表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

第3章 Sango kaj larmo

ほのぼの路線で楽しまれる方はご容赦ください。

ココから急展開開始です。

第一節


 「ねぇ、もう疲れた~。今日はやめようよ~。」

 リンが音を上げている。

 まぁ、松葉杖で歩くというのは相当の体力を要するってことか。でも、ここでこいつの言うとおりにするわけにはいかない。

 「ダメだ。さっきも言っただろ、ルウヤさん家で治療しなきゃいけないし、体力を下げさせないためにもこうして体を動かしたほうがいいんだぞ。」

 「でも、疲れた。」

 「もう少しで着くから。ほら、頑張れよ。」

 完全にぐずっている。

 けれど、僕はリンの歩く速度より少しだけ早めて先を行った。

 「まっ、待ってよ!」

 あわててリンがコツコツと付いてくる。

 「追いついてくればいいんだよ。こっち、こっち!」

 朝のあぜ道。

 僕らはルウヤさん家までそうしてちょっとした追いかけっこをしていく。

 診療所の方からそよ風に乗って、クリスの歌が微かに聞こえてきた。



 日は完全に昇り、暖かな陽気が春の到来を告げる朝。

 診療所の扉を開けると、マリアとクリスが仕事の準備に取り掛かっていた。

 ルウヤさんは二人の話を聞いたところ、どうやら森に造った薬草畑の様子を見に行っているらしい。

 「いつもラン早い。ゆっくりしない?」

 マリアが洗った器を拭きながら僕らに尋ねる。

 「リンの足を治しに来たんだ。仕事が始まったら送り迎えなんて出来ないからね。」

 確かにこの間の事故から今日までの数日間、僕はリンを連れていつもより早く来てはこいつを家へと送り帰していた。

 クリスが暖炉の上に干していた薬草を取り外しながら「ラン、えらい。いいお兄さん」と、微笑んでいる。

 「べっ、別に偉くなんてないよ。」

 クリスに褒められて思わず僕は頭を掻く。

 「そうだよ!兄ちゃんひどいんだぜ!!

 オイラろくに歩けないのに毎日、毎日、散歩、散歩って、朝と夕方クタクタになるまで歩かせるんだ!!」

 リンがクリスにここ数日の苦労を訴えかける。

 だが、クリスは「リンの為。」とにこやかに受け流す。

 「リン、ドンくさいだけ。動かないと、動けない。分かれ、バカ。」

 これはマリア。正論を突いてはいるがかなりその言葉は厳しいと僕は思うぞ。案の定リンの奴だんだん顔が赤くなり出した。

 こりゃあ、いつものがはじまるな・・・。

 「何だよ、二人して!! 兄ちゃんの肩持つのかよ!!」

 「ホントのこと。バカリン。」

 「バカは余計だ!ブスマリア!!」

 あ~ぁ、またこの二人は・・・。一体いつになったら仲良くなるんだか・・・・・・・。


 ケホケホッ


 クリスが軽く咳き込んでいる。

 白衣に袖を通していた僕は小競り合っている小動物をほっといて彼女のほうへ向かった。

 「大丈夫、クリス?」

 「・・・・・・平気。私は平気、ラン。」

 いつものにこやかな顔のクリス。けれど、その笑顔には憔悴の色が窺えた。

 ここのところこんな咳が多くなっているのは気のせいだろうか。

 ルウヤさんもクリスの容態は気にかけていた。

 外に出ても、マリアのようにはしゃぐ事を強く止めていたし、薬の調合もクリス用に誂えているみたいだった。

 クリスも自分の体のことは判っているみたいで大人しくここでの暮らしを楽しんでいる。けれど、最近のクリスの症状は悪い方向に向かっているような気がしてならなかった。今、僕に笑いかけているのも痩せ我慢にしか見えなかった。

 「そう?・・・でも、あんまり無理はしないでね。倒れたら元も子も無いんだから。」

 「兄ちゃぁ~ん、その言葉、オイラにも当てはまるんだけど。」

 いつの間にこっちに来たのやら、ほっぺたを膨らませたリンが僕らの間に割って入る。

 「お前はもっと無理しろよ。最近、僕が目を離すと怠けて寝てばっかいるじゃんか!」

 「そんだけしんどいんだよ、兄ちゃんは片足で暮らしたことが無いからわからないんだ。」

 「母さんは事故があった後も片足だけで僕らの飯作ってたし、花蜜虫の様子を見に毎日村はずれまで杖使って歩いてたぞ。」

 「うっ・・・・・・・・。」

 リンは言葉に詰まる。まぁ、あえてそう言ってるんだけど。

 マリアはそんな僕らがおかしいのか、おなかを抱えて笑っていた。

 でも確かに、僕は怪我の痛みなんて知らないからなぁ。ここは薬師見習いとして一度くらい経験するべきかも知れない。

 ここはやっぱり、フォンさんあたりに一回どついて貰ったら――死ぬな。確実に死ぬ。

 僕はリンを抱え上げると診察用の長いすに掛けさせたる。


 「さて、さっさと終わらせようかな。」

 ぐるぐる巻きにされた包帯を、僕は手馴れた手つきではずしていった。



 「じゃぁ二人とも、すぐ戻るから。」

 リンの治療を済ませた僕は、こいつを一旦家まで送るため診療所を後にする。

 「リン、トロイ。ランいいよ、ゆっくり来て。」

 玄関口でマリアが腰に手を当てて僕らを見送る。ケンカ体制万全と言った感じだ。

 まったく、すぐマリアはリンにちょっかいを出したがる。

 「とろくなんかないや!こんなんでもブスよりは絶対に早く歩けるもんね!!」

 「二人とも、何でそうケンカするかな・・・。」

 リンも放っておけばいいのに、マリアの言葉に見事に乗っかっていく。

 僕はため息混じりに頭を抱えた。

 クリスはいつものように小さく笑う。

 ここ数ヶ月、当たり前のようにしてきた日常のひと時。

 僕がいて、リンがいて、ルウヤさんがいて、マリアがいて、そして、クリスがいて・・・。

 何て幸せなことなんだろうと、思ってしまう。

 騒がしくて、悩んで、でも思いっきり笑えて、安心できるそんな関係。一人で部屋に閉じこもっていた時には考え付かなかった幸福。

 いつかはきっと、離れていってしまうのかもしれない。

 それぞれが別々の生きる道を見つけ出すのだろう。

 それがずっと遠い未来の出来事であることを、僕はどこかで思っていた。


 「ねぇ兄ちゃん・・・。」

 マリアたちと別れた後、リンが慎重な面持ちで聞いてきた。

 「おいら、歩けるようになるよね。」

 「何だよ、いきなり。」

 「だって、ずっと、何日もこの杖突かないと歩けないんだもん。もし、このままだったらイヤだなって思って。」

 おいおい、あの事故からまだ五日も経ってないぞ。ルウヤさんや僕の治療を舐めてんのか?

 僕はこみ上げる軽い怒りを抑えて、さっき見た症状から今後の回復の予定を僕なりにだけど口にした。

 「杖だったら、あと四・五日で使わなくていいようになるよ。あとは、毎日診療所に通えば、近いうちに薬も包帯も必要なくなる。お前、兄ちゃんのこと信じてないのか?」

 「そんなわけじゃねぇけど・・・でも・・・。」

 「怖いんか?」

 「・・・・・・・・。」

 痛みは人を臆病にするってのはどっかで聞いたことがあったけど、こんな元気丸出しのやんちゃ坊主にも当てはまるもんなんだなぁと、しみじみ思ってしまう。

 「心配すんなって!後もうちょっとの辛抱だよ!!」

 「うん。・・・そだね。」

 とてもぎこちなくだったけれど、不安を吹き飛ばすようにリンは笑った。

 そんな弟の顔に、僕も笑顔で応える。

 そのときだった。



 「 Maria!! Neeee,Neeeeee!!!!!! 」

 診療所の方から、甲高い悲鳴が響き渡った。

 「!!?」

 思わず僕らは振り返る。


 Maria、マリア?・・・今のは、クリス?

 遠くからでもはっきり聞き取れる、女の子の声だ。

 でも、何で・・・?

 「マリア・・・?」

 リンが引っ張られるように診療所のほうへ杖をつく。


 嫌な予感がした。

 ほんのわずかな村人しか知らないけれど、あいつは、まだこの村に棲みついているんだ。

 「お前は家に帰れ。」

 リンの小さな肩をつかみ、前へ出る。こいつをこのまま診療所に向かわせるのは危険だ。

 確信はないけれど、あいつの仕業じゃないと言い切れない。

 「兄ちゃん?」

 「いいか、家に帰ったらちゃんと鍵かけて、父さんたちが帰るまで一歩も外、出るな。」

 「な・・・何だよ、いきなり。兄ちゃん、変だよ?」

 「僕の感。変でも何でもいいから、言うとおりにしておけ!!」

 「兄ちゃん!!?」

 リンを放って僕は診療所へと走った。

 マリアだったらいざ知らず、あのクリスが叫ぶなんて事は滅多にありえないんだ。


 畑へ向かう大人たちにも聞こえたのだろう。

 足を止めて、診療所の様子を遠くからうかがっている。けど、中に入ろうとする気は全く無い。素知らぬフリしてみんな通り過ぎていく。


 所詮は余所者だから・・・って事か!?


 ふざけてる。

 村人でこんなことがあれば、誰彼かまわず家の中に押しかけて騒ぎを収めようというのに、外から来た人というだけで、みんながみんな我関せずなんて。

 馬鹿馬鹿しいにも程がある!!


 誰かが僕を引き止めようと声を掛けた。

 そんなの知ったことか!

 診療所の外からでも、騒がしい音と悲鳴と罵声が聞こえてくるんだ。


 ―――あいつの仕業だ。


 「マリア!!クリス!!」

 僕は勢いよく扉を開けた。

 中は散惨たるものだった。

 机や椅子がひっくり返され、薬草の入っていた壷や引き出しが、あちこちに飛び散っている。


 暖炉の脇のほうで人影が動いた。

 脳天で結われた黒い髪。大柄な筋肉質の肉体。浅黒い肌。鋭く、小さな黒目の男。

 「・・・マスナ・・・やっぱり、あんたかよ。」

 想像通りの展開だった。まったく、現実はイヤな方に転んでいく。

 「何だ、ランかよ。今取り込み中なんだ。どっか出て行ってもらえねぇか?」

 苦々しそうにマスナが僕を睨み付ける。

 こいつから目線をそらさずに瓦礫をかき分けて、僕はマスナの方に近づいく。これじゃあ、今日の仕事は全部掃除で終わってしまうと頭の何処かで苦笑いした。

 「人んちに勝手に入って、何してんだ。」

 「あんたん家じゃないんだから、別に良いじゃねえか。」

 「だからってこんな事する権利、あんたにない!それに、ここは僕の仕事場だ。あんたこそさっさと出て行け。」

 マスナは小さく舌打ちして、頭を掻く。

 「こいつ等を連れ戻すように言われてんだよ。」

 連れ戻す? 彼女たちの知り合いを、こいつは知ってるのか。

 けど、こんな乱暴なやり方は無しだろ?

 いやでも、双子の生い立ちと希少性を考えれば強引にでも連れ帰るのか。


 マリアとクリスは見せ物の奴隷かも知れないのだから。


 ルウヤさんが帰ってくるまで、少しでも時間を稼ぐ方がいい。

 「だったら、もう少し待てないのか?この子たちの面倒を見ている人が帰ってくるまでいいじゃないか。」

 「めんど臭えんだよ、いちいちさぁー・・・。目の前にいんだから、手っ取り早く持ってっちまう方が楽じゃんか。」

 「・・・・・・。」

 まるで話にならない。こいつには自分の都合しか頭にないのか。

 まぁ、ルウヤさんがこいつに二人を託すとは思えないけど。


 台所から高い呻き声があがった。

 「う・・・ぁ・・・・・・」

 「Maria!!」

 瓦礫と化した家具の隙間から双子の姿が見えた。

 二人は寄り添い、水瓶の前で小さくうずくまっている。

 一人が、呻き声に反応して上体を少し浮かせた。


 緋い目。


 クリスだ。彼女がマリアを庇うように抱きしめていたんだ。

 さっきまで気を失っていたマリアの口元から、一筋の赤いものが滲んでいた。


 あれは・・・血・・・?


 僕はマスナに向き直る。

 「あんた、マリアに何したんだよ。」

 「このガキが悪いんだぜ?連れて行こうとしたら、いきなり噛み付きやがったんだ。だから、思わずこう・・・さ!」

 くっきりと赤い歯形がついた左腕をマスナは見せびらかし、ぶんぶん振って見せた。

 「・・・殴ったのか?子供相手に?」

 「おいおい、勘違いすんなよ。引き離しただけだぜ?」


 僕の中で、何かのタガが外れた。丁度、足下にあった椅子を引き寄せると、マスナの懐に思いっきり蹴り付ける。

 すかさず、姿勢を崩したマスナの顔に僕は膝蹴りを食らわした。

 マスナは床に散らばった薬壺や椅子を巻き込んで無防備に玄関の方へと吹っ飛ばされていく。

 散らばった瓦礫が大きな音を立てて、マスナの身体を埋めていった。

 相手が動かなくなったところで、僕は双子の方へ向かう。

 「マリア、クリス!」

 僕は駆け寄り、マリアを抱いて容態を確認した。

 マリアが弱々しく僕を見つめる。

 「どっか、痛いところないか?」

 「・・・頭、・・・口。」

 マリアは軽く唇を切っていた。もう血は止まっているけれど、とても痛々しい。

 頭も後頭部に小さなコブができて、触るとマリアの顔が歪んだ。

 「あ、ゴメン!痛かったね・・・」

 クリスがのぞき込むように、玄関口で埋もれているマスナを見ていた。彼女の小さな手は、震えながら僕の袖を掴んで離さない。

 「ラン、この人誰?知ってるの?」

 「まあね・・・。とにかく、ここを離れよう。」

 マスナは気を失っているのか、低い呻きをこぼしていた。

 一瞬でもこの男と同じ空気を吸っていたくない。

 僕だけでなく、クリスの精神衛生上にも害悪だ。

 まだ意識がはっきりしていないマリアを背負い、僕らは裏口から外に出る。

 扉の脇にクリスの身の丈くらいの杖が立て掛けてあった。

 太帯に杖を差し、森の中へと向かう。

 「どこに行くの?」

 クリスが不安げに尋ねる。

 「ルウヤさんのところ。・・・あの畑なら、マスナにも見つからないからね。」




第二節


 ルウヤさんの畑は北の森にある。

 村に空いている畑が無いからって事だけれど、ホントのところは余所者に使わせないって事なんだろう。

 もともと夜だろうが昼だろうが森の中で薬草を採りに行っている彼だ。下手に村人に荒らされる畑を持つ位だったら、森に自分だけの土地を持った方がマシと考えたのかもしれない。

 昼間であれば、森の中の魔物たちも動きを見せないので、僕も何度か行ったことがある。

 僕だけじゃない。マリアもクリスも薬草の世話をしによく行っている。

 畑までの道のりは少し険しいけれど、今のクリスの体力でも十分行くことはできるはずだ。

 後十数分もすれば辿り着けるだろう。

 完全に森の中だ。

 道跡さえわずかな獣道。誰か道案内できる奴がいない限り、あの畑にはたどり着けない。

 つまり、マスナがここまで来ることは出来ないんだ。

 ルウヤさんと今後のことについて考えなくちゃ。


 ケホケホケホッ


 「!」

 まただ。

 クリスが咳き込んだ。


 ケホケホケホケホケホッ


 「・・・少し、休もうか。」

 「平気。・・・あと、もうちょっとだもん。」

 「だけど・・・」

 心配だ。

 僕の思った以上に、クリスの体力は衰えている。白い顔は青く、目の下には薄くクマが見える。汗だって、ものすごくかいているし、何より呼吸が荒い。

 喉の奥で胆がつかえているのか、息をする度にぜいぜいと嫌な音がしている。

 何より咳の出る間隔が短い。


 僕の肩を小さな手が掴んだ。

 「ラン。あたし降りる。クリス乗せる。」

 「マリア・・・。」

 「あたし、痛くない。畑、走れる。だから、クリス乗せる。」

 マリアの怪我も心配だった。けれど、それ以上にクリスの容態は目に余るものがあるのも確かだった。

 「わかった。」

 マリアをゆっくりとおろす。

 頭を押さえてマリアは少したち眩んだ。が、自分で言ったとおり、足取りはしっかりしていた。

 「クリス、乗っかって。」

 僕はしゃがんだままクリスに背中を向ける。

 「・・・ありがとう。」

 咳き込みながら、クリスは僕の肩に手を回した。

 クリスがしっかりと背負われたのを確認すると、マリアは僕らの前を小気味よく駆け上がっていく。

 「ちょっと、無茶すんなよ。」

 「無茶ちがう! 普通だ!! 」

 少し慌てて、マリアを追う。

 まさかこんなに速く走れるとは思わなかった。

 木の枝やむき出した根を掴みながら、けもの道を軽い足取りでかき分けていくマリア。

 彼女に追いついていくのも結構大変だ。

 慣れって、すごいもんなんだなぁ・・・と感心しながら僕も歩みを進めていく。



 ドシュッ!!


 「!!?」


 左太ももに何かが当たり、一瞬で全身に強い熱が込み上がる。

 足に力が入らなくなって、糸の切れた操り人形のように僕は地面へと膝をついてしまった。

 「ラン!!?」

 クリスが僕の背中から降りる。

 一体、何が起きたんだ!?

 左太ももを見る。


 剔られていた。


 ももの外側に当たる部分の肉が、何かによって剔り取られていた。

 何に?

 血はそんなに出ていない。

 まるで焼き付けられたみたいに、傷口の周りの袴が黒く焼けこげている。


 何で?

 何があったというんだ!?

 傷を確認したとたん、急激に痛みが全身を駆けめぐる。

 「ぅぅぅううううううううああああああああああああああああ!!!!!」

 あまりの痛みに背中が曲がる。


 ・・・・・何で・・・何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で、何で!!?


 「ラン、何あった!?」

 つたなく高い言葉。

 マリア?

 先を行っていたマリアがこっちに駆け寄って来ているんだ。

 「来るな、マリア!!」

 「!!?」

 僕の叫びに足音が止む。そうだ。こっちに来ちゃダメだ。

 「はやく畑に行け!!ルウヤさんのところに行くんだ!!」

 「ラン、・・・足が・・・。」

 顔を上げると、マリアが見えた。僕の傷が遠目でも見えるのか、彼女は珍しく顔を青ざめている。

 足が、震えているのがここからでも見てとれた。

 これだけハッキリと周りの景色が見えるのなら、僕の意識はしばらく持つんだろう。

 「 Iru, Maria !! 」

 咳を無理に押さえてクリスが叫んだ。

 「 Sed !!」

 マリアが、さらにこっちに一歩足を踏み出す。

 そんな彼女を咎めるように、クリスはさらに声を荒げた。

 「 Eble tiu viro ! Tia afero povi la nur lin !! Ran kaj mi ne estas movig^i. Vi iri g^is Ruja !!! 」

 クリスは有無を言わせない強い語気だった。

 「 Kris・・・. 」

 震える声でマリアがクリスの名を口にする。

 けれど、さっきとは逆に、後ろに一歩、マリアが足をつく。

 また一歩。

 二歩。

 三歩。


 後ろ髪引かれるように、それでもマリアは何も言わずに畑の方向へと走っていった。

 「・・・なんて、言ったの?」

 「ルウヤを、連れてきてって・・・」

 「・・・そっか。」

 クリスの咳がさらに激しさを伴ってきた。

 ルウヤさんが来るまで、僕がどうにかしないといけないな。

 この傷は魔物のものなのだろうか。

 まるで、わからない。

 けど、クリスをこのまま置いとくのはあまりにも危険だ。

 あたりを見回す。

 ちょうど、クリスの傍らに大きめな倒木があった。

 「ラン!?」

 足の痛みをこらえて、クリスを倒木の陰に連れて行く。

 「ラン、何するつもり!?」

 「・・・ここに、・・・・・・隠れてて。」

 「ランはどうするの!?」

 「見張り。・・・僕らが来た方から、何か・・・来るのは、確かだし。」

 「まって!あなたじゃ危険だわ!!」

 引き留めるクリスから離れ、僕は来た道を戻っていく。

 左足を踏みしめるごとに、脳天にまで痛みが突き上がる。

 けれど、出来る限り、ここから離れないといけない。


 せめて・・・クリスの咳が聞こえないところまでは・・・行かないと・・・。


 不安定な坂を下ると、ほんの少しだけ開かれた場所に出た。

 木々の間から見える空は、灰色の厚い雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうだった。

 僕は太めの木の幹に背中を預け、深く呼吸をした。

 ほんの少しだけ、足の痛みがひいていた。きっと、痛みに少しだけ体が慣れたのかもしれない。

 あんまし良い事じゃないよな・・・。

 帯にさしていた杖を抜き、辺りをうかがう。

 

 ドクン、ドクン、ドクン

 ズーハァー、ズーハァー・・・

 ドクン、ドクン、ドクン、

 ズーハァー、ズゥーハァー・・・

 ドクン、ドクン、ドクン・・・・・・


 血が脈打つ音と、荒い息づかい。それ以外何も聞き取れなかった。

 静寂の森。僕の耳がどうかなっているのだろうか。行きの時には、鳥や虫の鳴き声が聞こえていたような気がする。風が梢を揺らす音だってしていた。なのに、聞こえない。

 僕の音が大きすぎて、何も、何も聞こえない・・・。

 けれど、微かに聞こえた。

 静寂をかき分けて、村の方から茂みをかき分ける音が聞こえた。


 何かが来る。


 何だ・・・?


 影が見える。

 人の影だ。それも、かなりの大柄な人物。

 僕の見知った人物。

 「・・・マスナ。」



 杖を握る手に自然と力が入る。よりによって、何でこいつが来るんだよ。

 「どうしてここがわかったかって、顔してんなぁ。まあ、無理もねぇか。」

 マスナは右手に白い筒を握っていた。あれは、何だろうか。

 「あのガキたちは?」

 「・・・・・・教えない。」

 こいつに二人を渡すわけにはいかない。追い払わなくちゃ。

 「あっそ!」

 意外にあっさりと、マスナは返事をした。白い筒を僕に向ける。

 白い光が、筒の中に灯った。

 「じゃ、別にいいや。」


 筒から光が放たれた。

 細く、鋭い光の矢。

 「!!」

 いきなり左脇に熱が迸る。思わず空いた左手で傷を触る。

 さっき太ももに走ったのと同じ痛みだ。

 「・・・な、何を・・・した!?」

 血が流れない、肉を剔る痛み。だけど、確実に深手を負わせる攻撃。

 あの光に、何でそんな力があるんだ!?

 「へぇー、まだ立てれるんだ。ヒョロそうに見えて、結構丈夫なんだな。」

 全身に駆けめぐる痛み。

 何かが込み上がってはき出した。


 地面にばらまかれる鮮やかな赤い液体。



 大量の、血液。



 これ、かなりヤバイよ。

 致命傷並みなんじゃないかな。


 マスナがのっしりとこっちに歩いてくる。

 僕は杖を構えた。

 左のももと脇腹の痛みが、僕の力を奪っていく。


 それでも、



 それでも!!




 まだ無傷の両腕で杖を振るう。

 マスナは体を躱し、僕の左側に回ってくる。

 僕の死角へと。


 奴の筒が、また白く光り出す。


 重心を落とす。

 左手の力を抜き、真横に凪いだ杖をマスナの首元に向けて右手で思い切り突く。

 傷口から悲鳴が上がる。


 二人を守るんだ。

 もうちょっと、持ってくれ。

 こいつを倒せば、思う存分休ませてやる。

 だから、僕の身体、もうちょっと、がんばってくれ。


 「うっ!!?」


 僕の攻撃にマスナが短い悲鳴を上げた。

 杖は彼の鎖骨の部分に見事に突き当たる。


 バシュンッ!


 筒が光を放った。

 僕の足下をすり抜け、地面から土埃が巻き上がる。

 とっさに跳び退き、マスナとの間合いを計る。

 喉元を押さえながら、マスナは僕を睨み付けていた。

 「てっめええええ!」


 少し動いただけで、息が出来ない。

 身体が、まるで大木を背負われたように重い。

 もう、これが限界なのか?

 いや、まだ。

 まだ、動ける!


 動かないとだめなんだ。



 再び杖を正面に構える。

 父さんから、多少杖術を教えてもらっていて正解だったな。

 どう動けば一番効率が良いのか、そのくらいは分かるんだもの。

 今みたいに、限界の身体でも時間稼ぎがとれる。


 それだけで、充分だ。


 マスナが来る。

 目が血走ってやがる。

 早速キレたのか。単純にもほどがあるな。

 白い筒には相変わらず光が蓄えられている。

 また、あの矢が来るのか。

 あいつが構えた瞬間、それがよける機会だ。


 筒を向けた。

 今だ!!

 右足を軸にして、半身になる。

 正面の構えをほどき、その反動でマスナに再び突きを喰らわす。


 今度は腹。


 「!?」

 「へ・・・へへへ・・・。」


 手応えはあった。

 杖はマスナの腹に突き当たっている。

 なのに、マスナは笑った。

 それどころか、引き戻す杖を握ってきた。

 「お前の緩い攻撃なんざ、効きゃしねぇんだよ。」


 ブンッと空気の震えるような音がした。

 「なっ!?」


 筒を持ったマスナの右手が上段の構えを取る。


 僕は目を疑った。

 筒から、光の棒が伸びていた。

 あの筒の三倍はあろうかという、先端が尖った光の棒。


 ・・・光の・・・剣?!


 「喰らえ!」

 マスナが叫ぶ。

 剣が、振り下ろされた。

 左肩に、灼熱の刃が食い込む。

 「うっ!!」

 上体を反らし、致命傷を何とか防ぐ。

 マスナの杖を持つ手が少し緩んだ。

 その隙をつき、再び間合いを広げる。


 「がはっ!!」

 また、血が込み上がる。

 鉄生臭い香りが口いっぱいに広がって気持ち悪い。

 何なんだ、あの剣は?

 肉が切れたのはわかる。けれど、刃の重さが全然感じられない。

 まるで、おびただしい熱と一緒に自然と肩が割れたみたいな、そんな感覚だ。

 とにかく、あの光には触れない方がいい。それに矢と剣が使い分けられる武器。

 見たことも、聞いたこともないよ。そんな武器。


 ドガッ!!


 上から、マスナの拳が振り落とされる。

 視界が揺らぐ。

 頭に響く、鈍い痛み。

 今度は腹にも。遠慮なしの膝蹴りが跳んでくる。

 持っていた杖を投げ捨てられ、僕の腕は簡単にねじり上げられた。筋から嫌な音が絞り出てくる。

 空いていた右足で振り飛ばそうともがく。

 が、


 グチャッと、気持ち悪い音とともに、僕の右太ももにマスナの剣が突き立てられる。


 「ああああああああああぁあぁぁあぁああぁぁぁ!!!」


 信じられないくらい大きな悲鳴が僕の口から発せられる。

 動かなくなった僕を、まるでゴミのようにマスナは投げ捨てる。

 土や石にあたり、かすかに僕の皮膚がはがれ、新たな傷が出来あがる。


 「手こずらせやがって。」

 マスナの舌打ちが聞こえる。

 何かを動かしているのか、甲高い変な音がピッピッ、と鳴った。

 「お前のおかげで時間がかかっちまったじゃねぇか。一人ずいぶん遠くに行っちまったな。」


 一人が・・・遠く・・・?

 マリアのことか。

 何で、こいつ、マリアが一人で畑に向かってるって分かるんだ。

 僕らが別れた時は、マスナの姿は見えなかった。

 二人を襲った時に何か細工でもしていたというのか?

 「あの世の手土産に良いこと教えてやるよ。」

 マスナが僕の視界に回り、しゃがみ込んだ。優越感に浸りきった、何ともムカツク笑いを見せる。

 手には、黒い手のひら大の円盤が握られていた。

 円盤の中央に小さな白い三角形が描かれ、その頂点のあたりに赤と青の光の点が点滅している。青い点は円盤の上縁あたりにあり、赤い方が比較的白い三角形に近いところで点滅していた。

 「これ、なーんだ!」

 「・・・・・・?」

 「あの二人が迷子にならねぇ為のハッシンキだ。目ん玉の色とそっくりだろ?二人がどこに行ってもこの円盤で見つけられるようになってるって寸法さ。」

 何だ、ハッシンキって? 二人の居場所が分かる?今の今まで、そんなモノ聞いたことがないよ。

 これが、異国の技術力だというの? 僕らが知らなくて、言葉の通わない異文化の発達した技術の一端。

 マスナはさも愉快そうにハッシンキとやらを見つめている。

 「・・・そんな・・・」

 信じられる要素は確かだ。マリアはルウヤさんを呼びに畑に行ってここからはかなり遠くにいる。クリスだって―――

 「ちょうど、緋い目の奴がこっちに向かってんなぁ。少しだけ、手間が省けたのかな?」

 クリスが、向かっている?

 あっちでジッとしていなかったのかよ。


 「・・・めだ・・・。」

 「あん?」

 「だ・・・め・・・。こんなと・・・・・・・・・だめだ・・・。」

 「まだ、刃向かおうッてんの?マジで、死んじまうぜ?」

 あざ笑うマスナの声が頭の中でこだまする。

 何が死んじまうだ?はじめっから殺す気だろうが、こいつは!

 足が、重い。

 身体が全然堅い。力が入らない。腕にも、指にも、全くと言っていいほど、感覚が無い。

 まるで夢の中にいるみたいだ。

 僕が血まみれになった悪夢。

 痛みとか、苦しさとか、そんなもの通り越して、ふわふわと漂うように、僕がここに在る。

 形を保つ。

 クリスを守るために、

 彼を待つために、


 そのために、僕は立ち上がる。



 「ずんぶん、バカになったな。ランよぉ!」

 まわりなんて全然見えない。川の中に潜ったような、ぼやけた世界しか今の僕には見えなかった。

 けど、マスナの声がわずかに震えているのがわかる。

 そんだけ僕の状態は酷いんだろうな。

 思った以上に血まみれなのかもしれない。だったら、こんなに傷付けなくてもよかっただろうが。

 なのにあいつは攻撃を緩めたりしなかった。

 その度に僕は立ち上がった。

 マスナに腕をねじり上げられても、何回も殴られても、何回も蹴られても、あの光の剣で切り刻まれても、それでも、


 僕は立ち上がった。


 彼女を、クリスを守るために。



 クリス


 クリス、こんなところに、来ちゃだめだ。

 マスナはきっと、君に、マリアに、酷いことをするに決まっているんだ。

 ルウヤさん、早く来てくれよ。

 あんたの大切な同居人が大変な目に遭うんだよ。

 あんたが来ないと、だめなんだよ。


 僕だけじゃ・・・


 今の僕だけじゃ、二人を守る事なんて出来ないんだ。


 僕の部屋の扉をぶち壊したあんたなら、二人をマスナから守る事なんて、簡単だろ?

 早く来てくれよ。



 「ラン!!」


 甲高い声音が僕の耳に入った。

 毎日のように風に乗って聞こえてきた声。村一番の歌姫。大人びていて、穏やかな、キレイな声。

 その声が今、驚愕と恐怖の色を濃くまとって、地べたに倒れていた僕の耳に届いた。



 ああ、何で、


 何で来ちゃうんだよ、クリス。


 じっとしていてって、言ったじゃないか。


 最悪だ。

 「ははっ、お姫様のご登場だ。」

 マスナの狂喜の歓声。

 「!!・・・ランから離れて!!」

 大男に怯えながらも、毅然とした態度をとるクリス。

 「随分と、でかい口の利き方だなぁ・・・。」

 それが、マスナの機嫌に触るのは当然のことだった。あいつの声色が、一段と凄みを効かせるように下がる。

 「だ・・・め・・・」

 マスナが狙いを僕からクリスに換えた。

 そんな事させるものかと、必死でマスナの足に絡みつく。

 「てめぇ・・・しつこいんだよ!!」

 「ぐぁっ!!」

 マスナのもう一方の片足が、僕の脳天を強烈に踏みつける。

 「ラン!!」

 クリスが叫ぶ。

 彼女の咳が、聞こえる。

 なんて酷い咳だ。

 肺に、何かが溜まったような咳じゃないか。


 マスナが何をしなくても、クリスの容態がかなり危ないところまできてしまっている。


 コトッ


 「・・・?」


 コトッ、カタッ、コトッ


 何かが、地面を転がった。

 僕の前に飛んでくる。灰色の、小さな石だ。

 「ッてえな・・・。」

 僕を踏みにじるマスナが低い声を漏らす。

 「ランから、離れて!!」

 クリス、何やってるの?

 「そんなもんぶつけやがって、覚悟は出来てるんかよ、お姫様よお!!!」

 「離れて!!」

 僕の頭から、マスナの足がどかされる。

 クリスの方へ、向かったのか?


 だめだ

 クリス、逃げて。

 逃げるんだ。


 「AAAAAAAAaaaaaaaaaaa!!」


 ばらばらとこぼれる小石の音。それとともに、クリスの金切り声が僕の耳に否応なく入って来た。


 助けてくれ、

 助けてくれ、


 誰か、クリスを助けてくれ。


 僕は、もう動けないんだ。

 もう、指一本、動かせないんだ。


 クリスが一体何をしたって言うんだ。

 まだ小さい女の子なんだよ。

 痛めつけられた僕を、弱った身体で必死に助けようとしてくれてるんだよ。


 どうか、

 誰か、助けてくれ!!


 神様、魔神、天使・・・


 誰でもいい、



 誰でもいいから、クリスを助けてよ!!




 「ぐはっ!!?」

 低い声が短い叫びを上げた。

 これは、マスナの声。


 もう、僕の視界は全くもって見えなくなっていた。

 新緑の若芽も、地面や木の幹の茶も見えない。霞んだ白黒の濃淡の世界。

 その中で、わずかに人が動いているのが確認できるくらいだった。


 ふわっと、風が吹いたように感じた。


 マスナが体制を崩すすり足とは別に、地面を滑る音がした。

 クリスとは違う。もっと大きなモノだ。

 誰か、別の人物が来たんだ。

 「お、お前は!!?」

 驚きを隠せない、マスナの上ずった声が聞こえる。

 そんな彼にお構いなしに、新たな登場人物はマスナに更なる攻撃を仕掛けていく。

 マスナの呻きと同時に、空気が振動している。

 武器が発する音じゃない。

 とても鈍い、それこそ、肉と肉がぶつかり合う音。

 これは、体術?


 おぼろな世界で、一際黒い人物が、マスナにぶつかっている。

 上下左右、縦横無尽に、息つく暇無くマスナに攻撃していく黒衣の人物。


 あぁ、やっと来てくれた。

 彼なら、安心だ。

 クリスを・・・マリアを、任せられる。


 まったく、もっと早く来てくれれば僕もこんな痛い目に遭わずにすんだのにな・・・。

 過ぎてしまったことは、仕方ない。

 でも、やっぱり、もう少しだけ、早く来てほしかったよ。

 クリスに怖い思いさせてしまったじゃないか。

 病気の身体には、精神的な負担は良くないんだって、あんた言ったじゃないか。

 今日のこの騒ぎで、きっとクリスにかなり悪い影響が出てしまうんじゃないの?


 悪いけど、あんたのせいだよ。

 僕は命を捨てて時間を稼いだんだからね。

 これで、僕のせいだなんて、あんたは言えないだろ?


 もう、何も、聞こえなくなってきた。

 目の前が真っ白になってる。

 ここで、もう、おしまいなんだ・・・。





 あとはまかせたよ。







 ルウヤさん・・・・・・・・・・




第三節


 <やっと、自由になれると思ったのに・・・>


 何だ・・・?


 <空が、白く輝いた時に、

 大地が、白く輝いた時に、

 海が、白く輝いた時に、

 俺たちを戒めてきた鎖は無くなったはずなのに!!>


 声?


 子供の声だ。

 誰の声・・・?

 とても怒っている。

 でも、とても悲しんでいる。

 どうして?


 君は、・・・だれ・・・・・・?



 青空。

 真っ白い雲がいくつか浮かぶ、鮮明な青と白の空。

 さっきまで、僕は森の中にいたはずなのに・・・。

 マスナに滅多打ちにされて、致命傷を受けて、ルウヤさんが助けに来たところまでは覚えている。


 僕は、死んだのかな・・・。

 そりゃ死んだよな・・・。あんだけの怪我を食らったら、まず生きてないもんな。


 ここが、天国ってところかな。人が死んだ後に導かれるという安息の大地。楽園。

 こんな空、今まで見たことがないもの。

 どこまでも、どこまでも広がる青い空。


 キレイ・・・。


 それに、空と溶けるように下に広がった大きな水溜まり。

 あれは、河?それとも、湖?


 ・・・海・・・そうだ、あれは、海だ。


 何で今まで忘れていたんだろう。

 いつも、ここで僕は海を見ていたじゃないか。


 ―――いや、違う。


 僕は海なんて知らない。

 言葉すら聞いたことがない。


 だって、村から僕は出たことがないんだ。

 旅商人だってずっと陸地を歩き回っているって言っていたから、多分彼らも知らないはず。

 誰も知らないのに、何で僕が知っているの?


 この景色は、一体何なの?


 ここは海を見渡す高台だ。

 崖と言った方がいいのだろうか。

 丈の短い草花が生い茂った草原の先端に、彼女はいた。


 「・・・ミリア。」


 会うのが初めてなのに、僕の意志に反して、僕は彼女の名前を口にした。

 昔からの知り合いのように。

 まるで、僕が僕じゃないみたいだ。

 身体がまったくもって動かない。視点ですら言うことを聞かない。

 金縛りかと思ったけど、そんな感じじゃない。まるで誰かの身体に、僕の魂が迷い込んでしまったような・・・そんな変な感覚だ。


 ミリアは海を眺めていた。

 長い白銀の髪が潮風になびく。

 空よりも濃い碧い衣は、見たことのない異国の服装。

 マリアたちのような身体の線がハッキリとした服とは違う。

 どちらかというと、僕らが身につけているような服装に似ている。

 大判の布を縫い合わせた踵くらいまでの長い布を纏い、帯で縛ったようなゆったりとした服装。

 神秘的な印象を抱かせる服装だった。

 伝説に出てくる神様が着ているような服と言えばいいのかもしれない。


 「世界は終焉を迎えた。」


 流れるように、謡うように、ミリアが口を開く。


 「永き混沌の世は廻り、そして―――」


 なんて、優しい声なのだろう。

 なんて、哀しく謡うのだろう。


 潮風が、彼女を慰めるようにその強さを増していく。


 もう、これ以上、そんな哀しいことを言わないでと、ひゅるるる、ひゅるるるると、彼女を慰める。

 けれど、ミリアははっきりと謡う。


 「新たな世界が生まれる。」


 僕の方へ振り返る。

 深い哀しみを湛えた黄金色の瞳は真っ直ぐに、僕じゃない“僕”に語る。


 一粒の、希望を託すように―――




 殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ!!!!!!!!!!


 何だ!?


 殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセ、コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ!!!!!!!!!!


 何なんだ!?

 頭が割れそうだ!!

 大勢の人間が、呪いの言葉を一斉にあげている声。

 地面が揺れるほどの強い声。

 でも、どこで―――



 バチバチバチッ!!


 炎?

 場所が、変わっている。

 さっきまで、草原にいたはずなのに、今は木が生い茂っている。

 森?

 森の中だ。

 森が、燃えている。

 木が、炎に煽られ、乾いた悲痛な叫びを上げる。草が、黒く縮れて力なく地面に横たわっていた。

 炭と化した木片も至る所に散らばっている。


 灼熱の密林―――


 どうして、こんな事になっているの?


 カラカラカラ―――


 足下で、何かが転がった。熱い何か。“僕”の足にそれは触れ、“僕”は思わず半歩下がった。

 細い棒。鋼で出来ているのか、炎にあてられて鈍く赤い光を発している。

 先端のところに、以前は布だったのだろう、黒い炭が巻きつけられていた。

 鼻につく、油の臭い。

 焼き討ち用の弓矢。

 ―――人間の、仕業だ。


 どうして!!


 この森は、誰も入ろうとしない禁断の森だったじゃないか。


 “僕”らがやっとの思いで見つけ出した、安住の土地ではなかったのか?

 “みんな”無事だろうか。

 森の中を“僕”は走る。


 だめだ・・・

 行っちゃいけないよ。

 何故だか知らないけれど、行けば必ず後悔する。

 酷い目に遭う。

 だから、行かないで。


 行かないで!!


 僕の叫びとは裏腹に“僕”は森の中を走る。

 森が、少しだけ切り開かれた場所に“僕”は出た。


 “僕”らの村だ。


 光が世界を覆った時に、“僕”らの鎖は解き放たれた。

 それからずっと旅をして、やっと見つけた“僕”らだけの村。

 あそこからは、とても、とても、遠く離れているというのに・・・何で―――

 「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 平和だった村は地獄と化していた。

 村人が無惨に殺され、打ち棄てられ、屍の山が築き上がっていた。

 地面に流れる、大量の血の河は辺りにまき散らされた白い羽根を赤く染めていく。

 手足がもげた人。内蔵が零れ出た人もいた。


 何で、炎に包まれなくちゃならないんだよ!!

 何で、殺されなくちゃならないんだよ!!


 “僕”らはお前たちにこんなことされるいわれはない。

 殺される事なんて、滅ぼされる事なんて、やってない。

 あんたたちの身勝手な言い分はもう沢山だ。


 コロシテヤル


 やめて。


 コロシテヤル、コロシテヤル。


 やめて、やめてくれ。


 人間たちを殺してやる。

 殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。


 やめてくれ、

 壊れてしまう。

 頭がどうにかなってしまう。

 おかしくなってしまう。


 殺してやる!!!!


 “みんな”の腕や、足が散乱している。

 バラバラになった肉片から、赤く染まった羽根から、呪いの言葉が聞こえてくる。

 人間たちに対する怨嗟の謡が僕の心に食らいつく。


 コロセ

 コロセ

 コロセ


 やめろ!!



 「駄目。」


 涼やかな、潮風のような声色。

 「そっちへいってはいけない。」

 煮えたぎる憎しみを沈める、清らかな詩。


 「あなたの翼は、白き翼。

 何者にも穢されない、自由の翼。

 憎しみの赤に染めることに、人間を殺すことに、意味はない。」

 ふわりと、涼やかな手が“僕”の身体に回る。碧い衣が“僕”の身体を包み込む。

 “僕”を抱きしめる。

 冷たい温もりで、“僕”を引き留める。

 「・・・ミリア・・・」


 ミリアが、“僕”を慰める。


 「・・・何でだよ。」


 それでも、怒りを治めることなんて、“僕”には出来ない。

 拳が震える。

 彼女の慰めなんて、今の“僕”には気持ち悪いだけでしかない。

 握りしめる小さな拳。そこから流れる血は、みんなの無念。呪いの痛み。

 彼女の言葉なんて、偽りの、綺麗事にしか、・・・聞こえない。


 「何で、何で、何でだよ!!

 何でミリアは俺の気持ちを抑えつけるんだ!!

 こんな事されて・・・みんなを、親父やお袋を、バラバラにされて・・・あいつらの事 ほっとけって言えるんだよ!!

 ・・・・・・やっと自由になったんだ。

 やっと俺たちは、俺たちで生きていけると、そう思ったんだ!!


 幸せになれると信じてたんだ!!!」


 憎まずにはいられない。

 恨まずにはいられない。

 呪わずにはいられない。


 俺たちから何もかも奪った人間なんて、みんな殺してやる。

 俺の全てをかけて、あいつらを根絶やしにしてやる。


 「憎んで、当たり前じゃないかよ!!」


 “僕”はミリアの優しい腕を振りほどき、彼女を睨み付けた。

 彼女の今にも泣き出しそうな黄金色の瞳に“僕”の姿が反射される。


 クセのかかった漆黒の髪。

 炎に照らし出してもわかる、空色の瞳。

 あどけない顔立ちだけど、あの切れ長の目線は、白い肌は、彼を連想させた。


 ルウヤさん。


 「・・・殺してやる・・・。人間なんて、みんな、みんな、殺してやる。」


 涙が、頬をつたう。

 憎しみをあらわすように、涙が止まらない。

 僕が気付いて、“僕”が気付かない、涙。


 「いずれ、あなたはわかるわ。人間全てを憎む事の愚かさを。」

 うつむく“僕”をミリアは茂みの中へと押しやった。

 「あなたは、生きなさい。この先も支配するであろう、人間の世界を、見届けるのよ。あなたが生きる限り。」

 茂みの外で、ミリアは柔らかく微笑んだ。


 女神の微笑。


 「しばらく、お別れね。」


 “僕”には、このときわからなかったんだ。茂みの中でうつむき、人間達を呪っていただけの“僕”には・・・。

 ミリアに危険が忍び寄っている事なんて、わからなかったんだ。


 彼女は一人、滅びた村の中で立ちつくしていた。

 自らの存在を人間たちに見せつけるように。

 すぐに、重装な鎧を纏った数人の兵たちがミリアを取り囲んだ。

 兵たちの体中に染みついた“僕”らの血に、さっきまで息巻いていた“僕”は反転、恐怖した。

 剣や槍、棍棒に滴るみんなの血に震え上がり、“僕”は茂みから動けなくなってしまった。

 ミリアがこれからどんな目に遭うかすぐに分かっていた。けれど、“僕”の身体は固まっていた。


 彼らはミリアに襲いかかる。手に持った武器で、彼女に攻撃をする。

 何度も、何度も、斬りつけた。

 肩に、足に、腕に、腹に、胸に、顔に、頭に・・・彼女の至る所に男たちは斬りつけた。


 でも、ミリアは動じなかった。

 一歩もその場から動かずに、兵たちの攻撃を受け止めた。

 服がボロボロに裂けようとも、身体に武器が突き立てられても立っていた。


 傷が、無かったから。


 身体を突き刺した剣を引き抜いても、彼女の血は一滴も付かなかった。

 それどころか、傷跡すら、何もなかったかのように出来ていなかった。


 まるで絶対不変な存在、


 ―――神―――を、示すように、


 兵たちの前で立ち続けた。


 さらに多くの男たちが彼女の前に集まってきた。

 手持ちのあらゆる武器で彼女を傷付けようとして、そのどれもが失敗に終わった。

 誰もが、ミリアに恐怖した。


 “化け物”と、恐れ、おののいた。


 ・・・もう、やめてくれ・・・・・。

 まだ、彼女はあんたたちに何もしていないじゃないか。


 彼女の細い身体に、無数の鎖が巻き付かれる。

 “僕”は、動けなかった。

 動かなければ、ミリアは助けられないのに、“僕”の足は、手は、ものすごく震えて自由にならなかった。


 怖い


 動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け!!


 “僕”の中で、僕は声にならない声で叫ぶ。

 ルウヤさんに似たこの子の中で。

 知っているから、

 この後に押し寄せる、後悔の苦しさを僕が知ってしまっているから。

 だから、動いてほしい。

 どんなに不利な状況でも、彼女を助け出してほしかった。

 “僕”自身のために―――。


 鎖で戒められたミリアの前に、老人が現れた。

 兵たちの指揮を執っているのだろうか、前屈みに歪んだ身体を見事な装飾がされた杖で支え、きらびやかな紫の服を身に着けた、禍々しい雰囲気を醸し出した老人。

 「化け物よ・・・我らに従え。さすればこの鎖から解き放とうぞ。」

 凄みのある物言いだった。老齢であるとは言え、この人物が幾多の修羅場をくぐり抜けてきた勇壮な戦士であることを実感させる言葉だった。

 けれど、ミリアは涼しい顔で老人を見据える。

 「私の心を縛る事など、何人も出来はしない。たとえ、この身体朽ち果てても私はお前らに従いはしない。」

 透き通るミリアの謡に兵たちがどよめきだつ。

 「なっ・・・なんだと!?」

 動じたのは兵士だけではなかった。経験を積んだであろうこの老人ですら、ミリアの前では只の一兵士と同じく、動揺の色を隠すことが出来ないでいた。それだけ彼女の言葉には、老人の心をもたじろがせる力を秘めていたのだ。

 まさに、言霊。

 揺るぎない目線、凛とした涼やかな声、屹立とした姿勢。言葉だけではない、彼女の全身から放たれる神々しいまでの、力。

 「臆病者の狂気は愚かでしかないと言っているの。血を欲する小動物は好まない。」

 「黙れ!!貴様には生き地獄を味わせてくれるわ!!引っ立てろ!!」

 老人は、駄々をこねる子供のようにあたりに叫び散らす。

 我に返った兵の何人かが、ミリアの鎖を引きずっていく。


 静寂は、訪れた。


 炎が止み、黒い焼け野原と化した村の跡で“僕”は呆然と立ちつくした。


 結局、“僕”は何も出来なかった。


 怖さに甘えて、自分を守る事に固執した。

 全て、人間のせいだと思いこんだ。

 ミリアを連れ去り、村を焼き払った人間が全て悪いのだと。

 僕が世界を恨んだように、“僕”は人間を憎んでいった。


 永い、永い年月、ずっと・・・




第四節


 薬草の独特の香りが鼻をくすぐる。

 「・・・・・・。」

 木の天井が、視界に入った。

 見覚えのある天井。それに、この薬草の香りにも、覚えがあった。

 あたりを見渡す。

 壁一面の本の棚。それに、散らかった机。明かりとり用の窓。

 ここは―――

 「・・・ルウヤさん家?」

 床の位置が高い。この大きさからすると、診療用の大机に僕は寝かされているみたいだ。

 一応、布団が敷かれている。背中や頭に当たる部分に少し柔らかい物がぶつかっていた。

 どうして、こんな所に僕はいるんだろう。というより、僕は死んだんじゃ無かったのか?


 「!!?」


 そういえば、クリスは!?


 マスナに叫び声をあげていた。

 クリスは無事なのか!?


 気が気じゃない。

 こんな所で眠っている場合じゃないんだ。

 身体を起こそうと、力を入れる。

 「ぐぁっ!!」

 とたんに、全身から痛みが騒ぎだった。

 筋肉が緊張して固まったような痛みが至るところから悲鳴を上げている。

 まるで全身を大きな槍で串刺しにされたような、そんな感じ。


 あまりの痛みに息が乱れる。

 やっぱりマスナから受けた傷はハンパじゃなかったんだな。

 まぁ、串刺しって表現も外れてはいなかったわけだし。命が繋がっただけでも、マシな方か。


 「まだ・・・寝てないと、ダメ。」


 弱々しくも、鈴を鳴らしたような高い声がした。

 聞き慣れた、双子の声。

 その中でも、こんな風に落ち着きを兼ね備えたのは―――

 「クリス!?」

 ここからは彼女の姿が見えなかった。

 僕の目線よりも下、明かり窓の側にあるルウヤさんの寝台にクリスは横になっているようだった。

 「クリス・・・無事だったんだね。」

 「ルウヤが来てくれたの。あの男の人を追い払って、すぐにラン助けて・・・ここまで運んでくれた。」

 「そうか・・・良かった・・・・・・。」

 さすがにルウヤさんだ。

 あのマスナを追い払えるなんて、やっぱ只者じゃなかったんだ。

 夜の森を歩き回れるだけの事はある人だったんだな。


 ゴホッゴホゴッ・・・ゴホゴホッゴホッ!!


 「クリス!!?」


 ゴホッゴホゴホッ・・・ゴホゴホッゴホッゴッホ


 ゴフッ!!


 クリスから何かを吐き出す音がした。

 薬草の香りに混じって、鉄臭い臭いが鼻に入り込む。

 ほんの少し前まで、僕はこの臭いの中にいた。

 血の、臭い。


 痛む身体に鞭打って、僕は机から降り立つ。

 「!?」


 寝台にはいくつもの血の跡が滲んでいた。

 クリスの口元には、血のりがべっとりとくっついたまま、かすかな息を苦しそうにしている。

 身をかがめて、布団を握りしめて、ぜえぜえと弱々しく・・・・・・。

 「・・・私、知ってるよ。・・・もう、この身体が、限界だって。・・・ゴメンね、ラン・・・。」

 「なっ、何言ってるんだよ!今、薬持ってくるから!!」

 両太ももから悲鳴が上がる。

 白い包帯には血が滲み出てきたけれど、そんなこと関係ない。

 今はクリスをどうにか手当てしなくちゃいけないんだ。

 出口の扉に手をかけた、その時だった。


 ガチャッ


 扉が開いた。

 「ラン・・・。」

 ルウヤさんだった。

 僕を一瞬見ると、すぐに彼は視線をそらした。

 クリスの所に向かい、ルウヤさんは持っていた手ぬぐいで彼女の口元を丁寧に拭う。

 //・・・クリス。お前たちの父親と名乗る男が来ている。トム・ダグワイヤーと言っていた。//

 //あの人・・・?ついに来ちゃったんだ。//

 僕は自分の頭を疑った。

 独特の発音。伸びやかな話口調はクリスたちの言葉であることは確かだった。

 僕には理解できない言葉。

 なのに・・・何で?

 生まれついて喋っていたかのように分かってしまう。僕が、彼女たちの言葉を理解できてしまっている。

 //彼は、父親とは少し言えないわね。・・・でも、あなたに・・・これ以上の、迷惑は・・・かけられないもの。//

 //お前の身体の事もある。彼に任せた方がいいと、俺は思っている。//

 //マリアが私たちの犠牲になったとしても?//

 一瞬で、クリスの様子が変わった。緋い瞳に極寒の冷気が宿る。

 //・・・・・・決めるのは、マリアだ。//

 //分かってないわね。あの子は・・・私やトムのことを、一番に考えてしまう。・・・自分の・・・命なんて、・・・・・・ただの使い捨てにしか考えていないでしょうね。//

 クリスが、喘ぎながらも冷めた顔でルウヤさんを睨み付ける。

 なんて冷たい顔なのだろう。

 今までに何度かこんな顔をする事はあった。

 けれど、今のこの顔はその中でも群を抜いた冷酷な表情だった。

 まるでルウヤさんを、責め立てている。


 「これを・・・・・・。マリアには、さっき渡した。」

 ルウヤさんは、懐から一枚の白い羽根を取り出した。

 「・・・ありがとう。ルウヤ。」

 冷たい顔は和らぐことなく、それでもクリスは礼を述べる。

 大事そうに、そっと抱え込んだ。

 「守りの羽根ってんだ。何かあったら、俺たちの事を思い出してくれ。それだけで、何かの助けになるはずだ。」

 「オマジナイってことかしら。ルウヤらしくない。」

 「・・・。」

 //―――天使は白い翼をはためかせ、魔神を呼び覚ます・・・。私たちが知っている“終末”の一部よ。・・・縁起の良いものには・・・思えないわ。//

 //ただの伝説さ。//

 //そうね・・・。けど、あなたの言葉じゃ信憑性も確信性に変わる。・・・この羽根は、・・・何のオマジナイ?//

 //・・・。//

 //今まで、・・・ありがとう。ルウヤさん。//

 皮肉にもとれる、クリスの言葉だった。

 ルウヤさんはクリスを抱きかかえると、診察室の方へ出て行った。

 僕も引きずる足で、彼らの跡を追う。


 診察室にはマリアとリン、それに傷だらけのマスナと見知らぬ男が、相向かいになって椅子に腰掛けていた。

 「クリス!!」

 真っ先にマリアが声を上げた。

 男がすっと立ち上がる。

 年は五・六十代くらいだろうか。このあたりじゃかなりの高齢に位置するだろう。痩けた顔に深い皺がいくつか刻まれている。

 長い白い髪をうなじのあたりで一つにまとめ、白い服を細長い身体に身に着けていた。

左右の視点があべこべになっている澱んだ瞳は鋭く、ルウヤさんたちを見つめている。

 何を考えているのか、さっぱり読み取れない。


 亡霊と、表現出来そうな男だ。


 「彼女をこちらへ。」

 瀕死のクリスを見ても表情を変えることなく、男はルウヤさんに両手を差し出した。

 ルウヤさんはそれに応じ、クリスを男に渡す。

 男はきびすを返し、外へと向かう。

 「帰るぞ。」

 マリアとマスナが黙って席を立った。

 マリアはうつむいて男の後に続く。


 「マリア!」

 思わず僕は声をあげた。

 マリアの足が止まる。

 ゆっくりと、マリアが僕の方へ振り返る。


 泣いていた。


 声を出さず、顔を赤らめもせず、ただ、ただ、大きな蒼い瞳からポロポロと大粒の涙が零れていく。


 なんて顔なんだ。


 「サヨナラだ。ラン・・・。」


 何で、そんな顔して、そんな言葉を言うんだよ。

 「・・・行きたくないんだろ?だったら、行くなよ・・・マリア。」

 マリアの口元の傷はまだ赤く腫れていた。

 きっと、あれからそう時間がたっていないんだろう。

 マリアは視線をそらし、うつむくと逃げるように外に出て行ってしまった。

 「マリア!!」

 彼女を追いかける僕の前にマスナが立ちはだかる。

 手には、あの筒が握られている。

 「せっかく拾った命だ。今ここで無くしてもいいのかな?」

 「くっ・・・!」

 筒の中が光りはじめている。

 こいつ、まだ僕を殺す気で

 「雇い主を待たせるもんじゃねぇぞ。」

 「ぁあ?」

 ルウヤさんが、僕らの間に割って入る。

 「こんな所で油を売って、今度は傷じゃすまねぇぜ?」

 怒っている。

 顔は見えないけれど、雰囲気で分かる。

 明らかに、ルウヤさんは怒っている。

 マスナが彼の尋常でない様にたじろぎ、後じさる。

 「ふんっ!」と悔しさをあらわにしたまま、それでもマスナは診療所から出て行ってしまった。



 「兄ちゃん!!」

 静かになった診療所でリンが半ベソをかきながら僕に駆け寄ってきた。

 けれど、こいつに構っている余裕は僕の中には無い。

 「・・・ルウヤさん、どういうことですか?どうして、クリスたちを・・・!」

 「家まで送るよ。傷が治るまでここには来なくていい。」

 僕の言葉を打ち消してルウヤさんが外に出ようとする。

 明らかに僕を避けている。

 クリスたちをあの男に手渡した事を突っ込まれたくないんだ。

 けど、そんな事気にかけてたまるか!

 「待てよ!! 何でクリスたちをあんな奴らに手放したんだ!?」

 ルウヤさんの足は止まらない。


 「ルシュエルア!!!」


 彼の足が止まった。

 「・・・答えろよ。あんた、二人の事なんか知ってんだろ?マリアがクリスの犠牲になるって、一体何なんだよ! 何であんな奴らに!!?」

 僕の問いかけに「二人の保護者だからさ。」と、彼は冷静に答えた。

 「それに、あの男は医学に精通しているようだしな。」

 「あの男が・・・何者なのか、あんた知ってるのかよ。マリアがあんな泣き方していて、あんた、何とも思わなかったのか!?」

 口には出さなかったけれど、マリアはここにいたかったはずだ。

 でなければ、あんな泣き方をしたりしない。

 「クリスが死んでもか?」

 「!?」

 冷めた声で、ルシュエルアが僕に投げかけた。

 「このまま村にいたところでクリスの容態は良くならない。俺たちの薬学じゃ、どうにもならねぇ病気を彼女は患っている。

 しかも、症状は悪化の一途だ。

 あの男になら、それを食い止める知識がある。」

 「・・・・・・・。」

 やり切れなかった。

 クリスの容態を見てきたから、わかる。

 ルシュエルアが言っている事は事実だ。


 僕らの力では、何も手が出せない。


 「台車を持ってくる。」

 僕を気遣ってか、ルシュエルアは診療所を出た。

 悔しい。

 何も出来ずにいる自分が、とても悔しい。

 「・・・ちくしょう・・・。」

 どうして、僕は救えないんだろう。

 「・・・ちくしょう・・・、畜生・・・、畜生・・・!」


 クリスの身体を。

 マリアの心を。


 「兄ちゃん・・・。」

 リンが、心配そうに声をかける。


 「畜生!!!」


 悔しい。悔しすぎる。

 何で、僕はこんなに無力なんだ!!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ