V:Le Pape / XVIII:La Lune
マシンガン使いの女を倒した物の、周囲の景色が一向に変わらないのを受け、佳菜はゆっくりと周囲を見回した。
――空間の特性なのか……気配が乱反射してるな――
空間のいたるところから気配を感じ取っているのか、佳菜はふう、と1つ溜息を吐き出す。
彼女は、それまでの経歴上、人の気配に敏感である。少なくとも彼女自身はそう思っているし、その認識はあながち間違ってはいないだろう。
ただ……今回のように、その気配が散乱しているとなると、逆にその鋭敏な感覚が仇になる。360度を囲まれているような錯覚に陥り、一瞬たりとも気が抜けない。
――参ったな。このまま長期戦に突入されたら、消耗するぞ――
はぁ、と溜息を吐き出しながら、それでも彼女はどこか心に余裕でもあるのか、呑気にそんな事を思う。
動かなければ体力は消耗しない。むしろ精神力の消耗の方が大きいだろう。
そう思い、金色のナイフを手の中で玩び始めたその瞬間。
白一色の空間だったそこに、滲み出るようにしてナイフ使いとは異なる男が現れた。恐らく、その人物こそがこの空間を作り出している張本人なのだろう。
そう思って目を凝らし……そして、彼の顔を見た瞬間、佳菜はうんざりしたようにその綺麗な顔を嫌そうに歪めた。
「ああ……アンタだったんだ、この空間を作ってたの。道理でこの乱反射する気配に覚えがあった訳だ」
「……半年ぶりか」
「出来れば、アンタとは会いたくなかったな」
「私も、こんな形では会いたくないと思っていた」
顔見知りなのか、2人は随分と気安い……それでいて互いをきちんと「敵」と認識していると分る空気を生み出しながら、最初の距離を崩さない。
「まさか、アンタがあの人の部下をやってるとは、思ってなかった」
「一応断っておくが、部下ではない。俺はただの協力者だ。御方からの依頼は、結構な金になる、だから手伝う。それだけだ」
「……それで? 俺を、始末するって言うのか?」
淡々と答える相手に対し、彼女は真っ直ぐに金色のナイフの刃先を向け、口の端を歪めて問いかける。刹那、相手は彼女から流れる空気が一気に氷点下まで下がったような錯覚に陥り、半歩だけ後ずさる。
彼は、知っているのだ。彼女の凶悪さと、残忍さを。
共に旅をしている仲間達には「伸びやかなお嬢さん」と言う一面しか見せていないようだが、それは大きな勘違いだ。
彼の知る「浜名佳菜」と言う存在は、誰よりも冷酷で凶悪。恐れるべきは彼女の持つ「能力」だけではなく身体能力の高さも警戒の対象なのだ。
だからこそ、彼は思う。
……今回の仕事は、割に合わないと。
他の2人を相手取ると言うのなら、まだ充分すぎる額を貰っていると豪語できた。しかし、そこに彼女が加わっただけで、今回の仕事はハイリスクローリターン。下手をすると己の命すらも落としかねない。
少しの時間逡巡し、そして彼は……
*
「さて。女の方は僕の相方が相手しているとして。君達の相手は僕だ」
佳菜が「女教皇」と戦っている頃、承と新吾はナイフ使いと対峙していた。
「あらかじめ言っておくよ。僕の能力は具現化系。わかっていると思うけど、このナイフその物が僕の能力だ」
「わざわざ自分の能力を明かすとは、余程自分の腕に自身がおありなんですね。……一般市民を巻き込んでも良いと言う傲慢に囚われている程に」
男の声に答えるように、何も無い空間から生まれ出たナイフに目を向けながら、新吾が低く……怒気を含んだ声で言葉を返す。
新吾自身の能力に対する認識は、「誰かを守るためのちょっとした力」と言う程度の物だ。だからこそ、「力を持たぬ者」を巻き込む事を何よりも嫌っている。
しかし……目の前に立つ男の考え方は違う。力なき者は自分達に搾取されて当然と言う思い上がりがある。だからこそ、「新吾達を殺す」と言う目的を果たす為に、他の者達も巻き添えにしたのだ。
「おやあ? 君、ひょっとして『正義の味方』を気取っている人なのかなあ?」
「だったら……どうだと言うんです!」
ほんの少し、怒気の混じった……しかし根本的にはこちらを馬鹿にしているような声で言った男に対し、新吾は「ダイヤ」を相手の目の前に出現させ、そのまま勢い良く殴りつける。
……いや、殴りつけたつもりだった。しかし確実に当たっていたはずのその拳は、相手の体をすり抜け、大きく宙を切るに留まった。
「え……っ!?」
「鷹塔、走れ!」
何が起こったのかわからず、呆けた声を上げた新吾に、何かに気付いたらしい承が吠える。その意味を汲みきれてはいないのだが、彼は条件反射のように慌てて左に向かって走る。直後、彼の右頬を後ろから来た何かが掠めた。
何かなど、この状況下では決まりきっている。……相手のナイフ以外ありえない。
「流石、7番が目をつけただけある。反応が敏いね、2人とも。今のは……ちょっと悔しいかな?」
「いつの間に後ろに!」
ナイフによって切られた頬から、うっすらと流れる自身の血を拭いながら、新吾は後ろに回っていた男に向かって驚愕の声を上げた。
一方の男の方は、こちらを小ばかにしたような笑みを浮かべ、パチパチと拍手すら送っている。
――どういう事だ? まさか瞬間移動でもしたのか?――
否、それは無い。
自分の心の内の問いに、間髪入れずやはり心の内で否定する。自分が殴りつけた「相手の体」ははっきりと見えていた。それなのに完全に通り抜けたと言う事実。瞬間移動による残像、と言う点も考えられなくは無いのだが……
「『1人につき2種類以上の能力を持つ』って言う、滅多に無いパターンだと思いますか?」
「いいや。佳菜とこいつの仲間がいなくなっちまった事も考えると……もう1人、どっかに隠れてるって考える方が現実的じゃないか? それも多分、幻覚を見せるタイプとかその辺の、な」
「ですね」
言いながら、2人は男を睨みつける。とは言え、睨んだ先に本当にその男がいるのかどうかは不明だが。
そんな彼らのやり取りに、男は楽しそうにクスリと笑い……
「へぇ? 状況の判断能力も良い。御方の下僕になれば、なかなか良い働きをしそうだけど……」
「吸血鬼の下で働くなど、お断りです」
「まして世界を崩壊させようとしてる奴になんか、な。少なくとも俺は、今の生活が気に入ってるし」
「……ま、そう言うと思ったよ。『正義の味方気取り』の君達が、この話に乗ってくるとは思っていないしね」
顔は笑っているのに、声は底冷えする程の冷たさを持って。男は言い放つと同時に、パチンと軽く指を鳴らす。それが合図になったのだろう。新吾がよけたはずのナイフが、ふわりと宙に浮き、2人めがけて襲いかかった。
「うっわ! そんなんアリか!?」
「そのナイフは僕が具現化させた『能力』なんだから、自在に操れて当然だろう?」
承の苦情に律儀に答えながら、男はまるで指揮者のように指を振り、ナイフも正確にその指の動きについていく。
具現化させた能力は、己の意思で自由に動かせる。それは、同じ具現化系の能力者である承もよく分っている。
分ってはいるのだが……
「何かスッゲー卑怯じゃねえか、それ!」
「って言うか君も具現化系能力者なんですから、あれくらいできるでしょう!?」
「できるけど、自由に動かそうと思ったらかなり集中しなきゃいけないんだよ! この状況で集中なんか出来るか!」
「ちっ。……君って本当に使えない人ですねえ」
「舌打ち付きでしみじみ言うなよ! つーか殴るしか能のないお前に言われたかねぇっ!」
「……この状況下で喧嘩ができるって言うのは大した物だけど……自分の置かれている状況、そろそろ把握してもらおうか?」
ぎゃあぎゃあと緊張感の欠片も無く……しかし飛んでくるナイフをひらひらとかわす2人に苛立ったのだろうか。苦笑混じりに放たれた男の言葉で、ようやく気付2人は気付いた。
自分達の周囲360度が、男の能力であるナイフに完全に包囲されている事に。それも、横だけでなく上までびっしりと数多のナイフが彼らを貫かんとスタンバイしているのだ。
「……うわぁおう。逃げ場皆無じゃねーか」
「ねえ潮原君、僕の盾になる気ありません?」
「お前、そのすぐに相棒を売る癖、何とかならないか?」
ここまで来てもなお軽口を叩き合う2人に堪忍袋の緒が切れたのだろうか。男は顔に浮かべていた笑みを更に深めると、ナイフ達に無言の指示を出す。
即ち……刺され、と。
その命令に反応し、ナイフは2人の体に向かって降り注ぐ。上下左右どこにも逃げ場の無い2人には、満遍なく刺さりジ・エンド……と言う結末しかない。
無い、はずだった。少なくともナイフを操っている方はそう思っていた。
だが。ナイフは彼ら2人に届く事なく、全て焼失したのである。……承が生み出した炎の壁によって。
「……超高温の炎の前には、具現化した能力とは言え、ナイフも溶けるよなあ?」
「壁と言うより、ドームですけれどもね。……あー、暑かった」
「俺は正直疲れたよ。出力セーブしたけど、あの熱量はやっぱそう何度も使えねーわ」
心底疲れたように……しかし顔には不敵な笑みを浮かべ、彼ら2人はその場に、平然とした表情で立っていた。
額に汗が浮いているのは、新吾の言う通り単純に「暑かった」……いや、「熱かった」からだろう。パタパタと自分の顔を手で仰いでいる。
そして……ふと何かに気付いたように、承がにやりと口の端を吊り上げ、男に向かって言葉をかけた。
「ああ、そうそう。確か具現化系の能力って、乱用すると体調に異常をきたすんだよなあ」
「何……?」
承の「警告」の意味が分らず、男は訝しげに首を傾げ……次の瞬間、ぐらりと地面が傾いだ。否、傾いだように思えた。
それが実は、自分の体から力が抜けているだけなのだと気付いたのと、彼がその場に膝を付いたのは同時。先程まであまり気にならなかった体の異変が、徐々に激しくなっていく。頭痛と眩暈、何より能力たるナイフが出てこない。それどころか、焼かれず残ったナイフ達も、すぅっと虚空へと消えていく。
「ま……まさ、か……!」
「あれだけの人を殺すのにナイフの嵐かまして、今もまたあれだけの量のナイフを出した。しかもそれを消されたんだ。オーバーヒート……って俺は呼んでるけど、限界値超えるのも当然だろ?」
諭すように承に言われ、男は悔しげに舌打ちをする。
目の前の敵に弱みを見せるなど、あってはならない事。それなのに、殺すどころか能力を出せない。動けないのだから、一般人以下だ。
「く……う……っ! 撤退、する!」
悔しげに怒鳴る男の勢いに飲まれたのか、一瞬だけ2人はびくりと体を震わせ、臨戦態勢に入る。だが、男の声に返って来たのは静寂のみで、何かが起こりそうな気配は無い。
「何をしているユエ! 叙幸と共に御方の……ルカナン様の所へ帰るぞ!」
「葡央、叙幸の方は無理そうだ。女にやられた」
もう1度、今度は苛立たしげに怒鳴った男……葡央と言うらしい彼に対し、その声はどこからともなく聞こえた。
それと同時に、葡央の隣にもう1人、別の男……恐らくユエと言うらしい存在が空間を切り裂くようにして現れる。
「……やはり敵は3人いたんですね。佳菜さんが消えたように見えたのも、恐らくあの方の仕業でしょう」
「て事は、やっぱ特殊系の空間使いって考えるべきだよな」
「でしょうね」
「……その通り。私は特殊系能力者、ユエと呼ぶと良い。能力は『惑わしの月』。御方からは18番と呼ばれている」
礼儀正しくユエが言う。だが、その顔色は妙に白い。血の気が無い、と言っても良いかもしれない。
それに、こちらに対する敵意も無い。ただ淡々と、言われた事をこなしているだけのようにも見受けられた。
あえて言うなら、敵意も……そして生気も感じられない、と言う印象だろうか。
一方の葡央は、未だに状況を飲み込めないらしい。この状況下で淡々と自己紹介をしているユエを、金魚が如く口をパクパクさせて睨みつけていた。
「ゆ、ユエ! 叙幸が…『女教皇』がやられたと言うのは本当か!?」
「事実だ。この目で確認した。そして……」
ゆっくりと、ユエは前のめりになって倒れる。その背に、何本かのナイフを突き立てて。
能力によって具現化された能力ではない。明らかにそれは現実に存在するものだった。ナイフの周囲からはジワリと赤が滲み出し、その呼吸はか細く、それでいて荒い。
「な……何!?」
「……やっぱり『御方』ってのはルカナンの事だったのか。て事はヨーロッパにいるって情報はガセ確定か」
ぴんっと髪をはじきながら、ユエの後ろからは佳菜が現れる。いつものように飄々とした表情で。
「佳菜……!?」
「佳菜さん!」
「大アルカナ18番『La Lune』。意味は隠れた敵、幻想、失敗。こいつがいた時点で、初めから成功するはずなかったんだよ」
「う……嘘だ! この僕が『教皇』たるこの僕が!」
半ば錯乱したように、葡王は佳菜に向かって突進し……
「ルカナン様、優樹様! 嫌だ! 僕は失敗なんかしていない! お2人の為に! お2人の作る未来のために! ……正義の味方を気取った虐殺者のいない世の為に!!」
「お前自身も、残虐者なら……そんな世界、作れる訳ないだろーが」
「う……うわァァァァァっ!」
佳菜の言葉が止めになったのだろうか。葡王は己の頭を掻き毟り、助けを求めるように手を伸ばす。しかしその手は虚しく空を掻いて……そのまま、フッと消えてしまう。
「崩れゆく塔」と名乗っていた、あの男と同じ様に。
その様子を見ながら。トントン、と自分の肩を何かのカードで叩き、佳菜は口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
まるで、その様子を楽しんでいるかのように……
V:Le Pape
タロットカード大アルカナの5番。和名は「教皇」や「法王」。
正位置……教養や知識に優れている、偉大な力を示す事が出来る
逆位置……過保護に育てられて、依存心だけが強くなっている
作中では葡央とか「ナイフ使い」。
サバイバルナイフを具現化させて戦う「具現化系能力」。ナイフの本数や動きなどを、自分の思い通りに操る事が出来る為、通常は取り囲んで刺し貫くと言う方法に出ることが多い。しかし、ナイフと言う「金属」を具現化させているため、「炎」を具現化させる承の「魔術師」とは相性が悪かった。
XVIII:La Lune
タロットカード大アルカナの18番。和名は「月」。
正位置……詐欺、嘘、不誠実、偽りの愛、裏切り
逆位置……小さな嘘がばれる、トラブルが何となく収まる
作中ではユエ。後に「仲介人」と言う呼び方でも登場する。
真白い異空間を生み出して惑わせる「特殊系能力」。戦闘向きでは無いが、相手を精神的、肉体的に疲弊させると言う点において有用。基本的には他者のサポートに回る事が多い。また、通常空間内では光の屈折を変えて、相手に幻影を見せる事も可能。