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第6章 Blanka amo

第一節


 どうして、

 どうして、

 どうして、

 どうして、


 「・・・・・・。」

 何なんだ、ここは。

 どうして、彼女がここにいるの。

 どうして、マリアが死んでいるの。

 

 どうして!!


 寝台で寝かされていたマリアは、すでに息絶えていた。

 そうとしか、見えなかった。

 何本もの管が繋がれていたけれど、それが何を指しているのかは分からない。

 でも、これだけは言える。

 彼女が動くことは、もうない。

 「万が一のためにと残してはいたけれど、もう必要ないわね。」

 ロボットはマリアに繋がれたケーブルを引き抜き、彼女を抱き上げる。

 「・・・?」

 何を、言ってるんだ?このロボットは・・・。

 「安心なさい。あなたが探している子は、ここにはいないわ。」

 ここにはいない?

 もう死んでしまったから?

 でも、安心なさい?

 何なの? 何を言いたいの?

 「まだ死んではいない。少なくとも、あなたがマリアと呼ぶ少女の肉体は生きている。ここではない、別の研究室にいるわ。」

 マリアが、生きている? ―――じゃぁ、そこにいるのは、

 「・・・この子は、だれ?」

 「K-010。・・・十番目のクリスと呼べば聞こえがいいかしら?」

 十番目のクリス?

 クリス?・・・でも、眼が緋くない。

 十番目、だから? なんだよ、十番目って?

 「あなた方がクリスと呼ぶのは、恐らくプロトタイプ、K-001。マリアはK-013。こんな時代のなかで、あなたは二人がただの双子だと思っていたようですね。」

 「どういうコト?」

 しゃがみ込んでいる僕に、ロボットはアゴをしゃくり、周りを見るよう促す。

 彼女に言われるままに、僕は視線を泳がす。

 広がるのは、黄色い光。

 一列に並べられた縦長にそそり立つ、透明な壁で出来た丸みを持つ柱。その柱の中からこの部屋の印象的な光が放たれている。

 柱は全部で十数本にも上っていた。

 その奥には、横長に広がったさらに大きな赤黒い柱が微かに見える。

 

 「・・・?」

 縦長の柱に、何かがいた。

 黄色い光の中、ふわふわと漂う物体。

 結構大きい。全体は僕の胸元位の大きさまである。

 目を凝らす。

 何本ものケーブルで繋がれた物体。

 あれは、人?

 子供?

 小さな手。細い手足。凹凸の無い身体。

 肩口ぐらいまでの短い髪も、揺れる。

 あれは、女の子。

 あれは、―――双子の一人。

 「何で・・・?」

 何で、こんなところにいるの?

 君は、だれ? クリス? それとも、マリア?

 

 女の子が、薄目を開ける。

 緋でもなく蒼でもない、真っ黒な、切り込みのような、眼。

 瞳を持たない、眼球を持たない、眼。

 その眼が、僕を見る。

 僕に顔を向ける。

 「・・・・・・。」

 言葉が出なかった。

 あまりの衝撃に、僕はしゃべることを忘れてしまった。

 視線を移動する。

 隣に置かれた柱にも、女の子がいた。眠っていた。

 彼女も、双子の姿をしていた。

 腕が、極端に短い女の子。

 他にも、お腹が大きく膨らんだ子や、膝から下がない子や、顔が押しつぶされたように変形した子が柱の中にそれぞれ一人ずつ入っていた。

 そのどれもが、あの双子を彷彿させる容姿をして柱の中に眠り続ける。

 

 マリアと、クリスに―――

 

 「う゛っ!?」

 急激な吐き気。

 腹の中を駆けめぐる異物。我慢など出来ずに、口から中のモノが飛び散らかる。

 据えた臭いは部屋の臭いと混ざり合い、更なる異臭をもって僕を襲う。

 「・・・この子達は、クリス。ここの主、トム・ダグワイヤーの研究により生み出された少女達です。」

 ロボットが、静かに言った。

 「研・・・究・・・?」

 何処かから取り出したのだろう、彼女は口元を拭う僕に布を投げつけた。

 「ささやかな、願いです。・・・恋人を失いたくないと、ただその一念がここまでの成果を成し遂げただけ。」

 「恋人?・・・奥さん?」

 「彼は未婚です。結ばれる前に、運命に引き離されましたから。・・・恋人の名は、“マリア”。マリア・ベルリーニ・ヨハンセン。“終末”以前、病により夭逝したのだそうです。」

 マリア?

 「でも、それは彼女の肉体での話。魂は、すでに新たな身体に宿らせていました。

 それが、プロトタイプ、K-001。―――Krisです。」

 クリス?

 「生物がこの世で自己を証明するためには、二つの物が必要です。それが、肉体と、魂。肉体は存在を証明し、魂は個を主張する。

 ですが、もし肉体がなくなったら? もし、魂がなくなったら?―――生物に待っているのは、死だけです。決まり切ったことだわ。

 では何故、肉体に魂が宿り、そして死を持って離れていくのか。

 その鍵を握る遺伝子を先人たちは見つけました。

 魂を肉体に縛り付ける遺伝子を―――。

 その遺伝子は個々人によって、様々な形態を持っていました。

 まるで自らの個を主張するかのように、自然界では同じ物が二つとして存在しない。

 その遺伝子が一定量破壊されることにより、生物は皆、死を迎える事が研究で判明されたのです。

 

 ダグワイヤーはそこに目を付けました。

 “マリア”と同じその遺伝子を新たな身体に組み込んだのです。

 “マリア”の肉体は、身体を作り上げるサンプルとして、提供されました。

 プロジェクト『KRIST』。その意味は、Christos―――救世主。

 “マリア”から産まれ、“マリア”のための救世主を創る研究です。

 研究は成功したかに見えました。

 ですが、」

 「クリスは、弱かった。」

 僕の脳裏に、いつも咳き込んでいたクリスの笑顔が浮かんだ。僕らに下手な心配をさせまいと、けなげに振る舞う、緋い瞳の少女の笑顔が。

 ロボットは僕を見つめ、小さく相槌を打つ。

 「そうです。・・・もし、あのまま“終末”が起こらなければ、外見の年齢が離れていようとも、クリスの身体が脆弱であろうも、二人には幸せな時が待っていたでしょう。

 それだけの環境が、整っていたのですからね。実際、数年間、彼らは幸福を味わっていたようです。でも、そんな些細な幸福をあざ笑うかのように、“終末”は訪れました。

 押し寄せる光の渦の中、次々と私たちが築き上げてきた文明は灰燼に帰していきました。

 医療分野に関しても、例外ではありません。

 建物は崩れ、機材や薬は下敷きになり、瓦礫とかしました。傷を負った者達が群がり、わずかに残った薬を奪い合う。そうしてまた傷つき、死を迎える。

 都市開発によって汚染された土壌は作物を育てることを忘れ、飢えをもたらしました。

 まともに食事することもままならない時代で、クリスが生き延びることなど出来るはずもありません。

 肉体的負担と、精神的負担がクリスの遺伝子に眠る“マリア”の病を呼び醒ましたのです。一度発病すれば、胸を患い、徐々に内蔵機能が低下する病。発展した文明の中でも、“マリア”の身体を奪った病気です。あの時代に、クリスを生かすことなど、無理なことでした。

 だから、眠らせたのです。

 当時結成されて間もない技術者集団、『文明の希望』に所属することによって、冷凍睡眠装置を貰い受け、そこにクリスを眠らせました。ダグワイヤーの医療知識、特に先進遺伝子生態学の情報は賞賛に値する物でしたから。

 私が彼と出会ったのは、その後です。

 混乱と、暴動に巻き込まれ、瀕死の傷を負った際、彼に命を救われました。

 どうやら彼は、助手を必要としていたみたいです。

 医学に関しては皆目検討も付きませんが、機械いじりならそれなりの知識を私は持っておりました。“終末”より五百年の間、私は彼の手を取りクリス達の管理と施設の維持を行ってきました。」

 命を、救われた。―――命。

 彼女は、ロボットなんかじゃ無かったのか。そんな姿でも、生きた人間だというのか。

 「・・・あんた、人間なの?」

 僕の問いかけに、彼女は首を振った。

 「人間だった。・・・そう言った方が正しいですね。私のこの身体に残っている肉体は頭部の一部のみ。ダグワイヤーにしても、様々な箇所が機械仕掛けとなっています。もはや、生物の定義からは離れているわ。」

 冷たい声。感情のうかがい知れない言葉。なのに、どうしてだろう。彼女からは、哀しみが伝わってくる。彼女の物言いはまるで、自身を卑下する言葉に聞こえる。

 「マリアは、ここにいる子達と同じ・・・創られた子なの?」

 僕は、改めて柱を見る。カプセルと呼ばれる透明な柱。クリス達が眠るゆりかごを・・・。

 「そうです。今まで創った中では最高の身体を持った子でした。数年前から研究室の一室で、人間としての教育をしていたのです。マリアと名付けて、“マリア”として生きるために育ててきました。」

 この子達は、何を思いここで眠るのだろう。夢とか、見るんだろうか。

 マリア達と同じなのに、マリア達と違ってこのカプセルから出ることのない女の子達。

 夢見るとしたら、きっと、こことは違う世界。

 広くて、大きな世界。

 マリアだけが手に入れることの出来た夢。

 そのマリアの夢は、今僕の目の前にいる機械仕掛けの女の人と、ダグワイヤーの思惑によって叶えられたんだ。

 “マリア”であり続けることを、本人に強いらせることによって。―――でも、

 「・・・どうして、そんなことを?」

 「クリスと入れ替わるため。」

 相変わらずの冷たい声が、僕の心に突き刺さる。

 ある程度予想していたであろう事実を突きつける。少女の背負う残酷な運命をさらけ出す。

 「それが彼女の存在意義。“マリア”の魂をつなぎ止める為の肉体。今のマリアは、人間であるために必要な記憶を詰め込み、肉体を守り、管理する為のプログラムでしかありません。そこには、魂はありはしない。もし、違うといえどもそれはあなたの考え違い。そう見えているだけよ。」

 「・・・マリアは・・・・・・。」

 「―――、彼女は、“マリア”の為の“クリスト”なのよ。」

 「救世主―――・・・。」

 元々が創られた存在だから?

 マリアが、魂を持っていないから?

 そんなこと無い。あのマリアに限って、魂がないなんてありえない。たくさん笑って、すぐに怒って、大声で泣いて、よくふてくされて、それでいて妹思いな意地っ張りな女の子。

 そんな彼女に魂がないなら、魂って何なの?

 目に見えない魂を、どうやってつなぎ止めていられるのか、本当に知っているのかよ。あんた達は、ただクリスとマリアに幻想を擦り付けているだけじゃないのか!?

 今のクリスに“マリア”のフリを、させているだけじゃないのか!!?

 これからそれをマリアにやらせようとしているだけじゃないのか!!!?

 僕は彼女を睨み付ける。たまった気持ちをぶつける。言葉にならない気持ちを殴りつける。

 「不服そうね。でも、あなたならどうする? ダグワイヤーと同じように、心から愛する人がまもなく死ぬと分かってしまったら・・・。たった一つの救いの手は誰かを犠牲にすること。悪魔の誘惑って言うのかしら。あなたは、その誘惑に打ち勝てるというの? 恋人を、見殺しに出来るの?」

 

 「・・・・・・・・・。」

 真っ先に、チュジャンが浮かんだ。僕をただ一人信じてくれた子。僕を守ってくれた子。血まみれになって、傷だらけで、動けなくなった身体で祈りを捧げながら冷たくなっていった。それが現実だった。

 震えながら抱きしめていた僕を、励まして、死んでしまった女の子。

 彼女が消えてしまったのが、信じられなかった。

 彼女がいない日常が続いていくことが、信じられなかった。

 彼女がいないのに、僕の周りに笑顔が生まれていくのが信じられなかった。

 だから、僕は一人、部屋に閉じこもったんだ。

 世界と戦うなんて、大嘘だ。

 本当は、逃げていただけなんだ。彼女がいない現実から、僕は逃げ続けていた。

 もっともらしい理由を付けて、現実に顔を覗かせているけれど、僕は彼女を失いたくなかった。今だって、そう思い続けている。何気ない時にも、彼女の笑顔が浮かんでは消える。ルウヤさんに、教えを請うて薬学を学んでいるのも、いつかは、チュジャンを生き返らせる事が出来ると、心の何処かで思っていたからなのかもしれない。


 彼女の笑顔が忘れられない。

 彼女を取り戻したい。

 彼女を生き返らせたい。


 僕に、ダグワイヤーを責めることなんて出来ない。僕だけじゃない。誰も、彼らを責める事なんて出来ない。

 マリアは、創られたモノ。クリスは、創られたモノ。

 人間じゃない。

 でも、マリアはマリアだ。クリスはクリスだ。ちゃんと意志を持ったかけがえのない人だ。


 でも、

 でも―――


 もう分からない。どうすればいいの。

 どうするのが、一番いいの。

 真っ暗な、深い谷底に落とされた気分だ。

 「私は別に、あなたを試すつもりはありません。ただ、彼女たちが抱えている過去を知ってもらいたかった。何も知らずに、あの子達に会ったところで、何の意味も持たないわ。あなたたちの独りよがりな自己満足のために、彼女たちを利用しないでもらいたいの。

 ・・・さあ、どうします? あなたは、それでも、彼女たちに会いたい? 彼女たちに、笑顔を見せられますか? これからも、彼女たちに会うことが出来るって言い切れる?

 何も知らないでいた方が、良かったとは思わない?」

 『見極める』って、こういうことだったんだ。

 僕が、現実を知っても二人に会えるほど神経の図太い人物かどうかを判断することだったんだ。

 僕は、「会いたい」と言わなきゃいけない。道を切り開いたルウヤさんのためにも、苦しんでいるクリスのためにも、涙を流したマリアのためにも、「会いたい」と言わなきゃいけないんだ。

 でも、出ない。

 たった一言が、言葉に出せない。

 揺らいでしまう。心が捻れてしまう。

 僕は、彼女たちの置かれた現実に目を背けたい。人としての生を否定された実験動物。笑うことなら、多分出来る。何もかもにフタをして、あの二人に笑いかけることなら出来ると思う。そうしてあの二人に会うことは出来る。

 でも、そんなの嫌だ。

 二人を助けたい。今、僕の周りにいるクリス達も助けたい。

 でも、どうすればいいの?

 答えが見つからない。

 上辺だけの答えすら、口に出せない。

 瞳から、涙が流れる。自分の弱さをひけらかすように、涙が流れ続ける。

 真っ暗な谷底で、僕は現実から逃げ出すために涙を流す。



 「ふざけんじゃねぇ!!!」

 聞き慣れた声が、入り口から響いた。

 僕がよく知っている声。

 でも、彼がいるなんて考えられなかった。

 僕は振り返る。

 真っ暗な谷底に差し込む、光明を見つめるように。

 大きな期待を胸に、彼を見る。

 青い瞳の天使を―――




第二節


 酷い有様だった。

 艶やかな黒髪はボサボサになり、服もボロボロ。左脇腹は肉が少し剔れ、血が流れている。

 いや、あの傷はおそらく、あの時の傷だ。

 僕の身体を治すために出来た傷。

 実際に、そこの箇所以外はちょっとした擦り傷ぐらいしか出来上がっていない。

 あんなんになっていたなんて―――

 「ルウヤ、さっ・・・」

 彼は僕には目もくれず、こっちにやってくる。厳しい足取りだ。

 ルウヤさんは僕と機械仕掛けの女の人を断ち切るように間に立ちふさがると、手に持っていた何かを彼女に投げつけた。

 乾いた音が部屋に反響する、白い筒。

 彼女の足下で止まった、マスナの、武器。

 「どこまでやりゃぁ、気が済むんだ。」

 怒っている。この間、マスナに対して抱いていた感情よりも遙かに激しい怒りを彼女にぶつけている。

 でも、この人は知らない。

 双子が抱えていた秘密を、この人は知らない。ダグワイヤーの気持ちをこの人は知らない。

 「 K-010。あいつは、マスナなんかじゃなかった。・・・自分のことを、使い捨ての道具のようにしていたぜ。」

 埃まみれの指が、女の人の抱える少女を指さす。

 知っているというの? ルウヤさんは、マスナとの戦いで何かを知ってしまったというの?

 クリス達の存在意義を、知ってしまったというの!?

 「“魂転換”をしやがったな。どうしてこいつを使った。どうしてこの子供を使った!?」

 「・・・・・・。」

 女の人は黙ったまま、女の子を抱く手に力を入れる。

 「ルウヤさん・・・この子は!」

 「創られた存在だってんだろ?―――だがな、だからと言って創った奴が何をしても構わないわけじゃねぇ。」

 「!!」

 知っている。この天使は、知ってしまったんだ。

 ・・・僕は、大事なことを、忘れていた。

 この人は、創られた人なんだ。人間とは違う、別次元の存在―――ルシュエルア。

 あの女の人の言うことを認めることは、ルウヤさんを認めないこと。

 彼の見えない翼は、僕に向けられたまま、僕を責める。

 「創られた奴にも心ってもんがあるんだよ。お前達は、その心を踏みにじってんだ。生きるためじゃねぇ、欲望のために、そいつらをお前達は殺したんだ!」

 「・・・そうですよ。」

 女の人は、相変わらず表情一つ変えない。ルウヤさんの言葉が聞き飽きた戯れ言であるかのように、相手として見ずに、ただ彼を見つめる。

 ルウヤさんはそれでも女の人から目を背けない。

 「何人だ?」

 一段と低い、声。ここからは見えない。でも、空色の瞳を釣り上げ、彼は彼女を責め立てているんだろう。

 「何人殺した?」

 「さあ・・・?ご自分で確認したらいかがです?」

 女の人は片腕をあげ、ある方を指さす。並べられたカプセルの奥。横長に広がった、一際大きなカプセルを・・・。

 「・・・行くぞ、ラン。」

 ルウヤさんは大きなカプセルの方に向かう。僕は、覚束ない足を踏みしめてついて行こうとした。

 そんな僕を見て、「彼には酷だと思われますが?」と、女の人がルウヤさんを冷ややかに引き留める。

 ルウヤさんは、立ち止まった。相変わらず、彼は振り向こうとしない。

 僕を見てはくれない。ただ、静かに言葉を紡ぐ。

 「それでも、見せなきゃなんねぇんだよ。過去の事実を伝えるんなら、全てを見せてみろ。」

 「見るのはあなた方の自由です。後悔しても、知りませんがね。」

 初めて、女の人が笑った。微かに口元を引き上げ、女性らしい微笑を浮かべている。不吉なモノがそこからは感じ取れる笑みだった。



 彼女は僕らの後を付いてきた。彼女の手には、未だに十番目のクリスが抱かれたままだ。開きっぱなしの眼はすでに彼女の手で閉じられ、遠目からは穏やかに寝息をたてている風にも見える。

 でも、その少女はすでに息絶えている。死んでいる。

 女の人は、それでも少女を手放そうとしなかった。

 距離からすれば、ほんのわずか。それはあった。

 横長に広がった巨大なカプセル。

 他のカプセルと違って、灯りは灯っていない。赤黒い溶液の中を、黒い物体が無数に漂い、沈んでいるのはどうにか分かった。

 ルウヤさんは一向に僕に顔を見せない。険しい空気を纏わせたまま、この大きなカプセルを見つめているみたいだ。

 「・・・灯り、点くんだろ?」

 「いいのですか?」

 彼の握りしめている拳に幾本もの筋か浮かぶ。彼は静かに「あぁ。」と、女の人を促した。

 女の人は前に歩み出ながら、右耳にある線を点滅させる。低い呻き声のような音がするや、カプセルに灯りが灯された。


 赤い世界が広がった。

 視界を覆い尽くすほどの巨大な赤い世界が僕を襲った。

 僕を飲み込んだ。


 「な・・・ぁ・・・ぁぁぁあっ!」

 漂い、沈む黒い物体は、人のからだ。

 見たことのない、人のからだ。バラバラに分解され、引き裂かれた、人のからだ。

 一人だけじゃない。何人、何十人、いや、もっと多くの人間が、このカプセルの中にいる。さっき見たクリス達とは比較にならない、凄惨な光景が、僕の前に展開されている。

 「これが、マリア達の元になったもんだ。」

 ルウヤさんが言い切った。「よく、ご存じですね。」と、女の人が彼を賞賛する。

 「“終末”以前ならいざ知らず、今の時代で人体を創り上げようとするなら、これが一番手っ取り早い方法だからな。

 他の人間から出来の良い遺伝子をぶんどって改良する。・・・そうして、あすこの子供を創っていったんだろ?」

 「はい。・・・前回はオリジナルの肉体を使っての再構築により、病の再発をもたらしました。それを未然に防ぐのと、プロトタイプの肉体負担を極力避けるため、奴隷を買い取り、解体していったのです。・・・ここにいるのは、使い切れなくなったその成れの果て。今は、あの子達の養分として分解しています。いずれ、跡形もなく消失するでしょうね。」

 「力さえ・・・金さえあれば、何をしても良いってんのか?」

 「・・・・・・・・・。」

 「こんな事をして、何にも思わなかったのかよ!」

 ルウヤさんの叫びは、当然だった。誰もが当たり前のように抱く感情だ。でも、彼女たちはそれでも、手に入れたかったんだ。

 大切な人を、取り戻したかった。

 だから、続けられた。どんなに、どんなに、酷いことをしてでも、取り戻したい 。そんな考えを持った人に、ルウヤさんの言葉はきっと、届かない。

 届いても、すぐに跳ね返してしまうんだ。

 だから、

 「そんな言葉、聞き飽きたわ。」

 彼女は頑なになる。心にフタをする。

 分かりきった言葉だから、手が届かない。

 「奴隷商人や、マスナからも、幾度となく罵声が浴びせられたわ。あなたも、彼らと同じなんですね?・・・本当の哀しみを、知らないでいる。」

 「お前らは、哀しみに酔っているだけだ。そんなことにも気付かないのか。」

 「知った風な口をきかないでください。あなたの振りかざす倫理観など、私たちには不毛なものです。」

 もう、届かない。彼女たちには、僕らの言葉は通じないんだ。僕らの当たり前の価値観なんて、糸クズほどのものでしか無い。風に吹かれれば飛んでしまう、儚いもの。

 僕は彼女たちを責められない。僕だって、彼女たちと同じ思いを抱いてしまったんだもの。だけど―――

 「・・・この人達には、大切な人がいなかったの?」

 僕の震える声に、女の人が振り返る。

 「この人達には、誰かを思ったり、思われたりする人がいなかったの? あんた達みたいに、さ・・・」

 女の人は僕の言っていることを図りかねているみたいだった。

 僕は何も思っていない。ただ、言いたいことを口に出しているだけだ。

 「・・・いた、でしょうね。」

 「その人達は、哀しんでるよ。大切に思っていた人と離れて、もう、ずっと会えないんだ。もしかしたら会える・・・もしかしたら・・・そんな期待を胸に抱いても、絶対に会うことが出来ない。そんな期待は残酷なだけだよ。絶対に叶うことのない願いなんて・・・哀しみや、寂しさが続くだけだ。」

 「何が、言いたいの?」

 「哀しみが、生まれてしまったんだ。自分たちの幸せを願って、他人の哀しみを生んだんだよ。あんた達みたいに思ってしまう人が、増えてしまったんだ。」

 「・・・・・・・・・」

 「クリスに―――“マリア”にとって、大切な人はきっとマリアだ。マリアのことで心配して、マリアのことで笑って、マリアのことを一生懸命守っていたんだもの。」

 傷ついたマリアを、クリスは身を挺して守っていた。

 弱り切った身体で、マリアに待ち受ける事態に気付いていたから、ルウヤさんを引き留めようとしていたクリス。

 自分が限界であったことを、分かっていたのに・・・。

 「マリアを犠牲にすることを、“マリア”は望んでいないよ。あんた達にとって、大切な“マリア”が哀しんでも、あんた達はいいの?」

 女の人は黙ったままだ。

 何かを言い返したりするかと思っていたのに、口を挟んではくれない。

 「“マリア”は笑えない。水面に映る自分の姿を見てしまったら・・・瞳の蒼さに気付いてしまったら、自分が何の犠牲の上に生きているかを知ってしまう。“マリア”が、かわいそうだよ。」

 もし、僕が強かったら、チュジャンは死なずにすんだ。

 もし、僕の知識がもっとあったら、チュジャンは死なずにすんだ。

 後悔したって、取り戻せない。

 たとえ取り戻したって、彼女たちのような方法じゃぁチュジャンは笑ってくれない。

 だから、前を見据えていくしかないんだ。

 過去を振り返って、大切なものを手に入れるために、大切なものを奪ってしまったら、いつかまた、大切なものを失ってしまう。

 だから、止めなくちゃいけないんだ。心の叫びを、荒れ狂う哀しみを、押さえなくちゃいけないんだ。

 そのために、涙がある。

 少しでも哀しみを外へ押し出すために。

 ポタポタ、ポタポタと、静かに、流れて、時間を、かけて、哀しみを、無くして、くれる、為に―――・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 「―――もう、生まないで。哀しみを、生まないでよ。」

 ルウヤさんは、きっと分かっているんだ。僕の気持ちも、彼女たちの気持ちも。マリア達の気持ちも。たくさんの憎しみを抱えて、たくさんの哀しみを抱えて、ずっとずっと生きてきた人なんだもの。

 だから、何も響かない。たくさんある哀しみを、一つにまとめてしまうから。言葉はそんなに器用なものじゃないから。不器用な人が不器用な言葉を使ったって、相手に伝わらないんだ。

 一つの哀しみを、一つにするのは同じコト。だったら、伝わってほしい。彼女たちに、僕の抱いている一つの哀しみを。

 大切な人を目の前で失って、今も引きずる馬鹿げた僕の哀しみを。

 「・・・不器用ね。」

 冷たくて、柔らかい、声だった。

 ひやりと、全身が冷たいもので包まれる。

 「あの子達が、あなた方に巡り会えたのは、幸せです。」

 僕の頭のすぐ上で、女の人が優しく語りかける。

 鋼鉄のかいなで、僕を抱きしめる。

 「・・・閉じこめていたかったのに、この身体のように、心も冷たいままでいたかったのに、あなた方は暖かすぎる。人間としての温もりを掘り返す。」

 「あんたは、人間だもん。・・・人形には、なりきれないよ。」

 「人間・・・ね。忘れていたかったわ。」

 「・・・・・・・・・。」

 女の人は、僕から離れる。

 「また、実験が失敗したようです。」

 さっきまでとは打って変わって、彼女はロボットの口調に戻った。

 ルウヤさんが、驚愕の表情を彼女に向ける。

 「マリアの意志が、“マリア”を拒んでいるのです。肉体を明け渡すまいと・・・。この数日間、休み無く行われています。」

 「なっ・・・!?」

 女の人は踵を返すと、出口へと向かう。

 「どこへ行くつもりだ?」

 ルウヤさんの厳しい声がかかる。が、女の人は振り返らずに平然と歩みを進める。

 「研究室の電力供給を遮断します。それには、ホストサーバーに向かい、直接指示を入力する必要がありますので。・・・そうすれば、実験も中止せざるをえないでしょう。」

 実験の中止。

 その一言で、僕とルウヤさんは顔を見合わせる。

 扉の縁で立ち止まると、彼女は冷たい声を部屋中に響かせた。

 「あの子とプロトタイプを引き合わせたのは私です。ダグワイヤーに父親としての愛情を求めていたあの子が不憫でならなかった。

 マリアと名付けたのはダグワイヤーです。でも、それは“マリア”といずれ入れ替わるために付けた記号でしかありませんでした。それ以外の意味はあの子には存在しなかった。あの子として生き残る方法などここには無かった。彼にとって、あの子そのものに対する想いは微塵も無かったんです。

 下手な希望はあなたが言ったように、残酷でしかない・・・そう思いました。だから引き合わせた。

 待ちかまえている絶望の象徴を目の当たりにさせることで、無用の希望を消し去りたかったんです。ですが、凍結カプセルに眠らされていたプロトタイプは、過去の記憶を失っていた。そんな彼女にあの子は、カプセルプレートに書かれていたクリスの名前を付け、共に外へと飛び出したのです。愛情を示さない父親への、せめてもの反抗だったのでしょうね。

 ・・・私は、あの子の管理を任されていました。いかに人間らしく教育していくか。いかに従順に育てていくか。それが私に科された課題でした。存在を否定され続けてきた彼女を目の前にするには、人であることは辛かった。私は、自身をA-1と名乗り、人形であり続けたんです。

 ・・・逃げたんです、この身体に。人間であることを否定し、外見の姿を本来の存在と偽り、命じられたとおりにただ動く人形に成り下がった。そうしなければ、狂ってしまいそうだった。人形なら、何も考えずに済む。何も思わなくて済む。

 あの子が“マリア”になっても、哀しまなくて済む・・・そう、思ったんです。」

 勝手な言い分。そう言いきってしまってもかまわないのだろう。

 でも、僕は彼女の見てきたモノを知らない。彼女が、そうならざるを得なかった現実が想像できない。

 僕がもし、彼女の立場でも、僕は僕としてマリア達と一緒にいられたんだろうか。

 マリア達の全てを知って、マリアの望み無い運命を見せつけられたら・・・

 自信ない。僕がこの女の人と同じようになってもおかしくなかった。

 「でも、あの子があの子として生きながらえるなら私は託したい。あの子を人間として見てくれる人間が外にいるのなら、―――あなた方になら・・・・・・。

 私の、せめてもの懺悔です。」

 本当なら、母親になれたのかもしれない。彼女なら、マリアの母親として彼女の寂しさを和らげられたのかもしれない。彼女を連れて、ダグワイヤーから離れ、外の世界に生きられたのかもしれない。でも、出来なかった。

 “終末”以前の文明によって生かされてきたこの女の人にとって、外の世界で生きることなんか考えられなかった。

 責められない。少なくとも、僕は彼女を責められない。

 女の人は、そのまま出て行った。最後に、一度だけ振り返ると、僕たちにそっと笑いかけたように見えた。


第三節


 女の人は、僕らにマリア達の居場所を教えてはくれなかった。

 僕ら二人は、たくさんの人たちが眠るあの研究室から出て、マリア達のところを目指した。ルウヤさんが右手を空色に輝かせ、道案内をしてくれたから迷うことは無かった。

 あの研究室の入り口だった隠し扉とは違い、そこは扉がくっきりと出来た部屋だった。

 扉の上には、赤い灯火が点いていた。//作業中//と、白抜きで文字が書いてあった。

 扉は開かない。ルウヤさんの右手を持って、回路に指示を出す。「開け」と、空色の瞳をうっすらと光らせ、ルウヤさんは命令する。

 幾度となく聞いた空気が抜ける短い音。扉が開く合図だ。

 

 部屋の中は、異様に明るかった。一面が雪の世界かと思うほどに、真っ白な部屋。

 床も、壁も、天井も、機械も、全てが真っ白になった部屋だった。

 僕らがいる廊下とは、まるで別次元の光景であるように見せつける異空間。

 そんな部屋で、ゆらり、と細長い物体が風に吹かれた洗濯物みたいに動いた。

 左右の視点があべこべの、黒く澱んだ鋭い瞳。深い皺が彫り込まれた痩けた顔。病的に白い肌に、白く長い髪。全身を包む衣も、塩のように、白い男。

 トム・ダグワイヤー。

 双子の父親を名乗り、二人を連れて行った男。彼が、僕らに視線を投げかける。

 //・・・侵入者は、排除するよう命じておいたんだがな。//

 //客として、丁重に持て成してもらったぜ、お父様。//

 //招いた覚えはない。//

 ダグワイヤーは手元に設けられた操作盤を作動させる。が、突如その動きが止まる。

 //プロテクトコード『Christos』。安直すぎるパスだったな。セキュリティープログラムは、全て眠ってもらったぜ。お前の城は、今やその部屋だけだ。//

 ルウヤさんが、光る右手で何かをやっていたらしい。ダグワイヤーは苦虫を噛み潰したように顔を歪めていた。が、再び操作盤をいじりはじめる。何かを確認しているみたいだ。さっきルウヤさんが言っていたプログラムとやらの確認をしているのかもしれない。

 //ホストは流石に手が出せなんだか。//

 //いじくる必要はない。//

 //それはどうかね?//

 ダグワイヤーは構わず操作盤で作業を進める。そんな彼の奥に、二つの台が横に並べられていた。

 人が、載っていた。白い台にそれぞれ一人ずつ、仰向けに寝かされている。

 あれは、マリアと、クリス。

 二人の姿を確認するや、僕は居ても立ってもいられず部屋に入ろうと身体を傾けた。

 「っ痛!!?」

 硬い何かに、頭をぶつける。目に見えない透明な何か。手を出すと、扉の内側が壁のように塞がっていた。

 //ここが私の城と言ったのは、貴様だ。//

 //時間の問題さ。//

 //強がりだな。A-1を懐柔したようだが、ホストには独自のセキュリティーを設けてある。あれにも通用する物がな。今頃は、あの白い機体に機械油の血を流していることだろう。//

 あの人が!?

 あの女の人が、危ない!?

 僕はルウヤさんを見上げた。ルウヤさんは、僕の動揺を抑えるように僕の肩に片手を載せる。その手には光が見えなかった。

 「あの女を信じろ。まだ実験は再開されていない。・・・まだ、二人は無事だ。」

 「・・・うん。」

 あの人が死んだ訳じゃない。まだ、望みは残されている。今の僕たちに出来るのは、少しでも実験の再開を遅らせること。

 でも、どうやって? 話なんて、ろくに聞きやしない相手に手も出せないで時間を稼ぐなんて。

 //時によぉ、お父様。//

 ルウヤさんの投げかけに、ダグワイヤーは耳を貸さない。ひたすらに操作盤をいじくっている。小さな突起をねじったり、何かを滑らせたり、指を器用に動かして打ち込んだりしている。

 //““終末””が、何で起こったか、ご存じですかぁ?//

 おどけるように、ルウヤさんは相手を挑発する。ダグワイヤーにとっては、“終末”が、何よりの禁句であることは、あの女の人の話を聞いて明らかだった。

 まさか、この人は・・・

 //俺が、“EVE”を目覚めさせたからなんだぜ。//

 EVE。魔神ミリアのもう一つの名前。人間達が付けた、人間の始祖となる女性の名前だ。

 ダグワイヤーの顔色が変わった。強張らせた白い顔がこっちに向けられる。

 //知ってんだな・・・EVEのコト。じゃあさ、俺のこの姿も耳にしたことあんだろ?//

 空気が渦巻く。空色の清しい風が僕らを纏う。

 現れるのは白銀の翼。ルウヤさんの背に顕現する背徳の翼、―――ルシュエルア。

 時間稼ぎとすれば、これだけ効果的なモノは多分無いだろう。相手の神経を逆なでし、かつその動きを止めてくれる。

 澱んだ黒目は、ルウヤさんを激しいまなざしで睨み付ける。“終末”の呪われた天使を。

 ルウヤさんは全身に薄く空色の光を纏わせている。一際強い光を孕んだ瞳はどこまでも純粋な輝きを放って、それでも、ダグワイヤーの様相を嘲笑うかのように歪めていた。

 明らかな挑発。

 これで彼が、呪われた天使を攻撃するために見えない壁を取り払うなら、僕たちは部屋に侵入し二人を救い出せる。あの部屋でどんな絡繰りが仕組まれていようと、二人を救い出してみせる。

 二人の救出が出来なくても、あの女の人がまだ頑張ってくれているかもしれない。彼女がこの部屋をどうにかするまで、僕らが彼の動きを封じていればいいんだ。

 ダグワイヤーは懐に右手を入れる。きっと、何か武器を持っているんだ。

 壁は、間もなく取り払われるだろう。そう思った。

 

 だけど・・・


 残った左手で、ダグワイヤーは操作盤を操った。奥にいたマリア達に緑色の光が打ち付けられる。光を受けた幼い身体は、二つとも大きく身震いし、苦しみを顕わにするかのように腕や足をばたつかせる。

 「マリア、クリス!!」

 溜まらず僕はルウヤさんの手を離れ、壁に拳を打ち付ける。

 マリアとクリスの魂の入れ替え、“魂転換”が再開されたんだ。これほどの負担を伴うものなのか!?二人はこの数日、幾度となくこの苦しみの中にいたというのか!!?

 「やめろ、やめるんだ!!」

 僕の叫びに、ダグワイヤーは顔を歪める。怒りとか、恨みとか、そう言ったものじゃない。侮蔑、嘲笑、そう表現できる醜い顔を満足そうに僕らにぶつける。

 このままじゃ、クリスも、マリアだって助からない。こんな負担をかけ続けていたら、手遅れになるのも時間の問題だ。

 もう、間に合わないのか。

 「・・・たす・・・・・て・・・」


 「!!?」

 言葉じゃ、無かった。悶え苦しむ双子の一人と、目線があった。仰向けに倒れ、蒼い瞳に涙を浮かべ、口を開く。「助けて」と、僕らに哀願する。

 マリアの悲痛な叫び。

 すぐそこにあるのに、走ればほんのわずかの距離なのに、何で―――!!

 透明な壁が、僕らを遮る。

 「離れろ!」

 ルウヤさんの埃まみれの腕が前に伸びる。空色の光が飛び散る。

 「ルウヤさん!?」

 舞い散る羽根。それは光り輝き、何よりも美しい。こんな時でも、その一瞬の光景に、目が奪われる。

 厚い壁が渦を巻き、崩れていく。白い塩のように粉々に分解される。壁は思ったよりも厚かった。建築柱用の丸太の幅一本分はあるかとは思えるほどだった。

 壁は次々と塩に代わり、穴をつくっていく。ようやく人一人分が通り抜けられる穴が開けられた。

 僕はすかさず中に入る、その瞬間!

 頬に熱いものがかすめる。一筋の血が、流れ飛ぶ。

 後ろで光っていた空色の輝きが、つと消えた。

 ルウヤさんが、撃たれた。

 何発も、何発も、その細い身体に撃ち込まれ、鮮血をほとばしらせながら、身体を後ろへ崩す姿が見えた。

 「ルウヤさん!!」

 ダグワイヤーが、胸元の武器で、ルウヤさんに襲いかかっていく。

 双子の元へ走る僕など、眼中に入っていないかのように、彼は、僕の脇を通り抜けた。



 訳が、分からなかった。

 //“終末の天使”・・・貴様のせいで、全てが狂ったんだ!!//

 ダグワイヤーは、ルウヤさんに尚も銃弾を浴びせようと、引き金を引く。

 実験中の、苦しむ双子のことなど置いて。実験を中止させようとする僕のことを構いもせずに。

 この男にとって、実験が何よりも大事だったんじゃ無かったのか?

 マリアのところへ走りながら、僕の頭はそれで一杯になっていた。

 //そんなに、俺のことがお嫌いかよ、ダグワイヤー!!//

 ルウヤさんがさらにダグワイヤーを乗せる。あんだけ喋れりゃ、まだこの人は大丈夫だ。

 元が丈夫に出来てんだ。彼の肉体を信じよう。

 「マリア、マリア!!」

 マリアのところにたどり着く。白い台座に寝かされた彼女の意識は、すでに途切れていた。全身を緑色の光で覆われ、ぴくりとも動かないでいる。

 彼女を抱き上げようと手を伸ばす。だが、彼女の四方は透明な壁で塞がれていた。叩いて割れるもんじゃない。

 「っちくしょう!!」

 マリアがこれじゃぁ、クリスのところも同じだろう。彼女のところを見るとやはり、四方が透明な壁で覆われている。

 どうすればいい? どうすりゃいいんだ!!?


 ―――操作盤。

 そうだ、ダグワイヤーはあの操作盤を使って実験を再開させた。なら、止めるのもあの操作盤で出来るはずだ。

 僕は慌てて操作盤へ向かう。

 「!!?」

 整列された沢山のボタン。十数個にも上るつまみ。指先くらいのソリがいくつか。ブルブルと扇形に震える針が数本に、ヘンテコな絵を見せている四角い小窓。

 文字か何かが書き込まれていればどうにか出来るのかもしれない。けれど、この操作盤には何一つ、説明らしい文字が書かれていなかった。僕たちの言葉も、“終末”以前の文明の言葉も、何もない。

 必要ないから?

 ダグワイヤーも身体の一部が機械化されているとあの女の人は言っていた。自らがロボットであるかのような振る舞いをしていた彼女。確か、機械は、ハードってところに記憶を貯め込んでおけるんだ。それは色あせるような曖昧な記憶じゃない。もっと正確で、記憶を間違えることはあり得ないほど確かなモノだ。

 一度覚えたら忘れない。と言うことは、自分たちさえどんな風に使うか分かれば、あえて説明するような文字なんて書いておく必要もないんだ。

 この実験を止めるには、この操作盤を使うには、ダグワイヤーの力が必要だ。だが、そんなこと出来るわけがない。彼は恋人の“マリア”が生きることを望んでいるんだ。その実験を中止させる事など、するわけがない。

 じゃあ、他に僕が出来るのは?

 考えろ、考えろ!

 ここは“終末”以前の技術の結晶。多少改変されていても、元は同じ。

 なら、僕に出来ることは、思い出すこと。僕の身体に植え付けられた、ルウヤさんの血に、肉に刻まれた記憶を思い出すこと。・・・その中に、答えがある!!

 あれだけの情景を夢を僕に見せたんだもの。絶対、それだけのモノじゃない。“終末”直前の夢の片隅で、ルウヤさんがとった行動の中で、ルウヤさんが考えた思考の中で、答えが眠っているに違いない。さっきだって、機械のことを思い出せたんだ。

 ミリアを助け出すために、“僕”は何をしていった? 襲いかかる兵士達に、僕は素手以外の何かを使って、あいつ等を倒していた。それは何だ!?

 おもむろに僕は自分のももをまさぐった。そうだ、右太ももに何かがあった。やけに窮屈で、硬く細く平べったい何かだ。それは何だ!?

 ナイフ・・・そう、ナイフだ。大振りで、殺傷能力の高い短剣。太陽光型で、有事の際には最悪持ち主の血圧をエネルギーに変換させる実戦用の暗殺道具。

 それは、今、僕の帯に差し込んである、あの錆びた短剣。


 『研究室の電力供給を遮断します。』


 電力供給。この部屋は電力でここまで明るくなっている。雪のような真っ白に染め上がっている。

 双子を包むあの光りも、電力のなせる技? なら、その電力はどこから二人に流れ込んでくるの?

 今僕の前にある操作盤だ。これだけじゃないんだろうけれど、この操作盤が一番の元締めみたいなモノに違いない。けど、止め方が分からない。

 下手にいじれば、マリア達に負担がかかる。

 でも、どうすれば? どうすれば電力が二人に止められる?

 「・・・これが、無くなればいいんだ。」

 何て単純な考えだろう。何て浅はかな思い込みだろう。けど、他に思い当たるモノもない。これを壊しちゃえばいいんだ。

 なら、話は早い。

 「止めろぉぉぉおおおお!!」

 懐の短剣を抜く。操作盤に錆びた短剣を突き立てる。ボロボロの刀身のくせに結構丈夫だ、この短剣。

 だけど、こんな攻撃じゃダメだ。操作盤の表層に傷が付いただけ。夢の中じゃ、もっと威力を持った物のように“僕”は考えていた。

 どうしてだ? 長い時間で威力が弱まってしまったからか?

  そんなわけ無い。そんな物をルウヤさんは持ち続けているとは思えない。それにあの人、刀身を見た時に「大丈夫」とか言っていた。いい加減なことは、ルウヤさんは言わない。どんなに冗談だと思えることでも、本当を言っている人だ。それが、この二年間で分かった彼の性格。

 威力を増すとしたら、恐らく柄の部分にあてがわれた宝玉。これをどうにかさせるんだ。

 改めて短剣を確かめる。宝玉は、ちょうど親指で届くかどうかの辺りに埋め込まれていた。だとしたら、親指で動かすんだ。それによって攻撃の威力を換えることが出来るんだろう。

 試しに、一番押しやすかった赤いボタンを押す。

 「!!?」

 僕の腕に短剣から伸びた数本のケーブルが食い込む。とたんに襲われる息苦しさに、目眩。一番押しちゃいけないボタンだったんだ。僕の血圧と体温を使い、エネルギーを増幅させるボタン。

 けど、構ってられるか!

 刀身は僕の血を受けてか、緋く光る。まるでクリスの瞳の色みたいだ。

 眠っていた剣が息を吹き返したかのように、力を漲らせているのが分かる。

 剣を握る手を強める。空いていた左手も短剣に添える。

 思いっきり振りかざし、操作盤を突く。緋い光と共に操作盤から火花が散る。火の粉が当たった部分の身体が熱い。操作盤が橙色の光を放ち、溶けていく。

 すごい、これならいける!!

 けれど、溶けていく操作盤の中からは、別の光がうごめいていた。

 緑の光―――

 その光が、僕を襲う。

 「ラン!!?」

 ルウヤさんの驚きのような悲鳴が最後に聞こえた。

 僕は、緑色の光に飲み込まれた。

 意識はとても近くて、遙か、彼方・・・・・・



 女の子がいた。

 女の人がいた。

 二人とも、泣いていた。

 蒼い瞳の二人。

 緑の光の中で、湖の中を漂うように、向かい合う。

 女の子は、マリアだった。

 肩に届くかどうかの、緑がかった茶色い髪。白い肌。

 けど、もう一人は知らない。

 マリアと同じ緑がかった茶色い髪は長く緩やかな曲線を描いて揺れる。血色がありながらも、白い肌を持つ肢体は細くしなやかで、大人の女性特有の流れるような線を持っていた。

 ―――綺麗な人。シュウレインさんや村の女の人たちとは違う。ミリアみたいな神々しさを兼ね備えた美を持つ女性だった。

 「これが、きっと最後。」

 低く、それでいて穏やかで唄うような響き。心に直接刻み込むような、不思議な声。

 すうっと、マリアの瞳から涙が流れる。

 「・・・イヤ・・・。イヤ、イヤ、イヤ、イヤァッ!」

 駄々をこねるように、マリアは首を横に振っている。

 「ダメよ!それじゃダメ!!」

 訴えるように、マリアはまっすぐに女の人を見つめる。けれど、女の人は静かに俯いた。マリアのつぶらな瞳から背けるように。

 「・・・助けて・・・。誰か、・・・誰か、助けて。・・・・・・神様ぁ―――。」

 マリアが小さな指を絡ませ、祈るように言葉を絞る。

 あれが、“マリア”なんだ。記憶を失い、クリスと名乗っていたマリアの妹。大人しくて、大人びていた女の子の本当の姿。魂が実態を持った姿。

 優しい顔の女の人。

 その女の人が、女の子の身体を乗っ取ろうとしているんだ。

 「あなたなら、生きられる。・・・これだけの苦しみに、耐え抜いたんだもの。」

 「それじゃダメ!!」

 マリアが、女の人に意見する。

 「私なら、どうなってもいい!! 私は、もういらない子なの!!・・・だから、だからクリス、私に来て!!!」


 ―――あぁ、何てことだろう。

 「助けて」と呟いたマリアの嘆き。あれは、クリスのことだったんだ。マリアは、誰よりもクリスを大事にしている女の子だ。そのマリアが、自分のことを顧みることなんてしない。

 分かっていたことなのに・・・

 「私には、クリスが必要なの! あなたがいなくなるのは、・・・とても辛いの。」

 女の人は、黙っていた。マリアの悲痛な叫びに、女の人は黙ったままだった。泣きじゃくるマリアから目をそらし、俯き、マリアの言葉に耳を傾け立ちつくす。

 そうして、実験は失敗を続けてきたんだ。マリアの意志が強かったからじゃない。彼女はとっくの昔に明け渡していたんだ。けれど、成功しなかった。

 “マリア”が、マリアを拒んでいたから。


 泣きじゃくるマリアに、“マリア”は身体を乗せる。暖かく、包み込むように、小さな身体を抱きしめる。

 「哀しみは、少しの間だけよ。厚い雲に切れ間があるように、哀しみにも、綻びは生まれる。だから、大丈夫。私は、私として、最後まで在り続けたいの。あなたを失いたくないの。」

 穏やかで優しい声。母親のように、マリアをあやすのは、“マリア”。遙かな昔、救世主を産み落とした聖母。

 「あなたが哀しいというのなら、今、出来る限り抱きしめてあげる。あなたが寂しいというのなら、私のことを思い出して。思うことで、私はあなたのすぐ近くにいられる。二度と触れ合うことが出来なくても、私たちは共にあるのよ。」

 “マリア”の言葉にマリアは大人しくなる。緊張の糸が解れたよう眠りに落ちる。

 「・・・これが、最後。」

 マリアが起きないように、静かに“マリア”が離れた。緩やかな髪は大きく波打ち、切れ長の蒼い瞳が、僕を見据える。

 僕と、“マリア”が向かい合う。

 「・・・クリス。」

 「私は、“マリア”よ。」

 「知ってる。ここに来るまでに、教えてもらったから。君たちのことも・・・。」

 「そう・・・・・・。」

 どんな言葉をかければいいんだろう。クリスは、“マリア”として、最後まで在り続ける。それは、間もなく死んでしまうと言うこと。

 二人に会いたい。二人を、助けたい。そう思って、ここに来た。

 なのに、思い知らされた。僕がいかに無力なのかってことを。

 「ありがとう、ラン。」

 意外な、言葉だった。けど、すぐに分かった。無力な僕の、せめてもの気持ちを封じ込める言霊。優しく笑いかけながら、強かな心を持つ彼女らしい言葉。

 それが分かったとたん、僕の両目から今日何度目かという涙が流れる。

 「酷いよ、・・・あんた。」

 「分かってる。けど、他に言葉が浮かばなかったのよ。」

 光が強まる。

 緑の世界が白く染まる。雪の世界、天上の楽園を彷彿とする眩い白が、僕らを取り巻く。

 離れていく、分かれていく。

 マリアが消える。

 “マリア”が消えていく。

 僕は“マリア”に手を伸ばす。けれど、届かない。

 僕らの意識は近く、限りなく、遠く、離れていく―――




第四節


 「“マリア”・・・“マリア”ぁあああ!」

 しわがれ、取り乱した声。あれは、ダグワイヤーの声・・・。

 実験は、どうなったんだ?

 僕は、機械を斬りつけて、壊そうとしていた。

 そうしたら、緑の光に包まれて・・・“マリア”達に会った。

 「・・・“マリア”。」

 「気がついたか?」

 低く、よく通る声。聞き慣れた、ルウヤさんの声。

 暗いところだった。ここは、何所だろう・・・。さっきダグワイヤーが“マリア”と叫んでいた。実験をしていた部屋と、近いところかな。

 「実験・・・は?」

 全身が、寒い。起き上がるのが、やっとと言ったところだ。そうだ、ルウヤさんからもらった武器のせいか。右手を見る。数本のケーブルが埋め込まれた右手を。

 未だ握られた短剣からは、緋い光がほのかに揺らめいている。・・・どうやって、止めるんだっけ。分かんないや。

 突然血まみれの手が伸びた。細くて大きなその手は、僕の右手に食い込んだケーブルの一つを強引に引き抜いく。

 「あ・・・」

 シュルルと短い音を立て、ケーブルが一気に短剣へと戻っていく。刀身から緋い揺らめきが消え、ボロボロの錆びた剣だけが、今までのことを忘れたかのように僕の手の中で眠った。ケーブルを引き抜かれた僕の右手からは細く血の線が数本流れていく。

 ルウヤさんは、僕の脇にどっかりと腰をおとす。銃弾を浴びたところ、僕の治療に使って出来た傷から、赤黒い血の塊がぎらぎらと鈍い光を見せつけていた。

 「ランが操作盤を斬りつけたとたん、この部屋全体の電源が落ちた。あの女が電力を止めたのか、はたまたランがぶっ壊した機械がこの部屋の電力を止めたのか・・・わかんねぇや。けど、実験は中止された。」

 「じゃぁ、ここは・・・。」

 「実験していた部屋。」

 「そう・・・。」

 多分、気を失ってそう経っていないんだろう。すぐ近くにある操作盤からは、鼻を突く尖った臭いと微かに白い煙が昇っている。冷え込んだこの部屋でも、わずかに熱を覚えるのは、気のせいじゃなくて、操作盤から熱が上がっているから。

 眼は慣れている。暗がりのこの部屋でも、何がどこにあるのかよく見えた。壊れた操作盤。二つの寝台。横たわるクリス。床に落ちた、ダグワイヤーの銃。双子を外界からそれぞれ隔てるように設けられた透明な囲いは取り外され、床にその姿を晒している。

 ダグワイヤーがマリアのところで背中を曲げていた。小さな身体を抱きしめ、揺さぶり、愛する彼女の様子を確認しているんだ。

 マリアが、“マリア”となったか・・・実験の成否を確認しているんだ。

 ダグワイヤーの上半身からはみ出たマリアの頭が力なく前後に揺れる。

 //・・・トム・・・//

 蒼い瞳が薄く開いた。酷く衰弱した微かな声が、僕らの耳にも聞こえた。ダグワイヤーのファーストネームだ。あれは・・・“マリア”? それとも、マリア?

 ダグワイヤーは、さらに強く“マリア”を抱きしめる。

 あれは、“マリア”だ。彼が唯一大切に思っていた永年の恋人。彼女の意志に反して、実験は成功してしまったんだ。

 「そんな・・・・・・」

 つぶやきが漏れる。僕は、力の入らない両手を握りしめる。もしかしたら、僕が二人の間に入り込んだことによって、“マリア”のせめてもの抵抗が功を奏さなかったのかもしれない。実験が中止したことによって、通常とは違う環境になってしまったから、“マリア”とマリアの魂が入れ替わってしまったんだ。


 ―――・・・これが、無くなればいいんだ。―――


 何て単純な考えだったんだろう。何て浅はかな思い込みだったんだろう。そのせいで、僕はダグワイヤーの願いを叶えてしまったんだ。

 そっとルウヤさんが、丸まった僕の背をさする。

 「俺だってきっと、同じコトをしたぜ。・・・問題はこれからだ。」

 「でも・・・」

 どうしていいのか分からない。

 “マリア”は、まだ微睡んでいるのか視点がはっきりしていない。辛い実験を耐えてきたんだ。しばらくは身体を休めることになるだろう。

 問題は、クリスだ。いや、クリスの身体に入ってしまったマリアだ。

 彼女の今後を僕らでどうにか出来るんだろうか。その前に、ダグワイヤーが彼女を手渡してくれるんだろうか。今の彼女の容態は、彼女の意志は、どうなっているんだろうか。

 けれど、寝台の方を見てもマリアの姿は無かった。

 さっきまで横たわっていたのに、消えている。どうして。

 //・・・おとう・・・様・・・?//

 夢うつつの“マリア”が、ダグワイヤーに抱きしめられた“マリア”が、言った。“マリア”は、彼のことを父親じゃないと以前言っていた。どういうこと?

 マリアの記憶が彼女の身体に残っているから? ただの偶然?

 ダグワイヤーは、はっとして“マリア”を引きはがす。“マリア”は、やつれた顔で彼に満面な笑顔を見せる。子供らしいあどけない笑みを、愛する“お父様”に向ける。

 あぁ・・・

 //・・・ぁぁぁあぁあああああああ!?//

 願いを打ち砕かれた男の絶望が聞こえる。実験は、失敗していたんだ。

 でも、それが何になる? どちらかが瀕死の状態であることに代わりはないんだ。これで奇跡が起こって、“マリア”の病気が治るワケじゃない。僕らはこの先、どうすれば・・・。

 //私は、ここよ。・・・トム。//

 落ち着いた声音だった。その言葉を聞き終わったとたん、マリアを抱きしめていたダグワイヤーのこめかみから鮮血がほとばしった。

 笑顔を作るマリアの白い顔に赤い血が飛び散る。

 ダグワイヤーは、糸の切れた操り人形のように、上半身を寝台に叩きつけた。

 ずるずると、足が力なく床を滑っていく。

 “マリア”が、立っていた。

 緋い瞳を冷たく光らせ、細い片腕を掲げて小さな手には似つかわしくない大きな銃を持って、立っていた。

 強い意志を持つ、一人の少女として。

 //クリス・・・?//

 マリアが、蒼い瞳を見開いて“マリア”を見つめる。信じられないモノを見るように。

 急激に現実へと呼び覚まされたマリアは、口をぱくぱくと開ける。けれど、声が出ない。

 //行って、マリア。//

 ダグワイヤーに銃口の狙いを定めているクリスの言葉に、マリアは首を横に振る。懸命に否定する。

 //・・・行って。思うことで、私はあなたのすぐ近くにいられる。だから・・・・・・行って、マリア。//

 //出来ないわ。そんなこと・・・//

 //マリア・・・//

 //・・・何で。何でお父様にこんなコトするの? クリスが私になれば、何の問題もなかったのよ? なのに、何で!?//

 悲痛な言葉だった。

 初めてかもしれない。マリアが彼女にそんな言葉を浴びせることなんて、今までなかった。自分が犠牲になってもかまわないほどに、マリアにとって、ダグワイヤーは大きな存在だったんだ。そういう風に育てられてきたんだ。

 //罪を、重ねないため。・・・あなたは知らないけれど、私も、あなたも、トムも、沢山の罪をつくってしまった。私の命はもうすぐ終わる。せめて、愛し合ったトムと一緒に逝きたいの。//

 //なら、私も連れて行って! クリスが逝くんだったら、私も逝く!!//

 //ダメよ。//

 //何で!?//

 //あなたは生きて。あなたは真っ白で、純粋で、私たちみたいに汚れていない。何より罪深い存在でありながら、何より清い存在だもの。あなたは、生きなくてはいけないわ。・・・思うことで、たとえ触れ合うことが出来なくても、私はあなたとともにいるわ。だから、お願い。最期のこの時だけは、この人と一緒にいさせて。//

 緋い瞳はマリアを見つめる。変えることのない、確かな決意を秘めた彼女を引き留める言葉をマリアは持ってはいなかった。

 マリアは俯き、静かに僕たちの方へと歩いてくる。涙がポロポロと落ちていった。

 血まみれになったマリアの顔を、埃と泥でまみれてしまった僕の服でそっと拭う。

 “マリア”は倒れたダグワイヤーのところに行き、彼を抱きしめていた。

 //彼女を、お願い。//

 //・・・こんな状態だが、まぁ任せろ。//

 あぐらをかいたまま、ルウヤさんがバレバレのやせ我慢をする。

 //頼もしいわ。//

 ふっと、“マリア”の顔が大輪の花のようにほころんだ。


 //“マリア”・・・ですね。//

 冷たく、響く声が僕たちの中に割って入った。機械仕掛けの女の人、A-1。マリア達の管理人。

 廊下にいた彼女は、酷く傷ついていた。白い鋼鉄の肌は至る所がはげ、関節に見え隠れしていた光るケーブルも所々が断線し、青白い火花を飛ばしている。

 //彼らを外へ、連れて行ってください。//

 穏やかに落ち着いた“マリア”の声が女の人に向かう。ダグワイヤーと、この部屋の惨状を見た彼女はそのわずかの間に事の次第を把握したようだった。

 //かしこまりました。//

 “マリア”に向かい仰々しく一礼すると、彼女はルウヤさんの肩に手を回した。

 「立てますか?」

 「あぁ、わりぃな。」

 覚束ない足取りで、ルウヤさんは女の人と共に出口へと向かう。

 僕は俯くマリアの小さい手を握り、彼らの後に付いていった。


 振り返ると、小さくなっていく“マリア”が見えた。

彼女は愛おしむように、ダグワイヤーの亡骸に身体を合わせて、小さな唇を彼の口に重ねていく。

 これで、良かったんだろうか。僕には他に方法が思いつかない。

 けれどもしかしたら・・・。

 本当に、これで、良かったんだろうか。

 これで―――。



 出口へ向かう途中、女の人が杖を見つけ出してくれた。ルウヤさんがマスナとの戦いで無くしていた杖。

 杖は白い輝きを失うことなく、ルウヤさんの手に戻った。

 僕たちが入ってきた入り口はすでに塞がっていた。彼女は別に用意してあった非常口を案内してくれた。

 薄暗い通路を歩き、目の前に開けたのは行き止まり。円形の部屋だった。天井は高くその突き当たりは暗い闇に覆われ、見ることは出来ない。女の人はルウヤさんから離れ、壁に取り付けられたハンドルを回していく。

 光が、射す。

 夕方なのだろうか、茜色の眩い光が、部屋に射し込んだ。今まで薄暗い地下にいたせいか、光の弱まったこの斜光でさえ目が眩む。

 ここから、外へ出られるのか。けれど、どうやって登ればいいのだろう。

 見渡す限りでは、梯子とか、階段は見あたらない。

 「ここまでお膳立てすれば、もうよろしいでしょう?」

 「・・・え?」

 女の人はハンドルを回す手を止め、こっちに向き直った。

 「どうやってあそこまで行きゃいいんだ?」

 僕が抱いていた疑問をさらりとルウヤさんが口にする。

 赤い一つ目が、くるりと僕らを見つめる。

 いや、ルウヤさんの空色の瞳を見据える。

 “呪われた天使”の瞳を。

 「もう、帰れるでしょ?」

 「・・・・・・・・・」

 「研究所内での原因不明のハッキング。情報操作。・・・五百年前、“終末”が訪れる要因となった“EVE”の目覚めの時にも同じ事が起こっていました。彼女を目覚めさせた侵入者は、あなたと同じライトブルーの瞳を持った男。・・・あなたは、“呪われた天使”ですね?」

 一枚の緋い板はルウヤさんの姿をあっさりと暴く。

 彼女がその身体を失うこととなった張本人が目の前にいるというのに、その声音は依然感情を見せない冷ややかな響きを持っていた。

 「良く分かったな。」

 「“EVE”の眠る装置の技術要員をしていましたから。侵入者の噂は末端の私のところにも入っていましたよ。」

 ふっと彼女の語尾には、柔らかい笑いがうかがえた。懐かしい旧友に出会ったような、そんなしゃべり方を彼女はする。

 遠くから、通路を震わせる爆発音が聞こえた。

 彼女は事の事態に臆することなく、言葉を紡ぐ。

 「時間が来たようです。主、ダグワイヤーからの生体信号が途切れたことで、この設備も灰燼と帰すでしょう。有り余る力は無用の長物でしかない。この場所は、まだ公に知らせるわけにはいかないのです。」

 それは終焉。それは終末。

 その終末は、伝説の地下都市として後世に伝わるのだろう。

 「それが、『文明の希望』の意志か?」

 「あくまで、私とダグワイヤーの判断ですよ。組織はそんなところまで私たちを縛ってはいません。さぁ、早くしないとあなた方も瓦礫に埋もれてしまいますよ。」

 冷たい声じゃなくなっていた。人間らしい、喜怒哀楽がかいま見える声だった。

 白銀の翼が顕現する。

 ルウヤさんは、僕とマリアを引き寄せる。

 空色の大気が渦巻く。ちぎれた羽根が茜色の空に溶けていく。

 女の人は僕らから数歩後ずさった。

 「お前は、来ないのか?」

 「あの子達がおりますから。・・・せめて側にいてあげたいんです。」

 あの子達・・・カプセルに眠る“Kris”達のことか。彼女が長い年月手塩にかけてきた子供達。

 愛していたんだ。

 とても不器用に、現実から、自分から逃げ続けていながらも、彼女はあの出来損ないの命を繋ぎ止めていたかったのかもしれない。

 「本当に、いいのか?」

 「ええ、いいんです。」

 とても晴れやかな笑顔だった。からくりだらけの身体なのに、生身の人間を前にしているみたいだった。

 「分かった。」

 ルウヤさんの手が置かれた肩が、少し痛かった。彼の指が食い込んでいるんだ。

 僕たちを渦巻く風が更なる力を持って僕たちを巻き上げる。

 身体が崩れていく。

 冬の朝空の光に僕らは崩れ、砂粒に変わってここまで来た。

 今朝、雨の中で体験したモノを今再び味わうんだ。

 砂粒に変わり、僕らは消える。

 再びカタチを取り戻した時、僕らは空を漂い、森を抜け、村に帰る。

 茜色の光に決して溶け込むのではなく、僕らはここにあり続ける。姿を変えても、確かにある。確かに生きる。

 終わりを終えたこの世界で、


 僕らは形を持って生き続ける。



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