第13話 怖い先輩が、うちに来た
土曜日。
午後四時半。
佐倉家のキッチンには、いつもの夕食とは明らかに様子の違う光景が広がっていた。
揚げたての唐揚げ。
味の染みた肉じゃが。
ほうれん草の胡麻和え。
綺麗に巻かれただし巻き卵。
そしてコンロの上では、大きな鍋いっぱいの豚汁が湯気を立てている。
さらに冷蔵庫には、食後用のプリンまで控えていた。
ダイニングテーブルに肘をついてそれを眺めていたさきが、とうとう口を開く。
「……みお」
「何?」
みおは唐揚げの油を切りながら振り返った。
「今日、何人来るの?」
「三人」
「私と、みおと、黒瀬先輩?」
「うん」
さきはもう一度テーブルを見る。
「十人くらい来ない?」
「来ないよ!」
「いや、この量は来るって」
「来ません!」
さきが立ち上がり、コンロの豚汁を覗き込んだ。
「これなんて、部活の炊き出しじゃん」
「余ったら明日食べればいいでしょ」
「唐揚げも?」
「明日のお昼」
「肉じゃがも?」
「明日の夜」
「卵焼きも?」
「……」
みおの手が止まった。
さきが横目で見る。
「それ、黒瀬先輩用でしょ」
「違うよ!」
「好きなんでしょ?」
「卵焼きがね!」
「誰が?」
「黒瀬先輩が!」
「はい」
「何が『はい』なの!」
さきは楽しそうに笑いながら冷蔵庫を開けた。
「飲み物どうする?」
「麦茶あるよ」
「黒瀬先輩、何が好きなんだろ」
「知らない」
「聞いてないの?」
「夕飯に呼ぶだけなのに、好きな飲み物まで調査しないよ!」
「詰めが甘いなあ」
「何の!?」
頬を膨らませながら、みおは唐揚げを皿へ盛りつけていく。
ただし。
さっきから、壁の時計を見る回数だけは明らかに多かった。
五時十二分。
五時二十分。
五時三十一分。
そのたびに時計を見て、また料理へ視線を戻す。
さきは何も言わなかった。
五時四十五分。
また、みおが時計を見る。
さすがにさきが声をかけた。
「みお」
「何?」
「六時だよね?」
「うん」
「まだ十五分あるよ」
「知ってるよ」
「じゃあ、なんで三分に一回くらい時計見てるの?」
「見てない!」
「見てる」
「料理の時間を確認してるだけ!」
さきはテーブルに並んだ料理を見渡した。
「全部できてるけど」
「……」
逃げ道がなくなった。
さきがにやりとする。
「楽しみ?」
「違う!」
即答した。
けれど、そのままではさすがに自分でも嘘っぽいと思ったのか、みおは少しだけ視線を逸らす。
「……別に」
「うん」
「楽しみじゃないわけじゃないけど」
さきが満足そうに笑った。
「素直でよろしい」
「お姉ちゃんは黙ってお皿並べて」
「はーい」
みおは再びキッチンへ向き直った。
その頬が少しだけ赤いことには、触れないでおいてあげた。
◇ ◇ ◇
午後五時五十分。
その頃。
黒瀬蓮司は、佐倉家から少し離れた公園の前にいた。
「……」
スマートフォンを見る。
十七時五十分。
待ち合わせ――というわけではない。
六時に家へ来てほしいと言われただけだ。
そして、ここから佐倉家までは数分。
どう考えても早い。
「……」
蓮司は公園のベンチを見る。
少し迷って、座った。
一分後。
立った。
スマートフォンを見る。
十七時五十一分。
「長えな……」
自分でも何をやっているのか分からない。
別に早く着いたなら、そのまま行けばいいだけだ。
五分や十分早かろうが、誰も気にしないだろう。
ただ――。
十分も前に女子の家へ行くのは、なんとなく必死な感じがする。
そこまで考えて。
「……違えだろ」
蓮司は眉を寄せた。
女子の家、ではない。
佐倉の家だ。
姉もいる。
ただ飯を食うだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……」
再びスマートフォンを見る。
十七時五十三分。
「クソ。時間進まねえな」
その瞬間。
昨日の陽翔の声が、嫌になるほど鮮明に頭の中へ蘇った。
――家族への挨拶!
「……殺す」
ぼそり。
ちょうど公園の前を犬の散歩で通りかかった老人が、その声を聞いて蓮司からそっと距離を取った。
蓮司は気づかなかった。
◇ ◇ ◇
午後五時五十八分。
ピンポーン。
家の中にチャイムの音が響いた。
キッチンにいたみおの肩が、ぴくっと跳ねる。
「来た!」
「分かってる!」
さきに言われるより早く、みおはエプロン姿のまま玄関へ向かった。
ところが。
その後ろを、なぜかさきまでついてくる。
「なんでお姉ちゃんも来るの?」
「家主だから」
「私が出るからいいよ!」
「見たい」
「何を!?」
「黒瀬蓮司」
「動物園みたいに言わないで!」
言いながら、みおは玄関の扉を開けた。
「はい――」
そこで。
言葉が止まった。
目の前に立っていたのは、もちろん蓮司だった。
ただ、いつもと違う。
黒いジャケット。
その下には白いTシャツ。
暗い色のパンツ。
学校で毎日のように見ている制服姿ではない。
当たり前なのに。
それだけで、ずいぶん印象が違って見えた。
「……」
「……」
みおが黙っていると、蓮司が眉を寄せる。
「何だよ」
「あ……いえ」
「何」
「私服、初めて見たなって」
「そりゃ学校じゃ制服だからな」
「そうですけど……」
みおはもう一度、蓮司を見る。
そして。
「……似合ってます」
するりと口から出た。
言ってから、自分で固まった。
蓮司もわずかに目を見開く。
「……おう」
それだけ。
たったそれだけなのに、妙な沈黙が生まれる。
そこへ。
「へえ」
背後から声がした。
二人が同時に振り向く。
「お姉ちゃん!」
さきがみおの後ろから顔を出し、にこやかに笑った。
「こんばんは。佐倉さきです」
その瞬間、なぜか蓮司の背筋が少し伸びた。
「あ……どうも。黒瀬蓮司です」
「知ってる」
「え?」
「みおからいっぱい聞いてるから」
「お姉ちゃん!」
蓮司の視線が、ゆっくりとみおへ移る。
「……いっぱい?」
「違います!」
「何が?」
「いっぱいじゃないです!」
さきは平然と続ける。
「学校でぶつかった話から」
「やめて」
「帰り道が一緒だった話」
「お姉ちゃん」
「カップ麺ばっかり食べてる話」
「それは言った」
「言ったのかよ!」
「あと、卵焼きが好きな話」
「……」
蓮司が黙る。
みおも黙る。
その二人を見て、さきは満足そうに笑った。
「どうぞ」
蓮司はまだ玄関に一歩も入っていない。
なのに、もう少しだけ帰りたくなっていた。
◇ ◇ ◇
「お邪魔します」
家に上がった蓮司の横で、みおがスリッパを出す。
「これ使ってください」
「おう」
「ジャケットも預かりますよ」
「自分で掛ける」
「じゃあ、ハンガーこっちです」
家の中を慣れた様子で動くみおを、蓮司は何となく目で追った。
そして気づく。
制服ではない。
白いゆったりとしたトップスに、淡い色のロングスカート。
髪も学校にいるときより少しだけラフにまとめられている。
家にいるのだから当然だ。
当然なのだが。
――なんか、違うな。
何が違うのかまでは考えなかった。
「?」
みおが振り返る。
見ていたことに気づかれた。
「何ですか?」
「……別に」
「またそれ」
「何でもねえよ」
蓮司は先にリビングへ入った。
そして。
足を止めた。
「……」
テーブルいっぱいに料理が並んでいる。
「何だこれ」
「夕飯です」
「見りゃ分かる」
蓮司はテーブルの端から端まで見渡した。
「俺、誰か連れてくるって言った?」
「三人分です」
「嘘つけ」
「本当です!」
すると、後ろからさきが口を挟んだ。
「みお、張り切っちゃって」
「お姉ちゃん!」
「朝から仕込みしてたよ」
「余計なこと言わないで!」
蓮司がみおを見る。
「……朝から?」
「全部じゃないです!」
「何時から」
「……九時くらい」
「十分朝じゃねえか」
「下ごしらえだけです!」
必死に弁解するみおを見ながら、蓮司は少し黙った。
朝から。
自分が食べに来るために、これだけの料理を用意した。
そう考えると、なんとなく落ち着かなくなる。
だから視線を逸らしたまま、小さく言った。
「……ありがとな」
みおの動きが止まる。
「え?」
「聞き返すな」
「今、ちゃんとお礼言いました?」
「帰るぞ」
「まだ来たばっかりじゃないですか!」
「うるせえ」
「あ、やっぱり言いましたよね?」
「知らねえ」
そのやり取りを。
少し離れたところで、さきがものすごく楽しそうに見ていた。
◇ ◇ ◇
三人で食卓を囲む。
「じゃあ、いただきます」
みおが手を合わせる。
「いただきまーす」
さきも続いた。
蓮司は一瞬だけ二人を見てから、少し遅れて手を合わせる。
「……いただきます」
まず箸を伸ばしたのは唐揚げだった。
一つ取る。
口へ運ぶ。
「……」
そして。
視線を感じた。
顔を上げる。
みおが見ている。
じっと。
「……何だよ」
「どうですか?」
「うまい」
「ほんと?」
「ああ」
ぱっと。
みおの顔が明るくなった。
それを見ていたさきが、すかさず口を開く。
「黒瀬くん」
「はい」
なぜか反射的に少し姿勢がよくなった。
「みおの料理、好き?」
「え」
みおが盛大にむせた。
「お、お姉ちゃん!」
「料理の話だけど?」
「あ……」
蓮司は一瞬でも別の意味に聞こえた自分に腹が立った。
「……うまいと思います」
「そっか」
「なんで俺、面接されてんすか」
「姉だから」
「意味分かんないんすけど」
さきは気にせず笑う。
「じゃあ次」
「まだあるんすか」
「学校ではどんな感じ?」
「何が」
「みお」
「お姉ちゃん!」
今度はみおが本気で止めに入った。
「せっかくなんだから普通に食べようよ!」
「普通の会話じゃん」
「絶対違う!」
蓮司は二人を横目に、豚汁を一口飲む。
「……うま」
「でしょ?」
さっきまで慌てていたみおが、即座に反応した。
「豚汁、ちょっとだけ生姜入れてるんです」
「へえ」
「そのほうが身体あったまるから」
「お前、ほんと料理の話になると喋るな」
「好きなので」
蓮司が少し笑った。
「知ってる」
その言葉は、ごく自然に出た。
みおも一瞬目を丸くして。
すぐに笑った。
「はい」
二人だけなら、それで終わる何でもない会話だった。
だが。
今日はもう一人いる。
「……」
さきが見ている。
じーっと。
「何?」
みおが気づいた。
「いやあ」
「何」
「仲良くなったね」
「普通だよ!」
「普通っす」
ほとんど同時だった。
さきが目を細める。
「二人して同時に否定するんだ」
「お姉ちゃん!」
蓮司は黙って豚汁を飲んだ。
少しだけ耳が熱い気がした。
◇ ◇ ◇
食事が進むにつれ、蓮司の緊張も少しずつほどけていった。
最初こそどこか居心地悪そうにしていたのに、今では普通に箸を動かしている。
さきのほうも同じだった。
みおから聞いていたのは、元不良で、口が悪くて、顔が怖い先輩。
どんな相手かと多少は警戒していた。
けれど。
実際に話してみると、印象は少し違う。
「黒瀬くんって、バイトもするんだ?」
「たまにです」
「学校との両立、大変じゃない?」
「毎日じゃないんで」
「そっか。進路は?」
「……まだ」
ほんの少し。
蓮司の声が低くなった。
さきはそれを聞いても、理由を尋ねなかった。
「まあ、高三だもんね。悩むよね」
「……はい」
それだけ。
みおは二人のやり取りを見て、少しだけ笑った。
普段はふざけてばかりの姉だが、こういうところはちゃんと見ている。
相手が触れられたくなさそうな場所へは、無理に踏み込まない。
蓮司もそれを感じ取ったのか、少し表情を緩めた。
「姉ちゃん、大学何年なんすか」
「二年」
「へえ」
「黒瀬くんも大学行くなら、勉強教えてあげようか?」
「結構です」
即答。
「早っ!」
「お姉ちゃん、自分の課題だっていつもギリギリじゃん」
「それとこれとは別」
「別じゃないよ」
「説得力ないっすね」
「黒瀬くんまで!?」
そこで。
「……ふっ」
蓮司が笑った。
みおとさきが、同時に彼を見る。
「……何だよ」
蓮司の笑みが消える。
さきは少し驚いた顔をした。
「ちゃんと笑うんだ」
「俺を何だと思ってんすか」
「みおから『怖い』って聞いてたから」
「お姉ちゃん!」
みおが慌てた。
「最初は、だよ!」
蓮司がみおを見る。
「最初は?」
「今は違います」
「どう違う」
「え?」
「今はどう思ってんだよ」
「……」
急に聞かれて、みおは言葉に詰まった。
さきは何も言わない。
蓮司も、なぜか本気で答えを待っている。
みおは少しだけ考えた。
初めて会ったとき。
廊下でぶつかったとき。
紙を拾ってくれたこと。
帰り道を一緒に歩いたこと。
傘に入れてくれたこと。
お弁当を食べてくれたこと。
思い浮かべて。
「……優しい人、です」
蓮司が固まった。
「……」
「口悪いし」
「おい」
「目つき怖いし」
「おい」
「すぐ怒るし」
「お前、喧嘩売ってんのか」
みおは小さく笑った。
「でも」
蓮司を見る。
「本当は、優しい人だと思ってます」
「……」
今度こそ。
蓮司は何も言わなかった。
しばらくして、ふいっと視線を逸らす。
「見る目ねえな」
「なんでですか」
「俺のどこが優しいんだよ」
「そういうところです」
「意味分かんねえ」
横を向いた蓮司の耳が、ほんの少しだけ赤い。
さきはそれに気づいていた。
けれど、何も言わない。
ただ。
口元だけが、少し上がっていた。
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした」
食事を終えた蓮司の皿は、綺麗に空になっていた。
豚汁は二杯。
唐揚げは五個。
肉じゃがもしっかり食べている。
そして。
だし巻き卵だけは、最後まで一つ残してあった。
みおがそれを見つけて笑う。
「やっぱり卵焼き好きじゃないですか」
「普通だ」
「最後に残してたじゃないですか」
「偶然」
「屋上でも最後でした」
「……覚えてんのかよ」
「作った側は見てるって言ったじゃないですか」
「怖えな」
「なんでですか!」
そこへ、さきが口を挟む。
「じゃあ今度から、黒瀬くんが来る日は卵焼き多めにしないとね」
「今度!?」
みおが勢いよく振り返った。
さきは平然としている。
「また来ればいいじゃん」
蓮司も少し驚いたようだった。
「いや、今日はごちそうになったんで」
「別に一回来たら二回目禁止なんてルールないよ」
「お姉ちゃん!」
「何?」
「勝手に決めないで!」
「みおは嫌なの?」
「そうじゃなくて!」
さきの目が輝く。
「じゃあいいじゃん」
「そういう話じゃなくて!」
蓮司がとうとう吹き出した。
「ふっ……」
みおが振り返る。
「先輩まで笑わないでください!」
「いや、お前、姉ちゃんには勝てねえんだな」
「いつもこうなんです!」
「面白え」
「他人事だからですよ!」
二人の言い合いを、さきは眺めていた。
そして。
少しだけ安心した。
みおが男の子を相手に、ここまで遠慮なく怒ったり、笑ったりしている姿は珍しい。
相手に合わせて笑うのでもない。
嫌われないように言葉を選んでいるのでもない。
本当に楽しそうにしている。
みおがずっと話していた「怖い先輩」と。
目の前にいる黒瀬蓮司は。
少なくとも、さきにはずいぶん違う人間に見えた。
◇ ◇ ◇
食後。
「洗います」
食器を持って立ち上がった蓮司に、みおが目を丸くした。
「いいですよ!」
「食わせてもらったんだから、このくらいやる」
「お客さんなんだから座っててください」
「いいから」
「でも――」
「お願いします」
横から、さきが即答した。
「お姉ちゃん!?」
「え、だって洗い物したくない」
「お姉ちゃんがやる約束だったでしょ!」
「でも黒瀬くんがやるって」
「人に押しつけないで!」
蓮司が笑いながら皿を持ち上げる。
「いいって」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ……私もやります」
「お前は作っただろ」
「二人なら早いです」
結局。
みおが洗って、蓮司が拭く。
そんな役割分担になった。
二人でキッチンに並ぶ。
みおが皿を洗い、蓮司へ渡す。
蓮司が布巾で拭く。
「これ、どこ」
「上の棚です」
「ここ?」
「もう一個上」
蓮司が棚を見る。
それから、みおを見る。
「届かねえだろ、お前」
「届きます!」
「いや、無理だろ」
「届きますって!」
みおは皿を受け取ると、背伸びをした。
「……っ」
指先が棚へ伸びる。
あと少し。
けれど、届かない。
「ほら」
背後から蓮司の腕が伸びた。
「……!」
一瞬。
みおの身体が、蓮司の腕の中に収まるような形になる。
「……」
「……」
二人とも止まった。
蓮司はすぐに皿を受け取り、棚へ置く。
それから、一歩離れた。
「最初から言え」
「届くと思ったんです」
「ちっせえんだから無理すんな」
「そんな小さくないです!」
「一年の女子の平均くらいだろ」
「……」
みおの動きが止まった。
「……女子」
「あ?」
蓮司は気づいていない。
何でもない言葉として口にしただけなのだろう。
けれど。
みおには、その何でもなさが嬉しかった。
自分のことを知ったあとも。
蓮司の接し方は、ほとんど何も変わらなかった。
変に気を遣うこともなく。
特別扱いすることもなく。
今だって、ごく自然に。
一年生の『女子』だと言った。
胸の奥が。
ほんの少しだけ、あたたかくなる。
「何だよ」
蓮司が不思議そうに見る。
みおは小さく首を振った。
「……何でもないです」
「変な奴」
「先輩に言われたくないです」
「何でだよ」
「そのままです」
また言い合いが始まる。
少し離れたリビングのソファーから、その様子を見ていたさきが。
「……なるほどねぇ」
小さく呟いた。
もちろん。
二人には聞こえていなかった。
◇ ◇ ◇
午後八時過ぎ。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
玄関で靴を履きながら、蓮司が言った。
「今日はありがとうございました」
みおが頭を下げると、さきも笑う。
「こちらこそ。いっぱい食べてくれてありがと」
「……ごちそうさまでした」
蓮司が軽く頭を下げる。
その隣で、みおはまだ一つ気になっていた。
「またちゃんとご飯食べてくださいね」
「今日散々食っただろ」
「明日からです」
明日は日曜日。
放っておけば、またカップ麺か冷凍食品に戻りそうな気がする。
「母親か、お前は」
「違います」
「また弁当作るんだろ」
「余ったら」
「……」
蓮司が一瞬黙った。
自分でも気づかないうちに。
少しだけ期待していた。
また作ってくれるんじゃないか、と。
「何ですか?」
「何でもねえ」
「またそれ」
みおが玄関を開ける。
外はすっかり暗くなっていた。
「じゃあ」
「はい」
蓮司が外へ出ようとした、そのとき。
「黒瀬くん」
さきが後ろから呼んだ。
蓮司が振り返る。
「はい?」
さきは、ごく普通の調子で言った。
「また来てね」
「……」
蓮司は少しだけ目を見開いた。
それから。
どこか照れくさそうに頭を下げる。
「あざっす」
そして、改めて。
「お邪魔しました」
扉が閉まった。
「……」
みおはしばらく、その扉を見ていた。
背後から声がする。
「いい子じゃん」
みおが振り返った。
「でしょ?」
即答だった。
さきの眉が上がる。
みお自身も、一拍遅れて気づいた。
「あ」
「『でしょ?』なんだ」
「いや、その……」
「へえ」
「だって!」
みおは慌てる。
「元不良ってだけで悪い人だと思われたら嫌じゃん!」
「私は悪い人だなんて思ってないよ」
「じゃあいいでしょ!」
「うん」
さきは笑いながらリビングへ戻る。
そして途中で、ふと思い出したように振り返った。
「みお」
「何?」
「好き?」
「は!?」
みおの顔が一気に赤くなる。
さきは続けた。
「黒瀬先輩のこと」
「な、何言ってんの!」
「質問」
「違うよ!」
「じゃあ嫌い?」
「嫌いじゃない!」
「じゃあ好き?」
「二択にしないで!」
さきが声を上げて笑った。
「もう!」
「じゃあ何?」
「仲いい先輩!」
「はいはい」
「本当に!」
「分かった分かった」
「絶対分かってない!」
みおはソファーへ座り、近くにあったクッションを抱え込んだ。
さきも隣に腰掛ける。
少しして。
さきの声から、からかう調子が消えた。
「でもさ」
「何?」
「もし、本当に好きになったとしても」
みおが黙る。
さきは妹の横顔を見ながら、静かに続けた。
「変な理由つけて、自分から諦めなくていいからね」
「……」
「相手がどう思うかは、相手が決めることだから」
みおは何も答えなかった。
さきも、それ以上は言わない。
しばらくして。
みおは抱えていたクッションへ少し顔を埋めた。
「……まだ分かんないよ」
小さな声だった。
「何が?」
「……好きとか」
それだけ言って。
今度は完全に顔を隠した。
さきは笑わなかった。
「そっか」
ただ、それだけを返した。
今は。
それで十分だった。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
蓮司は公園の横を歩いていた。
腹はいっぱいだった。
本当に、苦しいくらいに。
それなのに。
不思議と気分は悪くない。
むしろ――。
「……」
歩きながら、さっきまでいた食卓を思い出す。
テレビの音。
料理から上がる湯気。
誰かの笑い声。
『これ食べる?』
『まだありますよ』
『ちゃんと野菜も食べてください』
そんな声が飛んでくる食卓。
誰かと一緒に。
同じ料理を食べて。
どうでもいいことで言い合って。
笑う。
そんな夕飯を食べたのは、ずいぶん久しぶりだった。
家族を失ってから。
別に避けていたわけではない。
嫌いになったわけでもない。
ただ。
いつの間にか、自分の日常からなくなっていた。
蓮司は足を止めた。
振り返る。
もう佐倉家は見えない。
それでも、その方向を少しだけ眺めた。
「……また来てね、か」
ぽつりと呟く。
嫌ではなかった。
それどころか。
「……」
また行きたい。
そう思っている自分がいた。
そして。
さっきの夕飯を思い返したとき。
最初に浮かんだものが。
唐揚げでも。
豚汁でも。
最後まで残して食べただし巻き卵でもなく。
エプロン姿で笑っていた、みおだったことには。
まだ。
気づかないふりをしておくことにした。
【天野陽翔】
■学年
高校3年生
■所属
桜羽学園高等部・3年A組
■性別
男性
■外見
明るい茶色の短髪で、少し無造作に整えた爽やかな髪型。
茶系の瞳と、親しみやすい明るい笑顔が印象的。
制服はネイビーのブレザーに白シャツ、ストライプのネクタイ。
襟元やネクタイは少しラフに着こなしている。
細身ながら健康的で、スポーツが得意そうな活発な雰囲気を持つ男子高校生。
■性格
明るく、人当たりがよく、人懐っこい性格。
誰とでも比較的すぐに打ち解けられるタイプで、場の空気を明るくすることが多い。
ノリがよく、冗談を言ったり人をからかったりすることも多い。
感情表現もかなり素直で、嬉しい、驚いた、楽しいといった気持ちが表情や態度に出やすい。
普段はお調子者で騒がしいところもあるが、意外と周囲の様子をよく見ている。
困っている人を放っておけず、必要な時にはきちんと真面目になれる。
基本的に裏表がなく、親しみやすい性格。
■特技
スポーツ全般。
運動神経がよく、身体を動かすことが得意。
周囲からもスポーツ万能なタイプとして見られている。
■苦手
勉強。
運動に比べると勉強はあまり得意ではなく、試験が近づくと周囲を頼ることもある。
長時間じっと机に向かって勉強するより、身体を動かしているほうが性に合っている。
■学校での立ち位置
3年A組のムードメーカー的な存在。
明るく社交的で、特定のグループだけに閉じこもるタイプではない。
同級生だけでなく後輩とも気軽に話すことができ、自然と周囲に人が集まりやすい。
少し騒がしくなりすぎることもあるが、その明るさと人当たりのよさから親しまれている。




