様々だが鉄血部隊はそんな事は考慮せず、文字通り機械的に命を奪うだけ。
「死ぬほど不味いタバコか、どんな味がするのかね、こいつは」
「さあね。なんだったら休んでてもいいぞ。俺たちがやる」
鉄血部隊にしか扱えない殺人煙草、しかし鉄血部隊のサイボーグボディには煙草を楽しむセンサーを持ち合わせては居ない。
黙々と“作業”を実行しているとき、ダンの体内トランシーバーが鳴った。
中継アンテナのない火星では携帯電話などは使えず、体内に高出力の送受信機を備えている。
《ダンさん、ありましたっ。回収船です》
「タロオか。了解した。場所は?」
《えと…戦闘地点から北北西に五キロ。予定地点からかなりズレてます。宙軍のマスドラ調整もイマイチみたいですね》
「月面からの質量射出だからな。タロオはそれ持って基地に戻れ」
《はいっ、了解です》
「ソフィ隊長、俺が先に戻ります」
「ええ、そうして頂戴。ここはまだ時間が掛かるわ」
地球連合軍によって射出されたそれは、新たな鉄血部隊の“素体”となる志願兵。
今の戦闘でのンヴン軍の目的は、その回収ポッドの中身の略取または殺害であったことはダンでなくても容易に見当がつく。
戦闘でパンクした一輪車を他の隊員に預け、ダンは軽い足取りで走り出した。
途中、息のあるンヴン軍兵士の息の根を断ちながら目的地に向けて走る。
放置しても放射能汚染から長くはないだろうし、そもそも基地に帰る事ができなければ枯死・餓死、野垂れ死にが待つ。
生へのアンチテーゼ、死しかない火星の地平線へとダンの健脚は、彼にこの戦いの死について考える間も与えてくれずに到着する。
「それか? タロオ?」
「ああ、いえ。中の人たちはもう中です。これはもう使えないので転がしとけって」
鉄血部隊のタロオが軽々と背負っているのは、直系が二十メートル近い球体。
火星は地球の重力の三分の一とはいえ、軽いわけもない物体を平然と支えているのは、少女と見紛う華奢な少年。
そう、少年だ。
地球連合はこんな子供から未来を奪って戦わせているのだ。その手を血で染めさせながら。
「どうかしましたか? ダンさん? ぼく…なにか、しちゃいましたか?」
「いいや。よくやったよ。これで…鉄血に追加メンバーができる」
その即答にはこの戦場でまだ屈託を持っていない後輩を慕う優しさが含まれていた。
「嬉しいなっ。ぼく、父さんと母さんに褒められるのと同じぐらい、ダンさんに褒められると嬉しいですっ!」
いつかは必ず気付くこと。何かを守ることは他者から何かを奪うことと等しいというただの真理に。
「そう云って貰える俺も嬉しいよ、タロオ」
「嬉しいなっ、嬉しいな! ぼく、これからも頑張りますっ!」
ダンは、昔から子供に好かれる。
体格も大きく、眼光という言葉がサマになってしまう顔付き。
恋人の弟に出会ったときも、最初こそ好きな姉を取られるという警戒が見られたが、すぐに懐いてしまった。
その恋人を妻と呼び、恋人の弟を義弟と呼ぶようになってからはそれが彼の力になる。
ふたりの笑顔を守るために、ンヴンたちの笑顔を奪い去ると決めた。全て噛み砕く地獄の獣になると決めた。
「えへへ。これが今回来た人たちのリストです。ダンさんとソフィ隊長にはお見せするようにって父さんが」
「判ったよ。見終わったら俺から――」
沈黙。
その中に有った名前。見覚えがあるという次元ではなく知っている名前。義弟の名前。
大鳥音也。
その名前に呆然としながらもダンは平静を装って基地への扉をくぐったが、そこで装えなくなった。驚きを向き出しにした。
見間違えるはずがないオオトリ・オトヤの姿を見つけて。
「久しぶりだな。義兄さん」
親しげなオトヤの声に、ダンは血でも吐くような勢いで息を吐く。
「俺が生身だったら殴っているところだ。姉さんは…コトリはどうした?」
「置いてきた。地球での本土決戦なんてあるわけがない。月や火星にはマスドライバーがある。降下は火星が落ちてからだ。この火星が落ちない限り、本土決戦はない!」
「コトリを頼むという意味が違うだろうっ! 辛いのが前線だけだと思ったのかっ!」
「それでも俺は戦いたい。姉さんだけじゃなく世界を守りたい。姉さんと義兄さんと俺の居る世界を守る。それがそんなに悪いことか」
口論する義兄弟には、不安そうに眺めるタロオがいいストッパーになっていた。
もし第三者が居なければ、生身と機械で拳が出ない分、更にヒートアップしていただろう。
「…そこまで考えているなら、俺が云えることは、もう、ない」
「…云えない事ならある、そういう意味で良いのか、兄さん」
「…ダンさん、判ってますよね」
ここでもタロオは良いストッパー、不安そうだったタロオの目付きが変わった。
ふたりの不和に対する緊張が消え、ダンを力で止めるべきかどうかの二択へとシフトしつつあった。
このままダンが“鉄血部隊の秘密”を喋るならば、鉄血部隊スペック最強を誇る戦闘力でダンを制圧する、そのシンプルな決定がタロオの動きを滑らかにしていた。
「心配するなタロオ。云わん。
…オトヤ。確かに俺にはお前に云えないことがある。だが、まだ戻れる。姉さんの…コトリの所に帰れ」
「俺は…何があろうと必ず義兄さんやタロオさんみたいに英雄になる。それでンヴンの連中を叩き潰す」
オトヤは軍服の中から定期入れを取り出す。
戦争が始まる前はポイントカードや電子マネーカードを入れていたダンから入学祝に貰った本皮だ。
その中から、柔らかそうな笑顔を称えた女性を真ん中に、左右にダンとオトヤの写った一枚の写真を取り出す。
「姉さんと義兄さんと俺、また三人で笑おうッ」
鉄血部隊。
ンヴン星人という外敵を討つべく地球人類が完成した戦術兵器ならぬ戦術兵士。
装甲はロンズデーライトを上回る高度、純金さえも数段上回る展延性を兼ね備えた超・血戦合金。
三百メガトン級水爆までなら耐えられる装甲は、同じ血戦合金以外では太刀打ちできない最強の矛で無敵の盾。
スピードは軍事一輪車の使用で火星最速、その速度から繰り出す鉄拳攻撃は市バスを一撃で粉砕できる。
だが、一番の長所はそんなことではない。
人間の精神というのは脳や神経細胞に溜まった電影であり、鉄血部隊は人生記憶を電子頭脳に投影することで完成する。
絶対急所たる頭脳を廃することで同時に心臓や呼吸という制限がなくなり、放射能によるダメージを最小に出来る。
等身大軍事用サイボーグとしては破格の能力だが、製造コストは戦車の十分の一程度と安価。
しかし、未だに鉄血部隊の人数は十一人しか居ない。
オトヤを含む今回の追加メンバーだけでその人数は十三人。
たったひとつの試練、世界のために命を捨てる覚悟をした人間の、ちょっとした心の問題のせいで鉄血部隊は増えずに居た。
火星に突貫工事で作成された基地は、建造されて数ヶ月とは思えないほどに汚れ、散かっていた。
真っ赤な血痕はまだ由来が判るだけ良い方で、他にも壁に着いた星型の穴、青い文字で書かれた“遺書”という文字など、奇怪としか云えない施設だった。
そんな中、隊員たちを目の前にして科学者は黙々と準備を進め、移植されるべき機械の体を隊員たちと対面させる。
彼らは鏡以上に自分たちに似た、というか、そのものの身体を見て心中では様々な感情が入り乱れている。
恐怖、希望、怒り、喜び、期待、憎悪、感謝、敬意、焦燥…全員が様々な思いを抱き、相反する感情までもが余り物で作ったカレーライスのようにゴッタ混ぜで頭の中で煮えているのだろう。
「その身体でしたいことはしてきただろうね、後輩諸君?」
「そんなことを云っていられる時勢じゃありませんよ」
「勿体無ぇなあ。キミ、カワイイのに。俺が生身だったお相手願いたいんだがねえ」
身体が変われば五感はセンサーとして置き換わり、音楽はただの空気の振動に感じ、絵画はどんな薬品の集まりか分析してしまう。
不便なようで、その不便さが生きている証とも呼べる三大欲求も消失する。
だが改造される若者たちは、それを承知で世界や愛する家族を守るために、あえてその繋がりをを捨て去る。
第二次世界大戦で云えばカミカゼ・トッコーの精神、ゼロの腹に付いたオウカだ。
「これで俺もあんたの仲間、英雄だよな。義兄さん」
「…後悔だけはしないでくれ、オトヤ」
「しねえよ。機械の体になれば人間じゃなくなるが、それでも俺の姉さんは姉さんだ。義兄さんが兄さんだってのと同じように…よ」
義弟の言葉に、ダンはただ黙って背中を壁に預け、アナログな手帳のページに挟んでいた写真を見つめた。
オトヤが持っていたのと全く同じ写真、ダンとオトヤとコトリ。三人の幸せだった時間の断片。優しい義弟が苦痛と絶望へと向かう様をダンはただ黙って見つめている。
「それでは各自、合図をしたら同時に人格の転送を始める」
脳内から人格を移植するといっても、開頭や電極を頭に刺す必要もない。
眼球は脳神経の一部であり、神経系を伝って全人格をダウンロードできる。兵士たちは、静かにもうひとつの自分の身体と目を合わせる。
「もう転送は始まっている。瞬きだけはしないでくれ」
特殊な光粒子が視神経を伝って脳にまで達する。
その光は脳内で跳弾のように飛び回り、光速でその兵士の全人格、全記憶を記録し、視神経を伝って機械の体に戻ってくる。この間、十一秒。
「ッギ、いぃ、っぎぃ」
叫ぶことも動くことも、転送失敗へと繋がる。
だが、叫びたいし動きたいし吼えたいし、いっそのことなら意識を飛ばしたい。
速さは硬さ。神経を光媒体にするときに痛いのだ。光は記憶や魂までも含んで神経の中を通る。それは血管の中を逆流する大蛇のように圧迫。
肉体の反射に精神が勝らなければ、肉体はその痛みに死という安息を選択する。
一
二
三
四
五
六
七
八
九
十
十一
十一秒の間に、全人格は肉と血と愛の身体から、鉄血の兵器へと移る。
ひとりの死者も出さずに激痛に耐えた被験者たちにとっては想定外の、現行の鉄血部隊や科学者にとっては当然の光景が広がっていた。
彼らの認識では十三体の生身の死体と十三体のサイボーグが誕生しているはずだった。
だが死体など一つもなく、眼と眼を合わせ、同じ人格の鉄血と生身の軍人がタイムパラドックスのように同一人物同士が遭遇していた。
「…これは、どういうっ、どういうことですかっ。博士っ!」
鏡写しの混乱、全く同じタマシイ。
機械の身体が立ち上がると、先の生身の肉体も狼狽しながら立ち上がった。
――生身と機械、ふたりの自分がご対面。
「一般には鉄血部隊は人格そのものを機械の体に転送するものだと報告していた。
転送を終えると肉体は精神を失い死亡する…そういう発表になっていたし、君たちにもそう伝わっていたはずだ。
だが違う。この技術はただ単に脳内から人格を抽出してコピペするだけだ。オリジナルも生存する」
「なぜ、そんなことを? 生身の身体も生き延びられるならば、もっと志願兵も…」
「黙りなさいよ! あたしッ!」
生身の方の隊員が呟くが、全く同じ姿の機械の身体はハッキリとした口調で声を荒げた。
全く同じ人間だが、その感情は既に異なっている。
シュレディンガーの猫ではないが、全く同じ精神で片方が機械で片方が生身で、どうして自分がそちら側なのか、答えもない。
「じゃあ、何、あんたも生き残って…あたしも生き残ったら…。
あの人は…あたしの大好きなあの人は、あたしを受け入れてくれるの?
機械の身体になっても愛してくれるって、一緒に生きてくれるって…云ってくれた、あの人はッ!」
生物的地位 という言葉がある。
草を食べるシマウマというニッチがあり、それを食べるライオンというニッチがあり、地面の中でミミズを食うというニッチにはモグラが居る。
ライオンは、草を食べるわけにはいかないし、もちろん土の中でも生活もできない。
そして、同じニッチにいるハイエナの分だけ、サバンナのライオンの数は少なくなる。
愛というニッチが生身の自分を受け入れるなら、機械の自分には生きる場所なんてない。
生身でオリジナルの自分と、兵器でレプリカの自分、最愛というニッチは揺らぐかもしれない。
そのふたつを提示されたとき、最愛の者はどちらを選ぶのか?
「だから機密としていた。
鉄血部隊はこの戦争に勝つために絶対に必要だが…それ以上に君たちには帰る場所が必要だ」
ダンの言葉に、機械の身体の女は人工の涙を流しながら吼える。
泣くことはストレス発散の効果が有り、それは電子頭脳でも同じこと。
作り物ではあるが、その涙に込められた苦痛は残念なことに本物だった。
「ダンさん! この女を…生身のあたしを殺してください! でなきゃ、あたし、あたし…っ!」
「それはできない。俺がそれをやれば殺人だ。同じ志を持つ仲間を殺すことになる」
「でも、でもぉおっ!」
お国のために死ぬ、という言い回しは昔からどの国にもあるが、それは愛する者の居る国のため、という方が適切だろう。
自分が戦わなければ家族が村八分になる。自分が戦わなければ愛する者達が敵に蹂躙される。だから、戦士は戦士たる。
だが、自分が複数人居ても、帰る場所はひとつ。
人間は帰る場所があるから戦えるし、自分の死が望まれていないからこそ戦える。
それでは自分に生身のオリジナルが居ると知って、人間は戦えるか?
正真正銘、自分はただ戦うだけの兵器で、戦いが終われば誰も自分を必要としない。そんな世界を守るために人間は戦えるのだろうか?
「じゃあ、じゃあ、どうすれば…良いんですか」
「云われないと、わからないか?」
「…ッ!」
判っている。全員が判っている。
目の前には“鉄血部隊が居る”、その事実。
そして、鉄血部隊たちは戦っている。帰るべき場所へと帰るために。
「ねえ、生身の方のあたしィ…」
声を震わせる鉄血の自分に、身体を震わせる生身の方の女性隊員。
瀬戸内海泳いでも、三途の川を泳いでも、ディラックの海を泳いでも、どこにも到達できない感情も魂も、ただそこにあるだけ。
「あの人のこと、お願いね」
「…っ!」
機械の女性隊員は、鉄の胸に手を当てて絶対急所たる動力部をひきずりだした。
誕生して数分で機械仕掛けの愛国者は、自ら命を絶った。
生き延びたければ、愛する者のところに帰るには、生身の自分を自らの手で殺すしかない。
それで生き残ったとして、愛する者の所へ帰って、それから永遠に“オリジナルを殺した”という事実を隠してオリジナルとして生きなければならない。
いつ知られるか、いつ見捨てられるか、その覚悟と罪を背負いきれず、鉄血の彼女は自らの破壊を、オリジナルの生存を望んだ。
「…鉄血の諸君、君たちには“自害”しかない。オリジナルの死か、コピーである自らの死か。
それに関して私たちは何も云えないし、手も貸せない…だが、選べ」
鋼の胸を裂いて、鉄血のコピーたちはオリジナルに手を触れることもせず、自らの命を断っていく。
世界は大理不尽。昔から何も変わりはしない。
「どっちにしても…地獄じゃないですか…っ!」
「君は世界が善意の神が作ったとでも思ってるのか? んなわけないだろ。この世界は悪魔みたいに頭だけ良い神が作ったんだからよ」
「その中でも、俺は俺が生きることを選んだけどな。俺は…こんなゴミみたいな世界でも、愛する誰かのために戦わなければならないからな」
「みんながっ、英雄みたいになれるわけじゃないっ!」
「その通りだ。そして…なる必要もない。自分で決めろ」
泣き叫び、残るオリジナルを激励しながら、次々と自壊していく鉄血部隊、飛び散る火花、流れ出る鉄血。
自失しながらそれを見つめる鉄血隊員たちだが、ただひとりだけ。鉄血ではなく生身の血に両手を染めたサイボーグが居た。
オオトリ・オトヤだ。
コピーが拳を繰り出すが、オリジナルも迎え撃ち、負けじと柔術で受け流す。
全く同じ格闘術、オリジナルは柔よく剛を制す要領で打撃を受け流すが、コピーはその柔をも受け継いでいる。
防御したオリジナルの腕を叩き折り、その流れでオリジナルの首に腕を回し、コピーは完全に頭部をホールドする。が、締め付けはしない。
「言い残すことはあるか、オリジナル」
「悪ぃな、機械の俺、気遣ってもらってよ…義兄さん。こっちの俺と姉さん、頼むわ」
痛みと恐怖に耐えるような震えた声が、ダンの鉄の鼓膜と生の魂を揺らした。
「ああ。俺も…俺のオリジナルも、先に待っている」
「そりゃそうか、そうだよな…じゃあな、勝ってくれよ。義兄さんと俺…」
挨拶を済ませると同時に、機械のオトヤはオリジナルの頭部を痛みを感じる間もなく捻り潰した。
その血に染まった腕は、オリジナルのポケットを弄り、定期入れを取り出す。
「…これで俺も英雄だよな? 義兄さん?」
死体から取り出した写真を、これが自らの存在の証書だとばかりに見せ付ける。
義兄を殺した義兄のコピーに、義弟は名状しがたい純粋さで笑顔を浮かべていた――。
「オオトリ・オトヤ、我々鉄血部隊はキミを歓迎する。
そして、君が加わったことで、鉄血部隊は次のステップに進む。この火星を我々地球人が奪い返す、次なる計画へ…」