終章 Malfermo
兄ちゃん達は突然戻っていた。
朝起きたら兄ちゃんの姿がなかった。あのムカツクルウヤもいなくなっていた。だから、父ちゃんや他のおっちゃん達にお願いして、一日中探してもらったんだ。もちろん、オイラも探した。だけど見つからなかったんだ。
なのに、兄ちゃん達はいつの間にか診療所にいた。
たまたまオイラが診療所の扉を開けたらいたんだ。
「リン!!?」
兄ちゃんはオイラの姿を見てビックリしていた。誰にも見せてはいけない宝物を見られたようなビックリさだった。
それもそうだ。オイラは見てはいけないモノを見ちゃったんだ。
大きな翼。
布張りの窓から射し込む橙色の夕陽に染まる光る翼が、ルウヤにくっついていた。
何であいつにそんなモノが・・・。
背中から生えた一対の翼―――昔話に出てくる“終末”の悪い天使じゃないか。
叫ぼうとしたオイラの口は、兄ちゃんの埃まみれの手でピッタリと塞がれてしまった。
「騒がないで!・・・ワケは、あ、後で! 後でちゃんと話すから!」
兄ちゃんはルウヤとマリアを奥の部屋で休ませると言っていた。そう、ルウヤとマリア。 二人は眠っていた。特にルウヤなんか服がボロボロで、沢山怪我をしているみたいだった。この間兄ちゃんが怪我した時よりも、酷い傷かもしれない。
でもそのこととは別の事で、オイラの心には変なモヤモヤがあった。
「・・・兄ちゃん。」
「何だよ。」
いつもと違って、泥まみれの埃まみれの兄ちゃん。でも、いつもと同じ兄ちゃんがオイラの前にいた。
そんな当たり前のことだ。オイラ達の周りに当たり前のようにいて、当たり前のように酷いことをして、当たり前のように歌をうたっているアイツがいなかった。
「クリスは、どこにいるの?」
さっきまでの慌てようが嘘だったみたいに、兄ちゃんは止まってしまった。ゆっくりとオイラの目を見て、酷く真剣な顔をしていた。
「・・・それも、後で話すよ。」
今にも泣いてしまうんじゃないかって目で、いつもと同じような困った顔を頑張ってしているみたいだった。
いつもは、いつも続いていることを言い聞かせたかったのかもしれない。
でも、クリスはもういない。
それを知ったのは、翌日の朝のことだった。
兄ちゃんはずっと診療所に泊まり込んで、ルウヤとマリアの手当をしている。薬師の仕事も、一人でこなしている。元々が余所者が商いするバチ外れの仕事。訪れる村人も少ないから、兄ちゃんだけでも大丈夫なんだとか言っていた。
ルウヤは翼をたたまずに寝台でここ数日寝ている。アイツは“終末”の天使だけど悪い奴じゃないって兄ちゃんは言っていた。ムカツク奴だけど、それは何となく分かる。
そんなアイツは目が覚めている。だけど、兄ちゃんから無駄に動くなって怒られていた。なんか文句言ってたみたいだけど、アイツは大人しいもんだ。
マリアはずっとおかしいままだった。
三年前の兄ちゃんみたいに、ボーッとした目をずっとしている。オイラといつもケンカしていたのが嘘だったみたいに、マリアはマリアじゃなくなっていた。
晴れた日も、曇りの日も、雨の日も、何だかんだ言ってマリアと一緒にいた。森に行ってグリフ達と遊んで、ヘンテコな木の実を拾ったり、武器をつくって遊んでいた。
馬鹿みたいに笑って、男みたいにオイラを殴っていたアイツとは、まるで別人だ。
「Amagine gurase・・・・・」
戻ってきてからのマリアは、診療所の外にある薪置き場に座って歌をうたってばかりいる。クリスが歌っていたのと同じ歌。聞き慣れない旋律の綺麗な歌。
思い出しちゃう。
ふんわりと笑って、ギャスの葉をオイラ達に貼り付けていたクリスのこと。
マリアは思い出しているのかな、クリスのこと。
「マリア・・・。」
オイラの声に、マリアがうたを止める。すーっと、マリアの目がオイラを見る。
大きな蒼い目は、ボーッとしたままだ。今コイツが何を考えているのか、まったく分からない。けど、マリアはこのままじゃダメだ。
「遊びに行こ? グリフも待ってるよ。」
「・・・・・・・・・」
前みたいに走りまくって、笑いまくって、怒りまくって、殴りまくっているマリアの方が絶対いい。こんな大人しいのはマリアらしくない。
オイラはマリアに手を出した。
マリアはオイラの手をボーッと見ている。その目を見るのがとても痛い。
だけど、そっと、マリアの小さい手が乗っかった。
柔らかくて、温かい手。人間の手。
マリアが普通の人間じゃないって、兄ちゃんから教えてもらった。どこが違うのか教えてくれなかったけど、今オイラの前にいるマリアは村のみんなと同じ人間だ。
オイラ達は、アジトのある南の森に向かう。
空が真っ青で、風が気持ちいい。最近は怪我のせいでグリフ達にも会っていなかったから、アイツ等もきっと喜ぶんだろうな。
まだちょっと足は痛いけど、何して遊ぼう。これから楽しみだ。
診療所からルウヤの悲鳴が聞こえたけど、まっ、いいか。
★
「いででででで、あっぐわっはははははははは!!!?」
「何変な声あげてんだよ! いい大人だろ!?」
ランが思いっきりアバラに包帯を巻き付ける。間に挟んだ添え木が身体に食い込んでいるのが分かっていないのか!?
それに、いい大人って言われてもすでに一万歳にはなってんだよな・・・俺。年寄りを労ってくれてもいいんじゃねぇの?
目の前にいる年の割には幼い顔立ちの少年は、俺の顔を見て「何です?」とまぁ、何とも生意気そうに尋ねてくる。
「うんにゃ、何にも!」
さっきまで聞こえてたマリアの歌が聞こえない。リンがマリアを誘って何処かへ行ったんだろうな。ホントにあいつ等は仲が良い。ケンカするほど何とやらだ。あいつのことは、リンに任せとけばきっと大丈夫だろう。
そんなことを思っていると、ランが何を思ったのかアバラの包帯の巻き終わった部分をパァン! と、平手打ちした。
「ぎゃふわゃあ!!!」
痛い。ホンット、マジで痛い。この程度の傷なら力を使って治せるところだが、この間っから力を使いっ放しでついに底を突いちまった。いつもは隠している翼だって、まだ消せないでいる程だ。おかげでこの部屋から安易に出るわけにもいかず、ベッドで横になる日々が続いている。自己治癒に関しちゃ下手な主観が入って上手くいかないが、ランを治した時に無理にでも自分の傷も戻しとけばよかった。
この間は爆発に巻き込まれた時にアバラ骨を折るわ、銃に撃たれまくるわ、散々だった。ランを治した傷がなけりゃぁ、ここまで症状が悪化することも無かったかもしれない。
「じゃあルウヤさん、僕もう仕事はじめますから、ちゃんと寝ててくださいよ。何かあったらその鈴鳴らしてくださいね。」
ランは俺の包帯を変え終わると、さっさと部屋から出て行った。
サイドテーブルには水の入った湯飲みと一緒に、陶器で出来た手のひらぐらいの鈴が置いてある。ランが家から持ってきた楽器だ。呼び出しにちょうど良いからとわざわざ用意してくれたものだ。
昼の笛が鳴った。
・・・静かだな。
こう静かで、何にもすることがないと色々と思い出しちまう。
一族のこと。ミリアのこと。記憶にある沢山の出来事。
クリスはやっぱり死んじまったんだよな。
あのロボット女も、カプセルの子供達も、死んじまったんだよな・・・。
助けられたかもしれない。
クリスの病気を治せた。ロボット女を人間に戻すことも、カプセルの子供達を外で生きられるようにすることも出来た。―――でも、やらなかった。
『やるべきじゃない。』そんな警鐘が鳴り響き、俺の動きを塞いでいたんだ。
「あぁ・・・」
声が漏れる。
詭弁だな。
だったら何でランを助けた。ダグワイヤーのことを批難しても、やってることはあいつと何ら変わりない。助ける命を選り好んで、救えるはずの命を見捨てていった。
ランを助けて、マリアを救って、クリスを見殺しにした。
血まみれのランを見た時にも、警鐘は鳴り響いていた。けど、あの時は何が何でもランを死なせたくなかった。失いたくなかった。
ダグワイヤーが“マリア”を生き存えさせるために『KRISTOS』を創ったのと何の違いがある? “マリア”を失いたくなかった。ただ、その一念がダグワイヤーを動かしていただけだ。
ランを失いたくなかった俺と一緒だ。
もし、もう一度ランが死にそうになった時、俺はどうするんだろう。
目の前でランが苦しんでいたら、俺はどうするんだろう。・・・また、助けてしまうのだろうか。見殺しにしてしまうんだろうか。
今の俺なら、間違いなく前者をとる。
「・・・ダメだ、そんなの。」
そんなことをしたらきりがない。一度ならず、二度、三度と、在るべき宿命をねじ曲げるのは許されることじゃねぇ。その代償は必ず突き返される。現にランは過去の俺の記憶を垣間見た。ミリアの名前を口にしていた。・・・酷い場面も見たんだろうな。心に傷が出来てもおかしくない。実際に家に泊まり込んでいるあいつは、毎晩夢でうなされている。
諦めるべきなんだ。
どんなに助けたいと思っても、どんなに救いたいと思っても、俺の力は使うわけにはいかない。だから薬学と医学を“終末”以前から学んでいた。下手に力を使わなくてもいいようにと・・・。知識と技術でまかなえなかったら、もう、仕方がないんだと言い聞かせて、諦めて、それに慣れて今までやって来た。
愛を誓った相手にも、力を使ったことは無かった。力を諦めることによって、彼女の死を俺は受け入れた。それももう昔のことだ。彼女が死んで、悲しくなかったワケじゃない。苦しくなかったワケじゃない。だが、俺に悲しむ権利なんか無い。苦しむ権利なんか無い。
俺が力を使えば、彼女も生きることが出来たんだ。悠久の時を共に歩むことが出来たんだ。俺はその道を諦めることによって、彼女を見殺しにした。
そんな俺が、彼女を想って苦悩する事なんか出来ない。何も考えず、只々一人旅を続けることが俺に出来る事だった。
なのに、ランに出会っちまった。引きこもっていたあいつを引っ張り出した。あいつを助けちまった。
何で俺はランを助けた? あいつをそうまでして生かしたい?
あいつが彼女より好きかと言われたら、違うと答える。そういう感情とかじゃない。
けれど、あいつがいなくなるのが考えられなかったんだ。
あいつを失うことが、とても怖かったんだ。
「ルウヤさん。」
閉じた扉の向こうから声がする。明るく響くランの声だ。今は少し、その声に陰りが伺えるのは多分気のせいじゃない。こいつをそんな風にさせたのは、俺だ。
「―――“マリア”・・・ううん、クリスのこと、あれからずっと考えてたんだ。」
ためらいがちに、ランが言葉を選んだ。
何でクリスを助けなかったのか、言いたいんだろう。下手な気遣いなんかせずに、いっそのこと責めてくれれば、気が楽になる。
「二人を助けようとして、僕、気絶しちゃった時あったよね? その時さ、クリスに会ったんだ。クリスは、最期まで自分であり続けたいと言っていた。」
扉一枚隔てただけだ。あいつの顔色なんて、まるで分からない。
あいつと初めて話した時も、確かこんな感じだったっけ。今とはまるで逆で、俺が一晩中だべってランがブチ切れて・・・。たった二年前なのに、随分と遠いことのように思えちまう。
「そっか・・・。」
そういやあの時、ナイフの切っ先からランの生体エネルギーが出ていたもんな。“魂転換”の最中なら、そんなこともあるのかもしれない。
けど、そんなこと言うなんてクリスらしいや。あいつは何にでも厳しいからな。自分とて、例外じゃなかったんだ。
「ありがとう。」
意外とランは、落ち着いていた。穏やかに、本当にクリスの気持ちを代弁しているみたいに俺には思えた。
「マリアには、とても辛いことだけどさ、クリスは最期、幸せだったと思う。恋人がこれ以上罪を重ねるのを止められたんだもの。・・・ダグワイヤーの身体にそっと身を預けていたクリスは、とても綺麗だった。ルウヤさんは、きっとクリスの気持ちを助けたんだよ。」
ランらしい甘ったるい言葉だ。
クリスはそんなこと言わない。思ったりはするだろうが、言葉には出さずにただ微笑むだけだ。
けど、何でこいつはそんなことを言ってのけられるんだろう。諦めて何もしなかった俺を責めずに、感謝の言葉を言ってしまう。
やっぱりダメだ。
どれだけ忘れていただろう。
彼女が死んだ時、ミリアと別れた時ですら、流さなかった、涙。
何で今さら零れてしまうんだ。
俺の惨めな呻き声は扉の向こうに聞こえているのだろうか。
もう、潮時なのかもしれない。
何時までもここにいれば、俺はランの優しさに甘えてしまう。それじゃダメなんだ。
仕事に関する知識はかなり詰め込ませてある。あいつは、立派な薬師になれるだろう。
なら、俺がここにいる意味はもう無い。
また一人、旅をはじめよう。何も考えず、ただ常世を彷徨う亡霊として地を這いずり回ろう。知識を求める奴に、手を貸す道具となろう。
そうしなければ、俺はランを苦しめてしまう。
俺は、ここにいてはいけないんだ。
★
マリアは辛そうだ。ルウヤさんも・・・。
そりゃそうだ。ここ数ヶ月、家族同然で暮らしてきたんだもの。情がわかないわけがない。
ルウヤさんは泣いていた。あんだけの人が泣いてしまうくらい、今は弱っている。信じられなかった。
もう、眠ってくれただろうか。夢も何も見ずに、身体を休めてくれているだろうか。
正直今の僕は、眠るのが怖い。毎晩悪夢にうなされる。・・・決まって、ルウヤさんの過去の夢だ。起きている時の方がどれだけマシか、・・・そう思ってしまう。
永い歴史の中で、あの人は色んなモノをイヤと言うほど見続けてきた。そんなものを、夢に見てしまうんだ。
だからあの人はあまり眠らない。薬草取りと理由を付けて夜の森を徘徊した。勉強があるからと、双子を寝かしつけた後もあの人は燭台に火を灯して本を書き続けていた。身体が悲鳴をあげた時しかあの人は眠らなかったんだ。
本当はとても弱い人なんだ。変に強がって、余裕を見せているけれど、あの人の心は脆い。
ずっとあの人の側にいてあげたい。そう、思った。
どんなに危険な目にあっても、あの人の支えとなれるなら・・・側にいたい。
でもルウヤさんは僕を受け入れないんだろう。あの人は僕を死の淵から助けてしまった。本当だったら死んでいた僕のことを、身を挺して救ってしまった。それはダグワイヤーが“マリア”を助けたかったためにとった方法と同じだ。人の道に反する行いを彼もやってしまったんだ。ルウヤさんはただ、誰も殺さない方法をとっただけでしかない。
力を使わないこと。
それが今あの人に課せられた重荷なんだ。
ルシュエルアとして人間達にこき使われていた時の方がどれだけ楽だったんだろう。同じ境遇の仲間がいて、恨むべき対象がいた。
けれど今のあの人には、そんなモノはいない。憎む人たちは次々と消えていった。守りたいと思う人は次々に消えていった。彼に残っているのは、沢山の後悔と虚無という暗闇でしかない。
今日は誰も来なかった。夕闇はすぐそこまで来ている。そろそろ夕食の支度をしよう。
マリアがとぼとぼと玄関から帰ってくる。「お帰り。」と返事を投げても彼女は無言で診察椅子に腰掛けるだけ。相変わらず、俯いたままだ。
「今日は、どこに行ってたの? 昼前からどこか行ってたよね?」
「・・・・・・・・・南の森。」
「そっか。フォンさん、元気にしてた?あの人いい人だよね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
マリアはそれっきり黙ってしまった。けど、歌以外の声が聞けたのって、随分久しぶりな気がする。少しずつだけど、マリアは良くなっているのかもしれない。
そう思うと、心なしかホッとした。
さてと、今日の夕食は何が良いかな・・・。マリアはほとんど食事をしないし、ルウヤさんにはガッツリしたモノをあげたいところだ。歯ごたえがあって、消化に良くて、栄養のたくさんあるモノ・・・。
ダメだ、分かんない。
こういうところでルウヤさんの記憶が役立てればどれだけマシなんだろう。薬と手術の知識以外はろくな記憶が入っていない。
適当に家の中のモノで今日も済ませよう。
僕はマリアを背に袖をめくった。
★
私のことを思い出して。
思うことで、私はあなたのすぐ近くにいられる。
二度と触れ合うことが出来なくても、私たちは共にあるのよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思い出したわ、あなたのこと。
でも、あなたは私の側にいる?
もう、あなたに触れることは出来ないのよ。
見ることが出来ないのに、触れることが出来ないのに、側にいるといえるの?
ただのなぐさめだわ。
もう涙も涸れてしまった。泣きたいのに、泣き続けて壊れてしまいたいのに、それが出来ないの。今の私は、あなたがうたっていた歌をうたうことぐらいしか思いつかない。
そうすれば、あなたがいるように思えるんだもの。あなたと同じ声を持つ私は、私の声にあなたの声を重ねてうたう。決してあなたがいるワケじゃない。でも、私の声はあなたの声。・・・そう思えば、少しだけあなたが近くにいるように思えるの。
あなたが言いたかったのって、そう言うことなのかしら。
もう―――聞くことも出来ない。
「Amagine grase・・・」
何て歌なんだろう。題名も、言葉もまったく分からない。
あなたなら知ってるのかしら。好くうたってたよね。
でもあなたも知らないのかしら。だって思い出せないんだもの。あなたの記憶にも無かったのかもしれないわね。
あなたの歌をうたい続けて、どれだけの時間が経ったのかしら。
いくつも太陽を見て、いくつも月を見ていたの。
「マリア・・・」
何度目かの太陽を一人見てうたっていたら、彼がいた。
白いハチマキで、伸びた前髪を後ろに送っている男の子。いつもふてくされて、すぐにケンカをして、私なんかにも負けちゃう同い年の男の子だ。
いつもと違う顔してる。何て言えば良いんだろう・・・変な顔。眉毛を寄せて、口をすぼめて、私のことを見ている。
「遊びに行こ? グリフも待ってるよ。」
彼はそんな顔で笑って、小さな手を私に見せた。
小さい彼だけど、兄弟だからかしら、お兄さんの顔に似てるなって初めて思ったわ。
彼のお兄さんが私たちによく見せる困った顔に・・・。
けど、彼にそんな顔は似合わない。ダンスをエスコートするような、こんな手の差し出し方だって似合わない。
でも、少しだけかっこよく見えた。気がついたら私は彼の手に握られ、森の人たちと一緒に夕方まで遊んでいた。
「うん!もう大丈夫だね!!」
奥の部屋で彼のお兄さんが両手に腰を当てている。ルウヤの傷がほとんど良くなったんだ。ルウヤの背中には、もう翼が付いていない。細くて白い身体にはまだ薬や包帯が巻かれているけど、ルウヤは元気そうに肩を回している。
「さすが、俺の見込んだ男だぜ!」
ルウヤは、もう痛くはないのかしら。
いくつも太陽を見て、いくつも月を見た。でも、あっという間な気がする。もうルウヤの身体は治ってしまったんだ。
「色々世話になっちまったな・・・ありがと、ラン。」
「助けてもらったのは、僕の方だよ。」
彼のお兄さんはお得意の困った笑顔をルウヤに見せている。
「・・・ラン。」
少し、しっとりとした雰囲気だわ。ここしばらくの間、二人の周りを取り巻いていた暑くてさっぱりとした空気から急に変わったみたい。
あえて言葉にしていない何かを二人はお互いに感じているのかもしれない。
「ルウヤさんがいなけりゃ、僕は一人くすぶっていただけだった。・・・きっと、今も部屋に閉じこもって過去の出来事を引きずったまま今を恨んで生きてきた。あんたがいたから、母さんの怪我を抑えられたし、リンの怪我も治せたんだ。」
過去から今に続く自分がいる。それが、ルウヤの手によって大きく変わったことを伝える彼の言葉は、何処か悲しい。
「ありがとうございます。」
その悲しみをひた隠し、彼はルウヤに頭を下げる。
けれどルウヤはきっと分かってる。彼がどんな気持ちでいるのか知っている。
ルウヤは大人だもの。大人だから、子供の頃に考えていた気持ちを思いだして、彼に照らし合わせられる。
私には分からない、深いところでルウヤは彼の気持ちを汲んでいるんだわ。
「・・・・・・・・・」
ルウヤが彼の感謝の言葉に返すものは無い。彼もルウヤに返事がもらいたいワケじゃないみたい。
これが、二人のあり方なんだわ。
そんなしっとりした雰囲気を取り払おうとしたのは、彼の方だった。
言葉に出しそうな悲しみを心のずっと深いところに押し込めるように、ぱっと明るい笑顔を彼は見せる。
「さてと! じゃあ僕、今日から家に帰るよ! 久々に母さんのご飯食もべたいしさ。」
ルウヤもそんな彼の言葉には「あぁ、ゆっくり休めよ。」と少しだけ返事をした。
「うん。」
彼は着替えを詰めた袋を肩に掛けると、部屋の扉を開け、玄関に向かう。
「ラン!」
開けた扉の隙間から、ルウヤは彼に声を掛ける。
呼び止めたルウヤは言葉に詰まっていた。いいえ、ただ彼の姿を見ていたかったのかもしれない。二人はずっと見ていた。何事もないように装っているけれど、とても真剣に二人とも向かい合って、見つめていた。
「・・・・・・・・・。じゃぁ、な。」
「――――――じゃぁね。」
たった一言。
永い沈黙を終わらせたのは、お互い一言の言葉だけだった。
言い終わると彼は診療所を後にした。
家の中は、私とルウヤだけになった。
二人で夜を迎えた。
そして、二人で朝を迎えた。
ルウヤは先に起きていた。いいえ、彼のことだから多分眠っていないかもしれない。私が目覚めた時、彼は荷物をまとめていた。
//・・・ルウヤ。//
とても大きなリュックに、ルウヤは服とか鍋や毛布を丁寧にしまっている。
私の声に驚いたのか、彼の手が止まった。
青い目が、バツの悪そうに私を見ている。
//マリア。//
そう言うことだったんだ。
昨日ランが悲しんでいた理由、彼と二人で交わしていた言葉の裏、言い出せなかったのは―――
別れの言葉。
//行っちゃうのね。//
//あぁ。多分、もうここには来ない。//
//そう。//
//ランは、お前に好くしてくれる。リンもいるから・・・。お前のこと任せられるよ。//
ルウヤは、私を置いていくつもりなのね。でも、そんなの―――
//私はいやよ。ルウヤと一緒に行くわ。ルウヤがダメと言っても、勝手について行く。//
私はここにいたくない。あなたのことを知っている人がいるところに私はいたくない。こんな優しいところにいたら、私はあなたを思い続けて、本当のあなたを忘れてしまうもの。それだけは、どうしても避けたい。
//私は私の居たいところに行くわ。それまでは、ルウヤの後ろを付いていく。//
ルウヤは困った顔を見せる。聞き分けのない子供をどうするか考えているみたい。でも、ルウヤはそんなことで気を遣う必要は無いわ。私は、ただ私のために旅に出たい。それだけなんだもの。
//ルウヤは私のことを考えなくてもいい。沢山歩けるし、自分で食べ物も見つけられる。私はただ、あなたの後を付いていくだけで、一緒に旅をしなくても良いの。ここには、あの子の思い出がたくさんあるから・・・ここにいるのが辛いのよ。//
//マリア・・・。//
ルウヤが名前を呼ぶ。
マリア・・・それは、私の名前? それとも、“マリア”?
知ってるのよ、私。本当はクリスなんだって。
私は、マリアじゃないわ。そんな名前、私じゃない。
私は私。あなたは、あなた。
でも、あなたは私。私はあなた。
・・・・・・・・・そうね、あなたは私のすぐ側にいるんだもの。あなたの歌は、私の声がうたうんだもの。
私は、あなただわ。
//違うわ。私の名前は―――//
★
いつものように昼前に診療所の扉を開けると、もぬけの殻だった。
分かってはいた。
彼が・・・ルウヤさんがこの村から出て行くのは時間の問題だって事。
けど、まさかこんなにも早いとは思ってもみなかった。しかも、あの子の姿も無い。一緒に行ってしまったんだ。
薬草の香りが立ちこめる室内。ルウヤさんが仕事の時に使っていた診察机の上にそれは置いてあった。
白い数枚の紙。白銀の一枚の羽根。陶器の鈴。
僕が数日前に家から持ってきた呼び鈴だ。紙と羽根が風で飛ばされないように文鎮代わりで置いてある。
けど、布張りの窓は閉まっている。風なんて入ることは無いか。ただ単に、ルウヤさんの趣味かもしれないな。
白銀のルウヤさんの羽根。今も、ほんのりと空色の光をまとっていて綺麗だ。けど、何でこんなもの置いていったんだろう。あとは紙が数枚か。何か、書いてあるな。
鈴と羽根をどかし、僕は紙を手にする。
≪ランへ、
傷が治ったから旅に出る。当分・・・いや、もっと長い間ここに立ち寄ることは無いだろうな。
ランは立派に薬師だ。ここ数日、俺やマリアの世話をしながら、仕事も充分やりこなせた。もう、俺が教えられることはあんまし無い。まぁ強いていうなら、包帯の巻き方が難有りだが追々それも慣れてくるだろう。安心しろ。
家ん中のモノは好きに使って良いぜ。
あと選別に羽根置いておくわ。結構綺麗だろ。
旅商人に『守りの羽根』とでも言って売れば、それなりの値打ちが付くぞ。
実際何度か売りさばいたしな。
じゃぁ、またいつかなルシュエルア=フェザーロス ≫
ルウヤさんらしいや。強がってさ。
別れの言葉だろ、これ?ちっともそれっぽくないじゃないか。もう少し湿っぽい言葉を選んでも・・・気色悪いだけだな。
「『守りの羽根』ねぇ・・・。」
確かに、余所者の家のくせに家財道具が揃ってると思った。あの人、何気に旅商人と物々交換してたんだ。この辺りじゃ採れない変な植物とかもいつの間にか置いてあったりしてたっけ。
でもなぁ・・・売るのかぁ。ちょっと出来ないよなぁ。思い出の品として取っといてやろうか。本のしおりには丁度良いよな。
他にも何か書いてある。大っきな見たことのない文字だ。何て書いてあるんだろう。
≪親愛なるランへ。≫
最初の一行に目を通した時、ふとそう読めた。
そうか・・・これ、マリアの文字だ。意外とルウヤさんの記憶も大したもんだな。
≪親愛なるランへ。
ラン、今までありがとうございました。
ルウヤから、あなたは私たちの文字が判ると聞いたので、この言葉を使って書きます。
私はルウヤと一緒に旅に出ます。
リンは森で、私が村にいてほしいと言ってました。ランもそう思ってくれていますか?そう思っていたらとてもうれしいです。
けれど、ごめんなさい。
私はここにはいたくありません。ランが優しいから、リンといるのが楽しいから、私はあなたたちに甘えてしまう。大切なことを見落としてしまいそうなの。そんな風に甘えてしまう自分はとてもイヤなんです。
私は沢山のものを見て、沢山のことを知って、私にとって大切なものを見つけようと思います。どうか、私の気持ちを分かってください。≫
マリアとは思えない丁寧な文章と、本文の最後のところに僕はちょっと驚いた。
手紙はまだ、追伸という形で繋がっている。
「ふっ・・・ははっ。はははははははっ!」
そこに目を通して、僕は声を上げて笑った。マリアを遊びに誘いに来たリンが丁度診療所に入ってきたところだった。
「あれ、兄ちゃん?」
きょろりとした大きな黒目が、誰もいない診療所で笑う僕を変な目で見ていた。
「ルウヤさん達、旅に出ちゃった。」
「え・・・ぇぇえええ!?」
最もらしい反応をリンは見せる。今すぐにでも追いかけたいらしいのだが、どこへ行けばいいのか分からない様子で、困った顔をキョロキョロと動かしている。
その姿がおかしくって、僕はもう一度軽く笑ってしまった。
「一足どころじゃなく遅かった。・・・リン、お前に彼女から伝言があるぞ。」
≪追伸
オツムの回転がとても悪いリンにも伝えておいてください。
これから私の名前は、マリアクリスになります。
今度会った時、もし間違えたら、思いっきり拳を上げますから、
覚悟しとけよ!!≫
「えぇ~・・・。」
リンは僕が追伸を訳して読み上げると、さらに困った顔を見せた。
『拳を上げる』か・・・
マリア、じゃなかった。マリアクリスらしいや。
けど、言いにくい名前だな。
彼女はきっと立ち直ったんだ。“クリス”の死から、ここ数日の間に回復に向かっていったんだ。僕が分からない間で・・・。
強いや、あの子。
自分の力で、ここまで立ち直れるなんてさ。僕じゃこうはいかなかった。
彼女と一緒なら、多分大丈夫だ。
あの脆い天使も、きっと彼女がいてくれるだけで、全然幸せだろう。
彼女に尻をひっぱたかれながら旅をするのも悪くはない。
きっと、また会える。
僕らは生きてる内に必ず会えるだろう。それは、そんな遠くない未来のことに違いない。
その時までには、マリアクリスを見習って僕も強くなろう。
ルウヤさんに渇を煎れられるくらい強くなろう。
いつか会う、その時までに。