IV:L'Empereur / XIV:Temperance
「さてと。それじゃ、ちょっと占うか」
まるで何事もなかったかのように言いながら、佳菜は近くの座席につくと、唐突にカードの束を取り出した。
……80枚程あるだろうか。ぱっと見はトランプのようだ。
「ねえお姉ちゃん、トランプってそんなに枚数あったっけ?」
「トランプ……? ああ、これはカードじゃない。タロー……タロットだ」
言っている意味が分らないと言うように一瞬顔を顰めたが……すぐに理解したのか、彼女は友利の問いかけに答えた。
「僕が知る限りタロットカードって、22枚だけだと思っていたのですが」
「それは大アルカナって呼ばれる、寓意画の描かれている奴だ。そっちの方が有名だが、実際の枚数は大アルカナ22枚と小アルカナ56枚の合計78枚」
説明しつつ、佳菜は持っていたカードをテーブルの上に並べる。一番上の列は22枚、その下に続く4列は各々14枚。
「一番上は、よく知られてる大アルカナ。1から21までと0の、合わせて22枚」
「じゃ、この下の4列は? 見た感じトランプみたいだけど、なんか1枚ずつ多くないか?」
「こいつは小アルカナ。……カードによく似てるが、10と騎士……カードで言う所のジャックの間に、小姓、つまりページが入って1スート14枚だって事くらいだ」
「スートって何、お姉ちゃん?」
「スペードとかハートとか……そう言う『マーク』の事。言わないのか?」
トントンとカードに記されたマークを指で叩きつつ、友利の問いに返す。今、彼女の指し示しているマークは金貨らしい。一番下の列に並べられている。
「剣はスペード、聖杯はハート、棒はクラブ、そして金貨はダイヤって考えれば、分り易いだろ?」
「成程。それで佳菜さんは最初に僕と会った時に……」
「『Page de pentacles』は『金貨の小姓』って意味。ダイヤも金貨も、元は財宝を表すとされているから、つい、な」
にっこり笑って、新吾の言葉を継ぐ。それと同時に綺麗に並べていたカードをぐしゃぐしゃと交ぜてしまった。
「せっかく並べたのに何やってんだよ!?」
「……あのなあ承。俺はもともと占うつもりでこれを取り出したの。きちんと並べてたら意味ないだろ?」
呆れたように言いつつ、佳菜は手際よくカードを纏め、カシャカシャとシャッフル。口の中でブツブツと言いながら、上にある5枚を裏向きで十字型に並べた。
直後、彼女はゆっくりと瞑目し……ふぅと長く息を吐ききって後、それを1枚1枚めくっていった。
「……ああ、やっぱりな。『前進は虚しい。ふりだしへ戻れ』と来たか」
「やっぱりって……どういう意味だ?」
「元々知っていたんだ、奴の居場所。それが『ふりだし』……日本だって事も。それでも、ひょっとしたらと思ってついて来たけど……やっぱり、あの人達は動けないって事か」
皮肉気に言う承に、どこか悲しそうな顔をして答える。だが、その声にどこか少し安堵の色が混じっているように思えたのは、友利の気のせいだろうか。
その事には新吾も承も気付いているのだろうが……あえて問おうとはせず、どこか疲れたような溜息を吐き出すだけだった。
「まあ……ヴァンサンが偽者だった時点で、奴の居場所がデマじゃないかとは、何となく疑ってたけどさ。日本に戻るったって……今の俺達、完璧に不法入国者だぜ?」
思い出したように承が言った。
直接「吸血鬼がいるとされてる場所」……欧州へ行くつもりだったのだ。当然、この地……香港に滞在するためのビザはない。今までならば「組織」の力を借りてその辺は何とかなったのだが、トップが敵の手下であった事を考えると……しかもそのトップを殺してしまった事も含めると、「組織」の力を借りる事は困難である。
友利はともかくとして、佳菜達3人は完全な不法入国者だ。
それが理解できたのか、新吾の顔からはさっと血の気が失せ、承は困ったように苦笑を浮かべ、そして佳菜は……心底嫌そうに顔を顰めると、深い溜息を1つ吐き出した。
「……仕方ない。……あまりアイツの力は借りたくないんだけど、場合が場合だし」
「何かあてがあるんですか、佳菜さん?」
新吾に聞かれ、再び嫌そうな顔で肯く。
……それはもう、心の奥底から嫌そうに。
「ちょっと待って、電話するから」
何とも言え無い顔のまま、佳菜は懐から取り出した携帯電話でどこかにかけはじめる。しばらく後、相手方につながったらしいが……その口から漏れるのは、明らかに日本語ではない別の言語。
「……よくまあ、あの状況下で無事だったな、あいつの携帯」
「僕達の物は最初の小型機墜落時にブチ壊れましたからね」
「……て言うかよく生きてたね、墜落して」
事情を知らない友利が、ちょっとだけ退きつつ言う。何をどうすれば、小型機墜落などと言う事になるのか。と言うか、「奴」とか「能力」とか一体何なのか。
分らない事だらけだが、今はこの面々に付いて行くしかないと言う事は分っているだけに、それ以上は口にしない。
案外と、渡世術に長けたお子様なのかも知れない。
「そう言や友利、何でお前ここにいるんだ? 親とかどうした?」
「んっと……僕のお母さんはとっくに亡くなってて、お父さんは家出中。僕はお父さんを探した旅の最中だったんだけど……」
「巻き込まれた、って事か。……旅行資金はどうしてるんだよ?」
「ああ、それは援助してくれる人がいるから」
飄々とした雰囲気で言う友利に、承も新吾も心底感心する。子供でありながら、どことなくシビアな印象も受ける。彼もまた、佳菜と同じく「謎多き存在」だ。
それとほぼ同時に、佳菜はこれまでで最高に嫌そうな顔のまま電話を切った。
「連絡が取れた。……明日には来るってさ。……あンのド変態」
「……凄い言い様だね」
「嫌いな方なんですか?」
その問いかけに、彼女はただ苦笑するだけだった。
さしたる襲撃もないまま翌日を迎え、佳菜達は指定された場所……港へやってきた。
廃港なのだろうか。彼ら以外に人の姿は見当たらない。
時々、思い出したようにみゃあみゃあと海鳥の鳴き声が響く程度だ。
「港、と言う事は海路で日本へ?」
「らしいな。あいつの指示だけど」
他愛の無い会話をしながら、来るはずであろう人物を待つ。
緊張気味の男2人と、心底楽しそうなお子様1人、そして最高潮に不機嫌な顔の女1人。端から見れば、実に奇妙な取り合わせに見えるだろうが、不自然にもこの港には彼ら以外には誰もいない。
「……お姉ちゃん、そんなにその人に会いたくないの?」
「出来る事なら居場所すら知られたくない」
「そこまでなんだ」
よっぽど嫌いなのかなと思い、それ以上の事は聞かない。何となく聞いてはいけないような……と言うか、「聞くな」と言うオーラが佳菜の体から立ち上っているのが目に見えた。
頭痛でもしているのか、こめかみをきつく押さえているのも、大きな要因だろう。
「時間的にはそろそろなんだ……が…………」
話しかけ、そして嫌そうな表情を崩しもせず。言いかけた佳菜の声が、困惑気に止まる。
理由は実に単純明快。
ざぶわっと言う音を立てながら眼前の海が競り上がり、現れたのはイメージしていたような船ではなく黒に近い……濃い緑色の潜水艦。それだけでも充分驚きに値すると言うのに、更に驚くべき事に浮かび上がってきたばかりの潜水艦の甲板には、何故か仁王立ちになっている男が1人。つい先程まで海の中にいたにも関わらず、濡れている様子は全く無い。
ピシッと整えられた金髪に、タキシードをきっちりと着こなした、20代半ばくらいの青年である。見た目は好青年なのに、登場シーンのインパクトの大きさが「好青年」と言う印象を完全にぶち壊していた。
「お呼びにより、馳せ参じましてございます」
「……チッ。来やがったな、この変態」
「いや、変態とかそれ以前の問題では?」
「海の中から現れやがったし」
「て言うか潜水艦で出迎えって」
口々に感想を述べている間に、青年は高らかに笑いながら華麗な動きで甲板から飛び降り、くるりと宙で一回転した後、軽やかな足音を立てて着地する。
「お久し振りでございますな。いやはや、まさかお嬢様から連絡を頂けるとは。この爺、感謝感激雨霰でございます」
「爺!?」
「って、お嬢様!? 佳菜が!?」
彼の台詞に承と新吾がそれぞれ驚きの声を上げる。友利の方はあまりの驚きに声も出ないらしい。そして言われた本人……佳菜はと言うと、今までの中で最も深い溜息を吐く。
声には出さなかったが、その口ははっきりと「ウゼェ」の三文字を形作っていた。
それすらも気付いていないのか、はたまた気付いていて無視を決め込んでいるのか。青年は佳菜に向かって恭しい態度で頭を下げ……
「お嬢様! 溜息をつくと幸せが逃げますぞ! ほら! 吸って吸って!」
「……誰のせいだ、だ・れ・の」
あからさまな言葉の怒気にも怖気付く事なく、自らを「爺」と呼んだ彼は佳菜の後ろに立つ3人に気付くと、彼らの方に向き直り、優雅な仕草で一礼する。
その仕草は、酷く洗練されたもので……それだけみれば、良家の使用人に見えなくもない。
とは言え、彼のそれまでの言動やら彼の言う「お嬢様」の事を考えても、「真っ当な良家の使用人」ではないと思う。
ちなみに、「真っ当な使用人」、「真っ当な良家」、両方有り得なさそうだと新吾が思った事を、この場に追記しておこう。
「私とした事が、己の紹介が遅れましたな。私、カナ様に仕える執事。名をアラン・ツェペシュと申します。以後、お見知りおきの程を」
「は、はあ」
「よろしく」
「はじめまして」
アランにつられた様に3人も各々頭を下げて一礼を返す。
それを不快そうに佳菜は見つめていたが、話が進まないとわかっているのだろう。ギロリと睨みつけるように自身の執事を見つめ、皆が抱えているであろう問いを投げた。
「……で、アラン。何でわざわざ潜水艦?」
「理由は種々ございますが……最大の理由と致しましては、潜水艦ならば侵入が困難であると言う点がございます。何せ敵は小型機を落とすような方との事。普通の船にすると侵入し放題。散々ドンパチやらかした後、沈められるのがオチです」
「まあ、確かに正論ですね」
確かに。「組織」その物が敵の手に落ちていたとは言え、相手は操縦士を消失させる事で乗ってきた小型機を墜落させようとしていた。
あの時は運よく佳菜が不時着させたが、次も上手く行くとは限らない。まして海路は空路よりも時間がかかる。船に乗って、途中で沈められたら……正直、手の打ちようがない。泳ぐにしろ、救命ボートを使うにしろ、海のど真ん中に放り出されればほぼ確実に死が待っている。
そう言った意味なら、目立たぬ海底を進んだ方がいいのだろう。案外と潜水艦と言う選択肢は良いのかも知れない。
成程、と新吾は納得し、アランの顔を見やる。
それに気付いたのか、アランはきゅっとその顔に真剣な色を宿し……
「どうせ沈められるならば、最初から沈んでいる方が、効率がよろしいでしょう」
「そこかよ!」
「沈められるの前提!?」
真顔でさらりと物言う執事に、思わずつっこむ承と友利。新吾に到ってはあまりの一言にずるりと滑る。
佳菜は慣れているのか、はたまた疲れただけなのか、とにかく彼の言葉に何も返さない。……ただ、不快そうな顔のまま頭を押さえてはいたが。
「だってそうでしょう? ここにも勝手に付いてきた方がいらっしゃるようですし」
――何?――
4人が疑問の声を上げる間も与えず。アランは大きく上へと飛び上がりながら左手を振って何かを撒いた。
降ってきた「それ」が砂だと、最初に気付いたのは承だった。
「何で砂……?」
「何しろ、ここには砂がありませんでしたもので」
にこやか笑顔のまま、空中で着地の体勢を整えつつもアランは承の呟きに答える。
同時に彼がばら撒いたらしい砂粒は、まるで意思を持っているかのように1箇所に集まり、佳菜の眼前で巨大な杭となった。
「さて。それでは、避けて下さいね、お嬢様!」
それが完全に出来上がるや否や、凄まじい速さで串刺しにせんとばかりに佳菜につっこんでいく。
が、あらかじめ声をかけられていたためだろう。佳菜は自分の体に突き刺さる寸前で身を屈め、その杭を避ける。
標的を失ったそれは、速度を増して直進し……佳菜の頭上を越えた辺りで唐突に2つに分裂。更に少し進んだ所で、見えない何かに突き刺さった。
「えっ?」
「何かあるのか、あそこ!?」
空中で止まっている砂の杭を見て、アランと佳菜を除く面々は声を上げる。が、それよりもアランの動きの方が早かった。
「ふむ。周囲の景色と同化し、ひっそりと相手に近付いて殺す。特殊系能力者の『節制』ですな。しかし……」
杭の止まった場所に、まるで誰かがいるかのごとく話しかけ、杭と杭の間を思い切り蹴り上げる。
直後に響くガチンと言う音。そして低い呻き声と、宙を舞う微かな血。そして先程の蹴りで気を失ったのか、何も無かったはずのそこには、杭で両肩を貫かれ、白目を剥いてぐったりと俯いている1人の中年男性がいた。
「……私の目は誤魔化せませんでしたな」
にこやかな笑みのまま、佳菜に「変態」と呼ばれた執事は男に言った。
一応、息はしているようだが……口と鼻から血をダバダバ流している所を見ると、軽症とは言い難そうに見える。
「所詮『節制』では、『皇帝』を縛る事はできないのですよ」
優雅に一礼するアラン・ツェペシュの声に反応するように、杭を形成していた砂はざらりと崩れ、彼の手元の小瓶へと帰っていく。
「……手加減してやれよ。お前、人と比べて馬鹿力なんだから」
「手加減はしましたよ、お嬢様。……足加減が出来なかっただけです」
「ああ言えばこう言う……っ!」
ズキズキと痛む頭を押さえつつ、佳菜はただ、己の執事を睨み付けるだけであった……
*
「大アルカナ2番、5番、14番、18番。脱落です」
「うーん……まあ、彼らはあまり役に立たなかったし、処分の手間が省けたと思えば良いかな」
洋館の中、佇む女……優樹の報告に、少しだけ困ったような顔をしながら「吸血鬼」と呼ばれる存在……ルカナンが言う。
……優樹もルカナンも日の光も恐れる事の無い吸血鬼だが、この館から出る事は叶わない。今から10年程前に施された、血の封印によって。
故に情報は彼らのもつ監視衛星と、彼らの生み出した下僕たる小動物からの報告で入手している。
「そうはおっしゃいますが、18番の離脱は経済的には大きな損失かと。なお、相手は日本に戻ってくるつもりようです」
「おや? おかしいな。確かトランシルバニアに置いておいた影の方に向かっているはずじゃあなかったのかい?」
「要因は不明です。18番が情報を漏らした事も考えられますが……」
「彼は良くも悪くもビジネスを第一に考えている。我々が提示した金額以上の金額が動かない限り、契約事項の『情報秘匿』は守られているはずだよ」
「では……」
「どうやら、我々の事を詳しく知っている人物が動いているようだね。……非常に悲しい事ではあるが」
優雅に紅茶を飲み干し、ルカナンは物憂げに溜息を吐く。
「あら? 溜息を吐くと幸福が逃げますわ」
「おっとそうだった。今すぐ吸わないとね」
どこかで聞いたような事を言いつつ、2人は声を上げて笑う。吐き出した溜息とは真逆の、心底楽しげな笑いを。
「……そうだな。次は、3番に行ってもらおうか」
「承知致しました。では、そのように手配いたします」
そう言うと、優樹の姿は闇に消える。
消えた彼女を見送り……そして再び窓辺に視線を向け、ルカナンは小さく吐き出した。
「久し振りに……楽しい事になりそうだ。そう思わないかい?」
最後に、誰かの名を口にする。だが、その声は小さすぎて誰にも聞きとめられる事無く、空気に溶けて消えて行ったのであった。
IV:L'Empereur
タロットカード大アルカナの4番。和名は「皇帝」または「帝王」。
正位置……実行、発展、統治。
逆位置……防御、堅固(転じて頑固)、同盟。
作中ではアラン・ツェペシュ。
砂を自由自在に操る「操作系能力者」。
なお、操作化系能力によって操作されている物(今回の場合は砂)は、実在する物であるため、一般人にも見える。
XIV:Temperance
タロットカード大アルカナの14番。和名は「節制」。
正位置……調整、中庸、勉学や芸術、超自然に対して造詣が深い。
逆位置……倹約、管理、馬鹿馬鹿しい事を承知でやる。
作中では「中年の男」。名前は無い。
自分の体表面を周囲の風景と同化させる「特殊系能力者」。
感覚的にはカメレオンの完璧版、一般人にも能力発動中は彼の姿を捉える事はほぼ不可能。上述のように表面を風景と同化させているだけ為、「存在している」事には変わらない。(洋画の「インビジブル」みたいな感じ)