第2章 Okupita unu tago
第一節
「何やってんだよ、あんたらは・・・?」
またか・・・と思った。
午後の診療所。僕の肩は力なく、だらんと垂れていた。
目の前にはマリアと、僕の弟のリンが突っ立っている。お互いにほっぺたを膨らまして、二人とも足や腕、顔に至るまで小傷が出来上がっていた。
「だって!!」
「だって!!」
二人が同時に声をあげて、はたっと目を合わせる。
「何だよ。」
「リン悪い。リンいじめた、あたし。」
「いじめてねぇよ!マリアがオイラのアジト勝手に入ったのが悪いんだろ!?」
・・・またにらみ合ってるよ、この二人は。
マリアとクリスがこの家で暮らすようになって既にひと月が過ぎていた。
クリスの容態が安定したこともあってからか、三日目くらいからマリアは村を歩き回っていたんだけど、彼女の格好をはじめて見た時は正直驚いた。
ただでさえ村の女の人のようなまとめ髪じゃなく、短いバサバサな髪をしているのに、それに輪をかけたような変な服を着ていたからだ。
襟と袖口に緑の厚布が装飾された頭から被るような白い長袖の上衣。膝が隠れないほど短い深緑色の袴。履物も何かの皮で作られているのだろうか、白くつやのある素材が爪先から膝下までをすっぽりと包んだ物だ。
しかも、首元から足先にかけては身体にぴったりと黒い服が鈍い光を反射させてへばりついている。
こんな格好、きっとこのあたりの人は誰一人として見たことは無かっただろう。
ちなみに、僕らの村での一般的な服装を挙げてみる。
腰ぐらいの長さまである打ち合わせ式の筒袖の服に、細めの袴。基本、色は白か未晒しのくすんだ色が使われている。ルウヤさんは、そんな服に仕事用の白い上着を羽織っている。一方僕は、彼と同じ上着を着け、太帯を締めた格好だ。
女の子の場合は、男の服の上から大判の飾り布を掛けて太帯を締めると出来上がりだ。
履物に関しては、獣の皮を縫い合わせたり、作物の藁を編み上げたりしたものを履く。
各地を旅する商人たちでさえこの格好だ。
どこから見ても、マリアとクリスのいでたちとは、はっきりと違っている。
最初会ったときはルウヤさんの服を借りていたから気にも留めなかったけれど、明らかに彼女たちと僕らとでは暮らしてきた生活習慣やモノの考え方といったものがずれている。
僕らから言わせれば不味いと形容されるお粥を美味しいと言ったり、ご馳走の獣の肉をさばいている時などはマリアなんて、大人たちに食って掛かりそうになったりするのに、そのくせちゃっかり焼肉は食べてしまうといった奇行を平然としてしまう。
こんな変な考えを持ち、変な言葉を使い、変な格好で平然と村を歩き回るマリアに、好奇心旺盛でわんぱくで、村中の大人たちからチヤホヤされて育ってきた九つのリンがちょっかいを出さない訳が無かった。
しかも悪いことに二人ともが意地っ張りで、気が短い性分ときたもんだ。
この二人、わずか出会って数分も経たない内に犬猿の仲になってしまったらしい。
それからというもの、何かにつけてはこうしてにらみあっては取っ組み合いばっかりして傷を創って来ているのだ。
しかも毎日!
「~~~あのなぁ、リン。いくらケンカだからって、女の子に怪我させるもんじゃないだろ?」
「それ差別、ラン!アホ!!」
「アホ!?」
突然マリアが攻撃の矛先を僕に変える。
何で?しかも、アホって・・・そんな言い方は無いんじゃないかなぁ―――。
「兄ちゃん・・・今どきダンジョサベツは無しだよ。」
リンが呆れ顔で僕に肩を落としている。
――――――九才のガキンチョ達に怒られ呆れられる僕って、一体何なんだろう。
しかも、男女差別ってどこで覚えたんだ?
僕としては男としての嗜みとして言っている訳であって、
別に女の子のことを悪く言ったわけじゃないし、
男の
いや
女の・・・・・・・・・・。
頭が破裂するような感覚に捕らわれ、がっくりと膝をつく僕。
どっと打ちのめされた僕のことを放っといて、二人はまたいがみ合いを始めた。
ホント、誰かどうにかしてほしいよ。
トコトコトコ
小刻みな足音がこっちに近づいてきた。
クリスだ。
今日の彼女はマリアと違って、シュウレインさんから貰った子供服を着ている。瞳と同じ緋色の飾り布がとてもよく似合っていて、何とも可愛らしい。
が、そんな彼女の格好に心癒されたのも束の間。僕は彼女が両手で大事そうに持っている小皿に目が奪われた。その中には一枚一枚丁寧に中敷があてられた瑞々しい葉っぱが十数枚きれいに並べられてある。
ぞっとした。
背中につうっと汗が流れ落ちるくらい、それはもう恐怖を掻きたてた。
「ク・・・クリスさん?それ、まさか・・・」
「ランは使う?」
緋い目が優しく訊ねる。
僕は何度も首を横に振って彼女の誘いを断った。
クリスは花のような可愛らしい笑みを浮かべている。けれど、僕にはそれが魔物の嘲笑に見えてならなかった。
リンとマリアのこれから起こるであろう不幸に思わず同情した。
そして、さっき誰かに助けを求めたことを思いっきり後悔してしまうのだった。
クリスは軽やかに小皿の上の葉っぱを中敷ごと取り出すと、流れるような身のこなしでリンたちの傷口に貼り付けていく。
もうそれこそ、手の甲や肘や顔にも遠慮なく、べったりと粘着質の葉の面を傷口に。
数秒後、
「イッデエエエエエエェェェェエエエェェェッェ!!」
「Agaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
リンとマリアの絶叫が診療所中に轟いた。
いや、もしかしたら外にまで聞こえたかもしんない。
クリスが持っていた葉はギャスと言われるもので、このあたりの森に自生している常緑性の広葉樹だ。
ルウヤさんから教えてもらったのだが、高い消毒作用と血の凝固作用がある葉っぱだ。
僕とルウヤさんは、効能が堕ちると分かっていながらもこの葉をすり潰して、ほんの少量を他の薬草の汁と併せて使っている。
そうでもしないと刺激が強すぎて使えないからだ。
僕も以前に経験したことがあるが、あの痛みはとんでもなかった。
葉そのものを、ましてや何枚も傷口に貼り付けようものならどうなるか、この二人を見れば言うまでも無い。
「二人ともケンカだめ。ギャスは良い薬。二人にピッタリだわ。」
にこやかに、さらっと厳しいことをクリスは言ってのける。
強か・・・と表現すればいいのだろうか。
クリスは大人しくて控えめな女の子という印象がまず第一に頭に浮かぶ。
機嫌の良い時には時には、異国の歌だろうか、聞き慣れない歌をうたって聞く人の心を和ませてもくれる優しくて柔らかい女の子だ。
でも、その実態はとても九才の女の子とは思えないものを持っている。
何かと気転は利くし、ここの言葉はわずか数日である程度話せるようにまでなっているし、僕とルウヤさんの仕事の手伝いまでしてしまうのだ。
ただの手伝いじゃない。
診療所に取り置きしてある薬草のほとんどの効能は把握しているのか、僕が調合している時にはそっと選別した薬草を近くに置いてくれたり、ルウヤさんが診断した内容から使う薬を持ってくるし、使い終わった器材は手入れしてるし、診断書だって拾ってくれるし、食事まで作ってしまう。
頭の出来が、すでに子供のレベルを超えてるとしか言いようが無い。
毎日のようにリンとケンカをしているマリアだってまだ片言しか話せていないのにだ。
弱点を言ってしまえば身体が弱いことぐらいだろうか。
時々軽く咳をしているのを見かける。
マリアみたいに外を走り回ることをルウヤさんから厳しく止められてもいるし、クリスは自分でも身体のことは分かっているのか、大人しくしている。
無理をしない範囲内で、ここでの生活を彼女は過ごしている。
―――双子―――
一人の母親の胎内で同時に二つの命が宿ると彼女たちのようなそっくりな子供が生まれることがあるのだそうだ。
子供が生まれないこのご時世では、まずもってあり得ない特異な現象だとルウヤさんは言っていた。
しかも、外見はまったく一緒で瞳の色だけがキッパリと違うなんて稀有なことなんだとも。
ルウヤさんからは二人のこれまでについては聞かないであげてほしいと言われた。
二人の生い立ちはあまり良いことがあるようには思えなかったからだ。
“終末”から数百年が経ってもまだ世界の混乱は冷めていない。
この村は人目に付かなく、しかも魔物がはびこる森の中。
特産品も花蜜と織物くらいしかない、そこそこな村だ。こんな村を手に入れようとする輩はまずいない。各村を荒らす野党などもそれなりに襲ってはくるが、こっちもある程度の自衛能力は持ち合わせているので、それなりに平和が保たれている。
けれど、旅商人から各地の諍いや戦争の話を良く耳にしていた。
そこからでも想像出来るのが人身売買。要するに捕虜と奴隷だ。
領土争いで負けて捕えられた者たち、貧しさの為に他人や自らを金と引き換えにして売り渡すものたちが溢れているのだそうだ。
マリアとクリスは珍しいことこの上ない双子。
見世物として格好の標的となってしまっても、おかしくはないのだ。
もしかしたら、何処かのそういった施設や団体から抜け出て、森に逃げ込んでいても何の不思議も無い。
二人がこれまでのことを敢えて語らないのも、何か言いたくない訳があるのかもしれないと・・・。
そう、ルウヤさんは言っていた。
「どっかのことわざで、“良薬は口に苦し”ってのがあったなぁ・・・。」
深く椅子に腰掛けていたルウヤさんが、白々しいことこの上なく絶叫を上げる二人を見つめ顎に手を当てている。
絶っ対、この人がクリスとグルになっているに決まってる。
彼女の性格からしても、勝手に薬を使うことなんて在り得ないんだ。
「ケンカしても結構だが、その度に特製の薬作って用意しておくからな。楽しみにしていろよ。」
笑っている。
心の底から、ルウヤさんとクリスが腹黒い笑みを華やかに取り繕って笑っているのがわかる。
この二人が手を組むと最強最悪であることは間違いないだろう。
正当な理由をこれでもかと掲げて、これでもかと相手をこてんぱんに打ちのめしにかかってくる。
マリアなんて、何か言いたくても言い出す言葉すら思い付かないでいる。
けど、問題はもう一人のほうだ。
「ふざけんな、このクズ野郎!!」
「リン!!」
僕は弟の罵声に声を荒げた。
リンは殊の外ルウヤさんのことを嫌っているのだ。
マリアとのケンカの延長でここのところ毎日診療所に来るようにはなっているけれど、それまでは何が何でも来ようとはしなかった。
僕の記憶が正しければ、母さんが事故にあったあの一件だけだ。
しかもルウヤさんには挨拶も無しに僕を無理やり連れて行ったことだけしかない。
「ルウヤさん、すいません。こいつ後でちゃんとしかっておきますから。」
僕はルウヤさんに頭を下げた。
何でこいつはこんな風になってしまったんだろう。
「余所者に謝ることなんかないよ。」
「リン!!」
何て馬鹿なことをこいつは言い出すんだ。
以前はもっと良い奴だったのに。
「俺のコトは気にすんなよ、ラン。」
「でも・・・」
リンの言った言葉に堪える様子も無く、ルウヤさんはのんびりとくつろいでいる。
穏やかで、いたずらっぽい顔をこっちに向けながら、
「だけどな、リン。」
空色の瞳がリンを射抜くように見つめた。
「お前自身は俺のことをそう思っていて、本当にいいのか?」
「!!!」
リンの釣りあがった目がカッと見開いた。かと思えば、あっという間に顔が赤く染まっていく。
ルウヤさんはリンの何かを見透かしたというのだろうか。
うつむいたリンの小さな拳が、わなわなと震えている。
「~~~~~うるさい!!」
一言そう叫ぶと、リンは獣のように駆けていってしまった。
それこそ、あっという間に診療所から出て行ってしまったのだった。
まったく、あいつは・・・一体誰に似ちまったものか・・・・・・。
リンの後を見ていたクリスはルウヤさんに向き直った。
「いつも、ルウヤはケンカだめって言ってる。なのに、いつもリンとケンカしている。」
少し眉間に皺がよったクリスはルウヤさんを責める。
「ルウヤ悪い。ルウヤない、出来る。言う、あたし叱る。」
マリア、何て言ってるかサッパリだよ。
「 Tio ne estas kverelo. Li arbitre abomeni min. 」
急にルウヤさんがマリアたちの言葉で双子に話しかける。言い訳のようには見えないそぶりだ。
「Sed!! 」
ルウヤさんの言い分に反論したのは、意外にもクリスだった。
どうやらクリスにはリンの気持ちが少し汲めるらしい。
彼女も、妹・・・だからかな。
「Vi moksercis lin! Rin senknscie koleri natura.」
「Humm..... Tio fari^gios por Rin.・・・あいつの場合、ランのことも関係してんだろうけど。」
「え、僕?」
ルウヤさんがはにかむように僕を見つめている。
三人の視線が一斉に僕に向けられる。
「な・・・何だよ?」
マリアが深いため息をつく。
「・・・・・分かった。ラン、アホ。あたし、知る、分かる。」
「え?」
クリスが僕を見て呆れ果てている。
「私も、ルウヤの言ってること、分かるわ。ランだものね・・・。」
「えぇ?」
大きくうなずくルウヤさん。
「そういうこと。」
・・・・・・!?
「な、な、なっ、何を話してたんだよ、三人とも!!」
第二節
日も暮れかけた黄昏時。かすかに鳥や虫の声を背景に僕は家路に向かっていた。
さっきルウヤさんに言われたことが気になってしょうがなかった。
『・・・あいつの場合、ランのことも関係してんだろうけど。』
リンのルウヤさん嫌いが僕に関係してくるなんて言われたら、気にならないわけがないじゃないか。
でも、何で僕なんだ?
「やっぱり、アホなのかな・・・」
マリアの言葉が頭をよぎる。
当の本人はあの後、またすぐに外に遊びに行ってしまったけれど。
マリアは本当によく出かける。
放浪癖とかそんな言葉が当てはまるくらいにだ。
でも、きっと日が沈む今くらいの時分で、ちゃっかり戻ってくるのだ。
あの子はそういう子だ。天真爛漫に振る舞っているようでも、妹とルウヤさんには余計な心配をかけないように気を遣っている。今頃は料理を作るクリスの手伝いでもしているんだろう。
帰り道のこの時間が僕は好きだ。
人通りの少ないあぜ道。
灯りの灯った家々。
耳に心地よい鳥や虫の声。
草の香りを含ませた風。
そういったものが僕に考える時間を与えてくれる。
今日起きたことを改めて整理させてくれる。
暗くなったら灯りを灯せと両親からは強く言われていた。魔除けの結界が張られた村といえども、日が沈むと魔物が村に下りてくるからだ。魔物は灯りを嫌う。けど、今僕は灯りを持っていなかった。時間ですれば、ほんの十数分の距離。万が一襲われそうになったら知り合いの家や実家に逃げ込めば特に何の問題も無いと高を括ってのことだ。無駄に灯りを灯してこの夕闇の景色を台無しにしたくはなかった。帰り道のわずかなひと時が、僕にとっては貴重な時間になっているんだ。
思い返す。
リンのこと、
仕事のこと、
ルウヤさんのこと、
マリアのこと、
そして、クリスのこと―――。
マリアが出て行ってすぐのことだった。
「 Kio vi en ordo ? Jum nuntenpo estas malfrua ? 」
ルウヤさんがクリスに言った。
突き放すような、色んな所に棘を持ったような言い方だ。
「 Kio ? 」
クリスが振り向いた。
緋い瞳が妖しく光る。
僕は目を疑った。
立ち居振る舞いは九才の女の子のそれなのに、
「 Kio ti estas via rolo, Ruja ?」
顔つきだけが異様なまでに艶やかだった。
まるで、大人。
一体、どんな事があれば、こんな小さな女の子がそんな顔になれるというのだろうか。
クリスは最近こんな表情を見せるようになった。
マリアにではなく、僕とルウヤさんに。
いや、僕のことなどはじめから眼中には入れていない。あくまでルウヤさんとだけに関係を制限している。
その証拠に、こんな顔をするときのクリスはいつも例の言葉を使って話していた。
ルウヤさんしか理解できない言葉で・・・。
僕がいたところで、二人とも、会話に参加させてくれはしない。
「 Tio estas nur supraj^o ? Kio origina protectanto estas vin ? 」
挑発的なルウヤさんの言葉。
「 Origina protectanto ? Ne. Mi estas s^ia malgrandan fratinon. 」
あくまでも穏やかに受け流すクリス。
二人の間には目には見えないけれど、静かに緋と青の火花が飛び散っているようだった。
「 Kie ne estus konanta. Kio vi estas !? 」
ルウヤさんの語気が強まった。
これ以上、クリスをはぐらかせないと追い込むような凄みを感じさせる。
燻っていた青い火花が突然爆発したような、言いようのない緊迫した空気が診療所を漂う。
そんな空気の中で見つめ合う二人は、まるで永年の宿敵を眼前にした戦士のようにさえ思えた。
クリスはそっと目を閉じて深く呼吸をした。
「・・・“クリス”はマリアが付けてくれた名前。それが私の最初の記憶。私はクリスだけ。
ルウヤは、私の言葉に満足しないけれど、それが私が知っている私のことだよ。」
緋い瞳が開かれたとき、いつもの穏やかなクリスがそこにいた。
彼女は突然こっちの言葉でルウヤさんとの話題をあっさりと締めくくってしまった。こう切ってしまうと、もうルウヤさんも打つ手がないようで、
「・・・・・・はぁ。」
ルウヤさんはクリスから何かを探り出そうとしていたのだろうか、深いため息を漏らす。
「結局は、そこで終わるんだもんなぁ・・・。まいった、まいった。」
「相手が悪いのよ。ルウヤ。私の記憶は少ししかない。」
ルウヤさんもいつもの調子に戻っていた。
夕闇の迫ったあぜ道で僕は考えにふける。
あれは、一体何を聞いていたんだろうか?
それに、クリスの記憶って何だ?
双子がこの家に暮らすようになっても、僕は、ルウヤさんたちからは例の言葉の話し方を教えてもらえないでいた。
まるで目の前で内緒話されているみたいであんまりいい気分がしない。けれどいつも決まって「知らなくて十分。」と言われてしまうのだ。確かに、ここで暮らすにあたってはまずもって必要ない知識ではある。でも、ああも会話を披露されてしまっては気にしない方がおかしいだろう。
クリスに一体何があるというのか。
「?」
向かい側から、人影が歩いてくる。
こんな時間には珍しいことだ。
夜になればなるだけ魔物なんかも現れやすくなる。
たとえそれが宝珠によって守られた村の中であろうとも。
人影も僕のことに気が付いたのか、歩みを速めて近づいてきた。
がたいのしっかりとした長身の人物。
長めの髪を脳天近くで縛った男。
「よお。」
低く、それでいて軽薄な声を男は出した。
耳障りな声だ。特に、僕にとっては。
胸をわし掴みにされる緊迫感が一気に僕の中で駆け巡る。
「久しぶりだな。相変わらず、一人が好きなのかな?」
男は僕の気持ちなんてお構い無しに言葉をかけてくる。
鋭さと野蛮さをもった小さな黒い瞳に、太い眉毛。
ごつごつと角ばった輪郭。
卑しく歪んだ口元。
そこから香る異臭。
何もかもが、嫌なことを思い起こさせる。
「それとも、寂しさのあまり、魔物なんかとお友達にでもなろうって―――」
「どの顔下げて、やってきたんだよ。あんた。」
男の無駄話を僕は遮った。
むかつく。
何で、こいつなんかに会わなきゃいけないんだ。
目の前の大男に睨みつける。
男は歪んだ口を吊り上げる。
「カワイイ顔するじゃねぇの。ラン。」
「・・・マスナ。」
男の名前が口から零れ出た。
マスナはクククッと下卑た笑い声を出す。その笑いですら、僕の神経を逆なでした。
「さっさとこの村から出て行けよ。今だったら誰にも言わない。」
あくまでも冷静に、僕は取り繕う。どんなに怒りが湧き上がっても、それを押さえ込んで目の前にいる男と話をする。
「お前さ、余所者とつるんでるんだってな?」
「そうだよ。・・・旅商人からでも、聞いたの?」
「いや、村の奴だよ。」
「・・・親父さんか?」
愉快そうにマスナは肯定した。
「お利巧なことだ。そんな子が、どうして余所者なんかと仲良くしてるのかなぁ?」
「あんた、三年前のこと忘れたのか?この村から追い出されたんだろ?」
「・・・・・・親父が庇ってくれそうだ。」
「!!」
「子はかすがいとはよく言ったもんだ。あいつ、俺が戻ってきたこと喜んでたぜ。」
「・・・だったら、余計にだよ。あんたは親父さんのためにも、一生この村に入っちゃいけない。
この村でのあの人の立場、少しは汲んであげたらどうなんだ。」
そうだ。
三年前からこいつの親父さんは、立場の狭い思いをしていた。それこそ、今のルウヤさんよりも酷い扱いかもしれない。
その元凶は目の前にいる、こいつだ。
「ガキが・・・」
上から見下ろすマスナの目線には熱いモノがあった。
禍々しいまでの熱情。
恨み。
憾み。
怨み。
ふざけてる。
こいつにそんな顔をする資格なんて有りはしない。
「生意気言ってんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ。」
そんなことを言う資格だってこの男にはない。
吹き出しそうな激情は急速に冷え、今の僕は冷徹なほど、頭の中がスッキリしていた。ふとすると口元が笑みを作りそうな感覚にも捕らわれたが、それは寸でのところで押さえつけた。
「今僕を殺せば、村中で大騒ぎになるよ。貴重な子供だからね。
それに、こんな家が密集したところでだったら、ちょっと大声を出せば誰かが聞きつける。
もし、誰も気づかなくたって、死体さえ発見されれば、少なくともあんたの親父さんは どう思うか・・・考えなくてもわかるよね?」
今なら絶対に殺されない。
こんな野蛮な考え無しの男に殺されてたまるものか。
マスナは苛立ちを顕わにするかのように、舌打ちをした。
「このことは黙っておくよ。さっさとどこか遠くへ行っちゃうことだね。」
僕はマスナの横を平然と通り、家路へと向かう。
「おい、ラン。何で黙ってくれるんだ?」
後ろから声がかかった。
そっとため息をつき、僕は素直な気持ちを言葉にした。
「あんたが嫌いだから。これ以上、あんたのことで気を病んだりしたくない。」
マスナは黙っていた。
僕は一度も振り返らずに、歩いていった。
このとき、騒いでいたらどれだけ良かっただろうか。
あんなことが起きて、僕は酷くこの時のことを後悔することになる。
この殺人鬼を野放しにしておいたことを―――。
★
「え?帰ってきてないの?」
「そうなのよ。いつもだったらお腹をすかせる時間なのにね・・・。」
もう日が完全に落ちた頃、母さんが僕を迎え入れるなり、リンのことを聞いてきた。
あいつがまだ帰ってきていないのだ。
「父さんが今出掛けたのも、そのことで?」
「えぇ、何人かと森に行ってみるって言ってたわ。無事だといいのだけれど。」
家の前について早々、父さんがランプと杖を片手に家を出て行ったことを思い出した。
それと同時に、あいつの顔が浮かんだ。
――― マスナ ―――
背筋に冷たいものが走った。
あいつだったら、弱い者でもお構い無しに、いや、むしろ嬉々として力をぶつけて来るだろう。元々がそういう奴だ。
「僕も探してくるよ!」
「ラン!!?」
「母さんは無事を祈っといて!!」
薬草が入りっぱなしの肩掛けを身に着けたまま灯りを取ると、僕は母さんの制止を無視して夜の村を駆け出した。
村ではちょっとした騒ぎになっていた。
大人が一軒、一軒、リンの消息を聞いてまわり、彼の行方不明が村中に広まっていたのだ。
この様子だと、誰かのところにいるって事は無さそうだ。
辺りを見回す。
一軒、灯りの乏しい家があった。
マスナの親父さんの家だ。
あそこにも、きっと誰かが訊きに行ってはいるのだろう。
けれど、
足が地面を駆ける。
やはり、気になった。
今にも崩れそうな一軒家で僕の足は止まった。
ささくれ立った木の壁が無残な家。
マスナを産み落とした家。
「ごめんください!」
しばらくの間があって、窓から仄かに見えた灯りが移動した。
ゆらり、と灯りはゆっくり玄関の方へ向かっていく。
きいっ、と静かに扉が開かれた。その隙間から、のっそりと、初老の男性が顔をのぞかせる。
「・・・ラン君・・・。」
「・・・・・・」
酷い有様だった。
もう晩冬なのに、服はいろんな所が綻びて、肌が垣間見える箇所さえうかがえる。白いものが混じった髪はバサバサに垂らされ、生気を失ったような目の下にはくっきりと隈がはってあった。
ごつごつした顔も肉が削ぎ落ちてしまっているのか、頬が完全にこけ、唇の血色も悪い。髭も伸ばしたい放題といったところだ。
「もう、訊いてるかもしれませんが・・・家の弟がいなくなっています。何か、心当たりはありませんか?」
親父さんは顎髭に手を当てて、落ち凹んだ黒目を宙に泳がせる。
「・・・・・・いいや、知らないね・・・。」
嘘を吐いているようには見えなかった。
本当に知らなそうだ。
話題を切り替えた。
むしろ、こっちの方が重要なのかもしれなかったからだ。
「さっき、マスナに会いました。」
親父さんの髭を弄ぶ手がピタリと止まった。マスナが言っていたことはあながち嘘では無いらしい。
「まだ、彼のことは誰にも言ってません。知っているのは多分、僕とあなただけです。 ・・・どうして、彼を受け入れるようなことをしたんですか?三年前のことを忘れたわけじゃないでしょう?」
男は急に震えだした。
大きく見開いた黒い眼球が僕を見つめている。
「・・・許してくれ・・・。」
「え?」
「・・・許してくれ、俺はどうなってもかまわん・・・だが、息子は、マスナは悪くないんだ。・・・悪いのは俺なんだ。あの女と、俺なんだ。・・・俺たちが・・・俺たちがあいつをあんな風にしてしまったんだ。」
「・・・親父さん・・・」
凹んだ眼球が震えている。歯がいくつか抜けた口からは唾液が垂れ、鼻水が滴り落ちている。
常軌を逸した男がそこにはいた。
僕の目の前に。
「折角あいつが戻って来てくれたんだ!・・・頼む、もうあいつを受け入れてくれ!! このままじゃ、あまりにも可哀相だ!!あいつを許さないのなら、俺を殺してくれぇぇぇ!!悪いのは、悪魔をあいつに入れたのは俺たちなんだぁぁぁぁぁ!!!」
男の両腕が肩に食い込んだ。元々力がある人物ではないから、痛みはあまり感じない。
けれど・・・
僕の心に何かか食い込んだ。
狂気?
狂わんばかりの愛情。
そんな愛情の中で、マスナは育てられてきたのか・・・。
マスナが生きていくために立ちはだかる壁のようなものを、この人とその奥さんは壊してきた。
正義も悪も関係ない。
ただ愛され続け、可愛がられ続け、マスナは生きてきた。叱られたことなんか、一度だって無かったんだろう。
あいつに悪魔が入ったわけじゃない。この人達の手によって、あいつは知らない内に悪魔へと育てられたんだ。
だから、あいつはもう一度戻って来れたんだ。
人の痛みが分からない奴だから・・・。
「・・・許せませんよ。あなたも、奥さんも、マスナも・・・。僕が言えるのは、マスナを早くこの村から去らせることだけです。それが、僕に言える精一杯の慰めです。」
男は泣いていた。
残酷かもしれないけれど、僕には彼の涙が、酷く醜く見えてならなかった。
自分可愛さのために、息子可愛さのために流す涙なんて見たくない。
僕を含めたたくさんの人が涙を流したんだ。
あんたたちが三年前に引き起こした悲劇は覆すことなんて出来ないんだ。
絶対に許されない。
どんなに謝られても、どんなに虐げても、思いは晴れない。
僕は男の腕をほどき、この家を後にした。
リンを・・・弟を探さなければいけない。
あの家にマスナはいなかった。
いくつかのランプが村を泳いでいる。このまま村中を探しても、きっと見つからないだろう。
だとしたら、森の中か?
先日、リンが南の森のほうに向かうところを見て、注意したことがあった。
『いじめてねぇよ!マリアがオイラのアジト勝手に入ったのが悪いんだろ!?』
今日のマリアとの口ゲンカが頭をよぎる。
―――アジト―――
まさか、あいつ!
「森ん中に遊び場作ってんのか!?」
ぞっとした。
南の森は比較的明るい森になっている。
大きな木が少なく、どちらかと言うと草や細い木で大半を占められている森だ。でも、森であることに変わりは無い。日中はまだしも、日が沈めば魔物たちがはびこる魔の巣窟であることに間違いないのだ。
足は南へと向かった。
月の灯りに照らされた夜の道。その目の前に広がった黒い闇の壁。
南の森。
森の入り口には誰もいなかった。まだ、誰もこの中に入っていないのだろうか。
夜の森に一人で入るのは初めてだ。
夏ごろにルウヤさんと一緒に西の森に入ったことはあったけれど、ほとんどが街道沿いで終わってしまったっけ。持ち物は灯りと袋の中の薬草、それに小刀か。正直、あんまし役に立つようなものを持っていない気がする。
けれど、少しだけなら問題ないだろう。
リンのことだ。
もし、森にアジトを作っていたとしてもそれほど奥まで行かないで済むに決まってる。
太帯をほどき、端の部分を小刀で切って木の枝に縛り付ける。これを目の届く範囲内で順番に付けていけば最悪村に戻ることは出来るだろう。
簡単に帯をまとめ、それを肩にかけると、僕は森の中へ足を入れていった。
月の光が幽かに差し込む、異界へと―――
第三節
リンの足跡と思われる物は歩いてすぐに見つかった。
元々草の生い茂った南の森の中。子供が乱暴に踏みしめた分け目がくっきりと出来上がっていたのだ。これさえ頼りにしていけばあいつのアジトに着くのも時間の問題。だが、念のため近くの小枝に帯の切れ端を付けることは怠らなかった。
万が一に備えてだ。
目が慣れてしまった為だろうか、次第に森の中が明るく見えた。
月光の木漏れ日が眩しいくらいだ。虫の鳴き声や風がそよぐ音が絶え間なく聞こえてくる。
森に入ったときは、それこそ不気味で、怖かった。間抜けなことに、自分が踏みつけた小枝の折れる音に小さな悲鳴を上げたり、木の影にびっくりしたりの連続だった。それでも、少しずつ慣れてきて、今はこの一人の散策がちょっとだけ快感になってしまいそうだった。
思えばルウヤさんも、双子が暮らす前までは夕方から明け方にかけて森で薬草を採りに行っていたっけ。
あの人は、薬草を使う魔物の生活時間に合わせたほうが採りやすいからと、変な理由をつけていたけれど、もしかしたら、ただ単に夜の森が好きなだけじゃないだろうか。
僕みたいに夕方の帰り道に一人歩くのが好きなように、あの人も一人、森の中を動き回るのが好きなのかもしれない。
だって、そう思えるほどに夜の森はキレイなんだ。
森の中は危険が多い。
遭難するし、魔物には襲われる散々なところだ。
旅商人ですら森の中で野宿するのは無謀なことだと言っていた。
けれど、
風が心地よかった。
虫の声音が心を癒した。
月の差し込む幽かな光が森を厳かに照らすさまが、美しかった。
こんな近くに、これ程きれいな場所があったのかと、そう思わずにはいられない。
きっと村のみんなも、この景色を見たら気に入るんだろうな。
歩みを進める。
まずは、リンのアジトとやらに向かわなくちゃ。
「リンー!!いたら返事しろー!!」
返事はない。
代わりに、近くの虫や小動物が逃げていく音がした。
「リーン!」
かまわず声をかぎりに叫び続ける。
自分の存在をあからさまにすることが、かえって魔物を近づけさせない手段なのだと、以前ルウヤさんから聞いたことがあったからだ。灯りも、火種は絶やさないようにした。わずかな火でも、魔物は嫌うのだという。
村では魔物は人を喰らうと教えられてきた。
でも意外とこっちからむやみに襲ったりしなければ、魔物に攻撃される危険は無いと、そうルウヤさんは言っていた。
一体どっちが正しいんだか。
少し歩いて、また帯の切れ端を木に括り付ける。この動作を何回繰り返しただろう。いくら僕の足がおぼつかないとは言え、時間がかかりすぎる。
思ったより、奥の方へ入ってしまっているのかもしれない。そろそろ引き際だろうか。
けど、茂みの割れ目を目で追うが、先はまだ続いている。
「はぁ・・・。」
自然とため息が零れた。力が抜けていく感じだ。
肩を落とし、灯りが視界からわずかに遠ざかったときだった。
奥の方に塊があった。
森の木々と塊の蔭が同化していて分かりにくかったけど、確かに塊だ。
月明かりに照らされて頭の部分が微かに明るく見える。
木の枝や葉っぱを重ね合わせた不思議な塊。
ランプの灯りが強すぎて、遠くのものまで見渡せなかったんだ。
「・・・・・・。」
小さな足跡はその塊へと繋がっているらしい。
「あれが、アジト・・・?」
まるで獣の住処のようだ。
でも、子供が一人で遊ぶには申し分のない大きさだとも思える。
唾を飲み込んだ。
ここで、本当にいいのかどうか。
・・・迷うところだ。僕はあいつのアジトなんて知らないんだ。知っているのは、きっとマリアぐらいなものだろう。よくアジトの事でリンとケンカしているんだから。
これがもし、獣や魔物の巣だったらどうしよう。
殺される―――!?
頭を振った。
そんな事、考えるもんじゃない!
でも・・・
しばし悶々と考えた末、中を窺うことに決めた。
そっと見れば、たとえ魔物の巣でもどうにか気付かれずに済むだろう。
後はリンの消息を戻りながら探るまでだ。
もしかしたら、もう誰かが見つけてくれているかもしれない。
あいつ自身、一人で村に帰っているかもしれない。
マスナは・・・きっと、今回の件では関係ないと思えた。
さっき会ったばかりで、何かことを仕出かすほど、馬鹿な男じゃないだろう。きっと、ただの気まぐれか何かでこの村にやってきたんだ。そうでなければ僕と顔をあわせたときに、あんな堂々と声を掛けたりはしない。
そんなことを考えながら、塊までの、最後の目印を縛り付ける。
後、三歩ほどの木の枝だ。
後二歩、
あと一歩。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
ナイフを握り締める手が汗ばんでいた。
緊張のため?
恐怖のため?
落ち着け、
冷静になれ、
考えればどうにかなるさ。
そっと、入り口のように開いた穴の中を灯りを隠して覗いてみる。
何かがいた。
あれは、人影?
ほの暗い塊の中で、壁に寄りかかる何かがいた。
背は僕の腰ぐらいだろうか。薄い色の衣を纏っている。額に締めた白いハチマキが特徴となった。
――― リン ―――
ピチャピチャピチャッ
小さな何かが、リンの足を舐めていた。
暗がりの中、その姿ははっきりとはしない。
けれど、人とは違う何かなのは分かった。白と茶の四本足の獣? 顔の割りに耳が大きい。
「!!?」
思わず息を呑んだ。
額に長めの突起物が付いている。あれは、角だ。
尻尾に当たる部分もおかしい。
翼が付いている。鳥とは違う、羽根ではない翼。それこそ、骨と皮だけで作られたような黒い小さな翼がピインと立っている。
魔物だ!!
しかも一匹だけじゃない!
リンの足首を舐めている小さいのと、それよりもはるかに大きい魔物が、リンの傍らにたたずんでいる。
リンを、食べるつもりなのか?
慌てて入り口の影に身を潜める。
呼吸が荒い。
息苦しい。
どうする?
無闇に中に入ったとしても、出入り口は一つだけ。
こっちに襲い掛かってくるのは間違いない。
明らかに不利だ。
でも、このままじゃリンが危ない。
足が、震えている。
歯も、噛み合っていない。
落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け!!!!!!
ここで立ち往生するわけにはいかないんだ。
助けるんだ、リンを!!
助けるんだ、助けるんだ!!!
助けるんだ、そう決めたじゃないか!!!
散々後悔して、自分を責めて、腐って、立ち直る機会をもらって、やっと自分の歩く道を決めたじゃないか。
僕は人間を救うと。助けると。
襲われそうになったら、灯りを見せつければいいじゃないか。
そうすれば、一瞬でも隙が出来る。
リンを助けるくらいの時間は、とれるはずだ!!
「やめろー!!」
渾身の勇気を振り絞って、僕は入り口に立ちはだかった。
小刀を握り締め、灯りを塊の中に照らし出す。
「シュカアアアアーーー!!?」
足を舐めていた小さい魔物が、ビックリしてリンから跳び退く。
「・・・兄ちゃん・・・」
リンは衰弱しているのか、力なく声を出した。
大きな魔物は微動だにせず、じっと僕を見つめている。
緋い瞳。
クリスと同じ目の色だ。
灯りに反射して輝く、鮮やかな緋色。
魔物と睨み合いながら、僕はリンへとにじり寄る。
「・・・大丈夫か、リン。」
「え・・・?う、うん・・・」
ある程度近づいたところで、小刀と灯りを魔物のほうへ突き出した。
「ジュゥルルルルルルルルルルルルルグググ」
魔物が顔色一つ変えず、低い唸り声をあげる。
「ひぃっ!!」
思わず一歩、後ろにさがってしまう。
間近に来ると、やっぱり怖い!自然と膝が大きく笑い出してきやがった。
かっこ悪いよ、僕。弟を助けるんだろ!!
「兄ちゃん、ちょ、ちょっと・・・」
僕の様子を心配してか、リンが息も絶え絶えに言葉をつむぐ。こいつに心配されるなんて兄として恥ずかしい限りだ。こいつを安心させるためにもここは踏ん張りどころ。しっかりしなきゃ。
「今、助けるからな。じっとしてろよ。」
「・・・あのさ、何言ってんの?」
「え?」
灯りに照らされたリンの黒く釣りあがった目はキョトンと丸くなっていた。変なモノを見ているような目だ。
僕の気が緩んだからだろうか。
さっきまでリンの影に身を屈めていた小さな魔物が高い唸り声をあげて威嚇してくる。
「うわっ!!」
急な威嚇に驚き、僕は尻餅をつく。枯れ葉が敷き詰められているとは言え、骨に軽い痛みが響く。
「ジュググググググ」
「シュカァ?」
事を静観していた大きな魔物は、小さい魔物をなだめるかのように低い唸りをあげる。
声に従ってか、僕の前で身構えていた小さい魔物が、ゆっくりと膝を着いた。
尻尾の翼がパタパタと上下にはためいている。立った耳が横に緩んで少し垂れはじめた。
向こうから襲ってくる様子は、少なくともこの小さな魔物には無いらしい。
「・・・・・・。あれ?」
尻餅をついた拍子に、灯りがリンの足を照らしていた。
リンの左足首に白い花が乗せられている。
今は冬から春に向かう季節。この寒い中咲いている花はほんのわずかしかない。
白い四枚の花弁がついた手のひらくらいの大きさの花。
シラシネの花。
鎮痛作用と精神安定の働きをもたらす花だ。
「お前、その花どうしたんだよ?」
「あ・・・これは・・・」
リンが少し顔を曇らせる。
「私が用意したんだよ。」
「・・・え!?」
女性の低い声がした。
ここにいるのは僕とリンだ。あとは大小の魔物がそれぞれ一匹ずつ。
女の人なんて、どこにもいないはずなのに。
「ヒトの子よ。ヌシは此花が何を意味成すかわかるのかえ?」
まただ。
またあの声が聞こえる。
リンよりも奥からだろうか。大きな魔物のほうから声が聞こえた。
「え、え、え?だ・・・誰かいるの?」
「兄ちゃん、ここにちゃんといるじゃん。」
呆れたようにリンがため息をつく。
シラシネの花が置かれていることから察するに、どこかを痛めているのだろうか。
顔に苦痛の表情がうかがえる。
「ここって・・・お前のほかに誰かいるの?」
「誰・・・って事じゃないけどさ、ほら・・・」
リンは力なく、大きな魔物のほうへ指をさした。
「無理はするな。体に障るぞえ、リンや。」
「え・・・ええええええええ!!?」
しゃべった!!?
大きな魔物がしゃべった!?
鋭い牙が生えた口元が動いた!あの女性の言葉に合わせて、パクパクと。
しゃべる魔物なんて聞いたことがないぞ!!
「ところで、人の子よ。ヌシは何しに来たのかえ?」
緋い瞳がからかうように、呆然と腰を抜かしている僕を見据える。
「あ、え・・・えっと、弟を助けに・・・」
「ならば、そうしなされ。私はここで待つとしよう。」
「あ、うん・・・ありがとう・・・。」
魔物は二・三歩後ろに後じさりすると膝をついた。
小さな魔物も、軽い足取りで後ろに下がる。
「・・・・・・。」
僕は小刀を肩掛けにしまい、灯りを片手にリンの足元へと近寄った。
花を傍らにどかし、細袴をめくり上げる。
すねとかには特に問題はなさそうだ。
草履を脱がし、足首の辺りを見てみる。
足首が腫れ上がっていた。紫色の痣も出来上がっている。
土踏まずを掴み、少しだけリンの足首を動かしてみる。
「痛っ!!」
リンが小さく叫ぶ。
「足を痛めたのか・・・。下手すりゃ骨か筋も痛んでるかもしれないな・・・。ちょっと待ってろよ。」
肩掛けの中を探る。
中の薬草で何か使えそうなものがあるかもしれない。
けれど、淡い期待は空振りに終わった。
入っていたのは、大して役にたたなそうなものばっかりだったからだ。
食あたりのヤグネ草に、乾燥したギャスの葉、これからの時期に必要だろう虫除けのキエシュレの樹液が入った壷。後は腰痛に使うお灸の素、センの蔦だ。
「・・・はぁ。」
ため息がでる。
こんなんじゃ、何の治療も出来やしないか。
塊の外にある手ごろな枝でも拾って、リンの足を固定させることしか出来なさそうだ。
「随分と珍しいものをもっているねえ、ヒトの子。」
「・・・わかるの?これ?」
何を当たり前のことを聞いてくるのかと言わんばかりに大きな魔物の目尻が垂れた。
ジュルルと、呆れたようにこの魔物からも溜め息が漏れている。
「私等を何と思うか。森で生きそして死する者ぞえ。命永らえさせる為にあらゆる知識、手段は把握するが必定。ヌシはその草共が何処に生まれ出でるか、知らぬ訳が無かろう。」
「あ・・・」
今頃になって思い知らされる。
いつもは手近に在って簡単に何も考えずに使っているけれど、それはつい二年前からのことだったんだ。
ルウヤさんが、毎日のように採取し、栽培してきた薬草なんだ。
本来は森の中に生えている物なんだ。
魔物達が遥か昔から、生きる糧として薬草を使い続けてきていてもおかしくはない。
「解った様だねぇ。これだけあれば、リンの傷も大分ましに成るかのぅ?」
「本当!?」
「其の為の草共であろうが。ヌシは此等の特色を知らんのかえ?」
「・・・す、少しだけ・・・だったら、教わってるけど・・・。」
「ほう、ヒトは神にのみ依存するかと思うておったが、時は変わりつつあるねぇ。」
「ほとんどの人は知らないよ。多分、僕ともう一人くらいさ。・・・その人、旅人だから。」
魔物はゆっくりと起き上がった。
「ひゃぁっ!!」
「案ずるな、ヒトの子。暫し外に出る。リンには添え木が必要であろう?」
「え?う、うん、うん!!」
「森の道は私の方が聡い。持って来よう。」
リンを跨ぎ、魔物はずしずしとアジトの外へ出て行ってしまった。
「シュカァ・・・」
小さな魔物はリンの傍らに座り、退屈そうにあくびをする。
こう見ると異形な形をしていても愛嬌のある姿だ。
緋い目はくりくりとしているし、捩れた長い一角もふさふさの体毛と相まって可愛らしく見えてしまう。
問題なのは口元から垂れ下がった大きな二つの牙と前足の爪だろうか。これはかなりの鋭さをもっている。本気で襲われたら、きっとこの小さな魔物でも相当の痛手を与えられるんだろうな。
「・・・怖がらなくて、平気だよ。」
「リン?」
そっとリンが魔物の額を撫でる。シュカシュカと、このチビ魔物は気持ちよさそうな声をあげている。
「グリフは善い魔物なんだ。甘えん坊でさ、わんぱくで、臆病なくせに、時々無茶しちゃうんだ。今日も、夕方帰ろうとしたら、木から降りられなくなってた。」
「・・・・・・。この怪我、そのグリフって子を助けたためか?」
「うん・・・。降りようとしたら、滑っちゃって・・・足を挫いちゃった。」
バツが悪そうにリンはうなずく。
「はぁ・・・。で?動けなくなって、ここで痛みが引くまで休んでようって思ったわけか?」
「う、うん・・・。」
「馬鹿かお前は!!」
「うわっ!!」
「シュキャァァァァァァ!!?」
渾身の怒鳴り声に、リンとグリフが両手で耳を覆う。
まったく、何て奴だ。!!
こいつには毎日のように怪我の手当てとかの練習代になってもらっていたんだ。
そのついでにだけど、応急手当の方法もみっちりと教えておいたんだ。
「怪我をしたときにはどうすりゃ良いか教えといただろ!?
何でそのまま放っとくんだ、この馬鹿リン!!」
「だ、だってそれは!」
「だって何だよ。」
リンが言葉につまり黙り込んだ。
何か言いたそうな感じだけど、何も言わず僕から目線をそらし、俯いてしまう。
もうこいつからの返事は期待できそうもない。僕は苛立ちを抑え、薬の選別に手をつける。
『これだけあれば、リンの傷も大分ましに成るかのぅ?』
あの大きな魔物が言っていた言葉を信じるのも変な話だが、今は手持ちの道具でどうにかするしかなかった。
リンの足は炎症を起こしているから、冷やさないとなんだよな。
必要な効能は鎮痛作用と冷却作用か。
本当だったら、ヨカレとアカモケイトの汁を染み込ませた布を使うべきなんだ。
けれど、今はそれが望めない。
さて、どうしたものかなぁ・・・。
「全部あいつから教わったんだろ?」
「?」
ポツリッ、とリンがつぶやいた。
「あいつから、教わったものなんか、・・・使いたくもねぇよ。」
「・・・・・・。」
何だ、そんなことか。
考えれば分かることだったな。
こいつは殊の外、あの人のことが
「オイラ、あいつ嫌いなんだもん。」
ルウヤさんのことが嫌いなんだ。
「だからって、自分の体痛めることになっても良いのか?」
「いざとなったら、神様に祈るさ。」
「まだ、そんな考え方をしてるのか?」
「・・・それが全てだって、父ちゃんも祈祷師も言ってるじゃないか。
おかしいのは兄ちゃんだよ!
何で余所者なんかといつも一緒にいるのさ!何で神様に反抗するようなことをしているんだよ!?運命を捻じ曲げようとするんだよ!
・・・このままじゃ、兄ちゃん、罰が当たっちまうよ。」
悲痛な叫びだった。
けれど、きっと、こいつにとっては神様にすがる村の考え方が全てなんだ。
生まれてからずっと、それが正しい事って教え込まれてきたんだから。
こんな小さな子供を、責めることなんて僕には出来ない。
だけど・・・
「三年前のこと、覚えてるか?」
「え?」
「僕はさ・・・あの時にすっごく後悔したんだ。そして・・・」
誰にも言わないでおこうと決めていたことだった。
でも、こいつには・・・魔物にさえ救いの手を差し出した純粋なこの馬鹿弟には伝えたかった。
僕の決意を。
たとえ、蔑まされたとしても、嫌われたとしても、知ってほしいと思った。
三年前のあの日から、心に刻んだ思いを。
「その時から、神様を心の底から呪っている。」
凍りついたリンの顔が、灯りに照らされて赤く見えた。
それが、とても痛かった。
第四節
呪わずにはいられない。
恨まずにはいられない。
憎まずにはいられない。
神様を、
マスナを、
そして、僕自身を。
★
「三年前、お前は何があったか覚えているか?」
リンのアジトの中だった。
灯りは僕が持ってきた灯りが一つ、室内をほの暗く照らし出す。
陰影がはっきりとしたリンの顔は、かたまっていた。
それはそうだ。
僕はさっき、こいつにとんでもない告白をしてしまったのだから。
『神様を心の底から呪っている。』
まだ幼いリンにとっては、村の考え方が全てだ。それが正義だ。
神様を敬い、崇める事しかこいつは知らない。
たとえ魔物と仲良くしていたとしても、それが悪いことだとは思っていても自分の中ではそうじゃないと信じ、そのキレイな心はさざ波の矛盾の中で漂っているんだ。
リンは黙ってうなずいた。
「マス兄のことだろ?」
「あぁ・・・。」
薬草を選別する手は止めないで、僕は静かに口をあけた。
「あいつに何があったか知らないけど、マスナがいきなり暴れたせいで沢山の人が傷付いた。
・・・死んだ人だって、いたんだ。」
思い出される悲劇。
苦痛に歪んだ人達の顔が、今でも脳裏に浮かぶことさえある。
「でも、それは・・・マス兄のせいなんだろ?」
「大元はそうだよ。でもね・・・それだけじゃない。」
「・・・え?」
リンが短い言葉と共に息をのむ。
「問題は、あいつが暴れた後だったんだ。散々暴れた挙句に、あいつは取り押さえられた。その時には、まだ大半の人は怪我を負いながらも、息があったんだよ。
けど、この村での治療法は只一つ。神様に祈りを捧げること。
血を流していようと、骨が折れていようと、神様に祈れば体が回復すると、
そう信じて・・・あの時も祈りを捧げていた。
でも、みんな次々に倒れて逝ったんだ。・・・死んで、しまったんだよ。
あの事件で傷を負いながらも生き残ったのは、わずか数人だけだ。
祈りの終わった祭殿で、祈祷師が言った言葉が忘れられない。
『この程度の信心か・・・。情けない。』って、そう吐き捨てたんだ。
恨んだよ。
心の底から憎んだよ。
それが、神様に使える人の言葉なのかと。
それが、神様の御心なのかと・・・。
・・・助けられたかも、しれないんだ。
ずっと前から思ってた。あの事件が起きる前から、ずっと大人たちに訴えていたんだ。
けど、どうすれば傷が癒えるのか、その方法が分からなかった。
たった一人を除いて、みんな聞く耳を持たなかったんだ。」
チュジャン
僕の友達。僕の理解者。僕のことをいつも励ましてくれた女の子。
毎日、神様に祈りを捧げて、周りからも愛されていた女の子。
あの事件で、マスナに襲われそうになった僕を庇って、傷付いて、最期には笑って逝った女の子。
『がんばってね・・・ラン』
人のことばっかり気遣って、死んでしまった女の子。
「やっと、その方法を掴めたんだ。ほんのわずかな力かもしれないけれど、少なくとも、あのときのような悲劇は繰り返さないで済む方法が・・・。
変な話、僕にはさ、チュジャンがルウヤさんをこの村に導いてくれたんじゃないかって思えてならないんだ。
あの人がずっとこの村にいるとは限らない。だから、そのわずかな間に出来るだけの知識は頭に叩き込んでおきたいんだ。
実際に、薬の力で助かっている人はいる。
母さんだってそうだっただろ?」
「そ・・・そりゃぁ、そうだけど・・・。」
しどろもどろにリンはうなずく。何処か納得できない風に眉根を寄せているが、今はそれでよかった。事実は事実として受け止めていてくれれば・・・。
「お前が僕等の事をどう思ってもかまわないけどさ、僕たちがやっていることの結果はちゃんと見ていてほしい。
頭ごなしに善い事と悪い事を決め付けるんじゃなくて、自分で考えてほしい。
僕やルウヤさんを嫌うのはその後にしてほしいな。」
そう、いつか・・・いつかこいつが僕たちのしたことを理解してくれれば、それで良い。
ちょうど薬草の選別が終わった。
やった事の無い組み合わせだけど、これらの効能を考えれば多分大丈夫だろう。
後は、どの配分で調合するかだな。
多分余るだろうシラシネの花の一つを、リンの耳にかけたときだった。
「・・・じゃない。」
「?」
ボソッと、リンが呟いた。
「兄ちゃんのこと、嫌いじゃないよ。あいつがムカツクんだ。」
「ルウヤさんが、余所者だからか?」
「・・・そうだよ。」
リンは悪びれる感じが無い。
まるでルウヤさんが悪の権化みたいな言い方だ。でも、それじゃあ・・・
「マリアとクリスは?あの子達だって余所者だろ?
・・・お前、ルウヤさんと全然態度が違うじゃんか。」
「あいつらは・・・いいんだよ。」
「何だそりゃ?」
まるで訳が分からない。
同じ余所者でも、こいつの中では正邪があるということか?
リンは僕に目線を合わせず、ふて腐れた感じで聞いてきた。
「兄ちゃんは、あいつのこと、どう思ってんの?」
「ん?そりゃぁ、好きだよ。」
「どんな奴よりも?」
「へ?」
何か、変な事を聞いてきたな。
今更すぎる質問だ。
こいつ、何を考えているんだろ。
「ずっと一緒にいたい?」
「・・・まぁ、出来るもんだったらなぁ。」
「・・・・・・」
いきなりリンのほっぺたが膨らんだ。口も前に突き出してきてる。
何にすねているんだ? こりゃ、余程のふて腐れ具合だな。
今時の子供の考え方ってのは、結構難しいみたいだ。
「素直に言えば良かろう、リンや。」
外から、低い唸り声とともに、たおやかな女性の声が聞こえた。
入り口に一匹の大きな魔物がいた。
月光に輝く白と茶の毛皮。横に垂れた薄く膜を張った黒い翼。捩れた長い一角。
夜の森でも鮮やかに映える緋い瞳を持った美しい魔物。
鋭い牙を生やした口元には数本の太めな枝と、帽子として使えるくらいの木の実の殻が 咥えられていた。
「フォン!?」
魔物の名前だろうか、リンが短く叫んだ。
のっそりと魔物は塊の中へ入ってくると、僕の前にしゃがみ、咥えていたものをそっと地面に置いた。
「ヒトは両の手が器用だったな。この殻も使うと思い持って来た。」
「あ、ありがとう・・・。よく、知ってるね。」
緋い瞳が退屈そうに見つめる。
「どうやら私は、素直な奴と阿呆と馬鹿が嫌いにはなれんようだ。」
「え?」
「え?」
これには僕とリンが同時に声をあげる。魔物はいぜん、冷めた目をこっちに向けていた。そして―――
「ヌシ等の事ぞえ。リンが馬鹿なら兄は阿呆だ。」
「な、な、なっ、何だよ、それ!ちょっとその言い方はひどいんじゃ・・・ない・・・ですか?」
僕の訴えに緋い目がギロリと光る。その目線だけでかなりの恐怖を感じてしまう。それこそ、僕の胴体にその鋭い二本の牙が食い込まれてもおかしくはないほどの危機感だ。
が、魔物は襲いかかる様子も無く、軽く息を吐いただけだった。
「此れでも、誉めているのだがねぇ・・・。ヒトは私たちを嫌っているだろうに、手を取り合い怪我までする馬鹿な弟に、自分の力量を知っておるくせに私たちからリンを助けようと一人飛び込む阿呆な兄。他に何と例えるかえ?」
「・・・お人好しと、勇気ある若者に、言い換えてほしいよ。」
「お人好しは認めるが、勇気のところは無謀としておくよ。」
全くもって僕のことは誉めていない気がする。
魔物のことは放っといて、リンの薬を僕は作り始めた。
殻の埃を軽く掃い、細かく千切ったシラシネの花に、キエシュレの樹液を入れて、擂り合わせていく。
敢えて取り分けて来たのか、殻の中は至るところがデコボコしていて、比較的早い時間で素となる原料が出来上がった。
ドロドロとした薬にヤグネ草の細かい葉っぱを出来るだけ入れて、ひと塊にさせる。その塊をギャスの葉に乗せれば薬は出来あがりだ。
「ほほう・・・。無謀なる若者は頭の出来が良いのだねぇ。」
「勇・敢・な・若・者!」
「樹液の持つ涼しの効能に、花が持つ沈痛の蜜を併せたか。」
僕の懸命な訂正を歯牙にもかけず薬の評価を値踏みする魔物。
「うん。一つの薬草に入っている効能は熟知しているつもりだから。」
出来上がった薬をリンの足首にそっと当てて余った太帯を全部巻きつける。
このアジトに来るまでに結構な量を目印として使ってしまったが、子供の足を固定させるには十分な長さはあった。
「そろそろヒトも侮れなくなってきたか。」
「?」
「いや、此方の話よ。時の流れには驚かされるということだ。」
「・・・フォンさん、だっけ。やっぱり僕たちよりも長く生きているの?」
「まぁね・・・。ざっと二百年程になるかねぇ。ヌシ等からすれば私は時代の生き証人となるか。」
「ずっと、この森で生きてきたの?」
「そうだ。これからも、此処で生きていけたならばと思うているよ。」
枝を足首の外にセンの蔦できつく縛り付け、固定させる。
リンが小さく悲鳴を上げたが、このぐらい我慢してもらう。
「生きていけないの?」
「それはヌシ等の出方次第よ。ヌシ等が私等に介入せねば私等も今まで通りヌシ等の暮しには介入せぬ。だがヒトは・・・私等を嫌っておるのだろう?」
「・・・・・・。」
「今回のリンの一件、ヌシは何とする?今ならば、まだ誰もおらぬからどうにでもなろう。だが、もしここに他のヒトが集団で現れたとき、私等を見て彼奴等が何を思うか・・・出会い頭、刃を私に向けたヌシならば、容易に想像できよう。」
「・・・ごめん。」
「ヌシが謝ることはない。時の流れが、そうさせたのだからねぇ。時が示す行方を予見は出来ても断定は出来ぬ。ヌシ等はヌシ等で思うた道を歩めば良いのさ。ただ、私等の事を意味無く嫌うことは避けてほしいねぇ。私等が何をしていたのかは見極めてほしいものさ。元は同じ種族だったのだからねぇ。」
「同じ・・・種族・・・?」
「そうさ、私等人間とヌシ等は同じものよ。“終末”前、ヌシ等から私等は別れ、獣の血肉を其の身に加え、知恵の増殖と延命を手にしたのさ。この姿は幾多の獣を併せた末に成った姿。ヌシ等からは当に忘れ去られた記憶であろうがねぇ。」
「そんな・・・。それじゃあ、あんた達は魔神から生まれたって言うのはでたらめなの?」
フォンはそこで黙ってしまった。
灯りの芯が底をつき、暗闇が塊の中に急に訪れる。
「ヌシは、何処まで私の話を信じる?」
「・・・え?」
月光に輝くフォンが、重たい口を開いた。
ここから先を話して良いのかどうなのか、彼女は迷っているのだろうか。
「魔物、化け物、怪物、物の怪・・・。ヌシからすれば私は異形の存在であろう?忌むべき対象ではないのか?そんな物の言葉を、ヌシは何処まで信じている?私がヌシを陥れているとは考えないのかぇ?」
逆光でも、フォンの瞳は鮮やかな緋色に光っていた。
何処までも鮮やかな、穏やかな・・・悲しい瞳。
それは、僕の良く知る少女の瞳とそっくりだった。
どれだけ楽しそうにしていても、どこかで一線を引いて人と接する控えめな、それでいて強かな少女。
緋い瞳のクリス。
フォンの瞳は、クリスがふとした瞬間に見せる大人びた表情のそれだった。
愁いをおびたどこまでも哀しい顔。
「今まで話してくれたことは全部信じてる。すっごい驚いてるけどね。それに、フォンさんは僕をどうにかしようとは思っても、それは悪い事なんかじゃ無いでしょ。」
「・・・?」
「それに、リンを看てくれて、治療の道具とか持ってきてくれたじゃないか。フォンさんだってホントは僕らが・・・ヒトが怖かったんじゃないの?それでも、優しくしてくれるのってさ、フォンさん自身がお人好しだからだよね?そんな人を疑うことなんて出来ないよ。」
「変わった少年だ。」
フォンの顔が、少し和らいだような気がした。
まるで、うちの母さんが僕らに小言を言っているような、そんなときの顔に。
「・・・まあ良い、村まで送ろう。月が出ているとは言え夜の森、リンを連れてでは危ないだろうからな。」
「ありがとう、フォンさん。」
疲れてしまったのか、リンはすでに眠ってしまっていた。
リンをフォンの背中に乗せて、僕たちは村へとむかう。
ほんの少しの距離だったけれど、その間で僕は彼女と色んな話をした。
薬草のこと、森と村の暮らしのこと、“終末”のこと・・・。
村の明かりが幽かに見える辺りで、僕たちの足は止められた。
ここが、彼女たちとの別れの場所なんだ。
最後にフォンは自分の瞳の事を話してくれた。
「ヌシに忠告しておくよ。私等のような人間の血をひいた者は緋色の眼を持っておる。無闇に恐れ刃を向ければ、只では済まないと思え。彼奴等の智慧、身体能力はヌシ等には到底叶わぬのだからねぇ。」
「ハハ・・・。肝に銘じておくよ。ホント・・・」
フォンが最初に攻撃してこなくてホントに良かった。
きっと僕なんて、一瞬で死んでたんだろうな・・・。
でも、緋い瞳って・・・クリスは人の姿をしてるもんなぁ。あれって偶然だろうか。マリアやルウヤさんも変な目の色してるもんな。異国の人には通用しないのかも。
フォンは小さなグリフを連れて森の中へと歩いていく。
「フォンさん!!」
僕の呼びかけに、のっそりとした動作でフォンが振り向いた。
「僕の名前、ランって言うんだ!また今度ね!!」
緋い瞳が一瞬、丸く見開かれた。かと思えばすぐいつもの調子でフォンは悪態をついた。
「“魔物”に名前を覚えられると呪われるんじゃなかったのかぇ?兄弟そろって可笑しなやつだねぇ・・・。」
「フォンさんは、“人間”だもん。呪われたりしないから平気だよ!」
「阿呆が・・・。次の機会を楽しみにしているよ、リンにラン。」
穏やかでいて、どこか気恥ずかしさが滲んだ口調のフォンは顔を戻し、森へ向かう。
「其の時には、兄弟仲良くなっているんだろうね。」
森全体から聞こえるような不思議な声音を発し、フォンたちは消えてしまった。
リンを背中に背負ったまま、村へと向かう。
正直な話、今日はもうヘトヘトだ。余りにも色んなことがありすぎる。
「・・・兄ちゃん・・・」
「起きたの、リン?」
弱々しい・・・と言うよりは寝ぼけているような声が後ろからかかる。
「オイラさ、あいつが・・・ルウヤが嫌いなだけなんだ。あいつが羨ましかったんだ。部屋に閉じこもったまんまだった兄ちゃんを、あいつはたった一日で立ち直らせた。兄ちゃんを変えるのは、オイラだって決めてたのに、先越されて・・・。それに、兄ちゃん、あいつと一緒にいるとき、スッゲー楽しそうだし・・・。オイラのこと、嫌いなのかなって・・・そう思ってたんだ。」
『だけどな、リン。お前自身は俺のことをそう思っていて、本当にいいのか?』
『・・・あいつの場合、ランのことも関係してんだろうけど。』
ああ、それで納得だ。
「アホだな・・・」
「?」
「僕のことだよ。リンはバカだけどね。」
「・・・どういうこと?」
「お前な、いくら兄の責任があるからって、普通一人で怖い思いして、森ん中入ってまで弟を探しに来るか?」
「あ・・・」
「そんだけ、兄ちゃんはお前のことが大好きなんだよ。よく覚えておけ。」
まったく。
恥ずかしいにも程があるぞ。空気が冷え切っているのに、耳が異常に熱くなってきたじゃないか。
「足は痛くない?」
「へへへ・・・ちょっと、痛い。」
「そっか、村に着いたらすぐ診療所に行くからな。」
「ええー!?」
「当たり前だろ!お前のアジトの中じゃ、マシな手当てをしてないんだ。明るいところでちゃんと診ておかないと、後が怖いんだから我慢しろよ。兄ちゃんが診てやるからさ。」
「・・・あいつの方が腕が立つんだろ?」
「バカ言え、僕だって立派な薬師見習いだよ!?お前の怪我くらい簡単だよ。」
「見習いだろ?家で包帯とか絡ましてたじゃん。」
「ずっと前の話だろ?今はもうそんなヘマしてないぞ?」
「そっかな~~~。兄ちゃんドン臭いから心配だなぁ。」
話しながら僕たちは森を抜けた。
村はランプの炎があちらこちらで動き回り、森に入る前よりも騒がしくなっていた。
「ラン!!」
聞き慣れた声がこっちに近づいてきた。
「ルウヤさん!」
めずらしく慌てたかんじだ。後ろにマリアを背負っている。
「さっき、やっとお前らの事聞いたんだ。マリアが南の森じゃないかって言ったもんだから。」
「リン、足すごい。」
ルウヤさんの肩越しに、ひょっこりとマリアが顔をのぞかせる。
傷の様子を診てルウヤさんは顔を曇らせた。
「・・・具合は、どうなんだ?」
「片足首を痛めているみたい。暗がりで手当てしたから、これから診療所でよく診たいんだけど、いいですか?」
「そうしてくれ。俺はレンゼイさんのところに行くよ。クリス一人じゃ心配だからな。」
「レンゼイさん・・・?何で?」
「赤ちゃん、産まれる。ルウヤ呼ばれる。」
「シュウレインさん!?」
そういえば、彼女のお腹はかなり張っていたっけ。
確かに、いつ産まれてもおかしくはなかったな。
よりにもよって、今日だったのか・・・。
「そゆこと。テキトーに中のもん使っていいぜ。じゃな!」
足早に彼らは走って行った。
「兄ちゃん・・・一緒に行かなくていいの?」
「ルウヤさんとクリスがいれば問題ないよ。」
「ふうん・・・」
診療所で診たけれど、足首以外は大した怪我をしていなかった。
蔦と添え木をどかし、ちゃんとした道具で再び固定する。
あとは擦り傷とかがほとんどだったので、傷薬を塗って終わった。
思っていた以上の症状でなかったのが幸いだ。
リンが無事だった事を村の誰かから聞いたのだろう、両親が血相を変えて診療所に飛び込んできたのは手当が終わってすぐのことだった。




