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月明かりの中に黒煙が上がる。ガソリンとゴムや樹脂の焦げる臭いが立ちのぼってきた。
・・・ここから少し上がった所に小さな集落がある。
静かな山村だから、ちょっとした異変に気付いた住民は、消防や警察に通報しているかもしれない。
俺は車道を避けて、林の中に入っていく。「俺が果たすべきこと」の遂行のため、第三者に目撃されるわけにはいかない。
満月の光のおかげで、懐中電灯がなくても歩けるのはありがたかったが、その分目撃されるリスクはある。
こんな時間に山中の林を歩く人間はいないと思うが、しんと静まった闇に物音は響くので、なるべく音を立てずに山を降りる。
植林されて20年ほど経った杉林は下草の手入れがされていて、走って抜けられるほどだったが、そこを過ぎると、手付かずの雑木林になった。
自分の背丈ほどの雑木の藪や、笹薮のため歩きづらい。ナラやクヌギ、栗やケヤキに混じってオニグルミが大きな葉を茂らせていた。
自然の林野は、木々たちが無音のせめぎ合いを呈している。全ての樹木が光を求め上へ上へと伸び、追随するものには葉の傘で光を遮断し、成長を許さない。
直径10cmほどの藤蔓が細い雑木を締め上げ、引き倒そうとしている姿は音のない格闘技のようだ。雪害に倒れたヤマザクラの枯れ木を乗り越えた時、短足な狸が慌てて逃げ出した。
・・・山には「けものみち」というものがある。
喰うものと喰われるものが昼に夜に歩き、植物が生える時間を与えないから、「みち」として形成されるのだ。
雨垂れが石を穿つように小さな生き物でも歩き続けるから、地山に平坦な「みち」が出来るのだ。
何十年も昔に人間が馬を引いて歩いていた道が朽ち果てたものは、今や獣の道路だ。
・・・月明かりで方向を確かめながら降りると、断崖のような所に出た。雑木の少ない場所に行くと、市街地の灯りが瞬くように見える。
腹の底からため息が出て、なぜか胸になにかが込みあげる。
夜景を眺めて感慨に耽る資格などない俺だが、しばらく動けずにいた。闇に瞬く光はどういうわけか、過去を思い出させる。
星にしても、人工的な灯りにしても。
吸っていたハイライトを土に埋めこみ、枯葉の地面から尻を上げ街を目指す。
「荒野をくだって、赤く灼けついたあの、荒野をくだって、街境のハイウェイを西へ」
いつかどこかで聴いたことのある歌のフレーズが、口をついて出た。
夜明けまでには降りられるだろう。