其之二 ヘヴン・グレネイド
前回の『最後の侵略者』。
西暦3012年。
発電に使用するための水素・ヘリウムを木星で収集する業務に就く青年。
ガス収集員は、地球すら飲み込むほど大きな木星竜巻の中で体を躱し、生き延びてガスを集める。
今日も風の中に巻き込まれ、スリルと興奮の中に身を置いた。
頭も冷める中、彼の機体を貫いたレーダーにも映らない物体、それはアナログな棺桶の形をした物体だった。
その衝撃に、青年・ショオジは意識を失った。
意識が戻ると、そこは温かくて安らげる場所。
天国だと思ったことをショオジは生涯、その天国に伝えることはないだろう。
泣きながら自分に覆いかぶさるように抱きつく女の体温を天国と思うなんてのは、赤ん坊か死ぬ寸前の老人でも恥だ。
「良かった、ショオジ…生きてた…」
「…良かったな」
「なんで他人事みたいに云うかなぁ…ぼく、ひとりになると思って心配したんだからね?」
「てめー…仲の良い両親も友達もいるじゃねーか」
女は、目頭を手で拭い、本当に嬉しそうに笑った。
ショオジはその笑顔のためだけに自分は生き延びた、そう感じている自分に疑問が浮かぶ。
「それでも…ショオジが居なくちゃ、ぼくはひとりになるんだよ」
「日本語喋れねえのかよ、お前」
「うん、喋れないよ…それでいいもん」
微睡むような感情がショオジの覚醒を鈍らせ、自分に起きたことを理解するのが遅れた。
木星竜巻、飛んできた棺桶、そして謎の男。
あの謎のサイボーグの顔が自らの脳内に展開した時点でショオジは気がついた。
「あの顔、まさか」
あの顔を見たことがある。
あの男は七十年近く前の戦争で戦ったサイボーグで…。
記録の上では自分が生まれる前、それどころか両親が生まれる前に死んでいて…。
国を護るために戦い、慰霊碑にその名前が収められている男で…。
多くの異星人をその手で殺した鉄血部隊のひとり。
鉄血部隊は、その数さえ充分であれば戦争の結果が覆ったとさえ云われる存在。
地球連合軍が異星人に敗れてから六十七年。今では第二次世界大戦の零戦や虎のように伝説となっている戦術兵器ならぬ戦術兵士。
一般的なサイボーグは脳細胞を機械の体に移植することで完成する。
しかし、脳が生身では宇宙戦闘で放射能や酸欠のために満足には戦えない。
だが、鉄血部隊のサイボーグは違った。だからこそあの男は、戦後六十七年でも生き延びていた。
「よお、ミヅキ…俺が生きてるってことは、あの野郎も…団弾も生きてるんだよな…?」
「うん、ダンさんがショオジを連れて…あれ? 名前聞いてたの? ダンさんの?」
名前がダン・ダンで、鉄血部隊の生き残りで、あの顔ならば間違えようもなかった。
ショオジは彼女、水城美月を跳ね除けて立ち上がって見せた。
「ミヅキィっ! あの野郎は…ダンはどっちだぁっ!」
「ダメだよショオジ! 寝てなくちゃ…っ」
「うっるせえんだよ、莫迦女ッ!」
「ば…バカっていう方がバカなんだよ、ショオジ!」
ショオジの身体は――治療が適切だったからか、ミヅキの愛か、持ち前の体力か、それとも怒りゆえか、既に万全の体力を取り戻していた。
その力をぶつけるべく走る先、ダンがどこにいるかなんて判らなかったが、それでも走る先にダンが居るという奇妙な確信に従ってショオジは走った。
たどり着いた先、人工重力の中で椅子に座って、この船の責任者と面談しているダンが居た。
今は船員の誰かの所有物と思われるジーンズとYシャツを窮屈そうに着こなし、足には下駄という最小限の服装だった。
「おお、起きたか、ショウジくん。この人はな…」
その気弱な上司の言葉は耳に届かず、ショオジは真っ直ぐにダンへと歩み寄り、座高が高いせいでほとんどまっすぐ打つような形でダンの顔面へと拳を振り下ろした。
疑問を口に出す間もなく、上司は流れ弾のようなショオジの攻撃であっけなく殴り倒された。
マンガや映画なんかに出てくる“綺麗な気絶”ではなく、鼻血を吹いて前歯も何本か折れるような見苦しいが確実な方法で。
視線を交わらせるショオジとダン。
「キミは…さっきの木星波乗りだね?」
戦時中にはその言葉はなかったはずだが、ショオジが意識を失っている間に現代のことを調べたのか。
それは好都合とばかりに、ショオジは上司を跳ね飛ばして声を荒げた。
「そんなことまで知ってるなら判ってるだろ。お前がそんな身体になってまでやった戦争は…負けた」
「…らしいね。敗戦は俺が棺桶で流されたあとのことだから…ショックだったよ」
表情も変えずに平然と言い切る顔には、殴られた怒りや疑問なんて全く感じられない。
その余裕が、またショオジを苛立たせ、ダンの胸倉へとその手を導く。
倒れた身体を力づくで引き起こし、感情のままに拳を、足を、ダンの身体に叩き込んでいく。
流れで頭突きまで叩き込もうとする段階で、初めてダンはその攻撃を止めた。ショオジの頭を鷲掴みにして。
「やめた方が良い。キミの頭が割れてしまう。俺の頭は…鉄でできているからな」
ダンのシャツに付いた血液は、全て割れたショオジの拳から出たものだった。
短い足で息を切らし走ってきたミヅキがショオジに抱きついたところで、初めてショオジの動きは止まった。
「何で殴られたか、聞きたいか」
「それよりも訊きたい。キミの眼には覚えがある…俺の部下にそっくりなのが居た」
「…そいつの名前は大鳥…大鳥音也って云うんじゃないだろうな…」
ダンと同じく、全身サイバティックで棹と玉まで金属にしていた男の子孫であることはありえない。
殴った男、ショウジ・ショオジの云わんとしていることに感づき、それを確認すべく言葉を選ぶダン。
「そうか、お前は…」
「…謝って! ショオジ! 謝って!」
言葉を選ぶどころか考えてすらいないミヅキがショオジに背後から叫びつける。
「ミヅキ。お前は黙ってろ、これは俺とダンのぉっ」
「黙れっていうほうが黙れっ! まずは謝って!」
自分で何を云っているのか、この女はそこからわかっていない。
「キミ、取り持ってくれてありがとう。ここからは俺とショオジに任せてくれ」
「うっさい! ダンさんも謝ってっ、まず謝って!」
「いや、殴られた方が謝るってバカだろ」
「バカって云う方がバカなのっ!」
ショオジの出血を目の当たりにしてよくわからないテンションでミヅキは男ふたりを圧倒し、正座させた。
『ごめんなさい』
屈強な肉体派ふたりを謝らせたミヅキは、ショオジの出血し続ける右腕に全身を絡ませる。
もう殴らないように。愛おしさを隠す必要も能力もなく、大事だからこそ締め付ける。
「はい、じゃあ話を戻しましょう。ダンさん、あなたは何者ですか?」
それならば、と、回答の代わりとばかりに予備動作もなく額に爪を立ててダンは自らの皮膚を剥ぎ取った。
痛そうな素振りもなく、血の一滴も出ない。
「鉄血部隊の頭部にはセンサー類と無線機くらいで、重要なパーツはないんでね…小物入れが付いている」
「悪趣味でオシャレな収納だなオイ」
獰猛な言葉でダンを挑発するショオジだが、取り合わずダンは額のシャッターのような戸を開けて中から古臭い手帳を取り出す。
その手帳に栞のように挟んであった写真を取り出し、ふたりに見せ付ける。
写真には三人の人物、公園か何かだろうか。青空と桜の木を背景に人物三人が笑顔で立っている。
ダンもその中に全く同じ容姿で写っているが、それが信じられないほどに古びたボロボロの写真だった。
「…この写真は俺と婚約者のオオトリ・コトリ。コトリの弟、オオトリ・オトヤだ」
「持ってるのかよ、それ。命の次に大事ってヤツか?」
「俺が自分の命を大事だと思える人間だったらそういう常套句も使えたね」
ショオジはブレスレット型の携帯電話を操作する。
このタイプは指を動かすことで手首の筋肉で操作できる。
小指の動きで節電待機モードからアクティブに入れて、空中に立体映像を投影する。
人差し指でポインターをマウスのように操作し、マイピクチャを開いて親指でクリック。
空中に投影されたその写真はダンの物よりも状態も良いが、写っているのはダンの物と全く同じ。三人の人物の平和な笑顔。
「この写真は俺の曾婆ちゃんのオオトリ・コトリ。その弟のオトヤ、婚約者のダン・ダン。
三人は仲が良かったし、戦争が始まったらダンとオトヤは、曾婆ちゃんを守るために従軍して…サイボーグの鉄血部隊になった」
本人を眼の前にしても他人事のように喋るのは、右腕を放そうとしないミヅキのためだ。
自分が熱くなって我を忘れて暴れれば、愛すべき莫迦女には心か体、あるいは両方に深い傷を残す。
「だが、鉄血部隊の主戦場は火星。オトヤとダンが火星で侵略者のンヴン星人を殺しまくってる間に…地球も戦場になった」
「…らしいね。その時点で既に俺は木星で棺桶の中だったから、知ったのはさっきだが、ね」
「他人事みたいに云わないでくださいっ、なに考えてるんですかっ」
ダンの無関心すぎる言葉をミヅキが窘める。
意識的ではなく天然の言葉だろうが、今ショオジの気持ちを代打で云わなければショオジは拳で同じ内容を喋っていただろう。
辛うじて冷静さを保ったショオジは言葉で意見を伝えることを選択できた。
「じゃあ、これも知らないんだろうな。
地球に攻め込んできたンヴン人は、曾婆ちゃんの避難してたシェルターに攻撃を仕掛けてきた。
白兵戦。兵士と兵士の殴り合いで退避する軍人、置き去りにされた民間人。
んで、どうなるよ。疲れ切った軍人と、抵抗できない女が居たらよぉ…」
ダンの眉が僅かに動く。
「“乱暴”されるよな。ひとりの女に軍人が四人ぐらいでよ」
この話は初めて聞いたのか、ダンよりもミヅキが辛そうだった。
意味はわかるし、そういうことが有ったというのも歴史では知ってはいたが、知っていただけだった。
知っているということと理解するということは意味が異なる。
「それでもよ。曾婆ちゃんは生きたよ。なんとか軍人から逃げて、曾婆ちゃんは婆ちゃんを生んだ」
「…そうか」
「で・戦後だ。敵国との子供を産んだっつって、曾婆ちゃんは…色々有ったらしい。
婆ちゃんにしても、霊長人にもンヴン人にも受け入れられなかったし、その息子…ってか、俺の親父も同じだ。
その流れで、俺も学生時代はイジメラレッ子とイジメッ子の兼任だ」
沈黙。
静かで耳が痛くなるほどの沈黙。
騒音問題とは無縁の真空大宇宙で、無音のエンジンと無音の空調。人が動かず喋らなければ雑音なんて有りはしない。
集中できてしまう。集中しすぎてしまう。ただお互いという存在だけに。
「…コトリは、今は?」
「ちょうど去年死んだよ。九十一歳の大往生」
科学と医学が進歩しても、人間の平均寿命は大して延びていない。
技術と文明が進めば進むだけ、社会には成人病と精神病が蔓延する。セイジンがセイシンを病むことも有る。
その中での九十一歳は、ショオジの云うとおり大往生といえるだろう。
「最後は認知症で、その対応のグループホーム…ってか老人ホーム。俺のことをあんたに間違えたり、弟に間違えたりしてたよ。
その癖、タイミング次第ではンヴン系の男は…なんつうか、そんな感じに見えるみたいでな。
曾孫の俺をレイプ犯と恋人と弟、全部に間違えて一回老人ホームに会いに行くだけで職員に五回は電話したぜ」
「…あ、あのときのって…それ?」
思うことがあったのか、ミヅキは声を震わせた。
ミヅキとは学生時代からの付き合いであり、曾祖母は去年亡くなった。
認知症は直接的に即座に命に関わる病気ではなく、発症してからが長い。
恐らく、ミヅキと色々なことがあった間にコトリの症状や変化にも色々と有ったのだろう。
「っつーことで、あんたは前々から殴り飛ばしたかった。だから殴り飛ばした」
「…そうか。ありがとう」
静かな、優しい声だった。
「ア・り・ガ・と・ォォ?」
「ショオジ。キミは…俺にできなかったことをしてくれた。
キミは…コトリを幸せにしてくれた。そのことに関して、俺はただ感謝するしかない。本当にありがとう」
「なんで曾婆ちゃんが幸せだったことになってるアレだ?」
「コトリの優しさの匂いがキミには残っている。それはお父さんから貰ったものだと思う。
そしてお父さんにはお婆さんから受け継がれて…その大元には、コトリの優しい笑顔があったはずだ」
どんな気持ちだったんだろう。
恐怖の対象でしかなかったンヴン軍人に襲われて、しかも“何番目”の胤かすらわからない子供を戦時下で産んで、戦後に育てて。
その娘を受け入れてくれる男が現れて、その間に孫が生まれてその孫も受け入れてくれる女も現れて。
「…認知症になった後に曾孫が会いに来てくれる。少なくとも俺には幸せなことだと思う」
「だからぁッ! 曾婆ちゃんは俺だって判ってなかったんだよッ! ボケちまった後はッ!」
「それでもだ。判らなくても、混乱しても、敵だと思われても会いたいと思ってくれる曾孫が居る。それだけで財産だ」
ショオジは、コトリの認知症が進んでいく過程を思い出していた。
最初に得意だったカレーが作れなくなったが、それ以外は普通だった。だから発覚が遅れた。ショオジたち家族が気付いたのは症状が進行し、脳が萎縮してからだった。
三十世紀でも認知症で萎縮した脳を魔法のように戻す方法はない。手遅れだった。
「…違ぇよ! 俺は近くに居たんだ。ずっと不安だった曾婆ちゃんの病気に、気付いてやればぁッ」
「近くに居てくれたんだろう? それだけでも俺にはできなかったことだ」
「ウルセぇよッ、俺は何もできなかったんだ?
ただンヴンだって殴られるのがイヤで…学校に行かない理由だけ考えて、親父やおふくろも、俺のことばっかり考えてたから、曾婆ちゃんの病気に気付けなかった」
発想と話題が飛躍しすぎている。
ショオジは、ダンという怒りの対象を見つけたことで、別の怒りも連鎖的に燃やしてしまっていた。
それは、今まで目を向けずスリルに逃げようとしていたこと。自責の怒り。
誰もそんなことで責めはしない、責められないからこそ贖罪の機会を失い、燻り続けていた炎だ。
燃えることも消えることも出来なかった炎が一気に熱くなった。ダンに向かって吐き出す機会を得て。
「認知症の早期発見は簡単なことじゃない。
俺は頭まで鉄でできているから判る。脳と魂は別物だ。脳が萎縮しても魂は必ず残っている。
コトリの魂は、キミから安らぎを受け取っていた。そうとしか考えられない」
「…勝手に云ってろ」
六十七年の時を経て蘇った男、ダン・ダン。
ショウジ・ショオジとの間の奇妙な絆をミズキはただ見つめていた。
好きな野球チームが連敗街道マッシグラでヤル気ダウン。
仕事がやたらに忙しい、ヤル気アップ。
だが、どっちにしろ時間が無い。 なんとかして終わらせます。