XVII:L'etoire
葡央と名乗った「ナイフ使い」が完全に消えた事を確認すると、佳菜は口元に浮かんでいた笑みを消し……そして、彼女の前に転がる「空間使い」へと視線を落とす。
その視線をあえて表現するなら冷たい……「呆れたような視線」とでも言うべきだろうか。彼女は眉間に皺を寄せ、あからさまに呆れの溜息を吐き出すと……倒れている「空間使い」に向かって、これまた心底呆れ果てた声で言葉を紡いだ。
「で、いつまで死んだフリしているつもりだ、ユエ。本当に刺されたいなら刺すけど?」
――死んだフリ……?――
佳菜の言葉の意味を汲みきれず、思わず承は佳菜と同じ様に眉間に皺を寄せて、彼女と同じ存在を見やる。
背中に突き立ったナイフ。そこを中心に、赤黒い染みがじわじわと広がっている。瞬き1つしないその男の姿は、どう見ても遺体だ。そうとしか思えない。
だが……次の瞬間。その「遺体」はくるりとこちらに顔を向けると、むくりとその身を起こし、体に付いた土埃を叩く。
まるで、何事も無かったかのように。
「うっわ、何でそんな元気!?」
「と言うか……ナイフ、刺さっていますよね!?」
「いや、私には刺さっていない。これはセイレーンの用意した玩具だ」
2人の声に答えながら、背に刺さっていたはずのナイフを「引き離す」と、「空間使い」……ユエと呼ばれている男は、自分の背中と刺さっていたように見えていたそれを承達に見せる。
男の背中には傷どころか服に破れ目すら入っていない。おまけに、ジワリと滲む赤黒い染みからは、微かにアルコールのような香りが漂っている。
「刺さっていたナイフ」も、柄はあるが刃は無い。
ナイフの柄を、背中に乗せていただけなのだと気付くと、承と新吾は一気に脱力したように大きな溜息を吐き出した。
正直な話をするならば、承も新吾も人の死を見たいとは思わない。無論、誰も彼もを生かし、更生させるなど無理な話だと言う事は分っている。そして、生かしておけないと思える存在が、この世にいると言う事も。
しかし安堵する2人をよそに、佳菜の方はより一層冷たい視線をユエに向け……
「…………その名前て呼んだら殺すって言ったよな、ユエ」
「ちょっと待て。セイレーンって……海魔女の事、だよな? ひょっとして佳菜は……人にあらざる者、なのか?」
ようやくそこで、ユエが佳菜をセイレーンと呼んでいた事に気付いたのだろう。承は不思議そうに首を傾げながら、そう問いかけた。
セイレーン。海魔女とも呼ばれる、海に住まう異形の一種。上半身が女性で、下半身は鳥。その美しい歌声で船を惑わし、沈めるとされている。なお、セイレーンは「サイレン」とも呼ばれ、「彼女達の歌声が聞こえたら警戒する」と言う意味を込めて警笛を意味する「サイレン」の語源となったとも言われる。
某有名コーヒーショップでは、「セイレーンの歌声のように、客が惹かれてくれますように」と言う意味を込めて、「サイレン」が看板として掲げられている程だ。
しかし……佳菜の足は鳥などでは無い。人にあらざる者には思えないのだが……
「安心しろ、そいつは人間だ。『セイレーン』と言うのは、源氏名だと思えばいい」
「げ、源氏っ……あ、いや、完全に否定しきれないけど、何かいかがわしい感じがする……っ! せめてペンネームとか……」
承の言葉に返したのは、佳菜ではなくユエ。
源氏名と言っていたが、どちらかと言えば佳菜の言う通りペンネームとか芸名とか、そんな感じの物なのだろう。
ホステス業は、彼女には向いていない気がする。
とは言え、彼女に謎が多いのは確かで……
そこまで思った時、はたと気付く。
……何で今、敵であるはずのユエと、こんなに仲良く喋っているのだろうか、と。
思い出し、一瞬にして警戒態勢に入った承と新吾。しかしユエの方は、特にこれと言った感情を見せず……
「案ずるな、今は敵では無い」
「何ですって?」
「私と御方の関係は主従ではなく、あくまで雇い主と従業員のような物に過ぎない。そして、給金に見合う仕事をするのが私のモットーだ」
「なら、余計にあんたは仕事として……」
「そのつもりだったが、相手がセイレーンとなると話は別。貰っている給金では安すぎる」
それだけ言うと、話は終わったと言うかの様に、ユエはくるりと踵を返す。
どうやら、さっさと帰るつもりらしい。
「お、おい! 待てよ!」
「私の行動を縛りたければ、金を積め。私は金で動く」
承の静止も聞かず、ユエはそれだけ言うと……ひらりと手を振ってその姿を消した。
恐らく、彼の能力である異空間へとその身を潜め、彼らの視界から消えたように演出したのだろう。敵……「吸血鬼」に消される時とは、明らかに消え方が異なっていた。
「ちっ。逃げたか、あの守銭奴」
ポツリと、そして忌々しげに佳菜が呟きを落とす。
顔見知りである、と言うのは分る。そして恐らく、それは彼女の「仕事関係」なのだろうが……問題はその「仕事」の中身。
吸血鬼にいくらで雇われたのかは知らないが、その金額では割に合わないと評した事を考えると……彼は、知っていたのだ。佳菜の、戦闘における実力を。と言う事は……佳菜の「仕事」は。少なくとも何らかの形で「戦い」が必要になる職業と言う事だ。
――一体、何だ? 佳菜の「仕事」って――
もやもやと考え込みそうになった……その刹那だった。誰も動かぬはずのその店の奥で、鈴の音に似た小さな音がしたのは。
――誰か、いるようですね――
緩みかけた緊張の糸を再び張り、3人は警戒しつつも音のした方を振り返る。
しかし、誰の姿も無い。ひょっとすると近くにまだユエがいて、異空間から何かしらの干渉をしでかしたのかもしれない。
そんな風にも考えられたのだが……それにしては、妙だ。音が一定の間隔で……だが、全くバラバラの場所でなり続けている。
時に近く、そして時に遠く。リンリンと鳴る鈴は、まるでこちらを混乱させようとしているかのような印象さえ抱かせる。
――おいおい、また敵か?――
一難去ってまた一難と言う奴だろうか。苛立たしげに小さく舌打ちをしながら、承がそう思った、まさにその瞬間。
鈴の音が、彼らの眼前から聞こえた。それと同時に、その音の主の姿もまた、唐突に彼らの眼前に現れたのだ。
その顔に、怯えの色をはっきりと浮かべている……小学校高学年くらいと思しき少年が。
「ちょっ……待て、子供?」
「ふ……ふえぇぇぇぇっ!? やだやだやだ! 助けて、この人誘拐魔ぁぁぁぁぁっ! 香港で誘拐とか殺人とか嫌だぁぁぁぁぁっ!」
「落ち着け! 誰が誘拐魔だ、誰が! つか、え、ここって香港なのか!?」
反射的に少年の腕を承が掴む。しかしそれがいけなかったのか、少年は号泣しながら周囲に助けを呼ぶ。
それに対し、承は彼の腕を掴んだまま少年の声に掻き消されないよう、自身も声を張り上げてツッコミとボケを入れた。
……とは言え、流石に周囲に亡骸が転がっている挙句、そんな中で生きているのは自分達だけ、おまけに問答無用で腕を掴んでいるのならば、殺人犯にも誘拐魔にも見えると言うものだろう。
慌てて承は少年の腕を離すと、彼を安心させる為なのか、敵意は無いと言わんばかりにその両手を挙げ、出来る限り優しく声をかける。
「大丈夫か坊主? どこにも怪我はないか?」
「怪我は無いけど、でも……何でさっき、ナイフが降って来たの!? あれ、夢?」
恐々と周囲を見ながら、少年は倒れている人々に視線を向け……そして、気持ち悪そうに口元を押さえ、顔を思い切り歪めると、怯えきった顔で……しかし、敵意を剥き出しにして、承達を睨みつけた。
「お兄ちゃん達が、あのナイフで殺したの……?」
「俺らじゃないって言っても、この状況じゃ信用できない、よなぁ……」
「その前に潮原君、お願いですから気付いて下さい。彼の言葉を聞くと……先程のナイフ、見えていたようですよ?」
そう。先程から少年は、「ナイフ」と言う単語を発している。
しかし実際に「降って来たナイフ」は、具現化された能力に過ぎない。それが見えるのは、能力者だけ。
と言う事は、つまり……
「お前……能力者?」
ぎょっと目を見開き、思わず少年の肩を掴もうとする承に怯えたのか。少年は思い切り承の体を突き飛ばし……
「うわぁ! 来ないで! 人殺し!」
涙ながらに叫んだ、瞬間。少年の持っていた鞄についている鈴が鳴り、少年の体が視界から消えた。それと同時に、少年は佳菜の後ろに姿を現す。
――これは……瞬間移動!?――
「え、ええっ!? ……何で、何で僕ここにいるの!?」
自分が瞬間移動したと言う自覚がないらしく、少年は泣きじゃくりながら叫ぶ。完全にパニックに陥っているのだと気付くと、佳菜はぽんぽんと少年の頭を軽く撫でた。
少年はその行為にびくつき、逃げようとするが……彼女の浮かべる苦笑めいた笑みに、敵意を感じ取る事が出来なかったのか、それとも逃げても無駄だと思ったのか。
うう、と低く唸りながら、佳菜達を見上げた。
「お姉ちゃん達……誰? 何者、なの?」
「俺は佳菜。浜名佳菜。で、さっき君に近付いて来た目付きと柄が悪いのは潮原承で、こっちの眼鏡かけたインテリ風が鷹塔新吾。君は?」
「……ゆうり。冥王友利」
「……メイオウ? どんな字?」
「もう無いけど……『冥王星』の冥王。ゆうりは『友達の権利』って書いて、友利」
「へえ、変わった名前だな」
「よく、言われる」
まだ少しびくつきつつも、友利と名乗った少年は大人しく佳菜の質問に答えていく。
どういった心境の変化なのかはわからない。しかし少なくとも、「脅されて渋々」と言った雰囲気では無い。
「俺達は、お前を殺さない。ちょっと……どころか、かなり怪しいかもしれないけど、それは約束する」
「佳菜いわく、『希望の使者』だからな、俺達」
「希望の……使者? 正義の味方じゃなくて?」
「『正義の味方』程、僕達はうまく立ち回れません。あんなに綺麗に理想を遂行する事はできませんから」
いつか……佳菜に出会ってすぐ位に言われた言葉を口にし、承と新吾も困ったような笑みで友利に言葉をかけた。
正義の味方のように、誰も傷つけずに己の理想を遂行する事はできない。それに、正義は立場によって変わると言う事も、承達は知っている。
だからこそ、「正義の味方」などと自称する気は無い。あくまで自分達は……出来うる限りの「希望」をもたらす存在でありたいと、そう願う。
願うからこそ……佳菜が言っていた、「希望の使者」と言う呼び名を使うのだ。
そんな彼らを観察するように、再び友利はじっと3人を見つめ……やがて、その口元に柔らかい笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん達って、変なの。でも……そう言うの、結構好きかも」
「変で悪かったな、『プルート』」
「え? 何それ?」
「『冥王星』なんだろ? だから『プルート』」
友利の頭をやや乱暴に撫で、彼の顔を覗き込むようにしながら言う承。
それは、彼なりの愛情表現なのか。しかし唐突に「プルート」と呼ばれても、友利にはどう反応すればいいのか分らないと言うのが現状。
困惑気味に、残る2人を見つめ……口を開いたのは、同じく困ったように口の端を歪める新吾の方だった。
「全く。勝手に他人の能力の名付け親になるのは、どうかと思いますよ?」
「悪いかよ。多分、こいつ自分の能力の自覚、無いぜ?」
「能力……? 何、それ?」
「人より、少しだけ特異な力の事を、総じてそう呼びます。友利君の場合、瞬間移動能力の事ですね」
「……僕、瞬間移動できるの?」
「実際やってのけたんだ。今はまだ、暴走気味だけどな。きちんと使いこなせるように、その内俺らが特訓してやるよ」
初めて知る衝撃の事実に呆然とする友利をよそに、2人の男は本人の意思そっちのけで話を進めていく。
――押し付けがましい――
1人、佳菜はこめかみを押さえながら……やはり困ったような笑みを浮かべて、友利の顔を覗き込んだのであった。
XVII:L'etoire
タロットカード大アルカナの17番。和名は「星」。
正位置……先に対して明るい見通しがつく、道が開ける、希望
逆位置……物事に飽きて放棄する
作中では冥王友利。
瞬間移動と言う「特殊系能力者」。
彼の視界の範囲内ならば、どこにでも瞬間移動が出来る。能力名としては「プルート」(承命名)。現在は本人の自己防衛反応として発現しているため、自分すらもどこに出てしまうのか分らない状態。訓練次第では、自在に行き来できるが、攻撃には向いていない。