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1話 センパイと私の桜争奪戦争





 ――おかあさん。どうしておかあさんはこの名前をつけたの?

  

 ――『この先の人生で、息もつかせないくらい、退屈しないくらい、た~くさん色々な事が起こるように』って、その名前にしたのよ。素敵でしょう?

  

 ――この名前だといろんなことがおこるの? いろんなことがおこったほうがいいの?

 

 ――そうよ。だって、色んなことが起こったほうが楽しいでしょう? 人生は短いけど、その中で、どれだけたくさんのことに出遭えるかしらね。楽しみね ――






 桜が舞っている。



「ねぇ、聞いた? なんかこの学校にやばい人いるらしいよ」

「知ってる知ってる! 名前なんだっけ? 何かやばいらしいよね」

「名前なんだっけなー、忘れちゃった。ってかウチら『やばい、やばい』って、めっちゃ抽象的じゃね?」

「あっはは、だねー。でも、実際何がやばいんだっけ?」

「忘れた~」


 今日、こんな会話を聞いた。

何がやばいって、とりあえずお前らの中身の無い会話がやばいだろ、と思ったが、私自身たいした中身がある会話をした覚えが無い。

人間というのは、とりあえず自分を棚に上げるもんだ。


 ところで……「ところで」というには随分と話題が変わりすぎているきがするが、それは置いておこう。「ところで」、何故私が数いる生徒の中でこの会話だけ異様に鮮明に聞こえたのか。とりあえずその点について述べたい。




 私は断じて、その『やばい人』については知らない。断じて。




 私はカバンをひっつかみ、教室から出て行った。

ドアの所で次の授業の教師が私を呼び止める。

「おーい、今まだ二時間目だぞー。帰るのかー?」


教師としてその呼び止め方は緩すぎないか?


「すみません先生。大事な用があるので」

「大事な用? なんだー?」


「ちょっと殴りたい人がいるんです」


「そうかー、じゃあ仕方ないなー。せめて急所は外すんだぞー」

「了解しました。しかし実行に移せるかどうかは分かりませんが」

 私は踵を返すと、廊下をかつかつと早歩きに進んでいった。


カバンの中に入った弁当箱がかちゃかちゃと音を立てる。教科書を全部忘れてきたので、弁当箱がカバンの中で転がっているのだろう。

『教科書忘れるって、アンタ学校に何しに来てんのよ』

今朝クラスメイトに言われた言葉を思い出した。

『教科書を忘れたんじゃない。「学校では教科書がいる」ということを忘れていたんだ』

『そっちの方が大問題だろ』

クラスメイトから向けられた冷ややかな目線が痛かった。



 さて、私が一体どこに向かっているのかというと、校舎の端に咲いている桜の木がある場所だ。

何故かこの学校には桜の木が一本しかない。しかも校舎の裏門の方、はじっこの、地味で目立たない場所だ。

いや、特に『学校には桜の木がたくさん無くてはいけない』という決まりは無いのだが、私個人の意見としては学校と桜はセット扱いで良いと思う。ハンバーガーとポテト然り、家政婦と殺人事件然り、火サスと崖然り。学校と桜は、これらの黄金セットに匹敵する。

まぁ、話が脱線したが、この学校には一本の桜の木がひっそりと植えられており、ひそかな隠れスポットになっているのだ。

しかし、ここの生徒はそこに近付こうとしない。



――何故なら、そこに主がいるからだ。



「センパイ、死んでください」



声と同時に持っていたカバンを思い切り投げつけた。木の幹にぶつかって大きな音をたてる。

ち、かわされたか。


「ちょ、危ないじゃんかよー、当たったら死ぬだけじゃ済まされないぞ」

「死の先に一体何があるのか気になりますが、とりあえず今日こそ、そこを退いてください」 


 センパイは桜の木の下に胡坐をかいて座り、茶髪のくせっ毛を風になびかせながらこっちを見上げた。


「残念だったな、世の中には早い者勝ちという言葉があるのだ!」

「では仕方がありません、魚のエサになるか、桜の肥料になるか、どちらかを選んでください」


私はセンパイの隣に落ちたカバンを拾い上げた。


「え、死ぬしかないの? 死んだあとの再利用法を選択することしかできないの?」

「いま時代はエコですから」

「残念だが、俺を大地に還元したところで地球の役には立たないぞ」

「排出される二酸化炭素が減少します」

「あ……地球に役立つね」

「で、どちらがいいですか?」


センパイは自分の目の下の泣きボクロを触りながら、へらっと笑った。

「死なない方向で!」

「了解しました」

私は鞄から弁当箱を取り出すと、フタをあけてセンパイに向けて投げた。

「―――どわたぁっ!」

センパイが奇声を上げて体をずらす。また幹にぶつかって弁当箱が粉砕した。

「なにっ、何でフタあけたの!? もったいなっ!」

「今日のおかずはナポリタンです。パスタ3・ケチャップ1・水6の割合で作ってみました」

「あぁっ、Yシャツに赤いシミがぁ……っ」

センパイがYシャツに飛び散ったトマトのシミを手でこすっている。

「さぁ、一刻も早く洗わないとシミが取れなくなりますよ。帰った方がいいんじゃないですか?」

センパイの反応を見て、私はほくそ笑んだ。


 よし、今日こそ勝った! 今シーズン限定『センパイと私の桜争奪戦争』にとうとう終止符が……!


「ま、いっか。これもう小さいから捨てようと思ってたし」

「ちっ」

「舌打ちきこえてるよー」


センパイは笑顔のまま言うと、自分の隣の地面を手で叩いた。


「今日は引き分けってことで、半分だけ譲っちゃる」

「……屈辱的です」

私は大人しく隣に座った。桜が散り始めている今、強情を張って帰ってしまうと桜を満喫できる時間が減ってしまう。



「しっかし、ホントに桜が好きなんだなぁ」

センパイが暢気に桜を見上げる。

私は芝生に寝転がった。視界が一面桜色になる。窓が開いている教室があるのか、教師が授業をしている声が聞こえた。


「そんでそんで? 今回も何かやっかいごとを持ってないの?」

 センパイが期待する目をこちらに向けてきた。というかこの人は授業時間にこんなところで何をしているんだ。サボってもいいのか。と、自分を棚に上げて考える。

「残念ながら何もありませんよ。いつもいつも私が何かに巻き込まれていると思わないでください」

「実際いつもそうだから言ってんじゃん」


反論することが出来ないセンパイの言葉を聞いているとき、ふと何処からか会話が聞こえてきた。

 サボり仲間なのか、こちらに気づかずに通り過ぎていく金髪の少年二人がどうやら会話の発信源のようだ。

辺りが静かなせいで二人の会話がこちらにもはっきりと聞こえてくる。

「そういやお前知ってる? この学校にスゲー奴いるらしいぜ」

「あぁ! あれだろ、拳一つで壁を粉砕できるとか、突然柔道大会に現れてあらゆる猛者を投げ飛ばしたとか」

「素手で鮭を取ったとか、『そうだ、山へ行こう』って言って授業を突然抜け出して熊と相撲してたとか」

「まじ人間じゃねー。どこのヤンキーだよ」

「っつかどこの金太郎だよ」

 あははは、という大きな笑い声とともに少年たちは歩いて行った。



…………。


気を取り直そう。


 私はそよ風を感じながら目を閉じた。桜の香りがする。これで桜を独り占めできていたらどんなに幸せか。

「何でそんなに桜が好きなの?」

隣からセンパイの声がしたので、目も開けずに返事をする。

「美味しいじゃないですか、桜餅」

「…………ん?」

「桜餅にさくらんぼ、桜茶、プリン。あぁー、食べたい!」

「うん、プリン関係ないかな。普通に食べたい物をぶちまけただけだよね」

「桜の下に居ると、桜餅を食べているような気分になれるんです」

「…………え、それだけ?」

「他に何かあるんですか。他になにか桜を使った料理がありますか? 桜の炊き込みご飯ですか?」

「買えよ! 桜餅を買って食え! その欲望のせいでこっちがどれだけ殴る蹴るの暴行を加えられたと――」

「センパイもやり返してくるじゃないですか。私、人にぶん投げられたの人生で初めてですよ」

「男女平等、って言葉知ってるか」

「解釈を著しく間違えています」


 私は目を開けて落ちてきた桜の花びらを掴んだ。

「ウチ貧乏なんで、匂いだけで食べた気になれるならお得じゃないですか。ってか、桜ってさくらんぼと何か関係あるんですかね」

「俺に聞くな。てか、さっき俺に弁当ぶつけて食べ物粗末にしてなかったっけか……?」

 そんな穏やか(?)な空気が訪れた時だった。



「小四郎を捜してください!」


 キンキンする程高い声が聞こえた。

ゆっくりと体を起こすと、いつの間にか目の前にツインテールの女子生徒が立っている。

背は小さめで、パーマの髪をボンボリで二つに高く結っている。高い声に小さな体、童顔。黄色いカーディガンを羽織り、胸にはピンクのリボン。青と紺色のチェック柄のスカート。そして、腰のところにカーディガンの上から茶色の革のベルトを巻き、そこから右足に沿うように巨大な拡声器がぶら下がっている。よく避難訓練とかに先生が持っている電子的な方のアレ(メガホン)だ。


「なにか用ですか、ロリっ子」

「適当なあだ名つけすぎだろ」

即座にセンパイからツッコミが来るが、その『適当』とは『何も考えずにテキトー』なのか『適する』の意味なのか気になるところだ。

「というか、童顔より目立つ部分があると思うんだけど……メガホンとかメガホンとかメガホンとか……」

その先輩の呟きが聞こえているのかいないのか、ロリっ子は眉をハの字にして悲しそうな顔をする。

「小四郎がいなくなったんです! 捜して下さい!」

「断る」

 早っ! とセンパイの声が聞こえたが、知ったこっちゃーない。生まれてこの方十六年、この手の話に乗っていい思いをしたことなど一度もない。


 私が断固拒否の姿勢を見せても、ロリっ子は私のスカートにすがり付いてうるうるとした瞳を向けてくる。ロリっ子が動くのと同時にメガホンがガチャガチャと音を立てた。

「お願いしますぅ~、チョコレートあげますからぁ~」

「協力しよう」

私は立ち上がる。

「え、今のタイミング? チョコだけで釣られたよこの人!」

 センパイのツッコミなど何のその。私は食料のためなら命を捨てても構わない。そして今『糖分』は『ビタミンA』の次に私が欲している栄養素だ。


「で、誰を捜してほしいって?」

センパイがロリっ子に話しかける。ロリっ子は涙をこらえた顔で訴えた。

「乾 小四郎。男の子です。学校の中で迷子になっちゃったみたいで、見つからないんです! 『十時に玄関で待ち合わせね』って言ったのに!」

 大の男子高校生が何で校舎で迷子になるんだよ。ん? いや、迷子ってことはここの学生じゃないのか。きっと弟か何かだろう。


「まぁどうでもいいが、要はその小四郎ってヤツを捜せばいいんだろう? どうせ今は授業中だし、捜すといってもたいした面積じゃないだろう」

欠伸を一つしてから校舎に向かって歩き出す。

「乾 小四郎か……」

センパイがポツリと呟いたので、聞き返す。

「センパイ、知ってるんですか?」

「いや、知らない」

それだけ言って、センパイはいつものように面白そうにニヤニヤしながら後を着いてくる。つくづく物好きな人だ。常々思っていたことだが、センパイにとっては『退屈』が一番の天敵のようだ。



「あ、私の名前は村崎 黄色です!」

ロリっ子は嬉しそうにぴょこぴょこ駆けながらついてくる。身長は私の胸までしかない。

「え、どっち?」

「どっちって、何がですか?」

「結局、紫なの? 黄色なの?」

「いや、人の名前に結末を求めんなよ」

センパイのツッコミの早さのレベルが上がった気がするのは気のせいだろうか。

「どっちかというと黄色です!」

「あ、黄色なんだ」

 黄色の返事にセンパイが呆れた声を上げる。


「それで、キイロ。小四郎とかいう古風な名前のヤツが行きそうな場所は分かるか?」

「そうですねー、暗い場所が好きなので、理科室とかでしょうか。あとゴミ捨て場とかでうずくまってないてることもありました」

キイロは満面の笑みで陽気に言う。



…………。



小四郎の行く末が心配になってきた。



 静かな廊下を歩いていくと、それぞれの教室から教師の声が両耳に流れ込んでくる。科目が全部バラバラなだけに、合わさっても不協和音にしかならない。


 最初に理科室が一番近かったので、理科室に着いた。幸い授業では使っていないらしく、簡単に中に入ることが出来た。理科室なのに鍵がかかってないなんて、けしからんな。


「小四郎~、どこですかー? 返事をしてくださーい」

キイロは理科室に真っ先に入って呼びかける。が、返事はない。

「どうやらここには居ないようだな」

 キイロがしょんんぼり俯いているのを見つつ、私達はゴミ捨て場へと向かった。


「小四郎~、どこですかー」

「まてまて、そこにはいないと思うぞ、多分」

 ゴミ捨て場の水色のバケツのフタを一つ一つあけて中に呼びかけるという王道のボケをかますキイロの肩に手をかける。

「どうやらここにもいないようだな」


一応、私もキイロを見習ってバケツの中や、火が消えた焼却炉の中まで覗いたが、中に膝を抱えて隠れている子供と目が合う、なんてことは無かった。

 センパイはその間、探しもせずに私とキイロの少し後ろのほうに立って、腕を組んで楽しそうに笑っているだけだった。


「他にコシロウが行きそうな場所はないのか?」

今思ったが、なんで「コジロウ」じゃなくて「コシロウ」なんだ。なんだか濁点が無いと気が抜けるんだが。

「そうですねー……女の人の好みが細かいので、好きなタイプの女の人が集まってる場所にいるかもしれませんね」


 なるほど、コシローとやらは女好きのタラシってことか。

そこまで思ってセンパイの顔をじっと見る。

「『女好きなんて、センパイみたいだなー』って顔に書いてあるよ。言っとくけど俺が小四郎でしたーなんてオチは無いからね」

「顔に書いてましたか、すみません。で、それは油性ですか、水性ですか。油性であった場合最低一週間は私の生活に支障が出ると思うので、今後の言い訳を考える必要があると思うのですが……」

「いや、比喩表現ですから。それくらい分かろうね、高校生!」

「そういうことですか。ま、何はともあれ、今後は思ったことをすぐに顔に出さずに、オブラートに包むようにしたいと思います」

「顔を……?」

 顔をオブラートに包むのか……? というセンパイの呟きを背に、私はキイロのほうに向き直った。

「で、コジロウの好きな女性のタイプは? 年下ならば下級生のクラスに行くし、清楚系なら美術部の部室か、ショートカットの女性が好みならバスケ部の部室だな」

「すごい偏見の固まりだな……」

またもやセンパイの呟きを背後に聞きつつ、キイロは考え込むことなく満面の笑みで即答した。


「三十代後半から五十代までが一番の好みですけど、時々は六十歳オーバーも好みますね」


 語尾に☆が付きそうなほどに陽気に、かつ当然といった様子で言ったキイロの言葉に、私は思わずフリーズした。

「ストライクゾーン広いな!」

「ツッコみ所はそこか!」 


年齢層が高いってとこがまずおかしいだろ! と言うセンパイに、私はむっとした。

「私だって分かってます。つまりコジロウは熟女好きということですね」

「…………」

もう何も言うまい、というセンパイの呆れた目がこっちを見ていた。



「だが、困ったな。この学校に三十代以降の女性はいただろうか……? 教員にはいるかもしれないが……普通は授業中だしな」

「ですよねぇ……」

 私とキイロが向かい合って考え込む。

キイロのツインテールが風に揺れてぴょこぴょこと揺れているのを見て、ツインテールの使い道について考えてみた。


 使用法以前に、まずツインテールとは一体何なんだ?

ポニーテールは分かる。髪が邪魔なときにはくくったほうがさっぱりとして便利だ。私自身も肩程度にしか髪の長さは無いが、それでも邪魔なときはくくったりもする。

しかし、ツインテールの利点は何だ?

第一、邪魔であるからくくっているにも関わらず両サイドに髪を持ってきて、さらに耳の上という高さでしばってしまうと、どう考えても屈んだときに前に髪が垂れるはずだ。まったく意味を成さないじゃないか!

いや、もしくはアレか、ポニーテールの不便な点はくくった髪が首筋に習字の筆のように触れてくすぐったいことであるから、それを防ぐためにツインテールが考案されたと考えるべきか?

そうだな、そう考えると合点がいく。

つまりは首にかからず、なおかつ髪をまとめるためにはサイドに分けるしかなかったと、そういうわけか!

しかし、ならば一本に縛った髪を首筋にかからないように角度を調節してしばるという方法もあるが……



「もしもーし? さっきからすーっごい村崎の髪を見つめてるけど、中年女性が居そうな場所分かったのかーい?」


ふとセンパイに声を掛けられたことに気が付いて、返事をする。

「分かりました! 結論からいいますと、左右対称・シンメトリーという造形美を追い求めた結果かと思います」

「そうかー、まったく違うことを考えてたのなー」

センパイは呆れた目をこちらに向けたあと、「そしてお前さんの考えてる事はいっつも意味不明なのな~」と呟いた。

 一つ言っておくが、私の考えが意味不明なことでは無かった事などない。私は私のことを世界で一番理解している。



 その頃、またまた通りがかった生徒の会話が耳に入った。黒髪のマジメそうな男子生徒二人がパックのジュースとパンを片手にゴミ捨て場を横切っていく。彼らが会話の主のようだ。

「この学校に、何か暴走族を壊滅させたヤツがいるらしいぜ」

「あー、その話知ってる。この辺でもかなり大規模な暴走族をたった一人で、しかも拳ひとつで壊滅させたとか」

「そうそう、とりあえず武道系はなんでもこなすとか、握力が50あるとか」

「あー、らしいな」

 二人は「ありえねー」と笑う。

「名前、何だっけ」

「っつかその噂ウソじゃね? 名前も偽名みたいなありえない名前だし」

「たしかに、かなりウソくさいよな」

「確か名前はー……」

 思わず集中して次の言葉を待ってしまった。


「災澤 遭人」



「…………」

 私はセンパイの方を見た。

センパイはにっこりと笑うだけだった。

その姿にむっとして顔を逸らした。

 

 もう一度言いたい。私は断じて、その『やばいヤツ』など知らない。


『災澤 遭人』なんて、断じて知らない。





「じゃ、そろそろ小四郎くんの元へ行こうか」

 昼休み終了を告げるチャイムが鳴ったころ、突然センパイの声が響いた。


「なんですかセンパイ。知ってたんなら早く言って下さいよ、面倒くさいですね」

「うん、今俺ちょっと傷ついた」


 センパイはちょっと落ち込んでから、私達に背を向けて歩き出した。


「ま、俺は学校の女の子、及び女性のいる場所なら何でも知っているからね。保健室女医とか、一年担当の小柄美女な現文教師とか。今度紹介してあげようか?」

「センパイ、忘れているようですが、私は女です」

「覚えてるよ。でもいつだっけか、突然やってきて『この近辺で一番可愛い見目をしている少年及び少年のように見える少女を紹介して下さい』って言ってきたじゃん。だからてっきり可愛いものなら性別は選ばないのかと」

「それは借金のカタになるような少年を探していただけです。人聞きの悪い事を言わないで下さい」

「いやいや、今のセリフの方がやばいって。かなり人聞き悪いって」

私はセンパイの言葉を聞きつつも、小さく身震いした。

嫌な事を思い出してしまった。

「あの時は本当に緊急だったんです。『今月分の借金を今すぐ返済しろ! さもなくば車の後ろに括り付けて首都高ドライブすんぞ!』と言われたもんですから」


もちろんその少年を売りさばいたわけではない。ちょっと協力してもらっただけだ。

「それは死ぬな…………」

「はい。私車酔いしやすい方なので」

「あ、そっちなんだ。括り付けられる方よりドライブする方が問題なんだ」


 そしてあの恐ろしい人はやると言ったら本当にやる人だ。あのままにしていたらきっと殺されていたに違いない。

『あの人』が椅子に足を組んでニヤリと笑っている姿が浮かんで、また無意識に身震いした。

あ、そういえば今月の返済期限が迫っていたな。


…………。


もう思い出すのはよそう……。そうだ、今のこの小四郎探しに専念しよう。



「どうでもいいですが、先輩はどこに向かってるんですか」

キイロと私は先輩の後を着いていく。キイロのツインテールがぴょこぴょこと揺れるので、私は無意識のうちに右側のツインテールを握った。

「そうですよぉ~、学校内で三十代以上の女の人で、しかも授業中に時間が空いてる人なんて、何処にいるんですか~」

キイロは掴まれたツインテールの片方を取り返そうと両手を伸ばしてぴょんぴょん飛び跳ねるが、身長的にも届きそうに無い。腰からぶら下がっているメガホンがガチャガチャと硬い音をたてる。


「まぁ、ついておいで」

 センパイは微笑みながらキイロの頭をそっと撫で、ツインテールを少し引いた。私の手の中からツインテールがさらさらと零れ落ちていく。

 自信満々のセンパイの様子に、キイロの表情はぱぁっと明るくなったようだった。



 そして、センパイに連れられてやって来たのは……


「食堂?」


 この学校は購買と食堂がある。

購買は学年問わず誰もが足を運ぶが、食堂は三年が占拠するのが暗黙の了解となっているようなので、一・二年はあまり近づかない場所らしい。

最も、購買や食堂などに費やす金が無い私にとっては、関係の無い話なのだが。


「そ。食堂」

そう言ってセンパイは『準備中』という札が掛かっているのにも関わらず、戸をガラリと開けた。

「ちょっとー、もう昼休みは終わっただろー! 今日の営業はもう終了だよー!」

腹式呼吸を心がけていそうな、よく響く声が厨房から聞こえてきた。

なるほど、厨房の職員はほぼ三十オーバーの女性だったな。


「キミエさん、お疲れ様~」

センパイは注意されていることも気にせず、センパイ特有のへらっとした笑い方で厨房のおばさんに向かって手を振った。

「あら! あらあらあら、めずらしいじゃない! なんか食べたいなら、余り物で良ければ出してやるよ!」

 これは贔屓というヤツだのだろうか……。

それにしても、センパイはどうして食堂のおばさんと顔見知りなんだ。あんまり食堂使ってないだろーが。


「ありがとう、でも今日は違う用事なんだ」

そう言ってセンパイはキイロの方を向いた。目で促されて、キイロが頷いてからおばさんの方を見る。

「あのっ、コシロウ……小四郎はここにいませんかっ? 小さくて可愛い、私の大事な友達なんですっ」

目をうるうるさせながら訴えるキイロに、おばさんはその言葉の意味を考えるように固まってから、陽気な笑顔を見せた。


「あぁ! あの子、コシロウっていうのかい! あの子なら、あたしらの休憩室にいるよ」

そう言いながら恰幅の良い体を揺らしながら道を空けてくれた。どうやら休憩室は厨房の奥にあるらしい。


「ありがとう、キミエさん」

センパイが厨房を通りながら言うと、おばさんは嬉しそうに微笑んだ。

「その代わり、たまには食堂に来なさいよ。大盛りサービスしてやるからさっ!」

あぁ、確か前に、『センパイは学校の三学年以上の年齢の女性全員と知り合いだ』というのを噂で聞いたことがあったな。まさかアレは本当なんだろうか……。


 厨房を抜けて、おばさん方の休憩室のドアを静かに開けた。

すると――・・・・・・


「ほーら、これ食べるかい?」

「あらあら、そんなもん食べさせちゃだめさね! 体に良くないよ」

「それよりボールとか無いかしら? 小さいうちは遊びたい盛りよねー」


 おばさん方に囲まれるその小さい体。

ふわふわした毛。白い綿飴のような体。はみ出した真っ赤な舌。引きちぎれんばかりに振られた尻尾。

そう、それはまさに。


「わんっ!」

「小四郎! ここにいたんですね~! 探しましたよぅ」

キイロがぱたぱたと走り寄って小四郎を抱き上げる。小四郎もさらに尻尾を振ってそれに応える。


「犬か!」

「犬だねぇ」


 センパイは随分と落ち着いている。

「まさかセンパイ、分かってたんですか」

「うん、名前を聞いたときからね」


 名前……?


「ああ、乾だから、イヌですか」

「いや、乾小四郎を並べ替えると……」

センパイは休憩室の壁に下がっていたホワイトボードにペンで『イヌイコシロウ』と書いた。その下に矢印を引いて、並べ替えた文字を書いた。

「『シロイコイヌ』つまり白い子犬ってわけだね」

「その通りなのです~」


いつの間にか近くに居たキイロが、小四郎を抱いたまま花が咲いたような笑顔で肯定した


「あぁ、そういうことですか……ちなみに、『ウ』は何処に?」

「あ、忘れてました! まぁ、『コシロー』ってことでいいじゃないですかぁ~」


テヘ、と笑うキイロ。その辺は適当なのか……。


「まぁ、見つかってよかった。な、小四郎」

小四郎の白い体を撫でてみると、予想以上にふわふわしていて気持ちが良かった。小四郎は遊びつかれたのか、うとうとしている。


と、その時


ガシャーンという金属音が辺りに響いた。鉄と鉄をぶつけた様な高い音と、床に物が落ちたような鈍い音だった。


「あ! 小四郎っ」

 キイロの声がした方を向くと、音に驚いた小四郎がキイロの手から飛び降りて、開いたままになっていたドアから外へ飛び出して行ってしまった。

私達が入ってきたドアとは反対側にある、校舎の外に繋がるドアだった。


「待ってください、小四郎っ」

 キイロが慌てて小四郎の後を追う。その背中を見て、半拍遅れてから私とセンパイも外へ出た。


「小四郎~、どこですか~っ! 返事をしてくださ~い」

キイロが外で呼びかけている。

私も小四郎を探して辺りに視線を巡らせていると、


「うわ、なんだコイツ!」

遠くから生徒の声がした。


「犬じゃん、なんで学校にいんの」

「どーでもいいけど超ジャマ。俺犬とか嫌いなんだよねー、キモー」

見れば、金髪に制服をだらしなく着た男子生徒が小四郎を摘みあげている。周りにいる生徒も茶髪やらピアスやらをしていて、面倒くさそうに小四郎を見ている。

「コイツ真っ白だから、落書きしてやろうぜ」

そう言って一人が鞄からペンを出そうとしているとき、


「やめてください! 小四郎は私の大事なお友達なんですっ」

大きなキイロの声が響いた。

見ると、キイロはずっと腰にぶら下げていたメガホンを口にあてて叫んでいる。

ほうほう、そういう使い方をするためにメガホンがあったのか。


「は? 何、今の声。あいつ?」

「てかここの制服着てんのに見た目小学生じゃね?」

「おじょうちゃん迷子~? なんてな!」

ぎゃはははと、品の無い笑い声が聞こえ、キイロは顔を真っ赤にして怒っているようだった。

「キイロは小学生じゃな……え?」

そこまで言ったキイロのメガホンをちょっと拝借させてもらった。

「君たちは完全に包囲されているー大人しくー……あ、じゃなくて、おいこら、お前たち。大人しくその犬を返せ」

 小四郎を摘んでいる少年達とはまだ距離があったのでメガホンを借りてみたが、思えばいつまでもこんなに距離をとっている意味なんて無い。さっさと近づいた方が賢明だろう。


「何言ってんだよ。コレは俺たちが拾ったの。だからもう俺らのおもちゃなわけ。分かる?」

中心格の金髪の少年が小馬鹿にしたように笑いながら言った。

「てか犬が友達とか、頭おかしいんじゃね? それとも、小学生だから高校じゃお友達が出来ないのかな~?」

そう言って少年達はげらげら笑っている。私が言い返そうとメガホンを持ち上げると、それを手で制された。何かと思えば、それはセンパイの手だった。


「あっちゃん。ダメだよなぁ、ああいうのは」

センパイが金髪の少年達に視線を定めたまま言った。いつものようなヘラヘラした笑みは浮かべていない。

「えぇ、私の『友達』を馬鹿にしました」

少年達を見据えた。

「ああいう奴らにはちょっと痛い目みせてあげないとダメだなぁ」

「はい、私も同じ意見です」

「あっちゃんが俺と同じ意見なのは珍しいねぇ」

「違います。先輩が私と同じ意見だっただけです」

「あ、そういうことね」

センパイがいつものようにヘラっと笑ったのと同時に、私は手に持っていたメガホンを投げた。

ぶん投げた。

メガホンはピッチャーの投球のように一直線に飛んでいき、小四郎を摘んでいた金髪少年の額にジャストヒットした。


メガホンが当たった衝撃で少年がマンガよろしく後ろに仰け反り、地面に仰向けに倒れたのを見て、キイロが驚いた声を出した。

「はわわっ、私の『メガちゃん十七号』がぁ!」

「あ、実は十七代目だったんだ、あのメガホン」

「ハイ、今年に入ってから」

「え、今まだ5月だけど……」

後ろの方でキイロとセンパイの声が聞こえたが、私はとりあえず地面を蹴った。


少年達と距離を一気につめ、メガホンが飛んできた事態に唖然となっている少年達の目の前に立った。

「何だこの女!」

少年達が事態を把握して、金髪少年の敵討ち(?)といわんばかりに殴りかかってきた。

構えからしても、ケンカ慣れしている不良のようだ。


その拳を片手で止める。

「今から三秒以内にキイロに謝罪の言葉を述べたら、手出しはしない。キイロに謝れ」

私の言葉に、少年達は憤慨したように声を低くした。

「なんだよ、俺らとやる気か? 俺らはこの辺でも有名なんだぜ? 病院送りになりなくなきゃそっちが今すぐ土下座しな」

「有名なのか? まったくお前たちの顔は見たことないんだが……」

「この辺じゃぁ敵ナシなんだよ。びびったなら尻尾巻いて逃げな! 悔しかったら、あのサイザワとかいう空想みてぇなやつ連れてくるんだな!」

少年達がぎゃははと笑う。



「あぁ、じゃあ、遠慮はいらないか」


 私は目の前にいた少年の腹を靴底を押し込むようにして蹴り飛ばした。少年は真っ直ぐ後ろに吹っ飛んだ。

「な……なんだ!? こいつ、バケモノかっ」

「お前、女のクセに……! 何者なんだっ!」

靴のつま先で地面をトントンと叩いてから、目の前の少年達を見据えた。



「私が、災澤 遭人だ」



「サイザワって、あの噂の……っ」

「何でもいい、女だからってもう手加減しねぇぞ! やっちまえ!」

周りの少年達が驚きつつも、仲間の敵討ちとでも言わんばかりに殴りかかってきた。


風を切って飛んできた拳に、自分の拳を合わせる。ガツンと鈍い音がして、相手の驚いた表情が見えた。そのまま拳を振り切ると、相手は押し負けて後ろに吹っ飛んだ。


続いて横から殴りかかってきた少年の懐にずいっと入り、少年の首に片手をかけて校舎の壁にガンと押し付けた。首を絞めないように軽くではあったが、少年は驚いた表情でずるずるとその場に座り込んだ。


驚いて動きが固まった少年には回し蹴りをして、その勢いのまま半回転して背後にいた少年に拳を突き出す。少年の眼球すれすれのところで拳を止めると、少年はへなへなと地面に崩れ落ちた。


「ちくしょう! こいつバケモンだ! これで終わったと思うなよ!」

 少年達が各々の傷を押さえながら立ち上がろうとしている。捨てゼリフかとも思ったが、残念ながらそうではないらしく、その目にはまだ戦意が宿っていた。

 ため息をつきながらも、また大人しくしてもらうしかない、と私が少年達に近づこうとすると、センパイの手がそれを制してきた。


「まぁまぁ、これで終わりってことで、ね?」

 センパイは言いながら少年達に近づき、立ち上がろうとしているリーダーらしき少年の目の前でしゃがみこんだ。

「二年C組 上山健吾くん。三月六日生まれ、好きな食べ物はハンバーグ。嫌いな食べ物はナス姉二人と両親との5人暮らし」

センパイの言葉に、だんだんと少年の顔が青ざめてくる。

「家ではお姉さんに尻に敷かれているみたいだね。あぁ、そういえば」

センパイは顔色の悪い少年の耳元に続きの言葉を囁いた。小さな声だったが、私にはばっちりと聞こえてしまった。

「君が去年の正月にお姉さんに命令されてやった腹踊りの動画があるんだけど、見たい?」

センパイの言葉と同時に、少年は立ち上がった。


「お、おし! 今日はこの辺で引き上げるぞ!」

 事情が分からず困惑する少年達を引き連れて、リーダーの少年は途中でつまずきそうになりながらも、走ってその場から立ち去っていった。


「まったね~」

その後姿に陽気に手を振るセンパイ。爽やかな笑顔が浮かんでいる。


……今のは、聞かなかったことにしよう。




「わん!」

 気づけば小四郎が足元で尻尾を振っていた。

「あっちゃん、お疲れさん」

センパイがニコっと笑って小四郎を抱き上げる。小四郎がセンパイの顔をぺろぺろ舐めている。

キイロも遅れて駆けて来て、勢いよく頭を下げた。

「ありがとうございますですっ! やっぱり、噂の通りでした!」

「噂?」

「はいっ、『この学校の災澤遭人という人に頼めば、何でも必ず解決できる』という噂です!」


なんだと?


「何なんだ、その噂は! 一体だれが……」

そこまで言ったとき、ふとセンパイと目があった。

「ホント、誰がそんな噂を流したんだろうね~」


ヘラっと笑う。


「やはりお前かぁぁぁーーー!」

思わず敬語も忘れて先輩の顔面に拳を繰り出し……


「アンタたち、大丈夫だったかい? 不良に絡まれてるって聞いたけど……」


慌てて出てきた食堂のおばさん方の声によってその拳はセンパイの顔面にヒットする前に止まった。

「とにかく、一旦こっちへおいで! 騒ぎを聞きつけた先生方がここに向かってるらしいから!」


 おばさんの計らいによって、私達は食堂へと引き返し、がら空きの食堂内でテーブルを囲んで座っていた。

テーブル中央には今日のA定食のおかずであったと予測される、チキンカツなるものが、ほかほかと湯気をたてて置かれていた。

 この見るからにサクっとしていそうな衣、肉の脂の香り。普段はカツといえば駄菓子のビッグカツ(30円)しか食べたことが無い私にとっては、それはあまりにも魅惑的過ぎた。第一、なぜこんなに分厚いのだ。これ、ビッグカツ何枚分? 何枚分の厚さ? 


「あっちゃん、人の話聞いてる?」

 ふと、センパイの声が耳に入った。センパイは私の視線がチキンカツに釘付けなのに気づいて、チキンカツをフォークでザクッと刺して口に運ぶ。私の目も釣られて先輩の顔に向く。

「あ、そうでした。センパイ、よくも怪しい噂を流してくれましたね。キイロが聞いた噂と、今日学校内で聞いた噂、全てセンパイが発端なんですよね」


私の言葉に、センパイは欧米人のように肩をすくめた。


「無きにしも非ず。でも、俺が流さなくても普通に広まったと思うけどね。あっちゃん目立ちすぎだし」

「名前を呼ぶのは止めてください。不愉快です」

「だから『あっちゃん』てあだ名にしてんじゃん。それもダメなら、何がいいのさ?」

「『おい』とか『ちょっとそこの人』とかで結構です」

「むしろ呼びにくいんですけど……」

センパイは呆れた顔をした後、改めて言った。

「ま、いいじゃん。俺はいい名前だと思うけど?」

言いながらチキンカツにフォークを刺す。からかっているのではなく、本気で言っているようだ。

「しかし、名前のセンスはともかく、これは男につける名前だろう。私はいつも『元は男なんですか?』とか聞かれて、いい迷惑だ。」

「でも、キイロも、良いお名前だと思いますよぅ。私のお友達の服にもよく書いてありますよ。『闇討ち上等』とか『四苦八苦』とか」


にこっと笑うキイロ。ちょっと待て。お前の友達は大丈夫か?


「それはともかく、今回は本当に助かりました。探すだけではなく、小四郎のピンチも救っていただいて」


キイロはぺこり、と頭を下げて、膝の上に乗せている小四郎の頭を撫でた。

「もう、小四郎ったらダメですよぅ~。十時に玄関で待ち合わせって、言ったじゃないですかぁ~」

小四郎はキイロを見上げて小さく首を傾げる。

いや、犬に言っても無駄に決まって……って、おい、今回のことの発端はそれじゃないのか……?



 とはいえ、小四郎が外に飛び出す原因となったあの大きな音は、どうやら食堂のおばさんが鍋を落としたことによるらしく、「うっかり手が滑っちゃったのよ~」と言っておわびに余っていたカツを出してもらえた。この点には、キイロと小四郎に礼を述べたい。


 ん? そういえば、チキンカツ……

私がふとテーブルに視線を戻すと、テーブル中央には白い陶器の皿が鎮座していた。滑らかな陶器のラインが美し……じゃなくて!


「私のチキンカツが!」

思わず立ち上がると、センパイがフォークを指先で弄びながら答えた。

「あれ? 手をつけないからいらないのかと思っちゃったよ~」

ニヤリ、と笑う。

ちくしょう、わざとだ!

「センパイ、今日という今日は……っ」


私の声と同時に、チャイムが鳴った。少し長めのチャイム。これは下校時間を知らせるチャイムだ。

「はわわ、もうこんな時間ですか! 小四郎のお散歩を日が落ちる前にしなくちゃいけないので、これで失礼しますねっ」

 キイロは勢い良く立ち上がり、傍らに置いていた壊れたメガホンを腰に結わえ付けた。小四郎を両手で抱き、前屈をしているのかと思うくらい深々と頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました。お礼のチョコレートは後日必ずお渡しします!」

「あぁ、ありがたく頂戴するが、今度からは何かあったらいつでも来い。礼などしなくて良いから、力になろう」

私の言葉に、キイロは勢い良く顔を上げて、大きな瞳で私を見た。

「いいんですか?」

「あぁ。キイロも、小四郎も、もう友達だろう?」


ポン、とキイロの頭に手を載せると、キイロは一気に顔をほころばせて、私のその手を両手で掴んでブンブンと振った。


「はい、あっちゃんさんとセンパイさんは、キイロのお友達です!」

「その呼び方だけは勘弁してくれ……」

「はい、じゃあ次までに素敵なあだ名を考えてきますです!」

びしっと片手で敬礼すると、キイロはぱたぱたと足音を立てて去っていった。



 窓の外を見ると、もう日が落ちかけていた。

夕日が差し込めて、広い食堂内が橙色に染まる。

キイロに向けて振っていた手を下ろしているところだったセンパイに目をやると、センパイも視線に気づいたのかこっちを見た。

センパイの髪がオレンジ色に染まっている。

「センパイ……」

「ん? なした?」

「一つだけ言わせて下さい」

「うん、なに?」



「熊と相撲したというのは事実ではありません」



「……つまり、それ以外は事実だってことで受け取っていいんだね」

「否定はしませんが、肯定はします」

「いやいや、肯定してんだから否定はしねーだろーが」



 私とセンパイは紺色に染まり始めた道を歩き出した。


「あ、一番星みっけ」

「いえ、私が一番星を見つけましたので、それは既に二番星です」

「いやいや、俺のが先だったね。そっちが二番星」

「いえ、そっちが二番星です」

「いやいや、そっちが二番星」


 空気が澄んだ、春のことだった。



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